「dot」というサイトから転載。
中国人が、日本人が書いた中国史を読んで面白いと思うのは当然で、それは中国史そのものが面白いからだ。では、なぜそれまでは「面白い中国史」が中国内に無かったか、と言えば、おそらく毛沢東の「文化大革命」以来の「過去の文化との断絶」が、今に至るまで続いていたからだろう。
これは中国だけの話ではない。この日本でも、太平洋戦争の敗戦によって「過去の文化との断絶」が起こり、戦後の教育と欧米支配の文化の中で育った人間はもはや精神の中身がそれ以前の日本人とは違っているのだ。
問題は、「失われた文化の中の貴重な財産」をいかにして再発見し、取り戻していくかだろう。新しいもののすべてが良いわけでもないし、古いもののすべてが悪いわけでもない。それどころか、弊履のごとく捨てられようとしている古いものの中にこそ本当に貴重なものが膨大にある、というのが私が自分のブログの中で何度も言っていることだ。そういう意味では私は「保守主義者」でもある。
で、「新しいもの」は常に「商売」とセットになっており、金になるから誰でも飛びつく。古いものはほとんどタダでその辺に転がっているから誰も目にも留めず、やがて消えていく。(あるいはひそかに発掘され、形を変えて「新しいもの」として再生され、その時には著作権や所有権が発生し、庶民全体の財産ではなくなる。)民俗学者などがそれに僅かに抵抗するだけである。
資本主義とは金がすべてという社会だから、その雄であるアメリカ文化が金と直結する新しいものだけに価値を置き、老人まで無理に若作りするキチガイ文化であるのは当然である。その属国、文化的植民地である日本の文化も然り。
(以下引用)
「日本人が書いた中国史」が現地で大人気 その理由は
「歴史」が日中のいさかいの原因になって久しい。両国関係の冷え込みも続く。ところが、日本人が書いた中国史の翻訳本が、なぜか中国で売れ行き好調だ。
10年ほど前に日本で刊行された『中国の歴史』(講談社)という骨太のシリーズ。中国で翻訳出版されたところ、執筆者や出版社がびっくりするほどの売れ行きを見せている。
同シリーズは全12巻。筆者は原則、時代ごとに専門家1人が1巻を担当。例えば8巻は『疾駆する草原の征服者―遼 西夏金 元』といったように従来の通史にない魅力的なタイトルをつけた。ただ、日本では1冊3千円近い価格ということもあり、実売は各巻平均で1.5万部程度だった。
一方、中国版の出版元によれば、1冊50 人民元(約820円)弱という、中国ではかなり高めの価格設定にもかかわらず、今年1月の刊行から何度も増刷を重ね、現時点で6万5千セットに達し、年内に10万セットまで届きそうな勢いだという。
自らの歴史に高いプライドを持つ中国で、外国人が書いた中国史に人気が集まるのは極めて珍しい。上海の日刊紙「東方早報」は「最近の図書市場で最もホットな出来事は、日本学者が書いた『中国の歴史』だ。国内の読者は、なぜ国内の一流の学者がこうした本を書かないのか考えてしまうに違いない」と、この現象を取り上げた。
シリーズ編集委員を務めた学習院大学の鶴間和幸教授は「日本人の書いた中国史が、中国人にも共有され、とてもうれしい」とし、「中華思想的な『中華対夷狄』という対立軸でなく、多元文化の集合した中国という視点で執筆したことが、従来の中国人が書く通史とは異なっていたのではないか」と語る。
※AERA 2014年6月30日号より抜粋