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夏は発見されるのを待っている

前に書き写した佐野洋子の文章の中で認知症の母親が言う

「夏は発見されるのを待ってるの」(正確には「夏は、発見されるのを待つだけなの」)

という言葉は、唐突であるだけに非常に印象に残るのだが、認知症の人間の内部の思考というのはどう動くのだろうか。突然にこのように、詩のような、哲学のような言葉が出てきたのが、あの場面全体を感銘深いものにしている。
「夏」というのは、人名などではなく、季節の夏だと思うが、それが「発見されるのを待っている」と擬人化されると童話のようでもある。そして、「ああ、夏というのは発見されるまでは気付かれないのだ」と思う。これはもちろん、夏だけには限らない。それが好きな人や敏感な人に発見されるまではたいていのものは気付かれない。
昔から「見れども見ず」というのはそういうことだ。これを「見れども見えず」と言うと少しニュアンスが違い、能力の問題になるが、「見ず」というのは「最初から見る意思がない」ということである。私自身、「見れども見ず」の人間であるだけに、「夏は発見されるのを待ってるの」という言葉に心を打たれたのだろう。

「夏は、発見されるのを待つだけなの」

という、原文のニュアンスは、「発見されていない」夏の孤独感や無力感や悲哀もある。そこに、病院のベッドにずっと置かれて、たいていの人からは「人間ではない何か」のように思われている認知症患者の孤独を感じるのは穿ちすぎだろうか。

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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