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健康についての私的思想(後半)

6 高血圧と診断されたら、薬を飲め。


 


 私は高血圧である。そんな人間が健康法について偉そうな事を言うのはちゃんちゃらおかしいが、私が健康法について考え始めたのは高血圧になった後だから仕方がない。


 高血圧は遺伝的要素が大きいから、家族に高血圧の人がいるなら、若い頃から節制して体重コントロールに努めるのが良い。だが、すでに高血圧だと診断されたなら、医者の処方に応じて薬を飲むのが一番である。私が飲んでいるのはディオバン80で、後にカルシウム剤のニフェランタンを追加した。それで、現在は90弱から130前後の血圧を維持している。何度か血圧値を測って、下が90以上、上が140以上であることが多いなら、薬を飲む決心をしたほうがいいだろう。(血圧は容易に変動するものだから、1回や2回高い数値が出た程度では心配することはない。)意地を張って飲まずにいると、血管の負担が長引き、取り返しのつかない状態になる可能性もあるはずだ。


 実際、私は、薬を飲むことで、若い頃からしばしばあった頭痛やのぼせなどがほとんど起こらなくなった。ということは、それらの症状も高血圧に関係があったのではないかと思う。それらの症状が無くなっただけで、薬を飲んだ価値はあったというものである。まあ、月に4,5千円の医者代は若い頃の不摂生のつけだと思うしかないだろう。


 


7 血糖値が高い場合は、体重を減らせ。


 


 私が高血圧と診断された時に、同時に血糖値の高さも指摘され、体重を減らすように医者から指導された。その指導に従って、節食によって体重を78キロから74キロくらいに落とすのに、2,3ヶ月くらいかかったろうか。その後、72キロまで落とし、現在は71キロから72キロの間で推移している。この減量によって、血糖値は改善され、糖尿病になることは何とか避けられたようである。糖尿病は、体が消費できる以上にカロリーを摂取してしまうことから起こるのだから、食事制限以外には糖尿病の予防策は無いだろう。もちろん、運動でもカロリーの消費はできるが、その非効率性は前で述べた通りである。


 


8 腰痛にも体重を減らせ。


 


 腰痛の原因についてはよく知らないが、(医者だって、本当に知っているかどうかあやしいものである。)私の場合には、体重を減らすことで、腰痛までも解消されたのである。ウエストサイズで言えば、97センチから94センチ、そして現在は91センチと二まわりサイズを落としたのだが、それでも厚生労働省のメタボリック症候群の判定基準をまだ越えていて、困っている。もちろん、その判定基準がムチャクチャなのである。だいいち、男よりも女のほうが判定が甘いのはおかしな話だ。また、身長と体重、ウエストサイズとの関係も考慮せずに、一律にウエストサイズ90以上はメタボリックだと決めてしまうのも乱暴な話だ。現役スポーツ選手以外で、身長2メートルで、ウエストサイズが90以下の男がいたら、化け物だろう。それはともかく、腰痛の解消には体重を減らすこと、またはウエストサイズを減らすことが有効である。


 


9 同一姿勢の連続は体調悪化の原因。


 


 身体の不調は、同一姿勢の連続からくることが多い。前に書いたことと重複するが、特にデスクワークを長時間している場合、同じ姿勢を続けていることが多く、鬱血、筋肉の凝り、骨格の変形などの原因になることがある。たとえば、私の背骨は左右に湾曲しているが、これは子供の頃の机に向かう姿勢が悪かったためである。つまり、いつも左腕の肘を机の上に置き、それで顎を支えて本を読んでいたのである。気が付いた時には、中学1年で脊柱側湾症である。普段は意識して背骨をまっすぐに保っているが、油断すると、右肩が下がった状態になる。


 現代では、デスクワークの一つが、パソコンの画面に向かうことだが、これは言うまでもなく、視力を悪化させる原因となる。我々は毎日、自分の体の悪化と引き替えに、デスクワークをしているのである。パソコンのキーボードを打つせせこましい姿勢も不愉快なものだが、それをカッコいいと思っている人間もいるかもしれない。だが、健康に良くないことは確かである。


 


10 感覚器官のコンディションも整えよ。


 


 私は、右目は1.0、左目は0.1くらいの視力だが、メガネをかける習慣は無い。このくらいの視力なら、社会生活を送る上でまったく不便は無いからである。一方、私の二人の子供は、視力が悪化し始めた頃からメガネをかけるようになり、メガネ無しではほとんど生活ができない。子供たちはどちらも早い時期からパソコンに接していたから、そのせいで視力が悪化した可能性は高いが、メガネをかけること自体、視力の悪化を促したのではないかという気がする。近視が軽い間は、なるべく視力矯正訓練で視力を回復するのが望ましい。つまり、読書などのように近い距離の物を長い間見ることを避けて、一定時間ごとに遠くを見て眼筋の運動をさせ、水晶体の厚さ調節運動を行うのである。健康な目は一生の財産であり、メガネをかけないと物が見えないというのは障害者の一種であると考えるべきだろう。つまり、日本人の半数以上は障害者なのである。だが、文明人である限り、目の酷使は避けられない。まだ近視になっていない人間は、自分の健康な目の価値を自覚するべきである。(目に限らず、我々の体の一つ一つの部品は、金で買うとしたら、巨額の金額になるだろう。我々の体そのものが、大きな財産なのである。)


 聴力については、私は何も言う資格は無い。音の判別能力という点では、かなり低いレベルの人間である。味覚も鈍い方だろう。嗅覚は普通か。だが、「普通」の感覚を持っていることは、それ自体財産ではある。人間に五感が無ければ、生きる楽しみの大半は失われる。音楽、美術、美食、薫香などは人生を豊かにするだけでなく、しばしば人生の目的の一つとなる。ならば、それらの感覚器官を大事にするのは当然だろう。

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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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