昼間から酒を飲んで、いざ眠ろうかと思うと眠れないので、あれこれ物思いに耽っているうちに、なぜか「ティファニーで朝食を」の映画のことを考え出し、その連想で「ムーン・リバー」の歌詞のことを考え出して、なお眠れなくなったので、起き出してこのブログを書いている。
その前に考えていたのが、処女性というものについての男女の価値観の落差という問題(これはあきれるほど巨大な落差がある。)で、それは、「ティファニーで朝食を」の主人公、ホリー・ゴライトリーが、まだ物心のつかない少女のうちに、やむなく結婚を強いられ、(つまり本人の意思からではない処女喪失をし)その後、夫を捨てて都会に出てアマチュア娼婦として生きてきた、ということへの連想につながったのである。
また、トルーマン・カポーティがホリー・ゴライトリーのイメージとしていたのは実際の主演女優のオードリー・ヘップバーンとは正反対のイメージのマリリン・モンローで、彼女自身、少女時代に不幸な処女喪失の体験をし、ハリウッドデビュー前には田舎の冴えない男と結婚していて、それを捨ててハリウッドに出て世界的なスターとなったという、まさに映画界デビュー前の過去だけを見ればホリー・ゴライトリーそのものである。そして、ハリウッドに行っても、娼婦同然の生活をしているうちに、運よく映画デビューして世界的な大スターになったわけだ。彼女が映画でセリフのある役を貰った時の言葉が、「これからは役を貰うためにプロデューサーにフェラチオしなくても済むのね」だったという。
そうしたマリリン・モンローの実際の生涯と「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーを重ねて見ると、この映画は苦い陰影を帯びてくる。
なお、「ホリー・ゴライトリー」は「ホリー」が「聖なる」で、「ゴライトリー」は「ゴー・ライトリー」つまり「正しく進め」である、というのが私の解釈だ。
つまり、「世界のホリーたちよ、理不尽な運命に負けず、正しく進め」という、トルーマン・カポーティのエール(声援)だろう。正しく進め、とは「自分で自分を抑圧せず、自由に生きろ」ということである。
ついでに、小説と映画の相違を述べれば、小説でホリーが歌う歌の歌詞は
「眠りたくなし
死にたくもなし。
ただこの大空の広い牧場を
旅していたいだけ」
だったと記憶している。小説の英語版は家のトイレにあるが、調べるのも面倒なので記憶のままで書いておく。
で、映画の中でオードリー・ヘップバーンが歌うのが、かの有名な「ムーン・リバー」である。
これも、ホリー・ゴライトリーの内面世界をうまく描き出した名曲だと思う。
英語がまったく駄目、という人のために私がいい加減な訳をしておく。
月の河よ、1マイルよりも広い河よ
私はお前を洒落た身なりでいつの日か渡ろう
古い夢を紡ぐもの
君よ、我が心を破るもの
お前の行くどこへでも
私もついて行こう
二つの漂流物
世界を見るために岸を離れた二人
世界にはこんなにも見るものがたくさんある
私たちは同じ虹の脚を追っている
曲がり角で待っているのは
ハックルベリー・フィンのような仲間
月の河、そして私
(補足)今朝になって確認してみたら、ホリー・ゴライトリーは「Holly Golightly」なので、「正しく進め」ではなく「光の中を歩め」とするべきかもしれない。まあ、どうせ酔っ払いの書いた文章だから、今さら訂正するのも無意味だが。なお、ホリーの外面描写はまさにオードリー・ヘップバーンであり、トルーマン・カポーティはマリリン・モンローの前半生をモデルにし、キャラクターの外面はわざとM・Mと正反対に変えて書いたのかもしれない。
Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Old dream maker, you heart breaker
Wherever you're going
I'm going your way
Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waiting round the bend
My huckleberry friend
Moon river and me
(Refrain)
その前に考えていたのが、処女性というものについての男女の価値観の落差という問題(これはあきれるほど巨大な落差がある。)で、それは、「ティファニーで朝食を」の主人公、ホリー・ゴライトリーが、まだ物心のつかない少女のうちに、やむなく結婚を強いられ、(つまり本人の意思からではない処女喪失をし)その後、夫を捨てて都会に出てアマチュア娼婦として生きてきた、ということへの連想につながったのである。
また、トルーマン・カポーティがホリー・ゴライトリーのイメージとしていたのは実際の主演女優のオードリー・ヘップバーンとは正反対のイメージのマリリン・モンローで、彼女自身、少女時代に不幸な処女喪失の体験をし、ハリウッドデビュー前には田舎の冴えない男と結婚していて、それを捨ててハリウッドに出て世界的なスターとなったという、まさに映画界デビュー前の過去だけを見ればホリー・ゴライトリーそのものである。そして、ハリウッドに行っても、娼婦同然の生活をしているうちに、運よく映画デビューして世界的な大スターになったわけだ。彼女が映画でセリフのある役を貰った時の言葉が、「これからは役を貰うためにプロデューサーにフェラチオしなくても済むのね」だったという。
そうしたマリリン・モンローの実際の生涯と「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーを重ねて見ると、この映画は苦い陰影を帯びてくる。
なお、「ホリー・ゴライトリー」は「ホリー」が「聖なる」で、「ゴライトリー」は「ゴー・ライトリー」つまり「正しく進め」である、というのが私の解釈だ。
つまり、「世界のホリーたちよ、理不尽な運命に負けず、正しく進め」という、トルーマン・カポーティのエール(声援)だろう。正しく進め、とは「自分で自分を抑圧せず、自由に生きろ」ということである。
ついでに、小説と映画の相違を述べれば、小説でホリーが歌う歌の歌詞は
「眠りたくなし
死にたくもなし。
ただこの大空の広い牧場を
旅していたいだけ」
だったと記憶している。小説の英語版は家のトイレにあるが、調べるのも面倒なので記憶のままで書いておく。
で、映画の中でオードリー・ヘップバーンが歌うのが、かの有名な「ムーン・リバー」である。
これも、ホリー・ゴライトリーの内面世界をうまく描き出した名曲だと思う。
英語がまったく駄目、という人のために私がいい加減な訳をしておく。
月の河よ、1マイルよりも広い河よ
私はお前を洒落た身なりでいつの日か渡ろう
古い夢を紡ぐもの
君よ、我が心を破るもの
お前の行くどこへでも
私もついて行こう
二つの漂流物
世界を見るために岸を離れた二人
世界にはこんなにも見るものがたくさんある
私たちは同じ虹の脚を追っている
曲がり角で待っているのは
ハックルベリー・フィンのような仲間
月の河、そして私
(補足)今朝になって確認してみたら、ホリー・ゴライトリーは「Holly Golightly」なので、「正しく進め」ではなく「光の中を歩め」とするべきかもしれない。まあ、どうせ酔っ払いの書いた文章だから、今さら訂正するのも無意味だが。なお、ホリーの外面描写はまさにオードリー・ヘップバーンであり、トルーマン・カポーティはマリリン・モンローの前半生をモデルにし、キャラクターの外面はわざとM・Mと正反対に変えて書いたのかもしれない。
I'm crossing you in style some day
Old dream maker, you heart breaker
Wherever you're going
I'm going your way
Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waiting round the bend
My huckleberry friend
Moon river and me
(Refrain)
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