第一章 能力開発
1 学習
より良い人生を送るためには、自らを優れた武器または道具として作り上げる必要がある。後の章の「心術」や「生活習慣」の部分でも述べるつもりだが、自己コントロールの能力は、人生を生きる上で、もっとも大事な能力だと私は思う。それは、この章の続く部分の「遊び」「身体能力」「対人関係能力」のすべてに必要な能力である。(ただし、ここで挙げる項目の中には、無理に向上させる必要性などない、と私が思うものもある。)
まず、ライフステージの中の、「被扶養者段階」にある青少年の場合は、学校での勉強をどうするかが大きな問題である。世の中には、勉強に関しては天才的な人間たちもたくさんいるし、その中には、授業で一度聞けば、数学でも物理でも容易に理解し、一度読んだ本は忘れないという強靱な記憶力を持った人間もいる。だが、そういう連中はほんのわずかであり、世の青少年の大半は私同様の凡人だろう。その凡人が、凡人なりに、どう勉強をすれば効果的かという話である。
まず、すべての基本から始めよう。
人間は、言葉に支配される存在である。誰でも、その人なりの生活信条や人生観があり、毎日の生活はその発現なのである。つまり、「言葉」が「生活」に変化するのである。
「どうせ何をやったってうまくいくはずがない」という考え方を「敗北主義」と言う。アメリカなどでは、男への悪口として「負け犬(ルーズ・ドッグ、またはルーザー)」という言葉をよく使うが、失敗した人間だから負け犬なのではない。敗北主義になった人間が負け犬なのである。(もっとも、アメリカでの「負け犬」は、単なる失敗者への悪口であることも多いが。)一度や二度の失敗・敗北では負け犬にならない。「負け犬根性」が染みついた人間を負け犬と言うのである。そして、それは、意識的・無意識的に「自分はどうせ負けるんだ」と常に自分に言っている人間のことなのである。それは、言葉が人間を作っているということだ。
ナポレオン・ヒルとかデール・カーネギーなどの「成功哲学」の基本は、「まず、自分の夢を具体的に言語化せよ」である。つまり、「人生で成功したい」ではなく、「いついつまでに何万ドル欲しい」というように具体的な言葉にするのだ。そして、それを自分自身に何度も言い聞かす。そのうちに、自分のその夢(または計画)に関係した情報がアンテナに引っかかるようになり、そして、毎日の生活も、その夢の実現に向けて少しずつ蓄積が始まる。たとえば、月給が20万円のサラリーマンが、1億円の金が欲しいと思うのは、かなり非現実的な夢だろう。だが、1000万円なら、実現可能な夢である。毎月の給料のうち10万円を貯金していくだけでも、10年後には1200万の貯蓄になる。そして、1000万円の元手があれば、それを投資して1億円にするのも不可能ではない。しかし、大半の人間は、貰った給料のほとんどを無駄遣いして、何一つ蓄積しないままで時間を過ごしていく。そして、10年後にも、同じく貯蓄ゼロの生活になるのである。
これは金の話だが、勉強も同じである。
「具体的な計画を立てよ」というのが、生活のコントロール、そして自己コントロールの出発点だ。その計画は、「東大に入りたい」というような漠然とした言葉ではなく、「東大に入るために、これこれの知識と能力を身につけよう」という具体的なものでなければならない。センター試験なら何点、二次試験なら何点という計画を科目ごとに立てる。それが成功するとはもちろん限らない。だが、何も計画しないままで漫然と勉強することに比べたら、はるかに成功可能性は高いはずである。模擬試験ごとに、計画の進捗状況は分かるから、軌道修正などは当然あってもいいのだ。
具体的な計画とは、単なる夢想や願望を明確な言葉にするということである。
より良い人生を送るための基本的な考え方として、「時間の貯蓄」という発想を説明しよう。時間はもちろん貯蓄できない。だが、別の形で貯蓄することはできるのである。たとえば、あなたが1日のアルバイトをして5000円の給与を得たとしよう。それは、あなたの1日という時間が、5000円という具体物に変化して貯蓄されたということだ。では、その1日という時間は無駄に消えたのか? もしもそのアルバイトが苦痛なだけの仕事ならば、そう言えるかもしれない。だが、そのアルバイトの職場に、可愛い女の子でもいて、その時間が楽しかったなら? あなたは、1日を楽しく過ごした上に、5000円という金まで手に入れたのである。いや、苦痛なだけの労働でも、若い頃の時間を(金に限らず)別の形で貯蓄することが、将来の人生において、大きな意味を持つのである。
あなたが学生ならば、学校での勉強が終わって自宅に帰り、そこでも家庭学習をするのは辛いと思うだろう。だが、その家庭学習の3時間、4時間が、私の言う「時間の貯蓄」なのである。一日のうち1時間でもいい、将来の自分のために、意義あることに使いなさい、ということである。
もちろん、広い意味では、小説を読むのも漫画を読むのも、テレビを見るのも、意義が無いことはない。だが、そういう安逸の時間は、やはり時間の貯蓄としては薄すぎるのである。あなたがいくら小説を読んでも、将来文芸評論家や作家になれるわけではない。そうした仕事に就く人たちは、また、彼らなりの修行をしているのだ。それも彼らの「時間の貯蓄」だったのである。
一日に、英単語一つでもいい。毎日覚えていけば、10年後には3650単語を覚えることになる。それを17歳くらいから始めたら、27歳の頃には、海外で生活するのに十分な語彙力を身につけるわけだ。もちろん、「たかが3000語程度で!」と馬鹿にする人もいるだろう。だが、中学程度の英文法力と、3000語程度の語彙力があれば、英語圏での日常生活は可能なはずだ。大学になど行かなくても、必要十分な英語力を身につけることは難しいことではない。のんべんだらりと大学に行った人間と、「時間の貯蓄」をしてきた人間と、どちらがより良い人生を送れるだろうか。