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気の赴くままにつれづれと。
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私は小田嶋師の大ファンだが、「教育勅語」が一定の人気がある理由は必ずしもそれが「集団への帰属」を美化し、集団と自分の一体化の幻想を与えるから、というだけではないと思う。
イギリスのある詩人だったと思うが、「聖書を文学として読むなかれ」みたいなことを言っていたが、実は「教育勅語」にも一種の文学性、と言って悪ければ「詩的リズム」があるのだ。
「チンオモウニ ワガコーソコーソ クニヲハジムルコトコーエンニ」という冒頭の眠くなるようなリズムの心地よさを感じるのは私だけではないと思う。森友学園で教育勅語を幼児に暗唱させていたが、暗唱できるような音調を持っているのが教育勅語の特徴なのである。現代日本語の文章には、文語文のこのリズムは無い。私の愛する日本国憲法も、それを「暗記し、暗唱しろ」と言われたら、私には絶対に無理である。
まあ、「教育勅語」の問題点は「国家(皇室)に急がある時は、皇室(国)を守るために国民(臣民)は奉仕しろ」という「皇国思想」すなわち「日本とは皇室のことだ」という皇室絶対思想にあるのであり、いかに「尊皇主義者」の私でも、それは絶対に認めるわけにはいかない。皇室のために国民がある(国民は天皇の臣下であるという思想)のではなく、国民の象徴や模範として天皇と皇室はあるべきだ、というのが私の考えで、それは現行の日本国憲法がまさに定めていることなのである。
要するに、このグダグダした一文で何が言いたいかというと、「言葉の文学性や魔力を軽視してはいけない」ということである。人はひとつの言葉の力によって死ぬことすらあるのである。家康を恐れさせた三河一揆集団の死を恐れぬ戦闘力は「厭離穢土欣求浄土」のスローガンの力であった。アメリカ独立戦争を勝利に導いた力のひとつは兵士たちを鼓舞した「我に自由を与えよ。しからずんば死を与えよ」という言葉だった。
とすれば、「教育勅語」もまた人々を大東亜戦争に導いた大きな力のひとつであったとは言えるだろう。それがリベラル陣営からは「悪魔の書」扱いされるのも故無しとしない。
忘れてはいけないことだが、教育勅語には「道徳規範」の面も大きく、現代日本の見苦しい風俗が「戦後民主主義」のせいだ、と思う層が、道徳の規範を教育勅語などに求めている、ということも重視すべきだろう。だからこそ森友学園に子供を入れる親もいるのである。
(以下引用)
小田嶋隆 @tako_ashi 7時間前
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