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自己防衛力の弱い人間から淘汰されていく

「大摩邇」所載の生チョコぽん酢さんの記事だが、深い内容だと思う。
まあ、戦争があるたびに、勇敢な人間や義侠心のある人間が先に死んでいくのだから、時代が下るにつれて(卑怯者やズルい人間の子孫である)人類の精神的質はどんどん低下していくだろうとは思うが、今は平時でも善良な人間が淘汰されていくようだ。或る意味、見えない戦争の中を我々は生きているわけで、それを単に弱肉強食で片づけていいのだろうか。人間がもう少しまともな世界を作るのは実は簡単なことなのではないか、という気がする。
要するに、上の人間が非道な行為をやめれば済むだけのことである。資源的には、すべての人間が安楽に暮らせるだけのものが地球にはあるのだから、上位1%の人類が富の独占や殺戮をやめればいいだけだ。

(以下引用)


さて、ここからがタイトルに書いた件なのですが。

最近浮浪者って見なくなりましたよね?


もちろん一部(例えば新宿駅とか)では、若者の路上生活者が増えている、みたいな問題はあるとは思うのですが、ガチモノの浮浪者って、少なくとも私は全然見なくなりました。

私は大阪生まれなのですが、子供の頃に大阪駅のど真ん中で失禁して意識を失ってる浮浪者(亡くなっていたのかも)を、大勢の人間が見て見ぬふりをして避けて通っていました。

私は声をかけた方がいいような気がしましたが、母親に手を引かれてその場を離れたのを覚えています。

あの凄まじい臭いと、人間の心の冷たさ、みたいなものを子供ながらに感じました。

同じ人間同士で区別するんだなって。

学生に入ってからも同様で、学生の頃には関東に住んでいたのですが、こっちの方でも河川敷にブルーシートで家を作り生活されていたり、空き缶を集めている人がいたり、駅や地下通路で段ボールで生活されている人がいたり。

今の路上生活者とは違い、長年その生活を続けていらっしゃる方だから、服はボロボロで、髭や髪の毛もボサボサ。


路上生活者の女性が妊娠したらニュースになり、「きったねぇw」みたいなヤジがあちこちから聞こえてきたりして、その女性を保護したことに対しても批判の声が出たりして、まぁ差別が酷かったものです。

しかし私が大人になり、気付いた時には、浮浪者は見なくなりました。

いつだったかは正確には覚えていませんが、多分ここ15年くらいの出来事なのだろうと思います。

一体全体、あんなにたくさんいた浮浪者さんたちはどこに行ったのか?

それは搬送の仕事をするようになり、その答えを知ることになりました。

以前に確かこの記事で、生活保護にも2種類あることにふれたことがありましたが、


 


 


 


1)通常の生活保護の人

この人たちは大多数を占めていますが、予算内で住む場所を選ぶことができます。

アパートに住むのか戸建て(平屋)に住むのか。

条件次第では、元々の持ち家にそのまま住んでいる人さえいます。

引越しだってできるし、生活に多少の制限はあるものの、割とまともな暮らしができる人です。

2)劣悪な生活保護の人

一方で(1)の人とは全く異なる生活保護の人がいます。

NPO法人が一括管理しているのだと思われますが、古いアパート一棟を丸々生活保護用の住居とし、ワンルームの部屋をペラペラのパーテーションで仕切り、縁もゆかりもない2人3人をぶち込んで共同生活させている感じです。

受給費もNPO法人側で管理している様子。

たぶんよほど金銭管理が苦手・もしくは金銭管理において信用されていない人が住むところの印象を受けます。


この差は何なのか?


これは私の独断と偏見に基づく結論ですが、浮浪者等の身元不明の方が(2)になるのだろうということです。

もちろん行政の方に聞いたこともあって、行政の方は「生活保護決定時に、お金を持っているかどうかで決まる」という言い方をしていましたが、まぁそういうことなのだと思われます(結局金な)。

ちなみに仕事をしていてトラブルはどちらが多いか分かりますか?

それは(1)の人なのですよ。

(1)の人にもいい人はたくさんいるのですが、それでもどこか特権階級気取りになってしまう人がいたり、横柄な人がいたり、失うものが無いからやりたい放題している人がいたり、食えなくなった悪い人達の隠れ蓑になっていたり、迷惑なまでにお金に執着している人がいたり(貰ったお金への所有欲という意味)。

まぁ本当に、色々なことがあります。

一方の2の人達は、謙虚でいい人ばかりなのですが、少し社会性に欠けているというか、不自然過ぎる程謙虚というか。

不満を絶対に漏らさないタイプの人が多い印象を持っています。

先月は2件、こうしたところに住んでいた方を搬送したことがありました。

内1件は車椅子の方で、何を言っても「ありがとうございます」とうなだれながら言う50代くらいの男性。

内1件はストレッチャーレベルの70代くらいの女性でしたが、とても穏やかな人でした。

待ち時間が長く、病院側の看護師さんとの世間話を横で聞いていたのですが、生れは関東の東側で、そこからいつの間にか路上生活をするようになり、最後は保護された感じなのですが、お子供もいらっしゃるみたいですね。

とても話しづらそうにしてましたが、普通にまともな人、というか優しくて気弱な女性というイメージでした。


色々な属性の方と触れ合ってみてつくづく思うのが、今の社会で生きることの大変さについてです。

浮浪者の方々って今の社会にトコロテン方式で追い出された方々だと思うのですが、時代が違えばサバイバル能力に長けている最も優れた人なわけです。

一方で今の社会に適応出来ている我々というのは、どちらかというとサバイバルには向いていないのは明白で。

それどころか、失うものが無くなれば悪いことをする人だってたくさん出てくるだろうし、すぐに秩序が乱れそうですよね。

浮浪者の方々は暴行されることはあっても、滅多に暴行事件なんて起こしませんよ。

そこにはきちんと秩序が生まれているのです。




この差は一体なんなのか、欲とはなんなのか。


 


一体どちらが未熟者なのか。


 



一昨日会員さんとの雑談会で、子供の自殺についての話題になったのですが


子供の自殺者が過去最多だったようなのですね。

出生率過去最低
死亡数過去最高
子供の自殺者過去最高


というとんでもない世の中になりましたよ。

会員さんは「自殺する子供ほど、賢く純粋で、優しい子だと思う」とおっしゃっていて、まさにその通りだなと思いました。

以前に話した戦争では最も必要な人から死んでいった過去も似ていますよね。


今の世に生まれ落ちる子供にはいくつもの難関が待っています。


 



第一関門)単純に生まれてくることの難しさ

第二関門)ワクチンや医療狂いの親のもとに生まれないこと

第三関門)この狂った社会構造に気づき、様々な罠に自分で気付くことができる知能があること

第四関門)絶望的な現実を直視してもなお割り切って、自分軸で楽しく生きて行くことができる強さがあること


 



ある意味では一部の適性のある子しか、社会に適合することは難しいのでしょう。


 


このコロナ禍に入ってからというもの、今までの常識というものが、いかにくだらない存在だったのか、多くの人が実感できたと思うのですよ。


 


浮浪者にしろ、自殺する子供にしろ、戦争で真っ先に死んでいく人にしろ、優しい社会には絶対に必要な人達。

 
私は以前から言い続けていますが、今までの社会に適合してエンジョイ出来ていた人ほど、精神が病んでいるのかな?と
 
逆に言うと、今までの社会で適合することが苦手だった人ほど、実はまともな人だったのだろうと感じています。

 


とにかく。


 


 


誰1人見捨てないとか言いながら、本当は誰1人救うつもりがない社会に進んでいっていることに、もっと日本の大人達は気づくべきだと私は思いました。


 


このままでは、最後に笑うのは、誰もいないのですよ。


 


そして今絶望していない人ほど、最後の絶望は大きいものになるでしょう。


 



おわり


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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