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「君子は豹変すべし」

「君子豹変(す)」という言葉があるが、あれは「君子は豹変するものだ。そうであるべきだ」というのが本来の意味だと昔何かで読んだような気がするような気がする。まあ、自信は無いが、いい加減なのは私の常だからそのまま書いておく。(一応、手元の国語辞書で調べると「君子はあやまちに気づけば、すぐに改めて心や行いを正しくする」ことだ、と書かれていて、私の記憶は正しかったようだ。)
で、公の場で、自分の過ちを認め、その謝罪をするとか言動を改めるというのは難しいものであるようだ。私は自分の頭の悪さや記憶力の無さには自信があるので、間違ったな、と思ったらだいたい即座に「間違いました、テヘペロ」とするが、これは私が君子だからではなく、そもそも書いたり言ったりしていることの正解率は、平凡人で40~60%、秀才で50~75%程度だと思っているからだ。まあ、だいたいのことは常識的な推移をするから、誰でもその程度の正解率はある。
一番厄介なのは、自分の間違いを誰からも指摘されず、気づかないことで、権力者の破滅の多くはそこから生じるようだ。安倍元総理など、その代表だろう。取り巻きにチヤホヤされ、自分がただの馬鹿だと気付かないで、周囲にも利用され、自分の悪行にも無反省だった。
私は、下の記事(「隠居爺の世迷言」)に書いてあるような、「安倍総理は平和主義者だった」みたいな発言は、それこそ世迷言の最たるものだと思う。「平和主義者」がなぜあれほど軍備拡張を主張し、身近に高市のような超右翼を侍らせていたのか。もちろん、安倍がアメリカに対して面従腹背だった可能性もあるが、それなら心中の推測ではなく、明白な事実を基に論じるべきだろう。(一回目のゲリピー辞任は、「日本独立」を匂わせた結果の気配もある。)
下の記事は、書かれたことの大半が「他人の心内まで推測」し、その推測を基に意見を組み立てるという、論理上超基本的な禁足事項で成り立っている。というわけで、まあ、アメリカ批判は当然としても、単なる傀儡の岸田や石破を「否定する」と最初に立場を決めた以上、その路線で行くしかない、と思っているのではないか、と隠居爺氏の心中を推測するというアホな自家撞着言論を披露しておく。念のために言えば、私は氏の人柄も文章も好きなので、できれば、今後は「あまり自分の過去の主張に固着した、読み苦しい記事」は控えたほうがいいのではないか、と思うが、まあ、余計なお世話だろう。好きなことを好き放題に書くのがネット言論の楽しみなのだから。

(以下引用)



 形勢が悪くなったことから、日本を含めた西側欧米諸国はあわててウクライナへの追加支援をしているところですが、それももはや限界となったようで、先の見通しは立ちません。敗戦を待つしかないというところではないかと思います。

 こんなはずではなかったのでしょうね。ウクライナ戦争に経済制裁を併せることでロシアは疲弊し、プーチンは政権の座を追われ、その後に欧米資本が乗り込んで行って、2000年前後の頃のようにロシアを食い物にする予定だったのでしょう。すっかり当てが外れてしまいました。そればかりではありません。日本では2年ほどの間に主食である米の価格が倍以上になるなどという、敗戦国特有の悲しい現実が生じるようになっています。一番の戦犯は岸田元総理ですね。積極的にウクライナ戦争に加担しましたので。

 私は実のところ安倍元総理を評価していません。利権政治を推進する悪人でしたので。ただし、戦争は嫌っていました。そこだけはいいところでした。まあ、矛盾しているのですけれどね。盛んに戦争のできる国作りをしておいて、内心は戦争をしたくなかったのですから、それならそもそも戦争のできる国にしなければよかったと思います。軽薄といえば軽薄でした。それに加えて、おそらくアメリカに「戦争は良くない」と物申したのでしょう。あっさり消されてしまいました。

 それを見ていたせいなのかどうか、岸田文雄は戦争を積極的に推進する総理大臣になりました。日本から戦争を仕掛けるために、増税、軍備拡張を始めました。とんでもなく独裁的な人で、「ああ、自民党というのはこんなにも独裁性を内包していたのか」と思わせました。

 まあ、日本人というのは元来がそのような民族なのかもしれません。大東亜戦争中は鬼畜米英で凝り固まって、やれ特攻隊だ、やれ竹槍訓練だと意味のないことに熱心になる国民でしたからね。そのようなことが好きなのかもしれません。マスメディアも政府以上の煽りで国民を煽動するのは、大東亜戦争中も、現在も、全く同じです。

 加えて、それに接している国民も " 見猿聞か猿言わ猿 " を決め込んでいて、大東亜戦争中と同じです。いいんですよ、それで無事に乗り切れるのであれば。しかし、大東亜戦争はどうなりましたか? 広島、長崎に原爆を落とされ、東京は大空襲で焼け野原、日本人が全部で300万人以上死んだといわれています。同じことをまた繰り返したいのでしょうか。

 合理性がないというのか、道理に暗いというのか、日本人は救いようがありませんね。それはコロナ騒動でも嫌というほど感じさせられたことで、被害もない風邪に対して、危険なワクチンを打ってバタバタと死んでいくのですから。悲劇といえば大悲劇なのですが、滑稽といえば大変に滑稽な見せ物でした。すでにワクチンで殺された人は30万人程度になっていると私は推測しています。

 ここでもう一つ疑問が浮かんできます。それは、新型コロナ騒動の目的が仮に戦費調達だったとして、ワクチン接種でそんなにたくさんの人を殺す必要はなかっただろうにという疑問です。

 自然な疑問です。副作用の少ないワクチンなどいくらでも作れるのですから、そのようにすれば良かったはずです。どのみちインチキなワクチンだったのですから。なぜ人がバタバタと死んでいくようなワクチンを接種したのでしょうか。

 その答えは難しいのですが、私は「遊びだったから」という解答になるように思います。アメリカ人というのは、あるいはアングロ・サクソン人というのは、あるいはユダヤ人というのは、そのような人種なのですよね。広島・長崎への原爆投下だって、遊びといえば遊びです。瀕死の日本に対して原爆を投下する意味など何もなかったのですから。それでも、実際に原爆を落としたらどのようなことになるのか、それを自分たちの目で見たかった、実験したかったのでしょう。

 今回の新型コロナ用ワクチンでも同じことが起きました。アメリカ人は、アングロ・サクソン人は、ユダヤ人は " お医者さんごっこ " をして遊んだと考えるといいように思います。きっと十分楽しんだと思いますよ。劣等人種とみなしている私たちを騙して殺すことに、純粋な喜びを感じたことでしょう。そうか、ハンティング(狩り)だったのかも。

 そして、日本の場合に深刻だったことは、日本人や日本を守ることが最も重要な仕事であるはずの日本政府や国会議員らが、アメリカ人や、アングロ・サクソン人や、ユダヤ人の手下になってしまい、日本人を殺すことに協力したことです。そういえば、日本の多くの医者も手下になって日本人をたくさん殺しましたね。人の命を救うのが医者の使命であるはずですが、よく平気な顔をしていられるものだと思います。


 


 アメリカ人や、アングロ・サクソン人や、ユダヤ人などが、人を殺して楽しむ様子は、アメリカの「マーズ・アタック!(Mars Attacks!〕」(1996) というSFコメディ映画をご覧になるととってもよく理解できると思います。全員とは言いませんけれど、あれがアメリカ人の本性なのですよね。平和など糞食らえです。現在のイスラエルはあの映画を地で行っています。


 


 さて、新型コロナ騒動とウクライナ戦争の関係について、私のように推測している論は読んだことがありません。同様の推理をしている人はあまりいないのでしょうか。しかし、私が気がついたくらいですから、似たようなことを考えている人は暗数としてたくさんいると思います。




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