私はマルキシズム自体を否定する古典的社会主義者なので、日本におけるマルキシズムの「労農派対講座派」論争についての知識すらないが、改めて調べてみて、その論争のくだらなさにあきれた。まさに「コップの中の嵐」であり、学生運動などが様々なセクトに分かれてマルキストの内部的闘争に明け暮れ、大衆から完全に遊離した原点がここにあるという思いすらある。
日本の社会主義思想の未成熟と沈滞(それは社会の不平等をそのまま維持する原因になった。)の原因は彼らマルキストたちの精神的幼稚さにある、と言っていい。
ちなみに、「文芸春秋8月号」の特集「日本左翼100年の総括」の一部である池上彰と佐藤優の対談の中で、佐藤優の発言によると、社会党の土井たか子は、「憲法で一番大事なのは(象徴)天皇を規定した第一条から第八条だ」と言っていたらしい。佐藤は彼女を「尊皇主義者」(ちゃんと「尊王」ではなく「尊皇」と表記)と言っている。つまり、社会主義と尊皇主義は矛盾しない、ということである。
(以下引用)
労農派マルクス主義と講座派マルクス主義というのはどういう違いだったのでしょうか?
阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)さん
2012/4/30 12:47
主として,(1)明治維新の性格をどう考えるか、(2)その考えにもとづいてその後の社会主義に向けた日本の革命戦略の在り方はどうあるべきか、という二点をめぐって両者の間で論争がありました。 労農派…(1)明治維新は、不徹底さを一部残すとはいえ、ブルジョア革命としての基本課題を達成している。(2)したがって,来るべき次の革命は、直接に社会主義を目指す革命でなければならない。 講座派…(1)明治維新の不徹底ぶりは、深刻なもので、多くの封建遺制(前資本主義時代の残りかす)が残った。(2)したがって、来るべき革命は、この封建遺制を一掃するという課題の達成に力を注ぐブルジョア民主主義革命でなければならない。 当初講座派はこの第二のブルジョア革命は、その進行過程で急速に社会主義革命へと転化するとしていましたが、徐々にその主張はブルジョア革命から、社会主義革命への転化よりも、二つの革命の間の「距離」を強調するものへと変化していきました。

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