「紙屋研究所」から転載。
「批評の欲望」、あるいは「ファン心理」についての痛烈な一言である。
(以下引用)
余談になるが、冒頭の座談のなかでの穂村の次のことばは印象的だった。 「たとえば『わたせせいぞう』とか名前を出すことが自分を傷付けることになる名前と、自分を高めてくれそうな名前とかがあって、『黒田硫黄』は断然後者なんだよね」 「黒田硫黄について書かれた文章って内容の正しさとは別に、黒田硫黄を選んだ自分を誇るみたいなところがあるんだよね」 これは大久保ニューの漫画『ニュー・ワールド』(青林堂)にでてくる主人公・倉田麻美子(よく見ると「くらたま」かよ)のコトバを思い出させる。ビョークというアーティストが好きな自分に酔っていたが、自分がバカにしていた「コギャルあがり」がビョークっていいよねと言ったのを聞いての告白。 「なんかね 自分の底が見えちゃって… 誰だって聴いたらスゴイって思うことなのに… アタシただ“スゴい”って思うだけで自分が“特別”だと思ってたんだよね ホントに“スゴい”のはビョークなのにね… アタシって最低」 ネットにあふれかえる「漫画レビュー」は、ぼくのものもふくめて、独力での輝きをしめせない、情けない自己顕示なのだなあ。
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