前に「可愛い」と「美しい」について論じたが、この「KAWAII」の概念は日本独自のもののようで、実はそれは「弱者(小さいもの)を愛し、慈しみ、賛美すらする」という感情であり、この感覚は「優勝劣敗」の世界ではありえない感情なのである。あらゆるものに美点を見出すという、ある意味「山川草木悉皆成仏」的な「普遍愛」であり、闘争とも勝利とも無縁だ。
つまり、世界の大半は「優勝劣敗(優るものは勝ち、劣るものは敗ける)の野蛮世界」であり、日本はそれと異なる独自の精神をもっている、と言うとまさに夜郎自大と言われるかもしれないが、この精神こそが今、日本の漫画やアニメを通じて世界に広がり、「KAWAII」という概念によって弱者尊重精神が生まれることで世界は浄土となる可能性があるのではないか。
日本という国は、前に書いた清少納言の言葉や「虫愛ずる姫君」の昔からこういう「可愛さ」の感覚が鋭敏で、それが日本の漫画やアニメの独自性の元になっていると思う。特に「虫愛ずる姫君」など、その時代にあっても特異な人間であっても、そこに「なるほど、こういう『可愛い』もありだな」と思われたからこそ現代にまで残る古典となったのだろう。私なども、ヤモリが大嫌いな人間だったが、小さなヤモリを見て娘が「ヤモちゃん」と言って以来、自分の手でヤモリを殺すのに抵抗が出てきたのである。
つまり、人間の精神は容易に変容するものであり、憎悪や嫌悪の対象をなぜ憎悪し嫌悪するか、当人でも「理屈はない」はずだ。特に、弱者や幼いものを憎悪し嫌悪する理由などありえない。ところが、「優勝劣敗」の世界ではそれも排除対象になるのである。
論議を尽くしていないが長くなったので、とりあえず「KAWAII」は世界を救う、と結論しておく。
つまり、世界の大半は「優勝劣敗(優るものは勝ち、劣るものは敗ける)の野蛮世界」であり、日本はそれと異なる独自の精神をもっている、と言うとまさに夜郎自大と言われるかもしれないが、この精神こそが今、日本の漫画やアニメを通じて世界に広がり、「KAWAII」という概念によって弱者尊重精神が生まれることで世界は浄土となる可能性があるのではないか。
日本という国は、前に書いた清少納言の言葉や「虫愛ずる姫君」の昔からこういう「可愛さ」の感覚が鋭敏で、それが日本の漫画やアニメの独自性の元になっていると思う。特に「虫愛ずる姫君」など、その時代にあっても特異な人間であっても、そこに「なるほど、こういう『可愛い』もありだな」と思われたからこそ現代にまで残る古典となったのだろう。私なども、ヤモリが大嫌いな人間だったが、小さなヤモリを見て娘が「ヤモちゃん」と言って以来、自分の手でヤモリを殺すのに抵抗が出てきたのである。
つまり、人間の精神は容易に変容するものであり、憎悪や嫌悪の対象をなぜ憎悪し嫌悪するか、当人でも「理屈はない」はずだ。特に、弱者や幼いものを憎悪し嫌悪する理由などありえない。ところが、「優勝劣敗」の世界ではそれも排除対象になるのである。
論議を尽くしていないが長くなったので、とりあえず「KAWAII」は世界を救う、と結論しておく。
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