先ほど、ぼんやりとあれこれ考えているうちに、かなり大事なことを思いついた気がする。
それは「頑張れ」が呪いの言葉である理由だ。
精神を病んでいる人間に「頑張れ」が禁句であることはよく知られている。
しかし、それがなぜか、ということを明確に言語化した人はいないのではないか。
それを簡潔に説明する。それは、英語との対比によって説明できる。
「頑張れ」を英語に訳するなら、ほぼ100%の人が「Do your best」と訳すだろう。
しかし、この両者には断崖のような差があるのである。
それは、「Do your best」には限界が示されているのに対し、「頑張れ」には示されていないということだ。「Do your best」は、自分ができる最善を尽くせば、そこが努力の終点だ。それ以上を求めるのは、酷だ、という了解が存在する。しかし、「頑張れ」には、その限界が示されていない。
つまり、どこまでやれば頑張ったことになるのか、分からないということである。当人がいくら頑張ったつもりでも、上の人間や周囲の人間には「頑張った」と認められない可能性が常にあるのである。これで心を病まないでいるのは、よほど図々しい人間だろう。大多数の人間は、この「無限の叱咤」に耐えられない。
以上が「頑張れ」が呪いの言葉である所以である。まあ、たいていの人は深く考えもせず、善意から「頑張れ」と他者を励ますのだが、その結果、相手を自殺に追い込んだりする。
それは「頑張れ」が呪いの言葉である理由だ。
精神を病んでいる人間に「頑張れ」が禁句であることはよく知られている。
しかし、それがなぜか、ということを明確に言語化した人はいないのではないか。
それを簡潔に説明する。それは、英語との対比によって説明できる。
「頑張れ」を英語に訳するなら、ほぼ100%の人が「Do your best」と訳すだろう。
しかし、この両者には断崖のような差があるのである。
それは、「Do your best」には限界が示されているのに対し、「頑張れ」には示されていないということだ。「Do your best」は、自分ができる最善を尽くせば、そこが努力の終点だ。それ以上を求めるのは、酷だ、という了解が存在する。しかし、「頑張れ」には、その限界が示されていない。
つまり、どこまでやれば頑張ったことになるのか、分からないということである。当人がいくら頑張ったつもりでも、上の人間や周囲の人間には「頑張った」と認められない可能性が常にあるのである。これで心を病まないでいるのは、よほど図々しい人間だろう。大多数の人間は、この「無限の叱咤」に耐えられない。
以上が「頑張れ」が呪いの言葉である所以である。まあ、たいていの人は深く考えもせず、善意から「頑張れ」と他者を励ますのだが、その結果、相手を自殺に追い込んだりする。
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