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「未来は暗い。思うに、それが未来にとって最良の形なのだ」

「紙屋研究所」記事の一節で、全体はフェミニズムに関する文章だが、下記のヴァージニア・ウルフの言葉は、絶望と混迷しか見えない現在の世界へ、或る種の希望を与える言葉かもしれない。
二十世紀末は(冷戦の終了により)、未来予測は可能で、容易だという調子の言説が幅を利かせていた印象が私にはある。ところが、二十一世紀に入り、資本主義の暴走が始まると、かえって未来は混沌としてきた。そして、新コロ騒動は最後の一撃である。だが、未来の暗さは、そこに大きな可能性を秘めている暗さだ、と思うことは、空元気でも元気を与えるのではないか。


(以下引用)


  だからこそ、ソルニットにとって、わからないもの・謎は変化するものであり、開かれたものだという確信がある。だからウルフの「未来は暗い。思うにそれが、未来にとって最良の形なのだ」という言葉を彼女は愛するのである。


 しかし、


「未来は暗い。思うにそれが、未来にとって最良の形なのだ」。それは驚くべき宣言だった。いつわりの直観や、暗澹たる政治とイデオロギーの物語の投影によって、不可知のものを知っているふりをする必要はない、という主張だ。「思うに」という一節にあらわれているように、その言葉は闇を祝福し、自らの主張の不確かさすら認めることを厭わなかった。(本書KindleNo.1023-1027)


 


 ぼくは「未来は暗い。思うにそれが、未来にとって最良の形なのだ」などと最初、ソルニットは訳がわからないことを言っているとしか思えなかった。しかし、未知のものに対して自由で開かれている精神を保つということでありそれが批評的精神でもあるということを考えればそれは得心がいった。


 加藤周一平凡社の『世界大百科事典』で「批評」の項を執筆しているのだが、彼は


ヨーロッパ語では、批評という語の形容詞(たとえばフランス語のクリティークcritique)は、名詞と同じ意味のほかに、〈危機的〉という意味に用いられることが多い。……批評の機能と〈危機的〉との間には事実上の関係がなくもない。……批評精神は、特定の価値の体系が危機に臨んだときに活動的となるから、批評精神の敵視とは、危機的時代の歴史であるということができる。(前掲書25、p.517)


と、一見こじつけのようなことを書いて、ルネサンス、市民革命、そしてマルクス・エンゲルスまで紹介している。これはソルニットが紹介したウルフの「未来は暗い。思うにそれが、未来にとって最良の形なのだ」という一文の批評精神に通じている。

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