「つれづればな」から記事全文を転載。
バルナバスの福音書を巡る争奪戦、あるいは圧殺への戦いの劇(受難劇)は、まるで「レイダース」シリーズの一つのように面白く、また、法王庁(バチカン=カトリック)からの使者の
「たとえ天からイエスが舞い降りようと、われわれのシステムは変わらない」という言葉は、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」における「大審問官」を思わせる。
だが、「大審問官」には、イエスの思想と権威を簒奪(本来は、「王位」を不当に奪う意味だが、イエスを仮に西洋世界の精神的な意味での「地上の王」としておく)し、自分たちが人民を教導することで、無知な大衆に「家畜としての幸福」を与えてやろうという、一種の「善意」があった。しかし、実際の法王庁にあるのは、はたして何だろうか。
いずれにしても、真のイエスの思想は、現在の「キリスト教」、特にカトリック的思想の中には無い、という点で尾崎文美氏は、私とまったく考えを同じくしている、と思う。
(以下引用)
偽典「バルナバスの福音書」に祝福を与えよ
2013/10/23 20:22 よりわけ: 啓示 かぎ: イスラーム
この世界の価値基準となった「西洋」。その根源に横たわる「キリスト教」。それはある時期に変容をとげ、純粋な「イエスの信仰」からは乖離したものであることを前回・前々回の記事に書いた。
とくに前回、トルコ東部の地下都市に眠る信徒の棺の中で発見されたパピルスの束を解読したところそれは「バルナバスの福音書」であり、イエスの母語であるアラム語で書かれており、イエスとともに生きた者の手で記されたかもしれぬものであり、炭素年代測定の結果がその記述を後押しするものであったこと、そして「イエスは人の子」であるとし、現代までキリスト教徒たちの間で守られてきた「イエスは神の子」という教理にまるで反していることとそれが意味することを記した。
「バルナバスの福音書」の発見以来、それに関わる者たちの身に何かが起こり始める。
―我はキプロスのバルナバス、天空暦48年の終わりに、讃えるべき、この世の創造主より、全ての言葉を預けられし精霊と、マリアの子の救世主イエスから伝え聞いたその通りを、第四の写本として此れに記すなり―
天空暦48年とはおそらくイエスの昇天から数えて48年目ではないかと考えられている。西暦でいうと80年頃、ユダヤ戦争によりユダヤ人がローマ帝国にエルサレムを追われ、またユダヤ人であるイエスの使徒たちとその直弟子たちも散りぢりになってからである。
バルナバスの福音書は細々と守られたが325年、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世が召集したニカイア公会議の席で採択された「イエスは神の子(あるいは神そのもの)」とする教理に適い「正典」とされたマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書の四書の他は炎に投じられ、バルナバスの福音書も例外ではなかった。禁書とされたこの福音書を携えるものは死刑に処されるほどであった。しかし迫害を逃れて密かに写本・翻訳が行われ生き延びたバルナバスの福音書がヴァチカンの法王直属の特別収蔵庫に眠っていた。16世紀の終わりにそこから盗み出されたとされる福音書が18世紀初頭にオーストリアの軍人プリンツ・オイゲンの手に渡りウィーンの図書館に収められ近代になって発見された。それはイタリア語訳本であった。
その英訳版が1907年にイギリスで「The Gospel of Barnabas」という題で出版された。しかしその発売日に何故か市場から姿を消し世に広まることはなかった。一説によればヴァチカンの修道士たちが一般人を装い書店という書店に列を成して買い占め、そうして集めた本を全て処分したという。大英博物館とアメリカ議会図書館に一冊ずつ残るのみとなった「The Gospel of Barnabas」のマイクロフィルムを入手したパキスタンのイスラム教徒が再版をかなえ初版から72年ぶりに日の目を見ることになった。
「The Gospel of Barnabas」の内容は明らかに新約聖書と相容れないものであった。使徒パウロを「騙された者」と呼び、三位一体を完全否定、イエスは神がアブラハムやモーゼ同様に預言者として遣わした「人の子」であり、磔にされる間際に神が天に引き上げ死なずして天国の住人となり、替わりに十字に架けられたのはイスカリオのユダであり…、いずれもカトリックをはじめいかなるキリスト教社会の認めようのない内容であった。さらにその中では預言者ムハンマドが現れることを予示されていた。
あたかもイスラームの教義に平行しているかのような「The Gospel of Barnabas」を教会はイスラム教徒の作為により書かれた「危険な偽書」と認定している。そして議論に上るたびに強硬にその内容を否定するのであった。
「ハッカリ文書(トルコのハッカリで見つかったバルナバスの福音書)」と「The Gospel of Barnabas」は原本と訳本の関係である。が、厳密にはそうとは言えない。アラム語からおそらく古ギリシア語、ラテン語、そしてイタリア語を経て英語に訳される段階でその意味を大きく変えてしまうほどの致命的な誤訳があって不思議ではない上に、訳者の主観と能力が必ず作用して原点から遠ざかることが余儀なくされる。純粋であることが求められる「福音」の翻訳は実は不可能なのである。であるからこそ、この福音書がよりイエスに近い時代にイエスの母語で書かれていることの意味が大きい。
ハムザ・ホジャギリは発見以来このバルナバスの福音書に関わり続ける数々の古代語の研究家として活躍するトルコ人である。ハムザ師曰く、バルナバスの福音書はその記述、その精神、その韻律どれをとってもイスラームの聖典であるクルアーンに共鳴するという。なぜそのようなことが起こりうるかは明白、ユダヤ教もイエスの信仰もそしてイスラームもそれぞれ矛盾することない同じ教えだからである。
ハッカリ文書の写本がゴラン高原に存在することを解読したハムザ師は旧知であっ
たヴィクトリア・ラビン(暗殺されたイスラエルの首相イツハク・ラビンの孫娘)に協力を求めた。イスラエル占領下のこの地ではラビン首相亡き後もその威光は健在であった。程なくバルナバス福音書の「ゴラン写本」を発見、そして解読する。師が解読文を英語で書き下し、それを読んだヴィクトリアはイスラームに帰依してしまった。
世界のどの古代遺跡の調査状況も諜報機関には常に筒抜けである。ましてやモサドのお膝元ともいえるゴラン高原の調査などはすぐにヴァチカン法王庁の知るところとなっていた。ハムザ師の解読が進む中で法王庁からの接触が始まり意見交換がなされていた。バルナバスの福音書とクルアーンが「同じ泉から流れる川」であるとのハムザ師の主張に対し、法王庁から来た枢機卿マルコはそれを否定するかわりにこう述べた。
「たとえ天からイエスが舞い降りようと、われわれのシステムは変わらない」
法王庁からゴラン写本を買い取りたいとの交渉を受けるヴィクトリアだが高額の提示にも断固として応じることはなく、それが禍したか27歳の彼女はモサドの手の者により殺害されてしまう。こうしてゴラン写本は渦中に陥りギリシアのある出版社に二束三文で買い取られてしまう。枢機卿マルコはその後原因不明の死を遂げている。
アンカラの司法裁判所の証拠品倉庫の中で2008年に奇妙な山羊皮製の本が見つかった。これもアラム語を古シリア文字で綴った文書であることが判るとバルナバスの福音書の原本ではないかという期待が持たれ炭素年代測定が行われたが、結果はおよそ1500年前に書かれたものであると判りバルナバスの時代のものではなかった。ハムザ師にその写真が送られると、曰くこの文書は「全く出来の悪い」聖書の一種で、およそ福音を伝えるために守られた本などではあり得ないという。皮の質が悪く書体も幼稚で、何より本の背面に十字架が描かれているなど福音書としてあるまじき姿という理由であった。皮肉なことにこの山羊皮本の出現によりバルナバスの福音書自体がイスラーム誕生後にイスラム教徒によって書かれた偽書であるとの評価がさらに高まった。この山羊皮本は2000年に摘発された古美術品窃盗団から押収されたがそのまま警察で眠っていたという。バルナバスの生地キプロスにその名を冠した聖バルナバス教会があり(バルナバスの墓所として知られているが信憑性は薄い)、実際に1996年に聖バルナバス教会はキプロス軍(トルコ軍の出先機関)の将校によって荒らされている。そしてこの事件を調査していたキプロスの新聞記者は同年何者かに殺害されている。結果を俯瞰すればこの山羊皮本をめぐる一連の事件はバルナバスの福音書を貶めるための謀りごとと考えられる。(トルコ軍の行動は常に不可解であるがイスラエルとの関係が緊密であることを考えれば理解しやすい。)
ハムザ師はバルナバスの福音書の全文を読んだおそらく唯一の生存者ではないかと思われる。そのハムザ師に対してもモサドをはじめその他正体不明の組織からの脅迫が止むことはなかった。研究を放棄することを要求され、従わなければ生命はおろか地位・学歴・職歴・出生証明・国籍の全てを白紙にすることもできると脅された。解読作業に関わる出版社や新聞社の人間が相次いで不慮の事故に遭い、さらに師は2003年ごろから癌を患い現在も闘病中である。イスタンブールの自宅から一歩も出ることなく暮らしているが訪れる取材には応じている。またテレビにも何度か電話を通して出演している。命などは惜しくないが身近な人々に事が及ぶのは耐えられないとする師は、すでにその全容を知りながらも福音書の訳文を発表することなく関連の執筆も一切行わず、取材を通してその内容の断片を語るのみである。
堕落したユダヤ教社会に生まれたイエスが広めたのはユダヤ教の原点に還らんとする教えであり「キリスト教」なるものを広めたというのは間違いである。イエスの昇天の後になって一神教の道から逸れ、ローマ帝国領土内の土着信仰―多神教的偶像崇拝―の鋳型に嵌められたのが「キリスト教」である。その種を撒いた者こそがタルソスのパウロであった。イエスと使徒を激しく迫害したパウロは突然回心し偶像崇拝者たちにイエスの教えを説きはじめる。それまで荘厳な、時には禍々しい姿をした「神々」を信じ、犠牲を捧げてその御心に適えば死後にこの世に生まれ変わると信じていた人々にとり目に見えぬ唯一神というものは想像に及ばぬ存在でしかなく、この世の人生は一度きりで肉体が蘇ることはないとする教えはとても認められるものでなかった。そこでパウロはイエスが「神の子」であるという主張を以って布教を行った。つまりイエスという媒体に神性を憑依させ神を物質化=偶像化したのである。
それによれば、信徒の全ての罪を背負うイエスを十字に架け、父なる神にそれを犠牲として捧げ、イエスの復活は罪が許されたことを意味し、信じるものは同様にこの世に生まれ変わることが出来る―イエスの教えから遠く離れたこのパウロの教えは瞬く間に多くの信徒を得た。論述に長けたパリサイ人であるパウロの影響力は強かった。パウロが使徒たちの中で着実に地位を固める中、それと争おうにも到底敵わぬバルナバスは去ってイエスと過した日々を振り返り「イエスの教え」を書きしたためた。それがバルナバスの福音書であり、逆ににローマ帝国の国教に上り詰めたのがキリスト教という名の「パウロの教え」である。
ヴァチカンのみならず全てのキリスト教会はバルナバスの福音書に光が当たることを望まない。教会の権威に亀裂が走ることは避けられない。亀裂はさらにキリスト教を政治の道具として、社会価値の礎として、イデオロギーの源泉として、非道の方便として利用してきたキリスト教社会つまり「西洋」に及んでその破壊すら招きかねない。二千年来この福音書は西洋の命取りであった。たとえ天からイエスが舞い降りようと変えられないという彼らのシステム、それはヴァチカンの体質などに非ず中世から近代にかけて築いた西洋中心の世界支配体制を指している。そして「西洋」を後ろ盾にするシオニスト、あるいは隠れ蓑に使うユダヤ人がいる。
現代の世界の枠組みの中、イスラームは「仮想敵」として想定されている。文盲、貧困、飢餓、女卑、暴力の先入観を植え付けたこの仮想敵をひたすら批判し攻撃を加えることで自らの正義を貫き、その影で行う搾取により資本主義帝国を築いた西洋としては、炎にくべた素顔のイエスの教えがイスラームに生き写しであり、しかもその預言者の誕生を予示していたことを表沙汰にされては非常にまずい。
さて、「The Gospel of Barnabas」に書かれていた「預言者ムハンマドの予示」は果して「ハッカリ文書」「ゴラン写本」にも存在した。ハムザ師の解読によれば
―我(イエス)の後にもう一人の預言者が続くであろう、それに従う者たちは熟れた麦の穂のごとくになろう―
そう表現されているという。
もとより旧約聖書(申命記)にも新約聖書(マタイ記)にも後に大預言者が現れるであろうということは書かれている。ただしキリスト教側はそれをムハンマドであるとは見ておらず、彼らに言わせれば旧約にあるのはイエスの誕生であり、新約にあるのはイエスの復活がそれに当たるとされている。
「熟れた麦の穂」をどう解することが出来るか、ハムザ師によればそれは繁栄や増殖を示すとされる。しかし僭越ながら筆者が付け加えさせてもらえば、たわわに実り穂をたれて地を覆う熟した麦が一斉に風になびくその様子がイスラム教徒の集団礼拝の光景を暗示していると思えてならない。ハムザ師は文字の世界に生きる人間であるがゆえ視覚からの安易な発想は避けているのかもしれない。凡人である筆者にはわからない。が、イスラーム特有と思われている頭を垂れ額を地につける礼拝の形がユダヤ教の古くからのそれであり、それはイエスと使徒たちに受け継がれ、そして今もアッシリア東方教会やエチオピア・コプト正教会に残ることをここに付け加えておきたい。
日本には縁のない話、と思われる方々も多いはずである。遠い国の昔話に聞こえるかもしれないが、「西洋」に無体を受ける筆頭の国として是非お気に止めていただきたい。神の御心のままに生きていたのでは物質の豊かさの中で歓喜することが許されぬことを知り、神ではなく物質をを礼賛する世界をひそかに築こうと目論んだ西洋は、福音を改竄して偶像つまり手製の神を祀らせたのである。
物質へのその凄ざまじい欲望を原動力に彼らは近代までに世界の大部分を支配下に置く。その後は武力による支配に加えてイデオロギーによる支配がはじまる。
イデオロギーとは疫病である。人はこれに侵されると物質界の価値に盲執し、虐殺が正義に、庇護が差別に、搾取が取引に見えてしまう。そしてよそから借りてきた言葉と脳で主張を始める。別の病人とは意思の疎通が全く出来なくなる。時として胸に涌くいくばくかの疑いも借り物の脳は受け付けない。
何も疑うことなく西洋の価値基準にあわせて自らを作り変えたある国はいま何もかもを吸い尽くされようとしている。それでもまだ西洋の発明したイデオロギーを疑うことができず西洋の政治や制度に規範を見出そうと腐心している。
これもまた西洋がその手で作り上げた神々であり、偶像である。その偶像の御心に沿うため、近づくため、人々は物質と精神を犠牲として捧げ続けている。犠牲の血を吸う土は穢れ、新たな犠牲を生み出す。紀元前から戒められていた偶像は、姿を変えて今も人の世を狂わす。
イスラームはそれまでにこの世に現れた預言者たちをすべて神の使徒であるとし、それぞれに託された預言は対立することはないと、モーゼも、イエスも、ムハンマドも同じ道を歩むものであると断言している。
セルマンは6世紀の終わりにうまれたユダヤ人であり、後にキリスト教に入信しアンティオキア教会で学ぶ。祈りの日々の中、遠い砂漠の国に預言者が現れたという噂を聞き是非会ってみたいと旅に出た。アラビア半島のメディナに至ったセルマンは人買いに囚われ奴隷の身となるが、彼を買い取り解放したのは預言者ムハンマドであった。セルマンはムハンマドの言行に触れ、まさしく神の遣わした預言者であることを認めイスラームの門をくぐる。しかし問わずにはいられなかった。アンティオキアの教会のかつての同胞たちは天国に行けないのだろうか、と。イスラームを知らねば天国も知り得ぬとするムハンマドの答えにセルマンは眠れぬ夜を過ごした。神への感謝と祈りをささげる心優しき同胞たちに救いはないのだろうか、セルマンはふたたび、みたびその問いを投げかけた。するとムハンマドにひとつの預言が降りた。
―疑うなかれイスラームと共にある者、モーゼと、イエスと共にある者、そして偶像を戒めるあらゆる教えと共にある者は、その教えの中で神と審判の日を畏れ、神の名の下に善行に勤しむならば、審判の日に恐怖と悲しみはおとずれぬ(クルアーン 雌牛の章62節)―