小麦は食うな
引用元:
体に悪いものをたくさん食べて80歳で死んだ方が幸せや
気の赴くままにつれづれと。
第四章 P5
翌日、朝の10時丁度に月村静は現れた。俺は女の服には詳しくないからいちいち服装の描写はしないが、彼女はどんな恰好をしても可愛いか、美しいことだけは確かだ。今日はスラックス姿で、彼女のきれいな足が拝めないのは残念だが。
「おはよう」
「ああ、おはよう。今日はいいニュースがあるよ」
「手がかりが掴めたのね。こちらにもいいニュースがあるわ。まず、これ、捜査の前払い金」
彼女は、俺の前に分厚い封筒を置いた。
「五十万円入っているわ。それだけあれば、当分の捜査の経費にはなるでしょう。もちろん、もっとかかるようなら、私に言って」
「有り難くいただくよ」
「それと、もう一つ、例の五人は、小岩か新小岩近辺にいる可能性が高いわ」
俺は驚いた。実は、俺が掴んだ手がかりも同じだったのだ。
「そりゃあ驚いたな。実は、例のクレーの絵を買ったのは、小岩の『P5』という事務所じゃないかと思われるんだ」
月村静は嬉しそうに笑った。
「凄いじゃない。たった三日で、問題を解決したのね」
「しかし、そちらも同じ答を出したんだろう?」
「ううん。こっちは、小岩近辺だろうというだけだから、そこから先に進むのは難しかったはずよ。あなたに頼んで良かったわ」
「じゃあ、これから、その事務所に行ってみようか」
「ええ」
というわけで、俺たち二人は小岩まで行くことにした。
東京にいる限りは、自動車で行動するより、電車や地下鉄を利用したほうが、早くて確実だ。俺と静は、総武線の座席に並んで座り、俺たちを(というより静を)じろじろ見る奴らの視線に耐えていた。だが、世にも稀な美少女を隣にして周囲の妬みの視線を受けるのは、そう悪い気持ちでもない。しかも、秋晴れの良い天気であるから、窓を開けて風を受けていると、まるで静とデートをしている気分だ。あんまり早くこの仕事を解決してしまうのも勿体無いなあ、と俺は考えていた。
両国、錦糸町、亀戸、平井と東へ進み、荒川に架かる平井大橋を電車は越えた。新小岩と小岩は、荒川と江戸川に挟まれた中州のような部分である葛飾区にあり、江戸川を越えれば、そこはもう千葉になる。千葉に入って最初の駅が市川駅で、その北側には春には桜の美しい里見公園がある。高台である里見公園近辺から眺める江戸川の風景は、俺にはなじみの風景である。というのは、俺は学生の頃、そのあたりに住んで、大学には行かず、昼間は公園でぶらぶらし、夜には本八幡の知人の経営するスナックで飲んだくれていたからである。
「いい学生生活だったみたいね」
「ああ」と答えて、また静に心を読まれたことに俺は気がついた。
「御免なさい」
静は笑った。
「退屈だったから、ちょっと読んでみたの」
俺は、もう、彼女の超能力を疑う気持ちは無くしていた。こうなれば、彼女の前では精神的に素っ裸でいる覚悟をするしかない。
俺たちは小岩駅で降りて、駅の北側に向かった。北側は住宅街だが、駅から5分ほど歩いた所に、『P5』はあるはずだった。
住宅地図のコピーを片手に俺たちは歩き、やがてその事務所を見つけた。見かけは、事務所というよりは、小さな工場のように見える。というのは、周りが高い塀に囲まれているからである。事務所にしては敷居が高いという感じだ。実際、後で知ったところでは、もともとは小さな印刷工場だったらしい。
「有限会社『P5』」と書いてある小さなプラスチックの看板が門に貼られているが、守衛や門番はいないようなので、俺たちは門の呼び鈴を押して、インターフォンから何かの声が返ってくるのを待った。
「はい、どなた様でしょう」
若い女の声が返ってきた。
「月光族の者です。重要な話がありますので、入れてもらえませんか」
月村静が言うと、インターフォンはしばらく沈黙した。やがて固い声が返ってきた。
「月光族って何でしょうか」
「夜になると体が光る一族です。もちろん、あなたたちもそうだと分かっています」
「少々お待ちください」
5分ほどして、やはり固い声で「どうぞ、お入りください」と返事があった。
玄関と事務室の間には壁があり、いったん右に曲がってからその壁のドアを開くようになっている。玄関の天井にモニターカメラが2台あるのに俺は目を止めた。外部からの侵入者に対する警戒が厳しいようだ。他人に対する警戒心が強いということは、世間の目から隠れている集団である可能性が高い。
事務所のドアを開いて現れたのは、まだ20歳にはならないと思われる若い娘だった。背が高く、長い黒髪を肩より長く垂らしている。驚くほど目が大きい、印象的な顔だ。美人……なのだが、あまりに生真面目な感じである。白いシャツに、下は体にぴったりとした黒いスラックス姿である。シャツはスラックスの外に垂らし、学生っぽい感じもあるが、学生風の若々しさは無い。
「どういったご用件でしょうか」
「少し、話が長くなりそうなので、座ってお話させてください」
娘は2秒ほど考えて頷いた。
玄関のすぐ右手が応接室らしい。我々はそこに通された。
俺は応接室の壁に懸かった絵に月村静の注意を促した。クレーの絵である。彼女も頷いた。
「正解、ね」
やがて、今度は若い男が応接間に入ってきた。身長は百八十と、俺は目算した。入り口の高さとの関連で出したのだが、俺よりは2,3センチくらい高そうだ。顔は、……不思議な顔だ。ちょっと日本人には珍しい、彫りの深い無表情な顔で、インディアンの戦士の風貌がある。長めの髪が額に軽くかかっていて、その表情をさらにわかりにくくしている。身なりは、ジーンズのズボンの上にTシャツを着て、そのTシャツの上からサファリジャケット風の革の上着をきている。おそらくカンガルー革のような軽い革だろう。靴に目をやって、俺は少し驚いた。建築現場などで履く作業靴で、爪先が鉄の物だ。もし彼に空手の心得でもあれば、この靴は強力な喧嘩道具になる。
以上を俺が一瞬で観察する間に男は我々の前を横切って、ソファに腰を下した。男の長い脚の筋肉が発達していることも俺は観察した。こいつは、相当の身体能力を持った男だ。
「ヒュウガ・タケルと言います。ここの代表者です」
「私は、月村静。こちらは、あなた方を探すお手伝いをしてくれた、探偵の飛鳥二郎さんです」
「で、ご用件は?」
男はソファの背に体を持たせかけて、我々を見るともない半眼で静かに聞いた。
「あなたたちの身に危険が迫っています。というより、月光族全体の危険と言うべきかしら」
「月光族とは何ですか。初めて聞く言葉ですが」
「聖痕、つまり、夜になると体が光る一族ですわ。あなたたち五人がそうだということはわかっています」
「ほほう。で、あなたもそうなんですか?」
「ええ。そして、体が光る人間は、その他に様々な超能力を持っているはずです」
「私は普通の人間です。他の社員もそうですが」
月村静は軽く肩をすくめた。
「時間がもったいないわ。お互いに正直に話しましょう。あるいは、まだ自分の超能力に気がついていないだけかもしれませんが、今はとにかく、目の前の危険に備える必要があります」
「どんな危険ですか」
「ローゼンタール一族が月光族の秘密を探っています」
「ローゼンタール……。あの世界的大富豪のローゼンタールですか?」
「ええ」
「何のために」
「不老長寿の秘密を我が物にするためです」
「ほほう。その月光族は、不老長寿なんですか」
「そうです。あなたたちは、まだそれほど生きていないから、自覚していないのでしょう」
「あなたが本気で話していることはわかりますが、しかし、正直言って、荒唐無稽な話ですね。三流の伝奇小説みたいだ」
「しかたありませんね、では、少し手品でもみせましょう」
月村静は、テーブルの上に飾られた花鉢に目をやった。
「花占いでもしましょうか」
花鉢の中には何本もの花があったが、その中で、黄色い蘂の周りを白い花弁が囲んだ花の花びらが、一枚落ちた。「本当」と静は呟いた。そして、二枚目が落ちた。「嘘」。三枚目。「本当」。花弁は次々に落ちていく。そして、最後の花弁。「本当」。その花弁はふわっと宙に浮いて、ヒュウガ・タケルの前にすっと移動し、彼の手の甲の上に止まった。
彼は表情を変えなかった。
「なるほど。確かにあなたは超能力をお持ちのようだ。だが、私たちに何ができるんですか? 私たちには、あなたのような超能力はない」
「まずは、敵に対する備えをすることです。それ以外のことは、敵が現れてからの話です。まず、日本でも外国でも、どこへでもすぐに動けるように、パスポートを作っておいてください。そして、人目につかない形で、お金を作っておいたほうがいいでしょう」
ヒュウガ・タケルは頷いた。
「わかりました。あなたの言うとおりにしましょう。私の仲間に会いますか?」
「会いたいわね」
タケルは俺の方にちらっと目をやって、静に目で問いかけた。
「この人も仲間として扱っていいわ。でも、本人の意見を聞いてみましょう」
静は俺に向き直った。
「あなたは、約束通り、彼らを探しましたから、謝礼の二千五百万円はいつでも支払います。このまま、我々とは縁を切って、平穏無事な生活に戻ってもいいのですよ。それとも、この先も我々と一緒に行動しますか。その場合、冗談抜きで、命の保証はできませんよ」
俺の頭の中には、二千五百万という数字がくるくる回っていた。これまで手にしたことのない大金である。それだけの金があれば、どれだけの贅沢ができるだろう。だが、次の瞬間、自分は、それほどやりたい贅沢などなかったことに気がついた。それよりも、目の前の奇妙な事件の成り行きに、どうしようもなく興味を引かれていたのである。
「もちろん、あなたたちと行動を共にしますよ。ここまで来て、さよならは無い」
そう答えながら、はたして、それで良かったのかという声が、心の中で響いていたことは確かである。
第五章 顔合わせ
ヒュウガ・タケルという名前がどういう字なのか、俺はまだ知らなかったが、そのうちわかるだろうと、気にはしなかった。
タケルは立ち上がって、俺たちを事務室へ案内した。事務室と呼ぶべきかどうかはわからないが、そこは二十畳くらいの大部屋で、入り口の左右の壁は大きな窓で採光性はいいが、半透明の磨りガラスである。今は、その窓が大きく開かれていて、家の周辺の中庭と、ガレージらしきものが見える。
部屋には2台ずつ、コの字形に6台のデスクが並び、そこに4人の人間がいた。皆、10代後半か、20代前半の若者だ。
その時、俺が受けた印象を言葉にするのは難しい。ある種の知的な波動を感じたと言うべきだろうか。おそらく、最初にこの若者たち一人一人と個別に会っていたら気がつかなかっただろう精神エネルギーを、ここにその5人が集まることで、俺が気がついたということだろう。そのエネルギーは、たとえば、深い学識のある偉人と会話する中で、自然に感じる知的エネルギーに似ている。
彼らは、見かけそのものはまったくの若者であり、通常ならその年代の若者の持つ未熟さや軽薄さをまったく感じなかったのが、俺が感じた異様な印象の正体だった気がする。
「紹介しましょう。こちらがヒカゲ・アキラ」
奥の二つのデスクの一方に座っていた青年が軽く頭を下げた。純日本風の美青年で、いわゆる梨園の御曹司といった感じの二枚目であるが、やや暗い雰囲気である。陰険な感じと言ってもいい。
「こちらが、タイガ・ワタル」
右側の席に座っていた若者が、にっこりと笑って会釈した。こちらは開けっぴろげな笑顔で、ひどく親しみやすい雰囲気の青年だ。がっしりと肩幅の広い体格で、頭を角刈りにしているところは、自衛隊員の雰囲気だ。座ったままだが、背もかなり高いように思われた。
「こちらはヒムロ・サエコ」
左側の奥の席に座っていたのは、先ほど玄関で我々の応対をした若い女性である。無表情に会釈をする。
「で、最後にホムラ・ジュン」
「最後にって、まるでオレが一番下っ端みたいじゃねえかよ」
そう抗議の声を上げたのは、このメンバーの中では一風変わった感じの娘だ。年齢はまだ15,6歳といったところだろうか。変わっているというのは、他のメンバーがわざわざ地味な身なりをしている風なのに、この娘は、ロック歌手みたいな狼ヘアーを赤く染めているのである。着ている物も、鋲を打った革ジャンと革のミニスカートのようだ。顔立ちはボーイッシュで、しかも自分のことを「俺」と言っているが、女の子であることは間違いなさそうだ。
「おう、よろしくな。あんちゃん、おばさん」
俺のことをあんちゃん呼ばわりはいいにしても、静をおばさんは無いだろう。
「元気のいい子だね。でも人のことをおばさん呼ばわりは良くないよ」
静がにこやかに微笑んで言った。そのにこやかさが怖い。
「だって、あんた、見かけ以上に年取ってるだろ?」
「へえ、幾つだと思う?」
「そうだなあ。二十五ってとこ?」
「まあ、そんなところさ。でも今時の二十五はおばさんかい?」
「その話し方がおばさんっぽいの」
「まあ、子供の相手をしていてもしょうがない。自己紹介をしようか。私は月村静。あんたたちと同じ、光る体の人間さ」
「俺は飛鳥二郎。普通の人間だ。商売は私立探偵だが、あんたたちの秘密は誰にも言わないつもりだ」
「へえ、私立探偵なんて、ホントにいるんだ」
「おい、いい加減に黙れ。隊長に話させろ」
不機嫌そうな唸り声を上げたのは、ヒカゲ・アキラと呼ばれた男だ。やはり、陰険そうな感じの話し方だ。
「あいよ。黙ります。でも、隊長、無口だからな。ちゃんとしゃべれんの?」
減らず口を叩いて、それでもジュンは口を閉じた。
「月村さんの話では、俺たちはローゼンタール一族に狙われているということだ」
「ローゼンタール? まさか。あの世界的大富豪が、俺たちの何を狙うというのだ?」
そう言ったのは、タイガ・ワタルである。響きの良いバリトンの声である。こういうタイプは唄がたいてい上手なものだ。
「俺たちは、月村さんの話では、不老長寿の種族らしい」
「へえ、面白い。じゃあ、じゃあさ、どれくらい生きるの?」
「そうさね。短くて二百年、長いのは四百年てとこかね」
「それが、若いままで? すごいじゃない。そりゃあ、ローゼンタールが欲しがるわけだ」
「そうは言っても、実験材料になるのはいやだろう?」
「どんな実験をするの?」
「わからないね。そこが問題さ。とにかく、我々のような人間の存在が世間に知られるだけで、我々は世間の人間の憎しみを買うことになるんじゃないかと私は思っている。サンジェルマン伯爵のような、はみ出し者も昔はいたもんだが、我々の存在は人に知られないほうがいいんだよ」
「ローゼンタールから逃げ切れますかね」
と言ったのは、タイガ・ワタルだった。
「何しろ、世界一の金持ちで、先進国の国家予算以上の金を持っている連中だ。政治の上層部とのつながりもある。彼らの力をもってすれば、我々を探し出すのは容易でしょう」
「だから、どうするのかを皆で考えようというのさ」
「ねえねえ」
と言ったのはホムラ・ジュンだ。彼女を1分以上黙らせておくのは難しいようだ。
「じゃあさ、あんた、さっき25歳って言ったのは嘘だね。本当は何歳?」
「黙れ、ジュン。そんなのどうだっていいだろう」
不機嫌な声はヒカゲ・アキラだ。
「175歳さ」
「てことは、今が2010年だから、ええと、1835年生まれだ。何時代?」
ジュンの言葉にワタルが答える。
「江戸時代だな。少なくとも、幕末の日本を知っているわけだ」
「その幕末が問題さ。じつは、日本の開国を影であやつったのもローゼンタール一族さ。日露戦争に資金を出したのもそう。明治以来の日本の政府はローゼンタールの思いのままに操られていたんだよ」
「ふふん。陰謀史観ですか」
ヒカゲ・アキラが鼻で笑った。
「本当さ。これは、私自身がアーネスト・サトウから聞いた話だからね。まあ、その頃の日本人にローゼンタールの名前を知っている人間はいなかったから、私のような庶民の娘に話しても問題無いと思ったんだろうよ。というよりも、本当はまあ、私があいつの心を読んだんだけどね」
「へえ、心を読めるんだ。羨ましいな。ちょっと、隊長の心を読んでよ。オレとサエコとどっちが好きかって」
「馬鹿野郎! そんな話をしてる場合か。あんた、本当に心が読めるのか?」
途中から静に向き直ってアキラが聞いた。
「まあね。でも、月光族の能力は一人ひとり違うから、誰でもそうなるわけじゃないよ」
静の返事は、どうやらアキラの聞きたいことだったらしい。それで、アキラは黙り込んだ。
「あんたたちにもそれぞれ何かの超能力があると思うけど、それがいつ表面に出てくるかは分からない。だいたい、20代で出てくるものだけど、早い者は十代後半から発動する。誰か、そういう力を持っているかい?」
静は皆の顔を見回した。そして、サエコの顔に目を止めて微笑んだ。
「あんただね? そうか。私と同じテレパスか。中々辛い思いをしたようだね。信じていた人間の汚い心を目の前に見るのは、いやなもんだ」
サエコは顔を蒼ざめさせている。
「もちろん、他のみんなはそのことを知っていたんだね? まあ、当然だろうね。こんな大事な秘密を知らないままで、仲間にはなれないからね」
「後の人間には、特殊な能力は無いよ。今のところはね」
ジュンが言った。
「もっとも、私は、歌って踊る才能はあるけどね。リーダーとワタルは喧嘩の天才だし、アキラは……何だろう。人を不愉快にさせる才能?」
自分で言って、ゲラゲラ笑い出す。アキラはむっとした顔だが、何も言わなかった。どうやら、この仲間も一枚岩というわけではないようだ。
無口なリーダーのタケルがぼそっと言った。
「とりあえず、あなたのお蔭で、我々の周りに危機が迫っていることはわかった。そのことに感謝しよう。パスポートと金策のことも、努力してみる」
「ああ、そうしておくれ。私は、新宿のカーライル・ホテルというホテルにいるから、何かあったら連絡するがいい。何でも協力するよ」
静は、リーダーのタケルに頷いて、俺に向き直った。
「じゃあ、私たちはこれで退散しようか。この連中は、これから相談もあるだろうからね」
俺は、静の後について、部屋を出た。その前に、俺は自分の名刺をリーダーのタケルに渡し、用があれば(用心のために、電話ではなく)訪ねるようにと言っておいた。
引用元:
第二章 聖痕
夕暮れの街は寒々として物寂しい。俺のアパートは高円寺にあり、新宿からそう遠くはないが、夕方になるとあまり人通りは多くない。
地下鉄に乗り、新高円寺の駅で降りた後、駅からは歩いて2分くらいだ。木造のアパートだが、三畳の台所と六畳の居間の二間があり、それに風呂とトイレがついている。一人暮らしには十分な部屋だ。
俺はアパートの鍵を開けて(正確には錠を開けてだが、なぜか鍵を開けてと言う人間が多い)中に入り、薄暗くなっている室内の電気をつけた。幸い、台所も奥の部屋も片付いている。俺はわりと綺麗好きな方なのだ。ただし、台所の三分の一はゴミ袋で占領され、そのゴミの半分はビールの空き缶だ。俺の冷蔵庫の中には、常に缶ビールが2ケースは入っている。その代わり、食い物はインスタント食品ばっかりだ。
「どうぞ」
俺は月村静を招き入れた。
奥の部屋には、書き物用の勉強机と椅子が窓に面して置いてあり、来客用のテーブルには卓袱台しかない。
「お茶とビールとどっちがいい?」
室内の様子を眺めていた少女は、俺の言葉に振り向いた。
「ビールがいいわね」
俺は冷蔵庫からビールとグラスを取り出した。グラスも冷凍庫で冷やしてあるのだ。茶箪笥からカキピーとタコ燻を出して皿に盛る。
「腹がすいてるなら、何か作ろうか?」
「いらないわ。有難う」
俺たちはビールを注いだグラスの縁をコツンと合わせて乾杯した。
「いい部屋ね」
「そうかい? 今どき、学生でもこんな安アパートには住みたがらないぜ」
「寝る所があって、台所があって、トイレとバスまでついているなら、立派なものよ。それに、きちんと片付いているわ」
「女っ気が無いのが玉に瑕だな」
「そう? あなたの方が必要としていないんじゃないの?」
「いやいや、こちらはいつでも受け入れオーケーなんだけどね、どうも女に縁がなくて」
「……外は暗くなってきたみたいね。じゃあ、お見せしましょうか。電気を消してくださる?」
俺は、彼女の言葉に、当然ながら、ある期待をした。要するにこの女は、俺と寝るためにここに来たんだろう、と思ったのである。俺は自惚れは強くないから、こんな美少女が、何で自分のような男に、と思わないでもなかったが、世の中にはそういう趣味の(悪趣味とは言わないが)美女もいるのだろう、と考えて自分を納得させたのである。
「勘違いしないでね。電気を消すのは聖痕を見せるためよ」
俺は首をひねりながら、彼女の言葉通り、電気を消した。
室内は闇に包まれた。と思ったが、次の瞬間、闇の中に人形(ひとがた)のぼんやりとした姿があるのに俺は気がついた。それが、月村静の体が発光しているのだと気付くのには2秒ほどかかったが、俺はあっけにとられてその光を見つめた。
それほど強い光ではないが、闇の中で彼女の顔がかすかに輝き、その表情も見て取れる。彼女の手も足も、服に隠れている所以外はすべて発光しているのである。
「これが私たち一族の印、聖痕よ」
部屋の電気がついた。彼女がつけたのだ。
「その、体が光るのがかい?」
「そう。だから、成人した後は普通の人々の目からこの聖痕を隠して生きていく必要があるの」
「ちょっと、腕を触らせてくれるか?」
俺は差し出した彼女の腕を見た。その白い腕には、どのような化粧品も塗料もついていなかった。しかし、俺は職業柄、疑り深い性格である。台所から濡らしたタオルを持ってきて、それで彼女の右腕の表面をこすった。
「痛いわよ」
「御免。じゃあ、もう一度電気を消すよ」
闇の中で、俺が手に捕まえている彼女の右腕は、やはり全体がかすかに青白く光っていて、俺がタオルでこすった部分とその他の部分に違いは無かった。
俺は電気をつけた。
「納得した?」
「じゃあ、人の心が読めるというのも本当なのか?」
「そう言ったでしょう?」
「よし、じゃあ、俺が今何を考えているか言ってくれ」
「……どうせみんなインチキに決まっているさ。絶対何かのトリックだ。俺を騙して何の意味があるんだろう。こんなきれいな顔をしているのにもったいない。この女、いったい何が目的なんだ。……もっと読む?」
「……もういい。まだ完全に納得したわけじゃないが、ある種の読心術はできるようだな」
俺が完全に降参しなかったのは、ポオの小説で読んだ、あるエピソードが頭にあったからだ。その小説で、デュパンという探偵が、友人の態度を観察することで、その友人の心の動きを見事に読んでみせる場面があったのだ。これは超能力ではなく、推理力である。
「デュパンねえ。そういうやり方も確かにあるわね」
「そうだろう」
と答えて、俺はぞっとした。この女は、俺が今デュパンのことを考えていたことがなぜわかったのだ。
「さあ、どうしてかしら。やっぱり超能力?」
少女は笑ったが、その笑顔は少々不気味にも見えた。
「まあいい。とりあえず、あんたの言葉がみな本当だとして話を進めよう」
「それがいいわ。でないと別の探偵を探すことになるから」
「しかし、何で俺を選んだんだい?」
月村静はにっこりと笑った。
「あなたが信頼できる人間だからよ。あなたが大木君と話している間に、あなたの心を読ませてもらったわ。と言うより、心の色を見たの。いい加減なところもあるけど、根本的に善人で、けっして人を裏切らない人間だとわかったの」
はて、俺はあの男と話している間、どんなことを考えていたんだろう。どうも、このいい加減な話に適当につきあって、金だけ貰おうとか考えていたような気がするが。
「いいのよ。あんな話を頭から信じるような人間ならかえって頼りにならないわ。あなたの反応は健全だということ。それに、あんまり真面目すぎる正義漢もこちらが疲れるしね」
そうか、と俺は頷いて、また彼女が俺の心を読んでいることに気付いた。俺は、この事態をどう考えるべきか、わからなくなっていた。
「もしもあなたが厭なら、なるべく心は読まないようにするわ」
「……できればそう願いたいね。相手があんたのようなきれいな人じゃあ……わかるだろう?」
彼女はくすりと笑った。
「大丈夫。慣れてるわ。若い男だろうが年寄りだろうが、男がきれいな女を前にして考えることはみんな同じ。そのへんのポルノ漫画と同じよ」
「ま、まあそういうことだ。じゃあ、今後の相談をしよう。俺たちが探す相手がどこにいるのか、まったく手がかりは無いのか?」
「それをあなたに探してもらいたいの。新聞記事やテレビのニュースで、不自然な物を見つけたら、それを追ってほしいのよ」
「不自然な物というと?」
「その事件の関係者に、聖痕の持ち主か、超能力者がいるという気配よ」
「超能力か。どんなものがあるって言ってたっけ?」
それから一時間ほど、俺は彼女から超能力についてのレクチュアを受けたが、どうも子どもだましのような気がしてならなかった。そんな能力が本当にあるなら、もっと世間で騒がれているだろう、と思ったのだ。まあ、百歩譲って、月村静のテレパシーは本当だとしても、それ以外の念動力やら予知能力やらという能力が存在するとはまったく信じられない。
「じゃあ、明日はあなたの事務所に行くわ。明日からは新聞はすべて購入して、詳しく見てね。テレビもニュースは必ず見ること」
月村静は、「ちょっとバスルームを貸してね」と言って、風呂場に入った。やがて出てきて、
「もう、外は暗くなっているから、気をつけないとね」
「はあ?」
「メーキャップをしたのよ」
俺は彼女の顔を見た。かすかに、化粧をしているようだ。なるほど、彼女の体が本当に発光するのなら、化粧品で体の露出した部分を隠す必要があるのだろう。
「なんなら、泊まっていってもいいぜ」
「嬉しいお言葉だけど、今日は別の予定があるの。また明日ね。事務所は代々木でいいんでしょ?」
「ああ、何時に来る?」
「そうね。10時でどうかしら」
「わかった。待ってる」
俺は玄関のドアを開けてやった。亜麻色の髪の少女は軽く頭を下げて、夜の闇の中に出て行った。
第三章 クレーの絵
俺の事務所は、JR代々木駅南側を出て右にしばらく行った所にある。蕎麦屋の側の雑居ビルの2階だ。この蕎麦屋の蕎麦は知られざる名品で、俺の昼飯は夏冬問わず、ここのざる蕎麦だ。金がある時は、それが天ざるになる。駅の南口を真直ぐ行くと有名な予備校があるが、俺の事務所のあたりは案外と閑静である。
俺はあまり才能は無いが、寝覚めだけはいい。今日も朝の6時前には目を覚まして、身支度をした後、すぐに事務所に出勤した。朝飯は、乗り換えの駅構内の立ち食い蕎麦だ。駅の中の立ち食い蕎麦も案外と美味いもので、下手な名店よりもずっと安くて美味い。天玉蕎麦という奴が、俺の定番だ。熱い汁に落とした卵と、汁を吸いかかった天ぷらのハーモニーが、幸福感を与えてくれるのである。
代々木駅を出ると、事務所とは反対側に少し歩き、喫茶店チェーンのルノワールでモーニングサービスの厚切りトーストとゆで卵、ミニサラダとコーヒーで朝食の第二段を行いながら、朝刊各誌に目を通す。と言っても、まだ仕事時間ではないから、単に昨日のプロ野球の結果を見るだけだ。ひいきの選手が活躍していると嬉しいものだが、俺の一番のひいきのイチローは大リーグに行ってしまったから、少々淋しい。
再び駅前を通って、キヨスクで新聞数誌を買い、事務所に到着。まだ時間は九時前だ。早起きの人間には時間に余裕がありすぎる。
事務所の中はいつもどおりきちんとしていたが、今日は美しい来客の予定があるから、もう一度チェックした。ガステーブルにケトルを載せ、火をつける。コーヒーの準備である。俺はコーヒー中毒で、一日に4,5杯は飲む。来客がコーヒー嫌いであった時のために、電気ポットにも電気を入れてお茶の支度をしておく。
10時になった。月村静はまだ来ない。俺はちょっとがっかりした。俺は時間にルーズな人間が嫌いなのである。約束の時間に遅れる人間は、他人の時間を尊重していない無神経な人間だからだ。しかし、俺の判断は先走ったようだ。時計が10時1分になる前に、事務所のドアが開いて、美しい顔が見えた。
「御免ください」
彼女は笑顔を見せた。彼女の笑顔は、昨日見たかどうか忘れたが、実に魅力的である。アイドル歌手以上に美しいが、あまりに落ち着きすぎ、冷静すぎるためにこちらを萎えさせるような美貌が、笑顔で和らげられる。
「遅れたかしら?」
「いや、丁度です。どうぞ、そちらへ」
彼女が坐ると、俺は言った。
「お茶とコーヒー、どちらがいいですか?」
「コーヒーがいいわね。あなたのご自慢なんでしょう?」
俺は、彼女が俺の心を読めることを思い出した。
「御免なさい。もう読まないわ。でも、人間って、昨日と今日で状況が違うことがよくあるの。だから、自分の安全のために、相手が知人でも、最初、少しは読む習慣があるの」
「大変だね」
俺は言って、ポットに入れてあったコーヒーを二つのカップに注いだ。
「あら、本当においしいわ」
「安い豆だけどね」
「淹れ方が上手なのね」
彼女の今日の身なりは、昨日の白いミニのワンピースではなく、薄いベージュのバギーパンツ姿だった。上もそれに合わせたTシャツとジャケットの重ね着だ。亜麻色の髪とベージュの服が、良く似合っている。
「さて、仕事にかかろうか」
「ええ。テレビもつけておいて下さる?」
ついうっかりしていた。俺はテレビが嫌いなので、事務所にあるテレビの存在すら忘れていた。本当は、世間の事件の情報を得るために、テレビのニュースも見るほうがいいのだが。
「実はね、手がかりが一つはあるの」
「へえ、どんな?」
「探している七人のうち、五人くらいは一緒に行動している可能性が高いのよ」
「なぜそれが分かるんだ?」
「例の七人の絵を描いた人間は、予知夢を見る能力があるんだけど、その夢の中で、その五人が一つの事務所で机を並べている光景を見ているの」
「へえ、そいつは大きな手がかりだが、しかし、その夢に見た光景がいつの話なのか分かるのかい?」
「それが分からないのよね。でも、私たち一族の長老である方が、関東地方に大きな精神的エネルギーの集合を感じると言っていたから、東京近辺に彼らがいることは間違いないと思うわ。それに、私たちが自分を守るためには、仲間同士集まっているほうが有利なのは確かだから、もしも彼らがお互いを仲間だと認識したら、集まって行動するようになるのは、とても自然な話だわ」
「それが現在、五人まで集まっているわけか」
俺は、心の中で、500万円掛ける5は2500万円、と胸算用した。もしもその五人を見つけだせば、あと五年は遊んでも暮らせる。
「その予知夢には、ほかに、場所を特定できるような手がかりは無かったのかな?」
「壁に、クレーの絵が掛かっていたことくらいね。でも、その事務所の場所そのものを探す手がかりにはならないでしょう」
「いや、そうでもないさ。もしも、そのクレーの絵を買ったのが最近なら、調べる手段はある。じゃあ、俺は今日はそれを調べよう。あんたも来るかい?」
月村静は首を横に振った。
「歩き回るのは苦手なの。明日も朝10時に来るから、その時、結果を教えてね」
「分かった」
俺は、月村静を送り出しながら、気にかかっていたことを聞いた。
「なあ、あんたみたいな美人が町を歩いたら、軟派されて大変だろう?」
彼女はくすっと笑った。
「そういう人間が側に来たら、さっと逃げるようにするの」
「ああ、そうか、あんた、心が読めるもんな」
でも、逃げられないこともあるんじゃないかな、と俺は思ったが、まあ、これは本人の問題だ。
「それじゃあ、さよなら」
「ああ、また明日」
俺は、彼女が出た後、電話帳を調べて、数箇所の画廊や絵画ブローカーに電話を掛けた。もちろん、壁に掛かっていた絵がただのレプリカである可能性の方が高いし、どこぞのデパートで買ったものである可能性も大いにある。しかし、捜査の99%は無駄なものであり、その無駄があって始めて本物の手がかりが入手できるのである。
16日朝、沖縄では霧が観測された。午前7時ごろ、豊見城市平良の豊見城インターチェンジ付近一帯や商業施設も霧に包まれていた。沖縄気象台は16日午前4時36分に沖縄本島地方に濃霧注意報を出し、午前8時8分には、久米島も含め、注意報を解除した。
聖痕
プロローグ 黒い河
泥土の微粒子で濁った黒い河は、降り続く雨に川面を膨れ上がらせ、折れた木の枝や草を運びながら渦を巻いて流れていた。その川に沿った家の、開け放した窓から外の湿気とむっとするような樹々の匂いが入り込む。室内は蒸し暑く、羽虫が数匹飛んでいるが、部屋の中にいる二人の女にはそれが少しも気にならないようだ。
粗末な丸い木製テーブルに向かい合って座っている二人の女は、どちらも若く見えるが、その目の中を覗き込めば、外貌では誤魔化せない深い年輪が見て取れるだろう。
二人はぽつりぽつりと話している。
「でも、そりゃあ、あまりにも漠然としすぎてるねえ」
銀色の髪をした方の女が言った。話し方は婆さん臭いが、見かけは女優やタレントにも珍しいほどの美少女だ。ちょっと見では17歳くらいだろうか。
「私の杞憂ならいいんだけどねえ。なにしろ、あいつらに私たちのことを知られたら、何をされるかわからないからね」
こう言ったのは、日本風の顔立ちをした長い黒髪の美女である。こちらは25歳くらいに見える。白衣を着ているところを見ると、女医だろうか。
「あいつらときたら、世界中の金の半分を手に入れていながら、これ以上、何が欲しいのかね」
銀色の髪の少女がため息をついて言った。
「決まっているさ。私たちにあって、あいつらに無いものさ」
「馬鹿馬鹿しいねえ。多少、人より若く見え、長く生きられるからといって、それが何になるんだろう」
「それが羨ましくてならないという連中が多いんだよ。私も、ここに10年いて、そろそろ怪しまれそうだから、もうすぐここを引っ越すよ」
「やれやれ、私たちは世間に迷惑をかけていないのに、何でこんなにこそこそしなきゃあいけないんだろう。で、あんたの予知夢では、あいつらと私たちの間で、大きな戦いが始まるというんだね?」
「まあね。でも、戦うのは私たちじゃないよ。私たちのような婆さんじゃなく、もっと若い連中さ。夢では、名前まではわからなかったけど、7人いたね」
「7人の侍かい」
二人は笑った。
「男が五人、女が二人だ。7人の顔はこんな感じだね」
女医風の女はテーブルの隅にあった大学ノートに手早く絵を描いた。
「へえ、なかなか上手いじゃないか。あんた、女医より絵描きが向いているよ」
「道を間違えたかね。もしもあんたがこれから日本に行くなら、この7人に会ってみるのも一興だね」
女医はノートの1ページを破り取って相手に渡した。
「ふうん。こんな顔した連中か。こりゃあ、漫画かアニメの主人公たちの顔だね」
「アニメってのは良く知らないけど、みんななかなか可愛い顔した若者たちだよ」
「まあ、私たちだって、本当の年を知らなけりゃあ美女で通るけどね」
「あんたも、世界中を歩いていると、ずいぶん危ない目にあったんじゃないかい。見かけがそんなだから」
「まあね。手篭めにあわされそうになったのは数え切れないさ。そんな相手がどうなったか知りたいかい?」
「別に知りたかないよ。あんたのことだ。大怪我で済んだら幸いってとこだろう」
「さて、じゃあ、私はそろそろ行くよ。あんたがもし引っ越すなら、引越し先の手がかりくらいは残しておいておくれよ」
「わかってるさ。じゃあ、あんたも元気でね。気をつけるんだよ。下手をしたら私たちの一族全部が皆殺しになるかもしれないんだからね。一応、大槻の爺さんのところには連絡しておくよ」
二人は、顔を寄せ合って、軽く別れの挨拶をした。
「やれやれ、この雨はやまないねえ」
「あと一晩、泊まっていったらどうだい?」
「いいよ。雨に濡れるのは嫌いじゃないから」
銀色の髪の「少女」は、軽く手を上げて雨の中に出て行き、その姿はジャングルの道の中に消えていった。
第一章 「私立探偵」飛鳥二郎
私立探偵という商売は、日本では成り立たない。刑事事件の捜査は警察の一手販売で、それに素人が手を出すことはできないのだ。本当は毛唐の国だって事情は同じなのだろうが、あちらの連中は格好をつけるのが上手だから、いかにも私立探偵が警察と同じくらいに活動できるという風を装っているのである。しかし、外国だろうが日本だろうが、警察に頼みたくない秘密の捜査というものはあり、それに使うのが興信所である。俺は、その興信所の所長兼所員兼お茶汲みその他もろもろである。つまり、俺一人でやっている。世間の皆さんが思うより興信所の需要は多いのである。結婚相手の素姓調査や夫婦間の浮気調査はもちろん、外資系の一流企業になると、社員の採用にまで興信所を利用する。身元の怪しい人物と深い関係を結ぶ前に、相手の素姓を確かめるのは、ある意味では当然だろう。
しかし、今回の調査は、俺がこれまでやってきた依頼とは大分違う内容のようだった。俺が依頼主と会ったのは、新宿駅西口に近い高級ホテルのティーラウンジだった。仕事の依頼をしたのは、大木茂と名乗る、まだ20歳そこそこの若僧で、ジョルジュ・アルマーニと思しき舶来の背広を着て、(「舶来」などと言うと、いったいお前は何歳だ、と言われそうだが、俺はまだ27歳である。言葉使いが古いのは、俺の癖だ。)立派な身なりの男だ。顔は、まあ普通だ。平凡だが、真面目そうで、そう悪い顔ではない。タレントで言えば、妻夫木某に似ている。腕時計も靴も、派手ではないが、すべて高級品である。かなりの金持ちのボンボンだろう。
挨拶を交わした後、俺は話を切り出した。
「それで、どのようなお話でしょうか?」
「ええ、実は人を探して欲しいんですよ」
「ああ、人探しですか。いいですよ」
人探しもよくある依頼だ。
「ただし、探す手がかりが非常に少ないんで、難しい仕事だと思います。それに、この仕事自体を秘密にして欲しいんですよ」
これもそう珍しいことではないが、確かに仕事は難しくなる。新聞などでの人探し広告ができなくなるわけだが、しかし、そういう手段を取るなら、興信所に依頼するまでもないとも言える。もちろん、同時並行で行うパターンも多い。
「わかりました。で、手がかりは?」
「これです」
男は、テーブルの上に紙切れを置いた。ノートの1ページを破り取った物だ。そこには、7人の男女の絵が描いてある。上手な絵だが、どことなく漫画風の趣もあって、リアルな絵とは言いがたい。それに、タッチが何となく古めかしい。手塚治虫か水野英子の時代のタッチだ。
「これは……実在の人物ですか?」
「ええ。そうです」
「それにしちゃあ……。みんな美男美女すぎますね。それに、このコスチュームは何ですか。まるで……テレビのゴレンジャーとかなんとかいった戦隊物のコスチュームじゃないですか」
「いや、服装はもちろん、そのままじゃないと思います」
「ほかに、手がかりは?」
「ありません」
俺は、この依頼は断ろうと思った。漫画みたいな絵1枚で、この広い日本中からそれと同じ人物を探すなど、不可能である。
「謝礼ですが、一人見つけるごとに500万円、掛かった費用は別に支払います」
俺は出かかった言葉を飲み込んだ。一人見つければ500万円! 7人なら3500万円だ。俺の年収が500万円くらいだから、1年かけて1人見つけても十分に引き合う。
「まあ、……難しい仕事ですが、やってみましょう」
俺は、心の底で、(こんな雲を掴むような仕事は、他の仕事の片手間に適当にやればいいさ。それでまぐれ当たりで一人でも見つかればそれで500万手に入るのだからな)と思っていた。
「そうですか。実は、条件が一つありまして、この仕事はある人と一緒にやって欲しいのですよ」
俺はまた、この仕事を断ろうと思った。監視付きの仕事など御免だからだ。しかし、その時、背後に人の気配を感じ、俺は振り返った。
俺は呆然となった。これほど美しい少女を見たのは初めてである。年齢は16,7くらいだろうか。髪はおそらく染めているのだと思うが、栗色で、肌が透き通るように白い。やや冷たい表情が高貴な雰囲気である。目は大きいが、それを細めて見る癖があるようだ。服は白いあっさりとしたミニのワンピースで、膝上まで出ているほっそりとした脚が悩ましい。
「こちらは、月村静さん。この方と一緒に探してほしいのです」
俺は想像上の尻尾を振りながら表面上は冷静に言った。
「まあ、それが仕事の条件なら仕方ないですね。あまり仕事の邪魔になるようだと困りますが」
少女はくすりと笑った。それが、なんだかこちらの心を見透かしたみたいで、俺は口を閉じた。
「本当に、手がかりはこの紙切れ一枚、相手の名前も何も知らないんですね?」
「そうです。でも、月村さんは、その人たちに会えば多分分かるはずです」
なるほど、だから一緒に探さねばならないわけだ。そして、俺は、この美少女と長い捜査の旅をするわけで、その間には当然ああなったり、こうなったり……。
俺の妄想は少女の発言で破られた。
「当然ですが、この仕事の間は、他の仕事はやめてこの仕事に専念していただきます。高い料金をお支払いするんですから」
少女の話し方は、思ったより大人びていて低い声だったが、悪くない声である。しかし、言った内容は問題だ。俺はもういっぺんこの依頼を断ろうかと思ったが、俺の中のスケベ心はそれを許さなかった。なにしろ、この美少女と一日の大半をご一緒できるのだ。金が手に入らなくても、やる価値はある。
「わかりました。その条件で働きましょう。別に期日は無いんでしょうね?」
「できるだけ早く見つけてほしい、ということだけです」
「いいでしょう。難しい仕事ですが、全力を尽くします」
俺はリップサービスを言って、相手と握手した。心の中では、早くこの美少女と二人きりで話したいので、こいつを追っ払おうと思っていたのである。
「さて、どこから始めましょうかね」
俺は美少女月村に向かって言った。相手は、ラウンジ特有の低いソファに腰をおろしていて、そのミニスカートの奥があわや、という感じであり、俺の喉はからからだった。いやまあ、女の子のパンツを見て嬉しがる年ではないが、やはり、これほどの美少女だと、そのう……。
「まず、自己紹介をしておきましょう。それをあなたが信じるかどうかは別として、後であなたに恨まれないように」
「自己紹介? お名前は、確か、月村静さんですよね。それ以外に何が必要なんですか」
「私の年が、175歳だということ」
「へ?」
「まあ、冗談だと思ってもらってもいいですよ。とにかく、私は、あなたのお祖母さん以上の年齢だということを覚えておいてください。それともう一つ。私は、人の心が読めます」
俺はこれに対して何と答えていいか分からなかった。この女、大変な美少女だが、頭がおかしいらしい。
「はあ、そうですか。そりゃあ便利ですね。私もそんな能力があればいいと思いますよ」
「……あなた、SF小説を読んだことは?」
「あまり無いですね」
「筒井康隆の七瀬物など、知らないんでしょうね」
「はあ、残念ながら」
相手は肩をすくめた。
「まあ、いいです。とにかく、私に対して、妙な気持ちは持たない方がいいと思いますよ。あなた自身のために」
「いやあ、私は、仕事一筋ですから、大丈夫ですよ。けっしてあなたに失礼な真似はしません」
「……では、仕事の話をしましょう。私たちが探している相手は、特殊な人間たちです。非常に長命で、見かけはとても若く見えます」
「あなたのように?」
「そうです。私もその仲間です」
「そりゃあ、羨ましいな。若いままで長生きするってのは、人類の永遠の夢だ」
「ところで、あなた、この世界が、ごく少数の世界的財閥によって支配されていることは知っていますか?」
「まあ、そんな風に考えている人々もいるようですね。いわゆる陰謀論者ですか」
「その大財閥の筆頭が、ローゼンタール一族です。彼らは、ヨーロッパとアメリカの富の7割を所有しています。世界のほぼ5割の富と言ってもいいです。その彼らにもけっして手に入らないものが、長命と若さなのです」
俺は、何となくこの話の先が読めた。
「それで、あなたたちを彼らが狙っていると?」
「そうです。先日、私たちの仲間が一人殺されました。仲間とは言っても、亜種なのですが」
「亜種?」
「ええ。私たちの仲間には純粋種と亜種がいるのです。亜種は、普通より少々長命というだけで、せいぜい150歳くらいまでしか生きられませんし、若さもどんどん失います」
「それでも、150歳まで生きればギネス物でしょう」
相手は肩をすくめた。
「亜種は、普通、寿命が来る前に自ら命を断ちます。肉体も精神もどんどん劣化しながら、生命だけを維持していても仕方がないですからね。普通、100歳くらいで自決します」
俺は、この馬鹿話にどこまで付き合えばいいのか、と、ちらと考えた。
「やっぱり信じてもらえないようですね。まあ、その方が自然な反応ですし、私たちにとっても一般人がそう思ってくれている方がいいのですが」
「いや、信じないなんて、そんなことありませんよ。で、先ほど言っていた、殺された仲間はローゼンタールに殺されたのですか?」
亜麻色の髪の少女は俺の顔をじっと見た。その眼は、深い湖の色をしていた。
「そうです。彼らは、私たちを探しています。私たちを捕まえて研究材料にするつもりなのです。遺伝子操作技術によって、自分たちも長命と若さを手に入れようとしているのです」
「しかし、先ほど、あなた方の仲間が一人殺されたと言いましたが、遺伝子研究のために、何も研究材料を殺す必要は無いでしょう」
「おそらく、捕まえた相手が亜種であったことに気付かず、間違いをしたと思って処理したのでしょう」
「処理?」
「そう、彼らがよく使う言葉です。殺せ、と言う代わりに、処理せよ、処置せよ、処分せよと言うのです」
「ところで、そろそろ本題に入りませんか。私たちが探す相手の特徴が、長命と若さというだけでは探しようが無い。異常な長命なら、周囲の人に分かって評判になるはずですがね」
少女は頷いた。
「そうです。だから、我々の一族は、25歳前後に失踪することが多いのです。そして、あちこちの土地に数年住んでは引っ越すことを繰り返すか、あるいは、人間が住まない山奥で暮らすことを選びます」
「どちらが多いのですか。つまり、ジプシーみたいに移動するのと、山奥に住むのと」
「若いうちは移動生活をし、年を取ると山奥に定住することが多いようです」
「ふむ。じゃあ、山奥の定住者から探しましょう。移動生活者の行方を捜すのは大変ですから」
「残念ながら、私たちが探している相手は、皆、実際にも若いのです。生まれたのが1980年から90年頃ですから、見かけと実年齢も一致しています。ですから、山奥に住む必要は無く、移動生活をする必要も無いのです」
「じゃあ、お手上げだ。ほかに特徴は無いのですか?」
少女は考える表情になった。
「おそらく、彼らは特殊な能力を持っています。一般にESPと呼ばれる精神的超能力です。私のテレパシーもその一つです」
「テレパシー?」
「精神感応力、相手の心を感じ取る力です。よろしいですか。いま、私たちの右の奥の方に、40歳くらいのサラリーマン風の男がいます。あの人は、友人とここで待ち合わせをしていましたが、今、携帯電話に、約束の時間に来られないと連絡があったので、すぐにここから出て行くはずです。あ、その前に、残ったコーヒーを飲みます」
俺は右奥の方を見た。確かに、月村静の言う通りサラリーマン風の男がいて、静の言葉が終わると同時にコーヒーカップを上げて中身を飲み干した。そして、レシートを掴んで立ち上がり、レジに向かった。
俺はあっけに取られたが、まだ彼女の言葉を完全には信じていなかった。人を待っている人間は、相手が来なければいらいらした様子をするだろうし、やがて出て行こうとする気配はあるものだ。それをタイミング良く指摘すれば、まるで心を読んだように見せかけることもできるだろう。それとも、そうした推理も本当に心を読んだことになるのか?
「そのESPには、ほかにどんな能力があるのですか?」
「テレキネシスというのがあります。これは、考えることで物体を動かす力です。しかし、これまでは数ミリ程度移動させた例しか知られてません」
「数ミリでも、パチンコになら使えるな」
静はおかしそうに笑った。
「私たちは、よくやりますよ。今からお見せしましょうか」
俺は頷いた。
30分後、俺はパチンコ屋で、ドル箱を回りに7つも積み重ねた月村静を呆然と見ていた。
「これくらいにしましょう。時間の無駄です」
まだ開きっぱなしの台から立ち上がって静は言った。
「お、おい、この球はどうする」
「あなたの好きにしてください」
俺は店員に球を運ばせ、換金商品に換えると、それを裏の換金所で金に換えた。
俺はその金を月村静に渡そうとしたが、彼女はそれを押し返した。
「取っておいてください。あなたは、今月の家賃もまだ払っていないじゃないですか」
俺がその金を返そうとしながら考えていたのが、まさにそのことだった。この金があれば、家賃を払って美味い物が食えるなあ、と。
「まもなく夜になります。あなたのアパートへ行きましょう」
月村静は黄色く暮れかかった空を見上げて言った。俺はその言葉にどぎまぎした。
「勘違いしないでください。あなたのアパートに行くのは、あなたに私たち一族の印を見て貰うためです。聖痕を」
「聖痕?」
俺は聞き返した。
社会の遠近法
第二回 ホリエモン流の金儲け(物の価値とは何か)
資本主義社会の落とし子というか、金の亡者というか、金、金、金で世間を騒がせたホリエモンこと堀江貴文が逮捕された。
逮捕されるまではマスコミの寵児であり、若者のヒーローでもあった男の転落を、ジェラシー交じりにいい気味だと喜ぶ人間も多いだろうが、この逮捕は法的には不当な行為であるように見える。マンション耐久偽装問題や狂牛病牛肉輸入問題から世間の目を逸らすとか、あるいはもっと大きな問題が水面下で進行している可能性もある。
それはともかく、今回のテーマは、ホリエモン流の錬金術である。詳しくは別紙資料を見てもらうが、そちらは難し過ぎるので、私が直感的に捉えたホリエモン流錬金術の基本原理を書いてみよう。とは言っても、金儲けに縁の無い貧乏人の考えだから、あまり信頼できないかもしれない。また、仮に私の理解が正しかったとしても、今回の事件を契機に法律改正が行われるはずだから、君たちが将来ホリエモンと同じ事をしようとしても多分無理だろう。しかし、やったことの是非はともかく、金儲けに彼くらい頭を使えば、金儲けができるのは確かである。世間の人間のほとんどは、彼ほど真剣に金儲けに取り組んではいない。
さて、ホリエモンの金儲けの極意は簡単である。「自分で自分の会社の値打ちを決めればいい」というものだ。会社の値打ちとは、具体的には株価である。株価は、会社の営業実績とは無関係に世間の人間の思惑で決まる。100円の値打ちしかない物を、1億円の値段で買ったとしても、それは買った当人の責任である。たとえば、古ぼけた汚い茶碗を、千利休が愛用した物だとかいう理由で1000万円で買うといったことはごく当たり前に行われている。つまり、物の価値とは、基本的に主観的なものでしかないのである。ある物の価値が世間全体の共通判断になった時、それを「相場」という。いわゆる「通り相場」という奴だ。
さて、物の価値が主観的なものであるなら、自分の会社の価値は自分で決めればいい、というのがホリエモンの考えの基本である。その際に、会社の実態を知られたら、世間の「相場」に落ち着いてしまうので、いかにも将来性ありげな「IT企業」を名乗り、会社の業務内容は躍進を続けているように粉飾決算を行う。ただそれだけのことで、世間の多くの馬鹿な金持ちはライブドアという無内容な会社の株を買ってくれたのである。アメリカにおけるIT企業も、そのほとんどは赤字企業であるが、やはり日本と同様に、「IT企業」であるというだけで株価は高値を更新し続け、やがてバブルがはじけたのである。だが、日本の投資家のほとんどは、その程度の社会的知識も無く、ただ金だけがあるという連中だったのである。
もう少し詳しくホリエモンの手法を説明しよう。少し金と度胸(または無謀さ)があれば誰でも簡単にできる方法だ。
まず株式会社を作る。これをAとする。次に、別の株式会社を別人名義で作るか買収する。これをBとする。このどちらも、事業実態が無くてもいい。ただし、世間的には、成長しそうな会社の印象を与えるものであること。「オンザエッヂ(端っこ)」などという会社名は、すぐにも倒産しそうだから駄目である。
次に、会社の決算(事業成績)を粉飾して、証券取引所の資格審査をくぐり抜け(ここは少し難しい。証券会社内部の人間と手を組むこと。)、一部上場する。つまり、一流企業の肩書きを手に入れる。ここで、ポイントは、上場前に、先に書いたAB二つの会社の間で株式の売買を行うことである。この二つの会社は同一人物の会社だから、右手から左手に物を移動させるようなもので、現金すらいらない。もとのAの株価が100円だとすれば、それをたとえば一株1万円で売ったことにする。つまり、この取引で、Aという会社の株が一株1万円で売られたという取引実績ができたわけだ。ということは、Aという会社の世間での相場は、いきなり100倍になったのである。これ以降、世間の人間がAの株を買う場合は、「現在の株価」である1万円が基準になる。で、会社の実態も知らずに、Aの株価が短期間で100倍になった、これは成長企業だと思って、慌ててAの株を買う馬鹿が無数にいるわけである。それでAの株価はさらに上がることになる。
まさか世間の人間はそれほど馬鹿ばかりじゃないだろう、と思うかもしれないが、世間にはかなりな割合で馬鹿がいるのである。大会社の社長や政治家の中にも馬鹿は無数にいる。(また、世の中の金の回り方は、上に行けば行くほど丼勘定になるものなのだ。たとえば、ジェット戦闘機一機の相場なんて誰も判断できないのだから、売る側が10億円だと言えば、それで買うのである。どうせ政府の金であり、どうせ馬鹿な国民の税金から出る金なのだから、それを支払う役人の懐が痛むわけではない。それに、国が高い値段で買えば、当然、担当役人は、相手企業から賄賂が貰えるのである。とにかく、軍需産業ほど丼勘定で、儲かる仕事はない。問題は、世の中が平和になると困ることだが。)
ホリエモンの手法に戻ろう。
彼の錬金術のもう一つの手段が株式分割である。株には詳しくないから、適当な推測で書くが、多分こんなことだろう。
さて、Aの株価は前に書いたように100倍になって1万円になった。ここで、会社が発行する株式の数を100倍にする。つまり、一株当りの実質価値は当然、100分の1に下がったはずだ。しかし、「自分の会社の価値は自分が決める」という原則に従って、それを元の値段で売ることにする。前の段階で、株式総数が100株だったとして、それを100分割すれば、株式総数は10000で、この時点で、会社の見かけの価値はさらに100倍になったわけである。最初の一株100円で100株の段階から考えれば、会社の「価値」は1万倍になったわけである。
これがホリエモンの錬金術である。細かい間違いはともかく、原理としてはこれに近いものだと思われる。
株式投資というのは、基本的にギャンブルである。もともとは、成長しそうな企業の株を買って、その会社が成長すれば、株の配当を受けるというのが、本来の株式投資の在り方である。だが、現在の株式投資は、安値で買って、高値で売り、その差額で儲けるという、短期的なギャンブルになっている。金に余裕のある連中の遊びであり、そんな連中が株で損したところで世間の真面目な人間が困るわけではない。ライブドアに投資して損したと騒ぐのは、自分の馬鹿さ加減を世間に示すようなものである。
(おまけ) 会社用語の基礎知識
1 株主:会社の株(分割された所有権と思えばいい)を買うことで、会社に事業資金を提供している人。つまり、実質的な会社の所有者である。普通は複数の株主がいて、定期的に株主総会を開いて会社全体の経営方針を決定する。
2 社長:会社を経営する最高責任者。会社の事業の最終的判断は彼が行うが、会社の所有者でもあるオーナー社長と、雇われ社長の区別がある。最近は、社長の業務を現場業務に限定してCOO(最高執行責任者)と呼び、社長の上にCEO(最高経営責任者:会長に相当)を置く企業が増えている。
3 取締役:株主総会で選任され、株主の意思を代行する形で会社業務の意志決定に加わり、経営監督を行う。業務を実行する人間と監督する人間が同じであると、経営がルーズになりがちなので、最近は、社外の人間を取締役にすることも多い。業務の監督を仕事の中心とするのは、監査役という。しかし、現実には取締役と監査役の区別はあいまいなようである。
4 損益計算書:一会計期間の企業の経営成績を表示する計算書。つまり、会社がその間赤字だったか、黒字だったかを示す計算書である。
5 貸借対照表:企業の一定時点における財政状態を示す計算書。バランスシートと言う。つまり、持っている金や物(資産)と、借りている金とを対照して並べた表である。普通は、借金(プラス自己資本)と手持ち資産・資本は同額である。というのは、人から金を借りたら、その金は自分の手元にあるので、借金と手持ちの金は同額だからである。仮に、その金を物に替えても、その物も資産として計上されて、借金と釣り合うことになる。つまり、まともな経営をしている限り、バランスシートは、まさしくバランスがとれていることになる。もしも経営者が、借りた金を競馬にでも使ったら、借りた金の一部が行方不明になって、このバランスは崩れるわけである。ただし、こうした「使途不明金」はけっこう巨大なもののようだ。というのは、たとえば暴力団に脅されて金を出すなど、企業には表に出ない費用が結構あるものだし、また、会社の金を盗む社員や役員も結構いるからである。
社員:会社で働く労働者を言う場合と、株主を言う場合がある。