忍者ブログ

ヤクザが一般人に泣き寝入りwww

暴力団とヤクザが大嫌いな私としては面白い話だが、この「一般人」もヤクザ以下の人間のようだ。度胸はあるようだから、昔ならヤクザか暴力団員になっていたところだろう。今は、ヤクザや暴力団は「割に合わない」職業なのではないか。それで、一般人の中でも性質の悪い連中は「半グレ」になるわけだ。


(以下引用)






一般人がヤクザを脅す…交通事故の示談で組の名前を出した途端ヤクザが劣勢に


8/1(火) 8:50配信


週刊SPA!


 ’08年の暴対法施行、さらには’11年に暴排条例が全国で施行されて以降、暴力団の居場所はどんどんと狭くなっている。この情勢に応じて一般人がヤクザを脅すというかつてなら考えられないような事態が起きているようだ。

「ヤクザにぶつけちまった……」

 ひと昔前なら顔面蒼白、この世の終わりといった事態だが、今は立場が逆転している。某暴力団の二次団体に所属するA氏は、横断歩道を歩行中に信号無視で直進してきたカタギの車にはねられたが、泣き寝入りする羽目になったという。

「車の持ち主の男は、ペーパードライバーの女に運転させて、自分は助手席で酒を飲んでるようなクソ野郎。幸い全治1週間の軽傷で済んだけど、さすがにはらわたが煮えくり返って『休業補償もきっちり払えや!』って詰めたわけよ」

 ところが、A氏はその際に自分の所属する組の名前を出してしまった。すると、その男はA氏が渡世人と知るや、一歩も引かずこう吹っ掛けてきたという。

「お前、ヤクザなんだろう? 文句があるなら、俺に言わずに運転していた女に言えよ。鍵を渡した時点で、俺には支払い義務はないから。そんなことより、お前に怒鳴られてうつ病になった。脅迫で訴えてやるからな!」

 女を盾に言い掛かりをつける男に、A氏は言葉を失う。

「俺は純粋に被害者だし、男の言っていることはむちゃくちゃだよ。物損事故と違って人身事故の場合は、『運行供用者責任』といって車の持ち主も賠償責任を免れない。でも、男の車は搭乗者保険に入っていなかったから、保険会社も間に入ってくれない。となると、示談になるわけだけど、馬鹿を相手に交渉するのは頭が痛いし、わずか30万円の示談金のために仕事してくれる弁護士もいない。内心、殺してやりたかったけど、こんなヤツに関わっているくらいなら本業で稼いだほうが早いから……」

 モラルの低いカタギの横行をヤクザが嘆くというなんとも皮肉な光景だ。

「昔は、こういう輩は闇金に連れて行ったもんだけど、今はヤミ金も“自爆上等”の面倒な客は嫌がるんだよ。警察や弁護士に駆け込んで踏み倒せちゃうから。モラルも教養もないアホがある意味無敵ってのは、社会的にどうなんだろうね」

 そう溜息をつき、A氏は稼業に精を出すべく夜の街へと消えた。

 ※現在発売中の『週刊SPA!』8/1発売号では「素人にハメられる[ヤクザの悲劇]」という特集を掲載中。

<取材・文/週刊SPA!編集部>


拍手

PR

罪なき者、まず石を投げよ、かねwww

「私をクラブメンバーに選ぶようなクラブには私は入るのを断る」というグルーチョ・マルクスのジョークを思い出したが、それよりも「アテネ人はみな嘘つきだ、と或るアテネ人が言ったとしたら、この言葉は真か偽か」というアテネ人の命題のほうが近いか。
この難問に対して、「自己言及(発言内容が当人に関わる言及)を含む命題は判定不能と見なすべし」という解答が与えられているが、それが正解かどうかは分からない。
鈴木発言で言えば、単純に、「他人を嘘つきだとか無責任だと非難するからと言って、その当人が正直だとか責任感があるとは限らない」ということになる。そもそも「正しい情報」とは何を証拠とするのか。果たして100%の確実性を持つ証拠がこの世にあるのか。政治事件では「状況証拠」だけでも真偽の判断は十分なことが多いのである。悪いことをする人間が明白な物証を残すほうが希だろう。









            さんがリツイート
21時間前

鈴木宗男が、あの鈴木宗男が、「逮捕されたような奴の言うことを信用してどうすんねん」と言い出すという、神展開!   すげぇな。 ほなだれが鈴木宗男の言うことを信用するんやろ?


拍手

これこそが有益無害な体育

基本的に「スポーツ」と呼ばれるものは勝ち負けを競うもので、そのために異常な執着や過度な入れ込みが生じ、それが様々な不祥事の温床になるのだが、この「体力向上部」は体育というものの本来の意義にまさにぴったりである。
この部に入っても異性にもてることはなさそうだが、実質的な利益(体の健全な発育と機能向上という、おそらく生涯にわたる利益)は大きく、将来の部活動の多くはこれに近い、「同好会」的なものになっていく予感がする。



(以下引用)





<世田谷・東深沢中>ユニーク部活、その名も「体力向上部」


7/22(土) 11:12配信


毎日新聞


 ◇目標は勝つことではなく 平日の週4日、朝の45分間だけ

 活動は平日の週4日、朝の45分間だけ--。東京都世田谷区立東深沢中にユニークな部活動がある。その名も「体力向上部」。目標は勝つことではなく、体を動かし体力をつけること。長時間の部活動は疲労やけがの原因になると指摘される中、部活の新しい形を示している。【金秀蓮】

 午前7時過ぎ。体操着姿の生徒たちが続々と校庭に集まった。男女約50人が校庭を数周走った後、小型のハードルを跳び、はしご状のトレーニング用具「ラダー」の上でステップを踏んで汗を流した。タイムを計ったり、競ったりすることはない。「無理せず自分のペースでいいからな」。顧問の佐々木政紘教諭(35)が、周りより遅い生徒に声をかける。

 創部は5年前。「特定の競技をやるほどではないけれど、体を動かしたい」「塾に通っていても続けられる運動部に入りたい」という生徒の声を受けてできた。佐々木教諭が、持久走や腕立て伏せ、縄跳びなど日々のメニューを作っている。活動は火曜から金曜まで。放課後や休日、夏休みなどの長期休暇は活動しない。

 正式登録している部員は46人。体力向上部だけに所属するのは17人で、レベルアップを目指すサッカーなど他部の部員や、民間のスポーツチームに所属する生徒も多い。

 文部科学省が昨年度に実施した調査によると、部活動の休養日を設けていない中学は全国で2割以上あった。部活動は教員の多忙の一因になっているほか、大会で勝つための過度な練習が生徒の疲労やけがを招いていると言われている。

 1年の男子生徒(13)は「テニス部があれば入りたいと思っていたがなかった。でも、体は動かしたくて、体力も付けたかったので入った。週に4日は体力的にちょうどいい」と話す。創部当初から顧問を務める佐々木教諭は「大会に向けて練習をたくさんすることが好きな子も苦手な子もいる。できる範囲で体を動かすという部活があってもいいと思う」と語った。


拍手

賠償金の取り立てについての素朴な疑問

裁判で仮に勝訴した場合、賠償金を相手が払わなかったらどうなるのだろう。これは案外多いような気がする。「2ちゃんねる」を主宰していた頃の西村ひろゆき氏は何度も訴えられてほとんど敗訴したが一銭も払わなかったという記事を読んだことがあるが、嘘か本当かは知らない。
裁判所は判決は出すが、賠償金を取り立てる作業はどのようになっているのか。警察がサラ金のように取り立ての仕事をしていると聞いたこともない。裁判所の職員がそういう仕事をするとも思えない。では、誰がやるのか。


(以下引用)




竹熊健太郎《地球人》 @kentaro666 12時間前

屈辱的な仕打ちを受けた時、私は泣き寝入りはしない。同時に、ケースにも依るが、こちらから裁判に訴えることもしない。かつて友人の民事裁判に付き合った経過をみて、民事訴訟ほど馬鹿馬鹿しいものはない、と思ったからだ。2〜3年の貴重な時間を割いて、仮に勝訴してもお涙金しかもらえない。




(夢人追記)気になって調べてみると、やはり裁判所や警察が取り立てまでしてくれるわけではなさそうで、判決を無視する人も多いようだ。となれば、司法制度というものの根幹は実に不確かなものである。




民事訴訟で負けてもお金は払わなくて良い?

先日、たくさん訴えられすぎてもう裁判所に行けなくて
自動的に敗訴になっている有名な人の対談の動画をみました。
その方は敗訴で賠償金?のような判決がたくさん出されていますが、
実際には1円も払っておらず、普通に暮らしているそうです。
裁判所が払え、と決めただけで、実際に怖い人が取り立てに来るようなことは
ないらしいです。
映画にあるような強引な取り立てはだれもやることができず、
すれば逆に刑事事件として訴えることができる、
といっていました。

民事裁判の賠償は払わなくても特になにもないのでしょうか??
詳しい人お願いします。


このQ&Aに関連する最新のQ&A


A 回答 (4件)

「支払わないことに対する罰則」は存在していません。


しかし、支払わないと強制執行で差し押さえされます。

けど生活必需品は差し押さえしてはいけない決まりになっているので、
家にそういう物が無ければ何も差し押さえは出来ません。

銀行口座に振り込まれる収入を差し押さえすることも出来ますが、
収入の振り込まれる銀行口座がわからなければ差し押さえすることは出来ません。



要するに、普通のサラリーマンなら会社からどこの口座に振り込まれているかわかるので銀行口座を差し押さえて強制的にお金を取ることが出来るんですが、事業主だと使用している銀行口座がわからないので家の物を差し押さえるしかない。しかしそれも生活必需品しかない場合はどうにもならない。
ということです。

払わなくても良いというわけでなく、ただ罰則がないというだけです。

だから「彼」は払わせるような法律をつくればいいと言いたいんですよ。

刑事罰である罰金刑は支払わないと刑務所に「収容」させられて働かせられます。でも民事では払わなくても何の罰則もないのです。外国では刑事罰同様に民事でも支払わないと「収容」させられてしまう国もあります。また、日本では民事裁判には出廷する義務もありません。
そのような日本の制度を変えるべきだと「彼」は言いたいんです。

もちろん日本でも、支払わなければ差し押さえが出来ますが、裁判所は何もしてくれないので差し押さえる銀行口座や相手の資産の特定に、民間の調査会社に依頼したりして相当な出費となってしまいます。その銀行口座や資産が外国にあれば当然何もできません。「彼」はお金があるのに払わないのですが、現実では本当にないから払えない人がいて、裁判で勝っても泣き寝入りしている人は多いです。






拍手

「ボランティア」の「強制参加」www

volunteer:(形容詞)自発的な(名詞)志願兵、ヴォランティア(動詞)自発的にする、志願する




            さんがリツイート
7月28日

つまりこういうこと? 【悲報】都内の全小学校が「五輪ボランティア」強制参加へ から


拍手

世の中に真の恋愛はほとんど無いから社会は平和である

前々回の記事に書いた「自己愛」のことをもう少し考察してみる。
あのスレッドの恋人たちは、実は恋人でも何でもなく、可愛いのは自分だけ、愛しているのは自分だけ、というカップルだと私は思うのだが、世間のカップルの大半はそうなのではないか。だからこそ浮気や不倫などというのもあるのだろう。
自己愛は人間の、いや、動物の基本本能だが、動物の場合は自己保存、自己防衛という形を取り、人間の場合は「愛」という抽象的な観念に置き換わる。
「愛」とは何か、と論じるとまた難しくなるが、「何かが欲しい」という感情の一種であると同時に、その対象との(精神的な、あるいは肉体的な)一体化を望み、その望みがかなえれらない場合には非常な苦痛を覚える、というものかと思う。つまり、一種の欠乏感だ。そういう意味では愛と性欲と食欲の間に大きな開きは無いのだが、恋愛の場合には、少し違うものがあるように思う。

真の恋愛の場合には、「対象の絶対化」が起こり、その絶対性の前には、自己愛すらも影をひそめ、甚だしい場合には自己犠牲というものが生じる。これが性欲と真の恋愛の相違である。
つまり、生物本能的な愛(食欲や生殖欲や性欲などの、欠乏感とその克服の欲求)と恋愛は別次元のものになるわけである。自己犠牲というものほど生物の本能とまったく相反する行為がほかにないことは誰でも分かるだろう。自己犠牲の話が常に我々にあれほどの感動を与えるのは、そのためなのである。つまり、自己犠牲とは、人間が神的なレベルに達する、ということである。
だが、恋愛の場合には、その対象が個人である、ということからまた問題が生じる。自己犠牲では済まず、社会の道徳的規範も他のすべての束縛も踏みにじってもその恋愛を成就したいというのも、また「真の恋愛」のひとつなのである。「八百屋お七」の話はその典型だ。恋愛の話としては感動的だが、そのために焼き殺された無数の江戸市民にとっては、恋愛ほどはた迷惑なものは無いwww

拍手

夢とは何か

  1. まあ、同じようなことを何度も書いているので、またかと思われそうだが、夢は寝てから見るものだ。子供の、将来に対する希望を「夢」という言葉で表すのは(あるいは、「希望」という言葉で表すのも、「(実現が)希な望み」なのだから、そうなのだが)、「夢」は実現しなくて当然だ、というのを含意しているのではないかwww
    小田嶋師が書いているように、普通の人間の幸福は毎日の生活の中にあるのであり、「夢を見る」のは楽しいが、ある種の現実逃避なのである。まさか大人たちは子供に「夢を持て」と言うことで「現実逃避しろ」と言っているわけではあるまい。(実際には「夢」は資本主義の「競争原理」と結びついているのであり、子供は将来への夢を持つことで競争社会に自ら参加していくことになる。その好例が「アメリカンドリーム」である。)


    (以下引用)





    小田嶋隆 @tako_ashi 3時間前
  1. むしろ「夢を持っていない人間は不幸だ」「夢のない人生は不毛だ」という強迫が若い人たちを苦しめている。だから、「夢なんかなくても大丈夫。夢を見るのはどっちかといえばバカな人たちなんだから、別に君が無理してそっち側の人間になる必要はないぞ」と言ってあげるのが大人の役割だと思う。
  1. オレらが子供の頃は、おとなは仕方なく働いているものだと思っていた。自分が大人になったら仕方なく働くんだろうとも思っていた。で、実際に多くの人間は仕方なく働くことになるわけだけど、別にそれがとりたてて不幸なわけでもない。何がいけないんだ? どうして夢なんか見させようとするんだ?
  1. 「13歳のハローワーク」や「キッザニア」は、子供たちに「職業を通じて夢を実現する」生き方を強要しているのではないか。職業生活がそのまま夢の実現であるみたいな人間がいないとは言わないが、そういう人間は変態です。普通の人間の幸福は、単純に日々を生きていくことの中にあるものだと思う。





拍手

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析