なかなか来ないなと思っていたら不在者通知メールが来ていた。
あれ、いつ来たんだろう? 気付かなかったなと
再配達の連絡をするが、待てど暮らせど来ない。
待ちくたびれて表に出てみたら、ドアに不在者票が挟まっていた。
前来た時のものであろう不在者票に再度時間が書いてあったので、
二度手間させて悪い事したなと思いつつ
チャイムの調子が悪いのかもと鳴らしてみたが、ちゃんと鳴る。
ようやくそこで『これは鳴らさないで持ち帰ったパターンか?』
と考え、再配達の連絡をした後に玄関ドアの前で待っていた。
暫くするとドアの向こうに人の気配がしてゴソゴソと音がしたので、
配達員がやっと来たかなとドアを開けてみたら、
不在者票書いてるところだった\(^o^)/
ハッとしたようにこちらを見て
「何度鳴らしても出ないものですから…」って言ったが、
チャイム鳴らしてないよね? 二度帰ったよね?
色々言ってもしょうがないから言わなかったけど、
腹が立つ以上に何故そんな事するのか、その神経がわからんかった。
何度も来る方が大変だろうになぁ。
以前通販を良く利用していた時の担当は
届けに来る度に「今度は何買ったのー?」とか聞いてくる奴だった
何で知らんおっさんに中身教えなきゃいけねーんだよ、お前はオカンか!
うちは宅配来たから出て行ったらチャイムならさなかった
目があったからならす前に気づいたかなって思ったらそのまま不在票入れていた
この会社、ムックとか新書とかの中間本が得意だったんですねー。
ベストセラーもその辺から大体出ていて
逆に本チャンのハードカバーとか雑誌はどれもイマイチです。
電車の中でリーマンは、七十年代から八十年代くらいは新書持ってるのが多かった。九十年代になって漫画雑誌ばかりになり、今はみんなスマホですからね。まあどこの出版社も部数減で業界全体が縮小整理の方向でしょう。ここは先鞭をつけたということです。
今後IT化と人口減が直撃する大衆向け産業はつぎつぎと同じことになっていくでしょう。出版の次は服飾関係だとも言われてますね。
その次は多分不動産。その次の次は多分テレビとコンテンツ産業全般(報道も含む)です。
まあどれも東京の地場産業でもあり、大衆操作の道具でもあったんであたしとしては祝着至極という部分もあるが、多様性を失うのは問題ですな。
そうそう、かつて本屋で最も売れる棚に並んでいた新書はどんどん隅に追いやられてコーナー自体消滅したりしてます。
古本屋などの検索情報、機構がデジタル化、ネット化されるのは良いんですが、コンテンツそのものがデジタル化される、というのは一寸、悪くはないんですが、デジタル化されないものが破棄されるような懸念がありまして、古本とか、レコードとかCDとかの古い音楽とかが段々となくなっているような気がしまして。
古本とか、古い録音とか、て言うのは文化だと思うんですが、あれは絶対に残るような仕組みができてほしい、と思います。全てがデジタル化されると良いのでしょうが、ところが、必ず漏れるものが出てきますよね。でも、それ、後年、誰かが欲しいと思うとか、でも、その時、すでに、時お寿司。あるいは、音の場合、デジタル化していくと、変わるんですよね。勿論、アナログ録音自体、実際の音とは違うのは違うんですが。でも、その録音芸術とか、録音文化、って言うのもあるんじゃないかと?写真とか、映像とかも。
検索は楽です、古本屋や中古レコード屋以外でも検索できると言うのは。それは良い。加えて、コンテンツそのものも失うことのないように、なんとか、是非。
新しいものはデジタルで良いですよ。
古いものの保存。