10年か15年ほど前書いたまま死蔵していた書き物を偶然見つけて読んでみたら案外面白かったので、ここに載せておく。ただし、社会的事件の感想の合間に書いていくので、毎日連続というわけではない。章ごとの長さも違うので毎回1章というわけにもいかないと思う。何しろ、このブログだと容量問題が大きい。
なお、「書く」と言っているのは、発掘された作品は紙に印刷したもので、電子版のオリジナルは「一太郎」で書いたためか「word」では文字化けしてしまい、再生できないのである。再生する方法もあるのかもしれないが、私は分からない。
作品は私の完全な創作ではなく、ハーマン・メルヴィルの「白鯨」のダイジェスト版である。私の偏愛する作品だが、アメリカ人でもよほどの物好き以外は読んだことがないという作品で、しかし、知らない人でもこの作品にある種のあこがれと好奇心を感じているという古典だ。オーソン・ウェルズもこの作品の映画化を望んでいたが、果たせなくて、俳優として脇役でジョン・ヒューストンの「白鯨」に出演している。なお、その映画化はエイハブ船長をグレゴリー・ペックが演じるというミスキャストのために、成功作とは言い難い作品になっている。成功した部分は、「語り手」役のイシュメール(イシュマエル)をリチャード・ベイスハートに演じさせたことで、この俳優はフェリーニの「道」の道化師のように、平凡な風貌だが重要な意味を持つ脇役をやらせると上手い。
なお、作品は完全なダイジェストではなく、私の創作部分がほんの少しだが入っている。それは、ピークォド号という船を「世界人類共同体」の象徴と述べた部分で、これは原作にはもちろん無い。だが、現代の視点から見たら、そのように見えるのである。そういう意味では「白鯨」は現代的な意義をも持つ作品だと思う。
ダイジェストする下敷きにした翻訳は阿部知二訳のものである。「白鯨」という作品の面白さは細部にこそあるのだから、ダイジェストするとその価値の多くは失われるのだが、物語の大筋の持つ面白さはダイジェストしても伝わると思う。「白鯨」という作品の面白さを世に伝えるわずかな助けにでもなれば幸いである。
(追記)全30章であるので、うまく行けばGW中に全部載せられるかもしれない。あの膨大な長編をA425枚に圧縮したのだが、単に粗筋を書いたのではなく、原作の面白さをなるべく生かした「圧縮小説」のつもりである。世に言うダイジェストではなく、原作を本当にdigest(消化)した結果の作品だ、と自負している。

現代語の「味わう」は、ワ行五段活用の動詞です。
このように、「語幹」が「味わ」で、「活用語尾」が「ワ、イ、ウ、エ、オ」となります。「語幹」というのは、「変化しない部分」です。「~せる」が下に連なるときにも、語幹を保存して「味わわせる」となります。
ただし、「味あわせる」という形も、実際にはよく使われています。ウェブ上でおこなったアンケートでは、年代差や男女差はあるものの、全体としては「味わわせる」よりも「味あわせる」のほうを支持する意見のほうが、やや多くなっていました。また次のように、歌詞にも使われています。
ゆっくり味あわせてね〉
【「Hungry like the CHICKEN」歌・作詞:木村カエラ】
さらには、「合う」という漢字を当てて「味合わせる」と書いた例も、少なからず見られます。
この「味あわせる」は、本来変化しない部分である語幹の「味わ」の「わ」を「あ」に変えてしまっているという理由で、文法的には正しくないとされています。「味あわせる」という形が出てくる背景には、一つには伝統形「味わわせる」に含まれている「~わわ~」という「同音の連続」を避けたいという意識があります。その証拠に、「味あわせる」「味あわない」という形では比較的多く用いられていますが、それに比べると「味あいます」「味あう」「味あえば」「味あおう」といったものは、それほど使われていないようです。語幹部分を保存した伝統形「味わいます」「味わう」「味わえば」「味わおう」のままでも、「~わわ~」という同音の連続は生じていないからです(田野村忠温(2011)「大規模コーパスとしてのインターネット」)。
同じように「~わわ~」という「同音の連続」が生じているものとして、「祝わない」「祝わせる」などもありますが、これについては「いあわない」「いあわせる」という「同音連続回避形」は、あまり見られないようです。そういえば、自分の誕生日を積極的に祝わなくなってから(そして、祝われなくなってから)、もうずいぶんたちました。負けるな、俺。