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「老人殺処分」と「憲法破壊」が安倍政権の真の目的

不思議に見えるなら、それは、彼らの行動が上からの指令によるもので、その行動の不合理さは無理な指令に従順に従っているからだ、と思うべきだろう。政権関係者は政権批判はできないから、行動が馬鹿げて見えるのである。
そして、安倍政権の真の意図は「高齢社会問題の一挙解決」、つまり「老人殺処分」だから、コロナ騒動を解決する意志などまったく無いどころか、むしろ医療崩壊でコロナ以外の原因も含めて大量の老人が死んでくれたほうが目的にかなうのである。さらに、「緊急事態条項」が現憲法に無いのが一番の問題だと話をすり替えて、憲法改定に持っていくわけだ。
安倍政権は馬鹿どころか、明確な意図で行動しているのである。殺された国民が「なぜ殺されたのか分からない」と嘆くなら、それは政権が馬鹿なのではなく国民が馬鹿なだけだ。


(追記)作家乃南アサのツィートだが、私も断片的なニュース画像などから何となく感じていたことをズバリと指摘している。さすがに人間観察力のある作家である。ただ、それを「冷酷」という言葉だけで言うのは少し違うと思う。「(老人殺処分や下級国民貧窮化は)最初から計算済み、計画どおり」だから国民の無数の死や悲惨な状況に平然としているのである。

ずっと違和感があった。会見する総理、各大臣の顔つきがどうにも真実味が伝わってこなくて、中には呑気そうだったり、愉快そうだったり見えて、どうしてなんだろう?と不思議に思っていたが、そうか、これが冷酷ということなんだなと思いが至った。本当に冷酷な人間は、こういう顔つきをするんだな。


(以下引用)
toshiozi
@toshiozi
その通りです。
なんか専門家会議の説明を聞いてると、国民の行動変容だけに力を入れ、基本的な検査、隔離が二の次になっている気がします。
「感染者数の実態はわからない」と副座長は、堂々と言っていますが、何を根拠に対策を検証しているのでしょうか?
本当にこの人等は専門家なのでしょうか?
引用ツイート
Koichi Kawakami
@koichi_kawakami
·
不思議なのは。我が国は「経済、経済」と言うのに、どうして「徹底的に検査・隔離して(多少偽陰性があっても)感染の状況を把握、経済活動を再開させよう」とならないで「検査を抑えて誰が感染しているかわからないから自粛しましょう」となるのでしょうね?検査をしてきた韓国や台湾は経済再開です。
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コロナ騒動の「目的」

キチガイ医内海聡のブログ記事の一部だが、私もだいたい同じ考えである。つまり私もキチガイかwww

ただ、最後の一文には同意しない。私は「絶望の虚妄なること希望に相同じい」という主義だからである。要するに、「安易に絶望するな、無根拠な希望も持つな」、ということだ。なお、私は「絶対」という言葉もまったく信じない。懐疑主義者なので、絶対に絶対という言葉を信じないwww

(以下引用)



陰謀論がネットで垂れ流しになるのは、そのほうが真の意味では好都合だからにしか過ぎないが、真実がーとかいうアホがたくさん引っかかっている。まず現実を見たとき、元々世界経済が歪みの極致にあったので、それを責任転嫁するためにコロナ恐慌に誘導する。恐怖で人を縛れば簡単なことであり、これは陰謀云々以前に絶対必要なことである。そして食糧支配がはじまる。

これらを誘発するためには弱毒型ウイルスでないとダメだったので、もちろん計算ずくである。人類にとって最も怖いウイルスとは、致死率が高いウイルスではなく、致死率が低いが高感染力があり、発症しない人や検査で偽陰性になる人が多く、また軽症の人が多いRNA ウイルスであるという言説があったがまさにそれ。それを重篤に見せて恐怖をあおるために、様々な作戦は織り込み済みだった。

今後日本で一番警戒しなければならないのは地震であり、地震と恐慌と戦争はセットだからだ。その前に全体主義的風潮を作り上げてしまえばよい。人間の本質は悪だからいかようにでも染まっていく。あと、ワクチン強制接種化、タネ支配、水支配、機械化によるロボット化、警察軍隊による圧制、考える力を喪失させる、子どもの教育を奪う、日本における他国の占領、が行われる。

これらを防ぐすべは絶対に存在しない。

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都が年代別死亡者数を発表

あまりにもタイミングが良すぎて、私が前回のブログを書いたのは、この記事を読んでからかと思う人もいるかもしれないが、今読んだばかりである。まあ、どちらが先でもどうでもいいことだ。
ただ、都としては「年代別死亡率」は本当は公表したくなかったのではないか。
なぜなら、五十代以下の人にとってこの新型コロナウィルスの致死性は低く、感染してもほとんどは軽症である(無症状のままの感染もある)ことが周知されると人々の警戒感が薄れ、自粛をやめて普通の日常に戻る者が多くなる可能性が高いからだ。
だが、そもそも、営業自粛や時ならぬ休校(つまり、家に一日中子供がいて、その面倒を母親が見なければならない状態。共働き家庭では母親の給与分が家計から消える。)などを二か月も続けて生活が立ちゆくはずがない。
人命はカネより大事だ、と言う連中がいるが、その人命は所得というカネで成り立つのである。所得補償無しのロックダウンというのが最初から無理ゲーなのだ。

(以下引用)

都内死者、60代以上が92% 累計の内訳、男性が女性の2倍


5/1(金) 21:54配信


共同通信



 東京都は1日、これまでに都内で新型コロナウイルスに感染し死亡した計126人のうち、年代と性別が把握できた122人の内訳を公表した。年代ではタレント志村けんさんが含まれる70代が40人で最も多く、60代以上が全体の約92%を占めた。性別では、男性が85人で、女性の37人に対して2倍以上となった。

 都によると、年代では70代に続いて80代の38人、60代の18人、90代の16人の順で多かった。50代が9人、40代が1人で、100歳以上と30代以下はいなかった。女性は50代以下の死者がおらず、最も若くてタレント岡江久美子さんらの60代だった。


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COVID19と年齢

別ブログに書いたものだが、わりと大事な内容だと思うので、こちらにも載せておく。
なお、私は、五十歳(長くて六十歳)くらいまで生きたら十分ではないか、という思想なので、(社会全体がファシズム化するより)コロナなど放っておけ、という考えである。つまり、政府の「老人殺処分計画」に特に反対はしない。コロナで死ねば公費で遺体処理までしてくれるなら、恩恵のようなものだwww 一種の密葬だから遺族も経済的に助かるしwww

(以下、自己引用)

COVID19の年齢別感染状況



単なるメモで、しかも元記事(グラフ)がコピーできないので記憶で書くのだが、東洋経済オンラインによると(データは厚労省発表の数字による)、年齢別感染状況において、十代未満と十代では感染者数が両方で五百人程度、二十代で一気に二千人程度になり、三十代以降は同じく二千人程度、しかし重症者や死亡者は三十代未満ではゼロであるようだ。三十代以降は重症者が少しずつ増えるが死亡者は四十代まではほぼゼロ。五十代以降は少しずつ増えるが、死亡者や重症者が多いのは七十代八十代で、これは高齢による衰えとの相乗作用であり、コロナ自体の危険性ということではないと思う。どんな病気であれ、高齢での病気は致命的になる、というだけの話だろう。
この、「年齢別感染状況」は、もっと知られるべきだと思う。つまり、若者には新型コロナはほとんど危険性はなく、老人には危険性はあるが、しかし風邪やインフルエンザの危険性と同じだ、ということだ。
なお、なぜ二十代で感染者が増えるのかというと、社会への参加範囲が急激に拡大するからだと思う。行動範囲が広がり、遊び、そして会社勤務で多くの人と出会う。高校生までの「ほとんど家庭と学校だけ」というのとは対人接触規模が大きく違うのである。学校から家庭への感染拡大ではなく、家庭から学校への感染拡大が問題であり、しかも若年では重症化しない可能性が高いのだから、小中高の学校閉鎖にはまったく意味が無かったと言うべきだろう。まあ、これは感染拡大して数字が出てからの後知恵だから、今さら批判する意味はないが、反省材料と今後の方針の参考にはなるのではないか。

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日本の中小企業を政府は救わない

七尾旅人という人のツィートである。
確かに、これで(全企業ではなく、一部の安倍友大企業を除く)中小企業のほとんどは死滅するだろう。

(以下引用)赤字部分は夢人による強調。



日本政府よ、この対応では全企業・全業種が終わるぞ…

「雇用調整助成金への問い合わせは11万超、しかし支給決定は60件にとどまる」
「無利子・無担保の融資は、面談すら最短2ヶ月以上の待ち」


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善は美

「神戸大好き」記事の一部だが、「美は善や正義と結びついている」というのは面白い。私の思想もこれに近いが、「美」というものを短絡的に捉えるべきではないと思う。たとえば、老人の顔というのは基本的に醜い。人間は健康なものや強いものを美しいと感じるように本能にプログラムされているようなので、老人という、死の象徴のような顔や身体は醜く思うのではないか。しかし、世の中には優れた人格がそのまま顔に現れているような、「神々しい」老人というのもいる。私にとっては上皇ご夫妻がそれだ。
また、「立派な」顔の老人もたくさんいる。やはり、その生き方が顔に出ているのである。これもひとつの「美」だろう。その一方で、顔立ち自体は絵に描いたように美しいのに、不快感を与える美男美女もいる。芸能人には特に多い。まあ、美というのは「社会が押し付ける美の基準」に合っているだけの美と、下の記事にあるように「善や正義」と結びついた美がある、ということだろう。


(以下引用)


だから、私が読まなくなったものもあります。
当時は右翼・保守・愛国・日の丸だったので読んでいたのに読まなくなったものが、ありますね。

安倍政治に絶望して、思想を変えたんです。

唖蝉坊さんなんか、大好きだったけど、遠のいてしまった。

それと、いかにも差し迫っている恐怖をあおるようなものは、嫌いで読みません。

この前、どこかのユーチューブで耳に残ったことがあります。
「人間は”明るさとやさしさ”が好きなようにできているので、悪党の子分になっても、その暗い悪事についていけなくなる人が、必ず出てくるんです。
だから、スノーデンが出てくる。」


悪事は、必ず破綻します。
人間と言うものは、そう、プログラムされているからですって。

それと人間の脳にある「美醜を見分ける部位」と「正邪を見分ける部位」は、同じ場所なんだそうです。

つまり善や正義は美しいのです。

だから、人間は自然に「美を好むように」「善と正義を愛する」のです。

その本性を永遠に覆い隠すことはできない。

最後は真善美を求めていく。

だから、最後に悪は滅びるのです。

だから、今は、どんなに暗くても、最後は悪は滅びる。

最後に愛は勝つ。そういうメッセージを、どこかに埋め込みたい、それは、きっと無意味ではないと思うのです。

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近未来の経済は「物々交換」中心になる?

井口和基氏のブログ記事の一節だが、近未来の経済の土台となりそうなヒントがここにありそうなので、転載する。文中に頻出するネトウヨ的政治思想や差別的発言は、まあ、脳内で除去して読むのが無難だろう。
要は、情報交換が簡単にできる時代にはカネという存在(物体としての通貨だけでなく電子情報としてのカネも含む)は不要になり、物々交換で社会が成り立つようになる、という、革命的な思想である。まさに、経済学の革命だろう。
まあ、単なるヒントのようなアイデアであり、実際には、たとえば電車に乗るのにいちいち物々交換をするわけにはいかないだろう。通貨というものは便利だからこそ人類の歴史を支配してきたのであり、その貴重さや重要さのために人類史を悪にまみれさせたのだ。
で、そのカネというものが不要になる、というアイデアは面白いが、問題はそこからどうアイデアを発展させ、現実に導入するかである。マルクスの「資本論」並みに「非資本論」「反資本論」という大部の著書を書く人が出てくると面白い。ピケティあたりやらないか。
ちなみに、物々交換だとカネと違って「蓄積」が困難なので、巨大な富の集積ができず、必然的に原始共産制的社会になるかと思う。


(以下引用)容量的問題のため、中盤の個人的感想の部分は面白いがカットする。


まあ、私は経済学者でも、経済アナリストでもないが、もう一度、
「どうしてお金というものができたのか?」
という問題に戻って考えるべきだろうと思う。
「お金」なるものが誕生した時というのは、どういう時代だったか?
なぜ「お金」は必要だったか?
そもそもお金ができる前は、物々交換であった。
そのその太古の時代には、
いつ(When)、どこに(Where)、だれがいて(Who)、何をしているか(How)、何を考え(Why)、何を持っているか(What)、
つまり、いわゆる「5W1H」が分からなかった。
だから、それを知らないで、物々交換するには非常にリスクがあった。だから、その間自分が持つ物資を運搬するのは大変だから、「その代わり」になるものを必要とした。
西洋では、それが金のブレスレットになり、我が国では、木簡になった。
しかし、いまやスマホかパソコンかタブレットがあれば、そういう情報交換ができる。
つまり、いきなり物々交換の交渉ができる。
一番流行っているのは、SNSにおける親父と若い女の子の性交渉だろう。つまり、女性器と男根との物々交換である。
昔なら、ガールに出会いたければ、ガールのぶらつく場所までいかなければならなかった。
それができないから、後ろから前川文科省事務次官が公費を使ってガールズバーで行ったわけだ。
しかしいまなら、スマホでSNSで交流できるわけだ。
つまり、情報を得るのにお金が必要ない。
いまなら、太陽電池をスマホに繋げば、基本的にはあまりお金がいらない。スマホの現物を買うのと通信費程度である。できたものを使うという意味あれば、ほとんどお金がかからなくなっている。
もし人間がテレバスを使えたら、情報交換にまったく金が必要ない。
物々交換の前段階としての、自分が欲しいものと相手が欲しいものとの確認作業=情報交換、これのためにこれまでの文明は相当な労力を要したのである。
昔なら、自分が書いた原稿をわざわざ電車に乗って、出版社まで持ち運ばなければ、漫画ができなかった。
しかしいまなら、自宅で作った漫画の原稿をpdfにしてインターネットで転送すれば終わりだ。電車や徒歩は必要ない。
フェイスツーフェイスもネットでできる。
つまり、いまや我々の世界は、お金を本質的に必要としないのである。仮想通貨すら必要ない。仮想通貨もビットコインもお金にすぎない。
もう「お金」は本質的ではない。お金の元金保証の「金=ゴールド」も必要ない。
要は、物々交換さえできれば、それでOKなのである。
どこかのお店で飯を食いたい。ワカメうどんを食いたい。
そういう場合、「自分はいまワカメうどんを食いたい」と言う情報をネット上の「どこか」に上げる。
その代わりに「自分は何を持っている。何ができる。何が余っている」とそこに「情報添付」する。
すると、「わかめうどんは作れるが、その添付情報が必要だ」という人がいれば、そういう人が交渉相手になる。
自分の身の回りにそういう人同士がいれば、ワカメうどんを出前してきた人がそれを食べる人から必要なものを受け取ることができる。
これで物々交換が終了するわけだ。
一旦、その間でお金を通じてお金による売り買いは必要ない。
つまり、いまの金融を維持してきた一番の原動力は、実は情報不足なのである。わざと不便にする。不便にすればするほど金が儲かるのである。
(中略)
私の個人的考えでは、人類は基本的に金など必要としないのである。
ほしいのは現物やリアルなサービスである。
必要な時必要なものが手に入りさえすれば良い。
したいことがしたいときにできれば良い。
逆に、人は自分がしてあげたいということが必要なときにできれば良い。
欲しい物、提供を受けたいもの、これと、ほしくない余っているもの、提供できるもの、があれば、その間を情報交換できれば、物々交換ができるのである。
労働も物の一つである。提供できる。
だから、私は子供の頃から、あまり金を稼ぐという行為に馴染めなかった。
それよりは、なにか生み出すこと、行動、行為、アイデア、概念、理論、。。。こういうものに価値を感じたのである。
いまの金融は、基本的に2000年前に中東に始まったユダヤ人のファミリービジネスにすぎない。たいした意味はない。
いくら経済理論で武装しようが所詮はそれだけのことである。
とまあ、後半は私個人の妄想だから、スルーしていただければ幸いである。

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男性
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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