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人数が半分に減れば残る人に2倍労働させればいい? wwww

某ツィッターでも指摘されていたが、記事の末尾(赤字にした)が凄い。
「2人でやる仕事を1人でやる」ということは、時間で言えば、「8時間労働の人間に16時間労働をさせる」のと同等であるwww
この記事がまともに読まれたら(今どき、新聞記事などまともに読む人間はよほどの老人だけだろうが)、ボランティア志望者はさらに激減すること確実である。
まあ、実際には東京オリンピックパラリンピックは実施されないと電通あたりは既に知っているのではないか。大手マスコミも知っているかもしれない。実施されても形だけのものになるのは確実だ。


(以下引用)

宮城の五輪ボランティア600人辞退か 不足の恐れ、計画修正も


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河北新報

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数億人相手の完全犯罪

この件は既に書いたと思うが、日経記事は今日づけなので載せておく。
毎度言うが、アストラゼネカに限らず、RNAワクチンは長期的副作用がまったく不明なまま接種が開始されており、現段階で接種を受けるのは人間モルモットである、ということを一般マスコミはまったく伝えていない。しかも、接種直後に出た副反応も国や製薬会社はまったくワクチンのためとは認めないのである。普通は、ナイフで心臓を刺した直後に死ねば、ナイフで刺したことが原因だとされるが、新コロワクチンではそういう因果関係をまったく認めないことになっている。
これはまったく新しいパターンの完全犯罪だろう。

(以下引用)



アストラゼネカ製ワクチン、欧州主要国も見合わせ

 (更新)
think!多様な観点からニュースを考える
鈴木亘さん他2名の投稿鈴木亘矢野寿彦小平龍四郎

アストラゼネカ製ワクチンの接種を中断する動きが欧州で広がる=AP

【ロンドン=佐竹実】ドイツ、フランス、イタリア、スペイン政府は15日、英製薬大手アストラゼネカ製の新型コロナウイルスワクチンの接種を一時的に見合わせると発表した。接種後に血栓などの副作用の疑いがあるためで、各国は18日にも出される欧州連合(EU)当局の見解を待って最終判断する見通し。同社は安全性に問題はないと反論しているほか、世界保健機関(WHO)も「現状では続けることを勧める」と表明した。

ドイツ政府は15日、アストラゼネカと英オックスフォード大学が開発したワクチンの接種を一時停止すると発表した。ドイツ国内で同ワクチンの接種後に血栓ができる事例が確認されたため、調査が必要だと判断した。シュパーン保健相は「新たな事象がワクチンの承認に影響するのかは欧州医薬品庁(EMA)が決める」と述べ、予防的措置であることを強調した。


フランスとイタリアも同日、一時的に見合わせると発表した。EMAが18日に同ワクチンに関する新たな見解を示すといい、それまでの時限的な措置とした。マクロン氏は「EMAが継続を認めれば、なるべく早くに接種を再開したい」と語った。フランスはこれまで統計上の危険は無いとして、同社製ワクチンを使い続ける意向を示していた。


アストラゼネカのワクチンは通常の冷蔵庫で保管できる上、比較的安価であることが特徴で、世界で幅広く接種が始まっている。日本は、1億2000万回分(約6千万人分相当)を調達する契約を結んでいる。3月に入って接種後に血栓ができる事例が確認されたとして、デンマークやノルウェー、アイスランドなどが予防的に接種を中断していた。現地メディアによるとスペイン政府も15日、2週間ほど見合わせると発表した。


シュパーン独保健相はアストラゼネカ製ワクチンの使用を一時的に見合わせると発表した(15日、ベルリン)=AP

こうした動きを受けて同社は14日、ワクチンが血栓などの危険を高めることはなく、安全性に問題はないとの見解を発表した。ワクチン接種をした英国とEUの1700万人を調べたところ、「肺塞栓、静脈の血栓症、血小板減少の危険を高めることはないことが分かった」という。


WHOの主任科学者ソミヤ・スワミナサン氏は15日、記者会見で「統計をみると、接種した人が血栓などの症状をみせる確率は、自然発生する確率より低い。パニックになってはいけない」などと語り、接種を続けるべきだとの見方を強調した。


一方、カナダのトルドー首相は15日の記者会見で、アストラゼネカ製を含め「国内で承認された全てのワクチンは安全で効果的であることを保健省が確認している」と述べ、安心して接種を受けるよう国民に呼び掛けた。


アジアではタイやインドネシアが接種開始時期を遅らせていたが、タイは16日から接種を始めると表明した。




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馬権やら花権やら

「基本的馬権」が話題になっているようなので、下のツィートを引用。
ただし、あの馬の写真を自分のツィッターに載せた獣医は、明らかにバズることを狙っていたと思う。あの写真を一般公開する意味など、それ以外には無いだろう。何であれ、そういう下心は下品で醜い。

(以下引用)

種子植物にとって花という器官は間違いなく「性器」ですから、花の写真も全部アウトになるのでしょうね。#基本的花権を守ろう

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「いのちを捧げる」考

糸井重里の古いツィートだが、この男の事大主義的本性が見え透く発言だと思う。
まあ、事大主義は日本人すべての本性であり、あるいは人類すべての本性かもしれないが、醜い精神である、ということは確かだろう。

少し説明する。「いのちを捧げる」という言い方は、その「捧げる」対象が自分より上位の存在、具体的には社会的地位が高い存在であることを意味する。あるいは、宗教などの場合でも、自分より上位の存在に「捧げる」という行為があり、その言葉は使われるのである。
戦争映画や時代劇だと、「いのちを捧げる」対象は何か。言うまでもなく、国家であり、藩である。それ以外の場合には「捧げる」とは言わない。「七人の侍」の武士たちは百姓たちに命を捧げたわけではない。単に「義」によって立ち上がり、命を捨てることもいとわなかっただけだ。結果的に命を「捧げた」侍たちの生き残りを百姓たちは使い終わって価値の無くなった道具のように無視する。それでいいのである。義のための行為に対し感謝を求めることは醜いからだ。

かつての戦争での死者たちは命を何かに「捧げた」わけではない。無残に無意味に殺されただけである。
それは庶民の話で、兵士たちは国家に命を捧げたのだ、と強弁する人もいるだろう。では、その国家とは何か。抽象物でしかない。「国家が存在することで国民は生きていられるのだから、国家の存続は国民の生命に優先する」というのが戦争肯定論者の言い分だ。はたしてそうか。国家が存在しなくても、原始時代の人々は存続できた。重税を取られ、戦争で殺される原因となる「国家」(実際は、国家ではなく、単なる「時の政府」と、その周辺の「上級国民」である。)ははたして最優先で守るべき存在か。



(以下引用)

戦争映画や、時代劇だと「いのちを捧げて」やらねばならないことがでてくる。いまの時代は「いのち」は無条件に守られるべきものとされるから、「いのちを捧げる覚悟」は描きにくい。映画『Fukushima50』は、事実としてそういう場面があったので、それを描いている。約2時間ぼくは泣きっぱなしだった。





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イベントとボランティア

まあ、「司令部」の人にしてみたら、ボランティアという存在はその程度のものだろう。
で、高校生が何でボランティアをやるかと言えば、これは内申書の点数を上げるためではないか、と思われるわけで、そういう「対価」があるものをボランティアと言えるのかどうか。もちろん、まったくの人間愛から無償の行為としてボランティアをやる人も何割か存在するだろうが、その統括をする「司令部」の人たちからすれば、「こいつらをどう使えばいいんだ」と悩むのではないか。部下ではないから高圧的に命令することもできないので、「どうでもいい仕事」をさせるのが普通だと思う。自然、その扱いも軽くなるわけだ。
下のツィートでの「観光客の整理」がどうでもいい仕事かどうかは分からないが、当人は真面目にやっていたのだろう。だから、こういう扱いに腹が立ったのは理解できるが、仮に観光客の整理が絶対に必要な仕事なら、それをボランティアにさせること自体が根本的におかしい。カネがかかるからそうするしかない、というのなら、その祭事が誰にとって必要なのか、問いただすべきではないか。当然、それを必要とする人たちがカネを出すべきである。

今回の東京オリンピックも同じである。


(以下引用)





高校のボランティアで祭事に参加したところ(観光客の交通整理)、 途中で司令部と連絡がつかなくなり、客は途絶えないので捌き切ってようやく指示を仰いだところ「君らまだおったん?もうええで」と終電も終わる時間帯に言われ「二度とボランティアの名のつくものに関わらんからな」と呪いをかけた



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日本には右翼がいない

徽宗皇帝のブログに引用した田中宇の記事の一部をここに再掲載する。この部分が特に私には面白いし、記事筆者は日本の現実もよく把握しているな、と思うからだ。
ただ、(下の引用部分ではなく別部分だが)田中宇も「共産主義」という言葉の使い方が不明確で、「民主主義」の対立概念として使っている感じがある。それは「ソ連共産党的な政治」とでも言うべきで、共産主義自体は民主主義と対立するところは無いはずだ。ただ、共産主義は現実化不可能な理念だから、それを無理に現実化しようとすると政治上層部による暴力的な支配が必要になるわけで、それがソ連型共産党の支配だったわけだ。スターリン型共産党手法とも言える。ポル・ポトの「共産主義」もそれに近いだろう。
と言うわけで、私は共産主義を否定する社会主義者であるわけだ。社会改革を望む意味では左翼だが、精神の本質は右翼、つまり保守主義者かもしれない。ついでに言えば尊皇主義だが、尊王主義ではない。天皇は歴史的役割・地位として「王」ではないからだ。幕藩体制下の大名が「王」の地位に相当するだろう。
むろん、古代には天皇は「大王」であったが、天皇と改称して以来、独自の存在になったわけだ。具体的には俗世的な権力の頂点であることから、御簾の後ろに影のように存在する、神秘性をまとった権威的存在になった、と言えるかと思う。それを詐術と見てもいいが、詐術は現実政治を動かす強力な手法である。そして天皇が存在することで、日本の歴史と文化は非常に独自の面白い性格を持つことになった。ただ、天皇が世俗的な権力も持ち、その神格化が行き過ぎると大東亜戦争(この言い方が一番適切だと思う。)のような悲劇を生むことになる。天皇が「無答責」の存在なら権力を持ってならないのは当たり前である。
私は「天皇」という存在を貴重だと思い、皇室を保護尊重すべきだと思っているが、不徳の天皇なら退位してもらうべきだと思っている。日本の天皇に権力が無い以上、権威的存在でなければ存在意義は無く、権威は地位だけでなく人格に立脚すべきだからである。下の記事に出てくる「権威筋」が、いかにコケ脅かしの存在か、分かる人には分かるだろう。
さて、以上のような考えを持つ私は右翼だろうか、それとも左翼だろうか。

(以下引用)


世の中にはいまだにコロナや温暖化人為説をマスコミ報道通りに丸ごと軽信している人(理性放棄者)も多い。だが、コロナや人為説の喧伝が長期化するほど、なんだかおかしいと(上からの植え込み・洗脳でなく)人間に本来備わっている理性を使って知覚・考察し、ニセ現実のインチキさに気づく人が増える。医者・記者・学者・役人・政治家などの権威筋やマスコミは、ニセ現実のゴリ押しを続けるだろうから、権威筋の権威がしだいに落ちていく。米政界は、権威筋=民主党vsニセ現実に気づいた人々=共和党という対立軸になっていく。日本や欧州でも、左翼は今後もずっとニセ現実を軽信し続けるだろうから、ニセ現実に気づくのは右翼(極右とレッテル貼りされている勢力)になる。日本には右翼がいない(日本で右翼と称してきた勢力の多くは官僚機構の傀儡)ので、日本人は今後もばらばらな個人の領域を超えた集団的なニセ現実への気づきがなかなか起こらない。 (Why America Will Want Donald Trump Back in the White House)



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在宅勤務の社畜を強制的に働かせる方法

前に、漢字変換などで少し考えているとパソコンが勝手に変な動作をする、とどこかで書いたが、それは具体的には、カーソルの位置が勝手に移動したりする動作であることが多い。つまり、それがウィンドウズ10の仕様なのだろう。それは、主にビジネスマンに「さっさと働け」と強制する意図があるのかもしれない。
下のツィートは、ウィンドウズ10が出た段階で予兆があったわけだ。

(以下引用)


知人の会社、在宅義務中に限り「5分カーソルを動かさないと休憩とみなして勤務時間を減らすソフトを強制インストールされる」とか言ってて「そりゃ在宅やめて普通に出勤したい人が多いに決まってる」とのことなのだが、これ企業では普通のことなの?

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HN:
酔生夢人
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男性
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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