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「革命者キリスト」の紹介

ついでに、「徽宗皇帝のブログ」所載の「革命者キリスト」の末尾だけ転載しておく。
今、全文を読み返したが、我ながら面白い。あの頃はまだ頭脳がなかなかしっかりしていて、文章が非常に明晰である。1時間弱(30分程度か)で簡単に読めるので一読をお勧めする。
キリスト教(あるいはユダヤ教)とは何か、についておおまかな理解を得るには最上の文章だと自負している。それに、西欧の世界支配は新コロと新コロワクチンで新たな局面を迎えているので、もう一度「西洋文明の精神」をよく理解しておくのは有益だろう。

(以下自己引用)


革命者キリスト(12)
結語

以上で、この小論は終わりである。キリスト教信者やユダヤ教信者には失礼な事ばかり書いてあるが、実は私が言いたいのは、一神教的世界観から来る西欧人種的発想の危険性なのである。本論中に述べたように、神に対する倫理と人間に対する倫理のダブルスタンダードの結果、西欧人種は、世界にとって危険な存在となっている。彼らの推進する自由貿易は、必ずと言っていいほどその相手国を貧困に落としいれ、西欧国家との間で恒常的な貿易を続ける限り(、モノカルチャーのプランテーションに縛られたアフリカ諸国のように)貧困から抜け出せない。そして、彼らの最大の特徴は、自分たちのルールを相手に押し付け、都合が悪くなるとそのルールそのものを平気で変えることだ。つまり、彼らには異民族や異人種へのモラルは無いのである。彼らのモラルは、あくまでキリスト教、もしくはユダヤ教を信じる同朋に対してのみ存在し、神を知らない異民族に対してのモラルなど存在しない。だから、東洋人やアフリカ人に対する西欧人の食言は当たり前の行為である。
現在、神の存在を信じている人間は、本当は西欧人にも多くはないはずだ。社会の上位層が嘘ばかりついていて、弱者の不幸に対して無関心で、毎年のように何万人もの人間が銃で死んでも平気で、何の正当な理由も無く他国に攻め込んでそこの住民を虐殺することを延々と続ける、アメリカのような国は、果たしてキリスト教国家なのだろうか。もしも、キリスト教という宗教がそれを許容するなら、キリスト教にはまったく価値は無い。アメリカ社会の上位層の多くはユダヤ人だから、ユダヤ教も同様だ。彼らは本当に、自分の宗教を信じているのだろうか。それとも、やはり、彼らの宗教とモラルは同朋に対してのみのものなのか。神への信仰が無くなった状態の(そして一神教的独善性のみを残した)西欧人とは、より悪質な、アモラル(無道徳)な存在となるのである。
私のこの文章を、非キリスト教徒の独断と偏見だと思う人も多いだろう。だが、これは、世界中の人間がキリスト教やユダヤ教に対して抱いている疑いを、歴史的な聖書と教会(私の言う「新キリスト教」)のあり方の分裂の点から切り込み、分析して考察したものにすぎないのである。同じような事を、紳士的に書けば、たとえば次のようなものになる。これは中央公論社刊「世界の名著13『聖書』」の責任編集者で、ご自身も敬虔なキリスト教徒である前田護郎氏の、同著作の序文中の一節である。

「キリスト教教会の歴史には東西ローマの分裂とか、血なまぐさい十字軍とか、残酷な宗教裁判とかがつづき、教会の権威が学問を圧迫したこともあり、近代になってもキリスト教徒同士の争いは絶えない。今世紀の二度の大戦で、いわゆるキリスト教国が大量殺人をしたので、教会はかなえの軽重を問われている。アジア、アフリカの人々の多くにとって、キリスト教は植民地帝国主義者の宗教である。六日間非キリスト教徒を搾取して七日目に教会へ行く人々がキリスト教徒である、という人が彼らの中にある。キリスト教国といわれる地域の中にも、白人と黒人とが別々の教会へ行かねばならぬほど人種的偏見が強いところがある。
われわれ日本人にとっては、スペイン、ポルトガルの侵略に協力したキリシタン・バテレンの歴史も忘れがたく、現代では、原子爆弾や戦争裁判に関係した諸国のキリスト教会の態度が問題にされるという事実も否定しえない。
しかし、これらはいずれもキリスト教会あるいはキリスト教徒のことであって、彼らによって聖書の精神が無視あるいは曲解されて、一部の人々の勢力を守るために他が犠牲にされた不祥事である。聖書と宗教体制としてのキリスト教会とを混同してはならない。」

この言葉は、私などよりよほど過激に、キリスト教会とキリスト教徒を批判しており、私が言いたいことの要点を尽くしている。同じ文中に、「哲学者ヤスパースが聖書の宗教をキリスト教と区別して扱うのは注目すべき例である」と述べているのも、同様である。
要するに、私が述べたことを一言で言えば、「キリストは『キリスト教徒』ではない」ということだ。逆に、「『キリスト教徒』はキリストの教えが分かっていない」と言ってもいい。
西欧人種は、彼ら自身の内面、彼らの宗教の根本を考える必要がある。日本人は? 我々は、宗教に規制されなくても、社会的モラルを守るという伝統がある。(その伝統も、西欧文明化=グローバリズムや西欧的拝金主義によってあやしくなってきたが。)日本人に必要なのは、そうした西欧人種の正体を知り、西欧人の利益のための「グローバル化」と「西欧化」をこのまま進めていいのかどうか反省することだろう。特に英語の世界語化による言語的階層世界への組み入れや、あるいは無意識の西欧崇拝根性育成の意味を。
世界中で、政治的な植民地的侵略の尖兵となった「キリスト教」に侵されなかった国はおそらく日本だけである。それは、「キリスト教」の侵略者的役割を見抜いた秀吉と家康の鎖国という英断によるものだ。他のアジア・アフリカ諸国はみな、「キリスト教」の宣教をカモフラージュとした侵略に国を食い荒らされたのである。その日本が今や、グローバル化という第二の植民地化の波に飲み込まれようとしているのである。ここで、「キリスト教」と西欧人種の本質についてよく考えておく必要があるだろう。
ついでながら、西欧植民地主義はけっして過去の話ではない。西欧人は、自分の植民地が独立した後でも、現地人政治指導者を傀儡として使うなど、何らかの形で、その植民地を支配しているのである。(自分たちの気に入らない政権が出来てしまった場合は「民主的指導者」を支援してその国に「革命」を起こさせる。)それは日本に対しても同じであり、被占領国であった日本はサンフランシスコ平和条約で形式的には独立したが、それと同時に結んだ日米安保条約で国内に米軍基地を置くことを余儀なくされ、米国への反抗は半永久的に不可能になったのである。(戦後すぐに、アメリカの政治資金と工作によって出来た政党が現在のJ民党である。その日本側の中心人物が本来なら戦犯である岸信介であることからも、アメリカの政治のニヒルなほどの現実主義がわかるだろう。)日本の政治はアメリカからの年次改革要望書などの形でアメリカから常にコントロールされており、一部の人間の間ではすでに常識だが、日本は決して本当の意味での独立国家ではないのだ。
しかし、政治的な次元での支配、つまり表面化している植民地的支配は、実はそれほど危険ではない。もっとも危険なのは、精神的な支配、我々の中に内面化された、自発的な被支配根性、奴隷根性である。支配のプロであるかつてのローマ帝国が被植民地の民族に養成しようとしてきたのも、自発的に支配に従う精神であり、「キリスト教」の利用もその一つである。話はキリスト教だけのことではないのだ。あらゆる宗教は政治との持ちつ持たれつの関係によってその力を拡大するのである。その信者には本来は罪はない。だが、政治と結びついたその行動によって彼らは世界全体に大きな被害を与えるのである。
「宗教は阿片である」という言葉は、それを言った人間が〈マルキシズム〉という「宗教的政治思想」の提唱者であるだけに価値を減じているが、その言葉自体は正しい。阿片は確かに現世の苦痛から逃避させてくれるというメリットがあり、終末期医療の手段としてなら大いに結構なものだが、現実的認識と行動を不可能にさせるという極端なデメリットがある。それが、私がこの小文を書いた理由である。

[補記] 神の存在については、中江兆民が『続一年有半』の中で完全に論破している。この書は、世界の哲学書の中でもっともすぐれたものの一つだが、その内容が西欧精神の根本を否定しているために、これまで批評の対象とならなかったものである。興味のある人は、是非、一読を願いたい。

                    2008年 11月24日 記
                       
                    2009年 8月24日 一部改稿

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イエスという男

「紙屋研究所」の記事の一部で、長いので前半のほとんどを省略する。
私が「徽宗皇帝のブログ」に載せている「革命者キリスト」に近い内容と思える或る本についての記事である。私は「イエス・キリストはキリスト教徒ではない」と言っているのだが、それは、イエス・キリスト本人の思想と、イエスの死後にキリスト教団が作り上げた「キリスト教」は大きな隔たりがあると思うからである。(特にローマ教会の「三位一体説」とか「原罪説」などはイエス自身の思想とまったく無関係のはずだ。)これは一度でも新約聖書を読んだ人間には明白な事実だと思うのだが、キリスト教社会では、論じること自体がタブーになっているような気がする。しかし、ある程度、イエス自身の思想が新約聖書のどのあたりにあるのか(まあ、イエスの発言だけをピックアップしてもかなり分かるとは思うが)、学者が研究はしているようだ。

なお、田川自身は「キリストは社会改革家ではない」という意見のようだが、明白に「宗教改革家」であるわけだから、「宗教革命家(私の言葉では「革命者」)」と言えるのではないか。

(以下引用)


田川建三『イエスという男』


 リモート読書会では田川建三『イエスという男』を読んだ。


 

イエスという男 第二版 増補改訂

イエスという男 第二版 増補改訂

  • 作者:田川 建三
  • 発売日: 2004/06/10
  • メディア: 単行本
 

 


 もちろんなんでもハイハイと言う「イエスマン」のことではなく(笑)、キリスト教の始祖とされているイエスのことである。


 どういう本か。


 イエスを神の子でありまた宗教家であるとするイメージを一方の極とすれば、他方でイエスをローマ支配と闘った社会革命家とするイメージの極があり、この両極のイメージを排して、イエス像を打ち立てようとしている。


 当時イエスが活動したパレスチナユダヤ教が支配している土地であり、政治・経済・宗教が一体となっていた。「イエスの活動はやはりユダヤ教批判を本質としていた」(p.167)とある通り、イエスは当時のユダヤ教を批判するのだが、それは、宗教が生活のこまごましたところまで支配をしていたからである。イエスはその支配に反対して、叫びをあげる。


 しかし、その支配への反対(反逆)は、宗教だけでなく、政治や経済へのおかしさへの反逆となってくる。このために、宗教批判を中心としながらも、社会経済構造への反逆ともなって現れてくる。


 他方で、支配への反対は、その支配にかわる、首尾一貫した新たな宗教や政治経済の体系を提示するわけではなかった。あくまでもイエスの反対は鋭い斬り込みをするものだが、あくまでも反対にとどまるものだった。いわば「逆説的反逆者」だったのである。


 


 イエスの言動から新たな宗教を組み立てようとした原始キリスト教団は、イエスの宗教支配への批判を、「ユダヤ教批判」へと読み替え、ユダヤ教を批判して新たな普遍的宗教を作り出したのがイエスだとする。こうしてイエスは「キリスト教の先駆者」であるという扱いを、キリスト教内部で受けていく。


 そして、イエスが行なった社会経済構造への批判は骨抜きにされて、宗教的な説話として読み替えられてしまう。


 


 田川建三は、こうしたキリスト教側のイエスの歪曲に逆らって、「イエスキリスト教の先駆者ではない。歴史の先駆者である」(p.11)という規定を行う。「歴史の先駆」とは、宗教・社会経済などが一体となった抑圧体制への批判者だったという意味であろう。


 しかし、イエスが社会革命家であったという議論にも田川建三は与しない。


 イエスをローマ支配に反対した社会革命家と描くのは、無理がありすぎるというのである。


 


 イエスキリスト教の宗教家とみなす考えも、社会革命家として描く考えも、どちらもイエスを無矛盾の、論理一貫した、体系的考えの持ち主として前提しすぎていると田川は批判する。1世紀の思想が、あるいは人間の思想がそもそもそんな無矛盾の、論理一貫した、体系的なものであるはずがなく、後からこじつけるのはやめろ、といいたのだ。


(中略)

ぼくの中のキリスト教像が変わった

 ぼくが読んで一番興味深かった点は、実は本書の主張よりももっとずっと手前のところ。


 え、そんな初歩的なところ? と驚かないでほしい…。


 田川によれば、聖書学ではイエスが言った言葉はどれで、どの部分が後から加わったか、福音書を書いたマルコとかマタイが付け加えたのか、ということがまあだいたいわかるんだよ、ということだった。また、福音書を書いた人によって、当時の教団が主張していたことの何を強調しようとしたかもわかる。


 イエスの言ったことが断片的にまずある。


 次にマルコが20〜30年後にそれを福音書にする。またQ資料(現在は失われている)というイエス語録ができる。


 50年くらいしてから、Q資料からマタイ福音書とルカ福音書ができる。


 ルカ福音書は1人の著作者による月並みなイエス観。


 マタイ福音書ギリシア語を話すユダヤ人の教会の学派的作業。


 こういう潤色を逆に遡って剥いでいくと、最後に「客観的にイエスの発言を確定しうる」(p.29)。「ある程度以上に本格的に福音書研究にたずさわった学者たちの間では、どの伝承がイエス自身にさかのぼるかという点では、非常に多く一致している」(同)。


 ただ、言葉は残っても、それがどんなシチュエーションで発せられたかは、記録者の色が出ているので、解釈が違ってくる。


 こうして見た時に、田川は、イエスは「愛」などという言葉はほとんど使っておらず、マタイやルカがあとで付け加えたんだと言う。同じく「神の国」とか「原罪」とかいった、ぼくらがキリスト教の根本概念だと思っていることも福音書で付け加えられたものだとする。


 これが本当か嘘かはわからない。


 だけど、こうした田川の聖書学についての話を聞いていると、なんとなく「イエスのもともと言ったことを、20年後、50年後の人たちや教団が、ある種の意図をもって再解釈したり、教義体系に組み直したんだな」というイメージができてくる。


 ぼくはキリスト教というのは、聖書を中心に教義や解釈がはじめからわりとしっかりしていて、非常に細かいところを学派的に争っているのかと思っていたのだけど、田川のいうようなイメージでとらえると、イエスの活動と、その後の福音書を書いた人たちや初期の教団との間にはだいぶ溝があって、むしろ福音書や初期教団のプリズムによって、イエスの言動、あるいは「キリスト教」を見させられているんだなと感じた。


 仏教では、シャカがそもそもどんなことを言ったのか、何を考えたのかということは、『ブッダのことば』のような本で読むことはできる。しかし、もはや現代日本仏教徒である日本人が「新約聖書」のような形で手にすることはない。


 

 


 「大乗非仏」説のように、日本に伝わった仏教が相当大きな解釈の変更を受けたことに似ていると感じた。日本で最大の信者を誇る浄土真宗や浄土宗など浄土系の仏教は、“個人が真理に覚醒して精神をコントロールする”というもともとのシャカの教えの姿(一種の無神論である)からかけ離れて、「阿弥陀如来」という一種の神様にひたすら祈るという、キリスト教イスラム教に似た一神教の姿に変わり果ててしまった。


 キリスト教にそういうイメージはなかったのだが、田川の本を読むと同じような変容を遂げているのだという感想を持った。


 まあ、改めて考えてみると、『新約聖書』についてイエスの言行録+伝記とも言える「福音書」だけでついついぼくのようなシロートはイメージしてしまうんだけど、実際には手紙(書簡)類がいっぱい入っていて、例えば「コリント人への手紙」を読むと初期教団が分裂騒ぎを起こし、それに対してパウロが「お前らなあ…」とモノを言っている中身になっている。つまりイエスではなくパウロの思想に基づいて書かれていることになる。


 法然の有名な「一枚起請文」も、自分が死んだ後、教義をめぐる分裂が起きるんじゃないかという懸念をもって、「いやー、ひたすら念仏を唱えるっていうのが根本であって、それ以外になんか秘儀みたいなものはないよ」という法然の教え(浄土宗)のエッセンスを書いている。でもそれはシャカの教えとはもはや何の関係もない。それって、法然版の「コリント人への手紙」じゃないのか、と思う。


 


 そんなふうに、やっぱりキリスト教といえども、イエスの言動とは実はそれほど近い存在ではなく(田川はむしろ正反対だとさえ考えている)、のちの教団による解釈、その積み重ねで宗教ができているんだなと思い至ったことが、ぼくにとっての本書の収穫であった。


 

 


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硝酸セルロース(セルロイド)のこと

小泉進次郎ではないが、「これ、知らない人案外多いんですよね」www

私は昔、「未来のエネルギー」について考えたことがあって、その中で、「セルロイド」がそれにならないかと思ったものだ。セルロイドは植物のセルロースと窒素の化合物で、非常に可燃性が高いのはよく知られているが、火力も強いため、燃焼しても灰すら残らない(はずである)。
そしてセルロースはどんな植物にもあると言うか、その辺の雑草でも何でもセルロースからできているので、素材はほとんど無料で手に入る。そして窒素は言うまでもなく、空気中の成分の最大割合を占めている。つまり、窒素を空気から取り出す技術と、セルロースと窒素を化合させる技術が安価になれば、石油に代わる新しい火力発電が可能になるのではないかと考えたわけである。
日本の場合、植物資源は豊富で、放っておいても雑草は毎年生えてくるのだから、それを火力資源にできれば最高だろう。なお、燃焼で生じる二酸化炭素については、脱炭素運動は原発推進と両輪の詐欺でしかないので、考慮する必要はない。


(以下、竹熊健太郎のツィート)


セルロイドの原料は石油ではない。


(夢人追記)現代の技術なら、ニトロセルロースの欠点を克服できるのではないか。研究する価値は大いにあると思う。

ニトロセルロース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ニトロセルロース
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ニトロセルロースの部分構造
{{{画像alt2}}}
綿状のニトロセルロース
識別情報
CAS登録番号9004-70-0
特性
化学式(C6H9(NO2)O5)n
(C6H8(NO2)2O5)n
(C6H7(NO2)3O5)n
外観白色または淡黄色の綿状物質
融点

160 to 170 °C

危険性
NFPA 704
NFPA 704.svg
3
2
3
引火点4.4 °C
半数致死量 LD5010 mg/kg
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。

ニトロセルロース (nitrocellulose) は、硝酸繊維素、硝化綿ともいい、セルロース硝酸硫酸との混酸で処理して得られるセルロースの硝酸エステルである。白色または淡黄色の綿状物質で、着火すると激しく燃焼する。

概要[編集]

セルロースを構成するグルコース1単位分子あたり3か所で硝酸エステル化することが可能だが、さまざまな程度に硝化されたものが得られ、窒素の含有量で区別する。綿状であるため、日本では窒素量が13%以上のものを強綿薬、10%未満のものを脆綿薬、その中間を弱綿薬と称する。


ニトロセルロースはフィルム強度が高く溶媒の速乾性に優れており、また、可塑剤樹脂顔料などの添加で改質することができる。樟脳と混合してつくられたセルロイドは世界最初の熱可塑性合成樹脂である。フィルムやセルロイドは広範に使用されたが、可燃性経時劣化が指摘されたため、現在ではこれらの用途にはより難燃性の合成樹脂が使用されるようになった。

用途[編集]

主な用途はラッカー塗料や火薬接着剤(ニトロセルロース系接着剤)[1]である。かつてはロケットエンジンの推進剤などにも使用された。手品で紙を一瞬で燃やす場合、紙状や綿状のニトロセルロースを使用する。紙状の物はフラッシュペーパー、綿状の物はフラッシュコットンと呼ばれる。燃やしても灰が出ない特性を活かしている。

火薬[編集]

ニトロセルロースを主成分として各種の添加剤を加えて造粒した火薬は黒色火薬に替わる小火器火砲の発射薬として使用されている。発射にあたって大量の白煙を上げる黒色火薬に比して無煙火薬と呼ばれる。また開発者の一人であるフレデリック・エイベルによる「コルダイト」の名称でも知られる。このうち主にニトロセルロースのみを使用した火薬をシングルベース火薬と呼ぶ。現在のほとんどの拳銃アサルトライフルが弾薬としてシングルベース火薬を使用している。燃焼の調整を目的としてニトロセルロースにニトログリセリンを加えたものをダブルベース火薬、さらにニトログアニジンを加えた物をトリプルベース火薬と呼ぶ。こちらは主に大口径火砲の装薬として使用されている。

ナイトレートフィルム[編集]

1887年5月2日にハンニバル・グッドウィンが、ニトロセルロースを使用した映像用フィルムの製造方法の特許を申請後[2]、ナイトレートフィルムと呼ばれる映像用フィルムに使用されていた。しかし、このフィルムは自然発火し、度重なる火災、多くの犠牲者、歴史的な映画フィルムの焼失が幾度も発生した。そのためX線写真用フィルムは1930年代から、映画用フィルムは1948年から安全フィルムに置き換わった。ナイトレートフィルムを上映するには防火設備などが求められるため、上映できる劇場はジョージ・イーストマン博物館英語版など数少ない[3]

歴史[編集]

製造法[編集]

工業的にはセルロースを硝酸と硫酸の混酸で硝化する方法で製造される。


硝化
硝化装置には主に三種類の方式があるが、現在ではデュポン式のみになっている。
  • トムソン式(置換式)
  • セルウィヒ・ランゲ式(旋回式)
  • デュポン式(攪拌式)
精製
硝化反応が終わったら、大量の水で煮洗を10回、流水洗を5回くり返し、念入りに酸を取り除く。この工程で繊維の裁断も同時に行う。一般に、洗うのに60時間、裁断に5時間を要する。洗浄が終わったらふるいにかけたり磁石で金属を取り除いたりして不純物を除去する。最後に脱水機にかけて水分を取り除く。
加工
膠化剤としてニトログリセリンなどを加えたり、自然分解しないように安定化剤などを加え、アセトンなどの溶剤に溶いて目的の形へ加工する。

事故[編集]

過去に何度も製造過程の不具合による自然発火事故が起きている。自然発火事故は特に危険であり、火薬の分量がまとまっているほど事故の危険度は高くなるが、技術水準の低かった戦前の日本では重火砲の装薬が自然発火して自爆する事故が相次いだ。海外でもB火薬の時代には事故が相次いでいた。


また、製造技術が低いと早く劣化する火薬ができてしまい、不発弾薬が続出する原因になる。特に以下のような欠陥の有る火薬は自然発火を起こすか、不発になるかの二者択一になると言われるほど危険である。

  • 製造過程で酸が適切に洗い流されていない。
  • 繊維の裁断が均質に行われず、繊維の塊ができる。
  • 硝化度が不均一で窒素量が一定していない。
  • 不純物が混入している、特に金属粉末は極めて危険である。

保管においては、摩擦を防ぐためアルコールなどで湿潤させる必要がある。1964年には東京で、ニトロセルロースの湿潤が不完全と推定される火災が発生し、消防士19人が殉職する爆発事故が発生している(品川勝島倉庫爆発火災)。


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皇室関係の発言だとやたらに大騒ぎするマスコミやネット

私は皇室や天皇に関しては「機能としての天皇」しかほとんど頭に無いので、皇室の誰それに関する興味はまったく無い。ただ、小室氏のキャラやその母親のキャラについて仄聞した限りでは、あまり好感は持てないが、そんなのは当人同士の問題だろう。皇室典範でどうなっているのか知らないが、どうせ結婚したら皇室の人ではなくなるのではないか。
で、下の記事に関する騒動だが、ちょっとした「口が滑って出た発言」が過大に攻撃されているように思う。記事全体はかなり真面目なものだというのが私の印象だ。確かに「何のために皇室に生まれたのか」などと大上段に言われても、人は望んだ場所(家柄)や望ましい夫婦の子供として自分の意思で生まれることが可能なわけではないwww しかし、長年皇室取材をしてきた記者の心情として、皇室の人間はそれにふさわしい知性と判断力を持つべきだ、という、ある意味「おせっかいな応援」も生まれるのではないか。何はともあれ、こんな些細な言葉尻をとらえて問題視するほうが異常だろう。

(以下引用)


眞子さまは何のために皇室に生まれお育ちになったのか 取材歴30年の記者に聞く「今後」




眞子さまは何のために皇室に生まれお育ちになったのか 取材歴30年の記者に聞く「今後」


婚約内定の会見時の眞子さまと小室圭さん(c)朝日新聞社


(AERA dot.)



 秋篠宮家の長女、眞子さまの結婚問題で、国民の心が揺れている。天皇陛下と秋篠宮皇嗣殿下はともに「多くの人が納得し喜んでくれる状況」を願っていると、お言葉にされた。今後、お2人は今後、どのような道を選択されるべきなのか。皇室取材歴30年の女性自身記者で、ジャーナリストの近重幸哉さんに聞いた。


*  *  *
――秋篠宮さまだけなく、天皇陛下もお誕生日の会見で、眞子さまと小室圭さんの結婚問題について「多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」と言及されました。これにはどんな意味があるのでしょうか。

近重さん(以下、敬称略):天皇陛下のお誕生日会見によって、眞子さまと小室さんの結婚に関することは、秋篠宮ご夫妻と眞子さまの親子間のみにとどまる問題ではなくなり、この国民的関心事のレベルが上がった、重大さのハードルがもう一段上がったという印象があります。陛下がお言葉にされたということは、国民に祝福されない状態のまま眞子さまが結婚へと進まれるのは、皇室としても賛同できないことだということを表しているのです。

 眞子さまと小室さんは、ご結婚の延期から3年をかけ多くの人が抱くようになった小室さんの母親の金銭問題や小室さんの突然のアメリカ留学などに対しての心配や不信感を払拭するだけの説明が必要になります。

 また、陛下は「眞子内親王がご両親とよく話し合い」とも口にされました。そのように述べられた以上は、秋篠宮ご夫妻と眞子さまは解決に向けてきちんと対話をしなければならないということでしょう。

――今回の陛下のお言葉の前に、昨年11月末、眞子さまと小室さんの結婚について、秋篠宮さまは「認める」とおっしゃいました。一方で「婚約は別」とも。国民にとって解釈が難しいところです。

近重:秋篠宮殿下の「結婚を認める」という言葉だけが、目立ってしまいましたが、ご発言の全体を読み解けば、もっと深い意味があるとわかります。憲法では、婚姻は両性の同意のみに基づくものとされています。なので、父親としては眞子さまと小室さんの気持ちを尊重し、憲法で定められている結婚は認めるということです。しかし、秋篠宮殿下が婚約を認めない限り、宮内庁としては一般の婚約に当たる納采の儀をはじめとした結婚に関する一連の儀式は行えません。つまり、今の状況のままでは、皇室としての結婚はできないということなのです。

――それでも、秋篠宮さまの「結婚を認める」というご発言が明らかになって以降、さまざまな憶測を呼び、「年内に結婚」という記事も見受けられました。

近重:お二人が早く結婚したいと望んでいることは、これまで繰り返し報じられています。しかし、小室さんが眞子さまと本当に早く結婚したいのであれば、陛下や秋篠宮殿下がお言葉にされてきたことに対して、誠意を示して取り組むべきではないでしょうか。小室さんは夏に米国で弁護士資格取得の試験を受ける予定とされていますので、代理人を通じての説明でもいいでしょう。しかし私は、試験の結果が出てからの方がいいと思っています。今はコロナ禍という特別な状況であり、急いでことを進めようとしても多くの人の納得を得ることが難しい社会情勢だからです。

 コロナ禍で、国民は気持ちにも生活にも余裕のない状態です。世の中がこのように厳しい状況では慶事もなかなか受け入れてもらえないものです。たとえ小室さんが十分な説明をしたとしても、皇族の結婚への国民の理解は得られにくいと思います。

 コロナ禍の悪い流れが収束へ向かう状況に世の中が変わって、社会が立ち直る兆しがみえたときに、明るいニュースがあると国民は喜んでくれるものです。例えば、秋篠宮殿下と紀子さまのご結婚は、昭和天皇崩御の翌年でした。喪が明けてから、納采の儀が執り行われ、一連の儀式を経て、平成2年6月に結婚されました。平成の御代になって皇室初の慶事に、国民は心から喜び祝福したのです。

 ですから、眞子さまと小室さんは国民の理解を得たいのならば、焦らないほうがいいと思います。

――とはいえ、眞子さまは今年の10月に30歳という一つの節目を迎えられます。眞子さまは昨年11月、小室さんとの結婚についてのお気持ちを文書で発表しました。眞子さまの言葉の一つ一つに、「早く結婚したい」という強い思いがにじんでいるように思えました。

近重:私は、もし眞子さまが今のままの状況で“強行突破”されたら、日本の皇室が大切にしてきた国民からの信頼が薄れてしまうかもしれないと思っています。
 
 眞子さまは上皇さまの初孫であり、将来、天皇となられる悠仁さまの姉であり、両陛下のご長女・愛子さまのいとこの中で最も年長であるわけです。そして今は、皇族数の減少が大きな課題となり女性皇族の注目度も高くなっています。

 コロナ禍の不安な状況で結婚を延期した方たちもいると思います。また初婚の平均年齢も上がっています。30歳まで、30歳のうちにというご自分たちの気持ちを優先され急いで結婚されたら、多くの国民は眞子さまと小室さんを心から祝福できないでしょう。眞子さまをお育てになった秋篠宮家にも、そのマイナスの印象はずっとついてまわります。

 仮に、小室さんと米国で生活をすれば、日本にいる国民の声は聞こえないかもしれません。でも、それでは眞子さまはいったい何のために皇室に生まれお育ちになったのでしょうか。

――「皇室に生まれた意味」とはどういうことでしょうか。

近重:少し話はそれますが、日本人とは不思議なもので、若いころはさほど皇室に興味がなくても、年齢を重ねるにつれ、皇室に関心を持ってくる人が多くなるのです。実は私も20代のころは、皇室に興味がありませんでした。

 しかし、30年にわたり皇室取材を続けるうちに、なぜ、日本の皇室がこれほど国民から敬愛されるのか、徐々にわかってきたのです。

 皇室のお務めといえば、国際親善の場や、オリンピック、国体などの開会式や大きな催しへの出席など華やかな場面が報道されます。もちろんそれらの公務も大切ですが、テレビで放映される姿だけが皇室としてのご活動ではありません。被災地の慰問では、膝をついて被災者と同じ目線になって、被災者の声にずっと耳を傾けてこられました。福祉施設や、高齢者施設、小児科病棟なども訪問され、少人数の入所者との交流をお続けになっています。そうしたお務めを何十年も続けてこられているのです。こうしたご交流の積み重ねを行ってきた皇室の方々の尊さに、敬愛の念が生まれるのです。

 国民から敬愛されることは象徴天皇制にある皇室には大切です。そのことを、天皇皇后両陛下、上皇陛下、美智子さま、そして秋篠宮殿下と紀子さま、他の皇族方も大切にされ、ご自身を律して過ごされています。平穏なときであっても、現在のように不安が世界中に蔓延しているときでも、国が安らかであるように、国民が安心して暮らせるようにと常に願い、祈られているのです。

 眞子さまは、そうした皇室に生まれ多くの国民に見守られてきました。ですので、これまで皇室が大切にしてきたものを守られて結婚してほしいと多くの人が望んでいるのです。祖父祖母である上皇ご夫妻、天皇皇后両陛下がさまざまな場面で国民の心、気持ちを大切にされるのを、眞子さまはずっとご覧になってきました。皇族としての振る舞いをご存じなのです。

 今回、陛下は言いづらいことにあえて言及されました。天皇陛下が東日本大震災の十周年追悼式でお使いになった「皆が心を合わせて」とのお言葉がありますが、それは天皇陛下と雅子さまが普段から大切にされているお考え、姿勢だと思います。

 天皇陛下は今、心が一つになっていないと思われる秋篠宮ご一家にも、皇室の将来のことも考えて心を合わせて欲しい、眞子さまにご両親の話に聞く耳を持って欲しいと願われているのではないでしょうか。

(まとめ/AERAdot.編集部 鎌田倫子)


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重い精神疾患や知的障碍者に新コロワクチンを「優先接種」

完全に新コロワクチンによる殺処分だろう。この「ワクチン接種優先順位」は、「殺していい人間」「(政府的に)殺すべき人間」を優先しているわけだ。ナチスの優性思想そのものである。
なお、新コロワクチンによる殺処分は、即死だけでなく、二回目の接種による免疫過剰反応やDNAそのものの改変(ワクチンの種類で異なる)による短命化、癌発症などもあるようだ。即死でないと、ワクチンのためだったとは絶対に認められないだろう。即死ですらワクチンとの因果関係を政府や医学界やワクチン製造元は認めていない。


(以下引用)引用記事とブログ構成基本画面が重なるのでかなり下に引用記事を載せる。






























































































重い精神疾患や知的障害者、ワクチン優先接種対象に 210万人 





 厚生労働省は18日、新型コロナウイルスワクチンの接種順位について、重い精神疾患や知的障害がある人を、65歳以上の高齢者に続いて接種する基礎疾患がある人のグループに加え、優先接種対象とすることを決めた。厚生科学審議会の予防接種基本方針部会に示し、了承された。


 欧米や韓国の研究では、原因は明確ではないものの、精神疾患がある人や知的障害がある人は新型コロナ感染症による死亡リスクや入院リスクが他の人に比べ上昇することが報告されている。このため、厚労省の照会に対して日本精神神経学会から、重い精神疾患がある人を接種順位の上位に位置付けるよう求める意見書が出ていた。



 政府は医療従事者、65歳以上の高齢者の順にワクチンを接種した後、基礎疾患がある人に優先的に接種する方針で、基礎疾患には呼吸器疾患や高血圧を含む心臓病などが含まれる。


 重い精神疾患や知的障害のある人については、入院していることや精神障害者保健福祉手帳、療育手帳を持っていることで対象となるかを確認する。対象者は約210万人と推計される。【金秀蓮】



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新コロ社会のストレスが罪の無い第三者への憎悪となる

「ネットゲリラ」の、米国でのアジア人差別に関するスレッドのコメントのひとつだが、素晴らしい洞察だと思う。誰もが薄々感じていても、明確に意識できていない事を見事に指摘している。

「第三者への憎悪はそれまでの敵同士を結び付ける」(憎悪の「絆」)
「憎悪ほど人間をキチガイにし、動かす感情は無い」

まあ、ジャップを相手の戦闘なら白人兵も黒人兵も仲良く協働して相手を殺せるわけだ。

だから、悪魔的政治の基本は「誰を敵と認定して馬鹿な連中を動かすか」である。
それを埴谷雄高流に言えば「あいつは敵だ。あいつを殺せ」となる。この単純な命題がいかに膨大な人類の悲劇を作ってきたか。(ちなみに、まともな頭なら「なぜその相手を敵だと言い切れるのか」「なぜその『敵』を殺しまでしなくてはならないのか」と考えるが、いったん狂気に陥ると、憎悪だけが行動原理になる。)
ヒトラーのユダヤ人ターゲットと橋下の公務員ターゲットはまったく同質である。

(以下引用)


アイツら黄色を差別するときは白黒で仲良くなるよな





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ハゲへの励ましは「禿げ増し」なので厳禁

まあ、これを読んで絶望するか、あるいは運命を甘受してかえって心の平安を得るか、いずれにしても、既にハゲてしまった人間には無意味かもしれないスレッドである。
デブに人権があるように、ハゲにも人権を認め、ハゲへの容貌差別を禁じたらどうかwww
「このハゲー」などという悪罵には懲役刑を望むwww

(以下引用)



コメント
1: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:07:56 ID:dWA

2: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:08:38 ID:Yv7
サンキュー名誉教授 これで気遣う意味なくなったわ

3: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:09:05 ID:QJc
ストレスが一番の敵やろ

4: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:09:09 ID:KhI
これもう生活保護の対象やろ

5: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:09:10 ID:9Xb
後半めんどくさくなってテンプレになってるやんけ

6: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:09:40 ID:gz1
ハゲる人はハゲるとかいう絶望ワード

7: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:09:43 ID:q5u
早くプロペシアを使うんだ!

11: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:10:42 ID:dWA
>>7
なにそれ?

14: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:11:27 ID:q5u
>>11
ハゲ治療薬の一つ

8: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:10:03 ID:Vpq
30年もハゲを研究するとか精神病むやろ

9: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:10:29 ID:V4Y
ハゲに人権無し

13: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:11:16 ID:BdV
例えばイギリス人なんてハゲてない方が稀なんや
別にハゲでもええやろ
日本はハゲに対する風当たり強すぎなんや

17: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:12:05 ID:dWA
>>13
ジェイソンステイサムみたいなイケメンハゲが日本人にもいればええんやけどな

24: 風吹けば名無し 20/10/13(火)20:43:22 ID:uOd
ハゲは運命まで読んだ

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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