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2. 赤かぶ[151631] kNSCqYLU 2021年10月07日 19:23:54 : DiuQjGfad6 : UTBWZXVVMUNWUkE=[50390] 報告 |
1968年(昭和43年)、雑誌『中央公論』7月号に掲載され、初版単行本は翌年1969年(昭和44年)4月25日に新潮社より刊行された[2][3][注釈 1]。同書には他の評論や講演も収録されている[4]。
翻訳版は、フランス語(仏題:Défence de la culture)で雑誌『Esprit』『février』(1973年)に掲載された[5]。
金嬉老事件は、ジョンソン声明に先立つて、或る時代を予言するやうなすこぶる寓意的な起り方をした。それは三つの主題を持つてゐる。すなはち、「人質にされた日本人」といふ主題と、「抑圧されて激発する異民族」といふ主題と「日本人を平和的にしか救出しえない国家権力」といふ主題と、この三つである。第一の問題は、沖縄や新島の島民を、第二の問題は朝鮮人問題そのものを、第三の問題は、現下の国家権力の平和憲法と世論による足カセ手カセを、露骨に表象していた。そしてここでは、正に、政治的イデオロギーの望むがままに変容させられる日本民族の相反する二つのイメージ――外国の武力によつて人質にされ抑圧された平和的な日本民族といふイメージと、異民族圧迫の歴史の罪障感によつて権力行使を制約される日本民族といふイメージ――が二つながら典型的に表現されたのである。— 三島由紀夫「文化防衛論」
『文化防衛論』は、橋川文三の「文化概念としての天皇は、政治概念としての天皇にすりかわり、これが忽ち文化の全体性の反措定になることは、すでに実験ずみではないか」という疑問に対して[6]、三島がそれに反論した以下の文に三島の基本的立場が明確になっているとされ[7]、日本の「権力」という問題が浮上していた1960年代の「ラディカリズムの季節」の戦後的なものが、三島の文化天皇論を発現させ、「行動の死の原理を内包する思想」の実現へ進展させた背景だと鈴木貞美は解説している[7]。
私が、天皇なる伝統のエッセンスを衍用しつつ、文化の空間的連続性をその全体性の一要件としてかかげて、その内容を「言論の自由」だと規定したたくらみに御留意ねがひたい。なぜなら、私はここで故意にアナクロニズムを犯してゐるからです。過去二千年に一度も実現されなかつたほどの、民主主義日本の「言論の自由」といふ、このもつとも先端的な現象から、これに耐へて存立してゐる天皇といふものを逆証明し、そればかりでなく、現下の言論の自由が惹起してゐる無秩序を、むしろ天皇の本質として逆措定しようとしてゐるのです。(中略)私は、文化概念としての天皇、日本文化の一般意志なるものは、これを先験的に内包してゐたと考へる者であり、しかもその兆候を、美的テロリズムの系譜の中に発見しようといふのです。すなはち、言論の自由の至りつく文化的無秩序と、美的テロリズムの内包するアナーキズムとの接点を、天皇において見出さうといふのです。— 三島由紀夫「橋川文三への公開状」[8]
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