忍者ブログ

「金色の帽子」と「金の帽子」

実に素晴らしい文学評論で、日本にこのレベルの文芸評論家がいるとは思えない。
この小評論の前半だけ掲載する。
私は、自分の持っている翻訳で、原書の「gold hat」が「金色の帽子」と訳されていることに疑問を持ってネットで調べているうちに、この評論に出会ったが、私の思ったとおり、「gold hat」は「金の帽子」であり、それをかぶって高く跳ね上がることは滑稽な、笑われるべき行為なのである。そして、それをやった(そして墜落死した)ギャッツビーをフィッツジェラルドは「偉大な」としているわけだ。
ある意味、ゲーテのファウストの最後の文章。「永遠に女性なるもの、我らを牽きて行かしむ」であり、言うまでもなく、その「女性なるもの」は「女性への幻想」なのである。女性にとっては、自分を幻想と同一視されることはむしろ迷惑なのではないか。

(以下引用)

グレート・ギャツビーの最初の一行とエピグラフを理解する



フィーチャー_onceuponatime.jpg


雑誌が定期的に文学作品の最高の冒頭文のリストをまとめるのには理由があります。本の冒頭は読者に大きな印象を与えるからです。本の始まり方は、その本が作り出す世界を理解するのに役立ちます。


まず、語り手と、これから私たちが出会うであろう語りのタイプについての最初のイメージが与えられます。息を切らした一人称の告白でしょうか?それとも、冷静で客観的な三人称の観察でしょうか?


第二に、舞台設定を紹介し、物語がいつどこで起こるのかを知らせます。これは読者の期待を調節するのに非常に重要です。ビクトリア朝時代のイギリスで2人のキスについて私たちが考えることは、現代のカナダで同じカップルについて私たちが考えることとはまったく異なります。


では、 『グレート・ギャツビー』の冒頭では何が語られているのでしょうか? この作品の序文、冒頭の文章、冒頭の段落の意味について読み進めてください。



 

記事のロードマップ

  1. 『グレート・ギャツビー』のエピグラフを分析する
  2. 『グレート・ギャツビー』の最初の一行の意味を探る
  3. 『グレート・ギャツビー』の最初の段落からニックを語り手として理解する

 

引用に関する簡単なメモ


このガイドの引用形式は (章.段落) です。Gatsby には多くの版があるため、このシステムを使用しています。そのため、ページ番号の使用は、このガイドで紹介している本を持っている学生にのみ有効です。章と段落で引用されている引用を本で探すには、目視 (段落 1-50: 章の始め、50-100: 章の途中、100 以降: 章の終わり) するか、テキストのオンライン版または eReader 版を使用している場合は検索機能を使用します。


 

『グレート・ギャツビー』のエピグラフ詩


この小説の序文には次の4行の詩が書かれている。


それで彼女の心を動かすなら、金の帽子をかぶって。
高く跳べるなら、彼女のためにも跳んで。
彼女が「恋人よ、金の帽子をかぶって高く跳べる恋人よ、
私はあなたを手に入れなくちゃ!」と叫ぶまで。


—トーマス・パーク・ダンビリエ


まず、この詩を分析し、それからこのダンヴィリエという人物が誰なのかについて話しましょう。


 

「金の帽子をかぶって」

最も基本的な意味では、この詩はアドバイスです。最初の単語「それから着なさい」が、会話の途中を聞いているように聞こえるので、私たちはそのことがわかります。ある人が特定の「彼女」との恋愛問題について不満を漏らしており、詩の語り手は、どうすればよいかについてのヒントでそれに答えています。


この詩のアドバイスは、あなたの富や地位(「金の帽子」)とあなたの勇敢な行為(「高く跳ねる」)で彼女に感銘を与えるために全力を尽くすことです。彼女の気を引くためにできることは何でも、最終的に彼女を虜にできればそれだけの価値があります。なぜなら、そのとき彼女は飽きることなく欲しがるからです(「私はあなたを手に入れなければなりません」)。もちろん、この「金の帽子をかぶり、高く跳ねる恋人」のイメージは、よく言っても道化的で、悪く言えばまったく馬鹿げています


この詩は小説の筋書きと登場人物を反映している。

  • ギャツビーがデイジーを口説き落とす方法は、まさに金の帽子をかぶって元気いっぱいの恋人のやり方で、彼女が来てくれるかもしれないという漠然とした希望を抱いて隣に巨大な邸宅を購入したり、毎週パーティーを開いたりと、何でも試そうと必死になっている。
  • 自分のイメージを磨く方法として帽子をかぶるという考えは、まさにギャツビーが「オックスフォードの男」というペルソナを採用する際に行ったことであり、彼が俳優やペテン師として描写されることもあることと関係しています。(ニックはギャツビーを「あらゆる毛穴からおがくずが漏れているターバンを巻いた「人物」」(4.31) と呼び、一方、第 3 章では、フクロウのメガネをかけたパーティーのゲストがギャツビーを有名な劇場プロデューサーのデイビッド・ベラスコと比較しています。)
  • この詩は、デイジーの代わりを務める「彼女」というキャラクターを通じて小説ともつながっています。この詩の「彼女」は、感銘を与えて心を掴むべき人物であり、何かを学ぶべき人物ではないことに注意することが重要です。小説のデイジーと同じように、この詩の「彼女」は人物ではなく、賞品や目標です。

 

トーマス・パーク・ダンヴィリエ

なんと、ダンビリエのような詩人は存在しないのです。フィッツジェラルドがダンビリエを創作し、この詩も創作したのです。


実際、ダンビリエは、プリンストンを題材にしたフィッツジェラルドの初期の小説『楽園のこちら側』では脇役として登場する。その本では、主人公は才能ある詩人であるダンビリエと親しくなるが、彼の詩は現実の問題や不快な側面を無視する傾向がある。


ここで、この詩人の偽名と創作されたペルソナもギャツビーの旅と結びつき、アイデンティティの可変性という小説の主要テーマに関係しています。ジェームズ・ギャツは魅力的なジェイ・ギャツビーに変身し、この詩人はフィッツジェラルドの偽のアイデンティティです。


 


本文の詩.jpgそれで、ダンビリエはフィッツジェラルドの友人である詩人のジョン・ピール・ビショップをモデルにしているわけですね。実在の人物がフィッツジェラルドの碑文となるような何かを書いたのではないですか?


 


拍手

PR

沖縄の9月の平均気温は観測史上最高に

9月の平均気温が高かったことは、私も体感していた。去年までにくらべてクーラーの使用頻度が何倍にもなり、電気代がえらくかかったのである。そして雨も多かった。これは海水温の上昇で水蒸気が増加した(雲量が増えた)ためだろう。それは現在、10月に入っても続いている。
その原因は、毎度言うが、地軸の傾きの変化によって地球全体の気候帯が変化したというのが私の説で、海流の動きの変化や海流の一部の団塊(エルニーニョ、ラニーニャ)の出現はその結果にすぎない。つまり、根本原因は地軸の傾きの変化による気候帯変動であって、地球全体が温暖化したのではない。太平洋側と大西洋側では気候変化の様相が違うし、二酸化炭素原因説など愚論中の愚論だろう。

(以下引用)赤字は徽宗による強調。


 沖縄気象台は1日、沖縄地方の9月の地域平均気温平年差がプラス1.2度となり、統計を開始した1946年以降、9月として過去最高を記録したと発表した。2024年の同平年差の記録更新は4、7月に続いて3回目。


 与那国島では5日に9月として観測史上最高の34.6度、石垣市盛山で33.9度を記録した。


 海面水温は速報値で、東シナ海南部で29.6度、沖縄の南で30.3度を観測し、いずれも9月として歴代1位となった。


 沖縄地方では、日本付近で亜熱帯ジェット気流が持続的に北に位置したことで上空の暖かい空気に覆われやすかった。記録的な高温となった7月以降、強い日射の影響と、台風によるかき混ぜ効果が小さかったことが高温の要因となった。


 春まで続いたエルニーニョ現象からラニーニャ現象への推移によって、地球規模で中緯度帯が高温になっており、地球温暖化の影響も背景にあるとみられる。


 (中村優希)

拍手

Money Gameとしてのオリンピックの終了

「大摩邇」から転載。
爽やかな気分にさせる記事である。これでオリンピックに限らず、スポーツのマネーゲーム化は終わるだろう。その後は、個々人が趣味で安上がりにやればいいのである。プロスポーツ選手は猿回しの猿の役を続けたいか?

(以下引用)

トヨタまでスポンサー撤退で商業五輪「終わりの始まり」…章男会長「政治色も強くなり」とバッサリ

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/27286938/
<転載開始>


トヨタの豊田社長(当時=左)とIOCのバッハ会長(2015年3月)/(C)共同通信社

写真拡大



 見限られた──と言っても過言ではない。


【もっと読む】五輪ニッポン スポーツ団体が続出破産危機…引き金を引いたのはJOC


 26日、トヨタが国際オリンピック委員会(IOC)とのスポンサー契約をパリ五輪限りで、更新はしないことを正式に発表した。


 トヨタはIOCと2015年から今年までの10年契約を結んでおり、その額は約1300億円ともいわれていた。トヨタの五輪撤退は以前からささやかれており、今月の全米ディーラー大会で、豊田章男会長が「スポンサーを降りる」と発表。26日、豊田会長は改めて自社メディア内のインタビューで「(現在の五輪は)アスリートファーストなのかな?」と日程や競技時間などを疑問視。さらに「政治色も強くなり、ずっと疑問に思っていた」と撤退理由を語った。

 アスリートへの支援は今後も続けるというが、五輪から手を引いた企業はトヨタだけではない。1987年から37年間にわたってIOCとスポンサー契約を結んでいたパナソニックも去る10日、今年限りの撤退を表明した。


 国外でも米国のマクドナルドとバドワイザーが16年リオ五輪を最後に契約を更新せず。世界的企業が次々に五輪から離れているのだ。


 21年の東京大会がそうだったように、五輪をめぐっては開催各国で汚職疑惑が絶えない。さらにパリ五輪では不可解な判定が頻発し、開会式も「醜悪だ」と大不評。特にキリスト教を揶揄した演出は欧米人の逆鱗に触れ、これを理由に米通信会社が広告から撤退。IOCが公式に謝罪するハメになった。



 スポーツライターの津田俊樹氏が言う。


「世界的企業ともなれば、ビジネスに敏感。五輪を支援するメリットがない、費用対効果が薄い、企業理念とかけ離れている、となれば撤退も当然でしょう。IOCとしても安穏としていられませんよ。彼らの収入は放映権料とスポンサーの2本柱。その1本が細くなり、五輪のイメージ自体も凋落している。とはいえ、IOCが危機感を抱いているかは疑問です。なにせ、IOC委員は『五輪貴族』と呼ばれるように、チヤホヤされることに慣れ切っているVIPの集まりですからね。当然、自ら頭を下げてスポンサー集めをする、という発想があるかどうか。その意味では、次のIOC会長は責任重大と言えます」


 くしくも次の28年五輪の舞台は、商業五輪の原点となった84年大会と同じロサンゼルス。商業五輪の終焉の始まりとなるかもしれない。


  ◇  ◇  ◇


 IOCもさることながら、日本のスポーツ団体も窮地に立たされている。JOCの「新指針」によって「破産ラッシュ」の危機だという。いったいどういうことなのか。パリ五輪の熱狂も冷めやらぬ中、何が起きているのか。


●関連記事【もっと読む】…では、それらについて詳しく報じている。


五輪最高位スポンサー、ブリヂストンも年内で契約終了…トヨタとパナソニック含め日本の全3社撤退



ブリヂストン

写真拡大



 ブリヂストンは1日、国際オリンピック委員会(IOC)と結んでいる最高位のスポンサー契約を、期限の2024年末で終了すると発表した。


 最高位スポンサーの契約は、トヨタ自動車パナソニックホールディングスも年内で終了すると発表しており、日本企業3社は全て撤退する。


 ブリヂストンは14年から契約を結んでいた。今後は「持続可能なモータースポーツ活動に注力していく」と説明している。


 IOCの最高位スポンサーになると、世界で製品やブランドの認知度向上が期待できるが、多額のスポンサー料が負担になっている。


拍手

「石破評」に見るchat GPTの判断の優秀さ

「隠居爺の世迷言」記事で、自分は石破総理誕生を予感していたという自画自賛があったりして、少し下品だから他の部分は省略する。いつもは品のいい隠居爺氏だのに、自分のブログ人気順位を上げたいというスケベ心でも出てきたかwww
引用したチャットGPTのコメント内容は実に的を射ていると思う。なるほど、集合知というのは馬鹿にできない。これからはAIに国政を任せたほうがいいのではないかwww (国政は膨大で曖昧な因子があるからAIには無理だろうが、裁判ははっきり、AIのほうが人間よりマシだろう。ただし、証拠は検察提出のものではなく、すべての証拠をAIに投入して判断させること。)

(以下引用)


 ところで、石破茂が自民党から嫌われる理由は分かりましたが、国民の人気がなぜ高いのかについては、はっきりしたことが分かりませんでした。ただ自民党議員の中では比較的まともだと思える点は、どうやら自分で考えてものを言っていると思われるところです。その意味では、岸田総理と正反対になります。岸田総理は自分の言っていることが何を意味しているのかを自分では理解していない人でしたからね。それゆえ、とんでもない非常識なことを言うことも、することもできたわけです。

 私がネットを検索しても、国民の人気が高いことについてはっきりした理由が見つかりませんでしたので、ChatGPTに聞いてみました。すると意外なことに、「強硬派や保守的な意見に対しても、率直に意見を述べる姿勢」「一貫した主張を持ちながらも、現実的な視点から議論を進める」「論理的かつ冷静に話す」「地方の声をしっかりと代弁する姿勢」「自民党内での対抗軸としての存在」「古い政治のしがらみを打破しようとする姿勢」などと、ずいぶんの高評価でした。

 誰かChatGPTをしつけたのでしょうか。今の世の中データの書き換えくらいいくらでもしますからね。あくまで参考の一つにしかなりません。ただ、私としては安倍元総理が憎んでいた人が石破茂だと知った上でこの評価ですから、大分イメージが良くなりました。少し期待が持てます。

拍手

good morning と old sport

「偉大なるギャッツビー」を(もちろん翻訳で)読んでいて、途中でギャッツビーの発言を翻訳者が「おはようございます」と訳していて、少し不思議に思って、英語には基本的に敬語は無いだろうし、特に「おはよう」と「おはようございます」の違いは無いのではないかと思って原書を調べると、やはり普通の「Good morning」であり、その後に「Sir」などを付けているわけでもない。
これは、訳者が、ギャッツビーの口調の馬鹿丁寧さを日本語に出すための工夫だろうとは思うが、まあ、その程度の工夫は普通である。
英語というのはある面不思議であり、「good morning」とは、誰にとって、どういう意味で「良い朝」なのか、私などは気になる。雨が降っていても台風でも良い朝なのか、挨拶された当人の状況が最悪(たとえば親族に死なれたばかり)でも「良い朝です」と挨拶するのか。かと言って「bad morning」と言うわけにもいかないだろう。まあ、おそらくこれは短縮された祈願文で「あなたにとって今朝が、そして今日が良い朝であり良い日でありますように」の意味なのだろう。

で、二番目の問題。この「good morning」に続けて、ギャッツビーは相手に「old sport」と呼びかけるのだが、これがまた大問題なのである。私が読んでいる本の訳者はこれを、この場面では訳していないし、かなり前の、語り手とギャッツビーが初対面する箇所でも訳していない。これは親しみを籠めた呼びかけらしいが、ギャッツビー独特の言葉として有名なようだ。確か、「ライ麦畑でつかまえて」でも、語り手(主人公)が「偉大なるギャッツビー」は割と好きだ、と言った後、ギャッツビーのこの口癖に言及していた。訳は「旧友」だったか「親友」だったか忘れた。

今、この言葉について調べて最初に見つけたコラムがわりと詳しいので、転載する。ただし、その意見(「貴公」という訳。あるいは「お前さん」という訳)に私は同感していないし、コラム名も忘れた。まあ、とりあえず私なら「あなた」と普通の敬語で訳す。これは下の引用文に出て来るトム・ブキャナンのような大金持ちで傲慢な男には「敬意が足りない」と激怒させる程度の敬語だろう。長屋の熊さん八さんやそのおかみさんのような「お前さん」では、ギャッツビーの過度の丁重さがかえって周囲の侮蔑を買っていることと合わない。人間は、こちらが下手に出ると増長する生き物なのである。「貴公」など、時代劇かよwww


(以下引用)

スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald)④

  • 2011-09-16 (Fri) 10:13
  •  
  • 総合

 ”The Great Gatsby” の中でギャッツビーは “old sport” という呼びかけを多用している。何と訳せばいいのだろう。この作品は若者に人気のある作品だけに今なお新訳が刊行されているようだ。確か村上春樹氏の新訳本ではあえて日本語に訳することはせず、「オールド・スポート」と記していたような記憶がある。これも一つの訳し方だとは思うが、それでも、「日本語」としては意味をなさない呼びかけであることに変わりはない。
 私が使っている電子辞書の英英辞典にはこの表現は「主に男同士で親しい間柄で使う呼びかけ」と紹介されている。「マイフレンド」といった表現では不十分なようだ。私は何となく「お前さん」という表現が頭に浮かんだ。夫婦関係で使われる「お前さん」ではない。ある程度の親しい関係にあり、使う方が多少なりとも年長、優位な立場にある時に使われる「お前さん」だ。例えば、ギャッツビーがニックに向かって次のように言う時は、「お前さん」がぴったりとも思えないでもない。“If you want anything just ask for it, old sport.” (欲しいものは何なりと声をかけてくれ、お前さん)null
 「お前さん」という呼びかけはそう呼ばれることに相手が不快感を抱くような場合は使えない。”old sport” が「お前さん」と「似ているかな」と思ったのは、恋敵の金持ちの男、トム・ブキャナンがギャッツビーからこう呼ばれて激怒するシーンに出くわした時だ。
 “Don’t you call me ‘old sport’!” cried Tom. Gatsby said nothing.(「俺のことを『お前さん』などと呼んでくれるな!」とトムは叫んだ。ギャッツビーは何も答えなかった) 
 この応酬の前にも、トムとギャッツビーの間で次のようなやり取りがある。
 “That’s a great expression of yours, isn’t it?” said Tom sharply.
 “What is?”
 “All this ‘old sport’ business. Where’d you pick that up?”
 
 「それはあんたのすげー表現だな。思うに」とトムはとげとげしい口調で言った。
 「え、何がだい?」
 「さっきからあんたが口にしている『お前さん』って物言いだよ。いったいどこで覚えてきたんだい?」
 
 この旅を始めてからも多くの場所でアメリカの人たちに、この表現について尋ねてみた。誰もが認めるのは、意味は分かるが、もう誰も今はこんな表現などしないということだった。さらに、もし誰かがこういう呼びかけ仲間内でしているのを耳にしたなら、「あいつ、なんだか気取った物言いをしているな。偉そうに」と思うかもしれないということだった。
 ギャッツビーがあえてこの呼びかけに固執したのは、当時のイングランドの上流階級のような物言いをすることで、自分の貧しい出自を「薄め」、周囲に「成金」と思われたくないという思惑があったからではないか。
 私の現時点での結論は “old sport” は「貴公」と訳すべしだ。
 




拍手

娯楽としての思考(「ラ・レッセー・イデン」のこと)

私の別ブログの過去記事を読んでみると、我ながら面白いので、その中のひとつを転載する。
つまり、娯楽としての妄想(分析作業)の面白さだ。

描くと同時に消える絵具で描いた名画

という表現は、我ながら好きな表現だ。誰の思考の中にもそういう「消えた名画」が膨大にあるだろう。「水の上に描いた絵」でもいい。

(以下引用)

大島弓子が天才であり、漫画界の詩人であることは前に書いたかもしれないが、その作品のタイトルを見ただけでもそれは分かるだろう。
ここでは、彼女の語感(音感)の素晴らしさを示す事例を挙げる。

「雨の音が聞こえる」は、それ自体、素晴らしいタイトルだが、これは八木重吉の詩の題名を借りたものだから、それ自体は措いておく。
ここで紹介するのは、この漫画に副題として付いている「ラ・レッセー・イデン」である。
私は、初読の時に、このフランス語めいた副題の意味は何か、とだいぶ考えたが、フランス語の辞書は持っていないので、調べることもできず、また持っていても綴りを知らないのだから調べられなかっただろう。だが、程なく、私はこれが大島弓子の冗談だと気付いたのである。
いや、私の間違いであるかもしれないが、これは、「劣性遺伝」に、フランス語の冠詞めいた「ラ」をつけてフランス語のように見せたイタズラだったと思う。
実際、この短編の内容は、劣性遺伝(こんな雑文に正確さを求める人はいないと思うが、念のために言えば、生物学的な意味の劣性遺伝ではなく、劣等な能力を遺伝したという意味である。)と、それに起因する劣等感の話なのである。その副題が「劣性遺伝」であるのは当を得ているのではないか。ただ、それが「劣性遺伝」の意味だと理解できた読者が何人いたか。そこが、高度なイタズラだと思う。ネット時代の今とは違い、この「発見」を公にする手段を持つ読者もほとんどいなかったのだから、いわば、描くと同時に消える絵具で描いた名画のようなものだ。誰に伝わらなくてもかまわないわけである。
それはともかく、ここで強調したいのは、大島弓子の音感の素晴らしさだ。日本語は語尾がほとんど母音になる特質がある。その例外の語尾が長音と撥音である。「劣性」の語尾を長音にして「レッセー」としたら、「遺伝」の語尾は撥音であるから、「レッセー・イデン」は日本語らしさを持たない言葉になる。そこに、フランス語の冠詞めいた「ラ」を付ければ、これをフランス語だと思うのは自然の成り行きである。実に高度な言語操作だと思う。

拍手

石破の基本政策

他のメディアや記事でも既報だと思うが、石破の基本方針は下のようなものらしい。
東海アマ氏のような原理主義者(思考に融通性ゼロの人)は、この中の「原発容認」だけで、「石破は日本の敵だ」と言いかねないが、私は、「原発がすでにこれだけある以上、その廃棄もほぼ不可能だろう。拡大阻止の上で、段階的廃棄をするしかない」という考えだ。まあ、その途中でまた原発事故が起こる可能性は高いが、もはやそれは不可避の運命に近いだろう。つまり、原発を作った時点で日本の運命は基本的に決まっているわけだ。
私が高く評価するのは「防災庁(将来は防災省)」の設立である。ここ数十年の日本の災害は自然災害だけであり、あとは金融災害など、金持ちだけに関わる些事である。つまり、自然災害への対処をきちんとやれば、為政者の仕事の半分は終わりで、後は庶民の生活水準を上げるだけが仕事である。その後者も、彼は政策に入れている。つまり、何も文句のつけようはない。
問題は、米国に操られて中国との戦争に放り込まれる可能性もあることだけだ。


面白いのは、これまで政府批判、自民党批判が多かったネットの政治論者(素人評論家)のほとんどが、私を含め、石破新総理に好意的なことだ。つまり、石破総理の誕生は、ある意味野党が政権を取ったのと同じであるわけだ。だから高市など「統一教会系議員」は離党して新党立ち上げも考えているという話である。しかし、自民党統一教会汚染(あるいはグローバリズム、ユダ金汚染)の中で石破総理の誕生は、ほぼ奇跡だったと思う。(岸田のアシストは超ファインプレーである。)
これで、日本国民の野党支持者のかなりな割合が自民党支持になると思う。つまり、次の国政選挙で自民党大敗の予想をネットでわめいているネトウヨ(統一教会工作員)の発言とは逆に、自民党が大勝すると私は予測する。まあ、あまり大勝すると、野党が消滅し、野党の消滅は与党独裁となって民主主義の否定ではあるのだが、もともと機能していなかった野党は消えてもいいかwww

(以下「大摩邇」記事から引用)


石破さんはこんなことを言ってます。




拍手

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析