木下順二の「古典を訳す」から、中江兆民の「三酔人経綸問答」(1887年、明治20年の出版)の一節を転載する。
(以下引用)冒頭の「彼ら」は日本の敵対国一般のこと。赤字、青字、太字は夢人による強調。
このとき二人の客人声をそろえ言葉も同じに、「もし彼ら、いつの日にか猛然として襲い来たった場合、先生はそもいかなる態度でこれを迎えられるおつもりですか」
南海先生いわく、「彼らもし他国の批判に気を兼ねず、国際法に遠慮もせず、議会の論議に耳をかさず、邪心をもって襲いくる時は、われらはただ力のかぎり抵抗し、国民すべて兵士となり、あるいは要害に拠って固く守り、あるいは不意をついて進撃し、進み退き出で隠れ、千変万化予測を許さず、しかも敵はよそ者、こちらは主人、敵は不義なりこちらは正義だ。我が将校わが兵卒、敵愾心をいよいよ高揚するならば、なんで自力防衛できない理屈があるものか。この点軍人の職にある者は、まさに奇想天外の戦術あってしかるべし。
かつまた、わがアジアの軍隊は、結局欧州の軍隊に相かなわんというのであれば、紳士君のいう民主国、豪傑君のいう新大国、いずれも陥落するほかないわけだ。僕にしても、別に妙案あるわけではない。いや僕だけのことではない。英、仏、その他の国々がたがいに攻め守るについても、また別に妙案あるわけではない。要するところ、わがアジア諸国の軍隊は、もって侵略しようとするには不十分でも、もって防衛するには十二分だ。ゆえにおおいに平生から訓練し演習し、鋭気を養っておくならば、なんで自力防衛できない恐れがあるものか。なんで紳士君の言のとおりに、なすところなく殺されるのを待っている手があるものか。なんで豪傑君の論のとおりに、隣国の恨みをかう必要があるものか。
そもそも豪傑君が先にいったアフリカだかアジアだかのさる大国というのがどの国を指すのか、僕にはいっこうにわからない。
ただその大国なるもの、もしアジアにあるのであったなら、これはさっそく相ともに結んで同盟国となり、すわとなれば相助けて、もってそれぞれ自国の危急を救うべきだ。やたらと武器をふりまわして軽々しく隣国を挑発し、罪なき人民の命を弾丸の的にするなどというのは、もっとも愚劣の策である。
かの中国のごときは、その風俗風習からいっても、その文物品格からいっても、また地理的に申しても、われらアジアの小国たるものまさに友好を強め交わりを固くし、つとめて恨みを押しつけあったりなどせぬよう、心がけねばならんのである。わが国ますます産物をふやし物資を豊かにするならば、中国の国土は広大、人民は無数、実にわが国の一大市場であって、湧いて尽きることのない利益の源泉だ。この点を考えもせず、当面国威を発揚したいばっかりに、些細な言葉の行き違いを口実にむやみと喧嘩をあおりたてるがごとき、僕はもっとも愚劣の策だと見る。
論者によってはこんなことをいう。中国にはもともとわが国に恨みをはらそうと欲すること久しい。こっちがたとえ礼を厚くし友好を強め相ともに結ぶことを求めても、いま一つの小国との関係からして、あっちは常に憤懣の情を抱いておるから、いったん機会さえあったなら、欧州の強国と共謀し約を結んでわが国を排斥、強国の餌食に供しておいて自分の利益を計ろうとするようなことがないとはいえないと。
僕として考えるに、中国が思っていること、そんなとこまで行ってはいない。多くの場合、国と国とが恨みを抱く理由というのは、事実に存せずデマに存する。事実を見通してさえおればすこしも疑う必要がないのに、デマから憶測する時はまことにただごとならずと見える。ゆえに各国たがいに疑うというのは各国の神経衰弱だ。青眼鏡をかけてものを見るなら、見るものすべて青色ならざるはなし、僕常に、外交関係者の眼鏡が無色透明でないことを憐れんでおる。
このようなしだいで、二国が戦端を開くというのは、たがいに戦争を好むがゆえにしかするのではなく、まさに戦争を怖れるがゆえにしかするのである。こっちがあっちをこわがって急に軍備を整えると、あっちもこっちをこわがって急に軍備を整えて、あっちとこっちの神経衰弱、月日とともに高まり強まり、そこへまた新聞なるものがあり、各国の事実とデマをならべたてて無差別に、ひどい時は自分自身神経衰弱になって書きまくり、一種異様に脚色してこれを世間に撒き散らしよる。ここにいたると、たがいにこわがっておった例の二国の神経はますます錯乱して思うようには、先んずれば人を制す、むしろこっちから仕掛けるにしかずと。ここにいたって例の二国は、戦争をこわがるの思い一挙に極点に達して戦端おのずから二国の間に開かれるということになる。これ古今、万国、戦争を開くにあたっての実情です。もし一方の国が神経衰弱ならざる時はたいてい戦争にまでなることはなく、もしまた戦争にたちいたっても、その国の戦略はかならず防衛を主としてゆとりあり、正義という名分も保ち得るゆえ、文明史の上において、けっして非難を受けることがないのである。
(中略)
以上要するに外交上の良策とは、
世界いずれの国といわずたがいに友好を強め、万やむを得ぬことになっても防衛の戦略を守り、遠征出兵の労苦失費を避けて、つとめて人民の肩の荷を軽くしてやること、これである。