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気の赴くままにつれづれと。
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「議論じゃありませんよ。いまの私は、地球のなかの長岡藩をどうしようかといろいろ苦心惨憺の試案を練っているところだ。その思案のたすけをほうぼうにもとめている」
「どうもあれだな、河井さんをこのようにお見掛けするところ地球の宰相でもつとまりそうな面構えだが、心掛けているところがどうも蚤のように小さい」
「それが私のいいところだと思っている」
「とにかく福沢さんは、京都中心の日本が出来上がることに賛成ですな」
と、継之助がいった。福沢諭吉はキセルに莨(たばこ)をつめながら、
「かついでいるやつ(薩長)が」
といった。
「気に食わないが、しかし私はあくまでも立君制度(モナルキー)がいいと思っているから、本筋は賛成だ。モナルキーならば文明を吸収する力をもつ」
「私はドイツ連邦というのをすこしも知らないが、徳川家中心の大名同盟、ということではどうにもなりませんか」
「なりませんな。貴族というものが国の梶をとることができた時代は日本でもヨーロッパでも遠い昔になりましたよ。大名同盟(アリストクラシー)では貿易上大いにわずらわしくなり、万国公法という立場からも列国が相手にしなくなるでしょう。結局は経済上の必要から統一というところへゆく。統一するほうがいいが、統一される方は黙っちゃいないから、雄藩同士の大喧嘩になる。戦争でさ。内乱が大いにおこり、日本の独立派なくなり、とてものこと、世界の進運についてゆけない」
「なるほど」
継之助はおだやかに相槌を打った。おだやかにきかねば福沢の意見がひきだせないからである。
「それに、大名同盟というのは要するに封建制だ。こいつはこんにちでは正気の制度じゃありませんぜ」
「そうでしょうな」
この点は、継之助はそう思う
「天子の政府はもはやみとめざるをえない」
という大前提が、どの江戸派にもある。情勢が転換した以上やむをえないものだとおもっており、日本人らしい諦めの速さが心理的理由になっている。さらに江戸時代武士の教養は朱子学であり、朱子学の根本思想のひとつは尊王賤覇(王室を尊しとし、武力政権をいやしいものとする)であり、思想として京の天子の反抗者になるという者はたれもいない。尊王思想に対立するほど大きな思想(たとえば共和思想)などはこの時代にはなかったのである。
引用元:
1: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:11:25 ID:N8k7
悲しいなぁ
3: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:12:04 ID:N8k7
結局要領のいい奴は得やね
4: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:12:22 ID:N8k7
ええんか?
2: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:12:04 ID:LjzK
そらほとんどが卒業するために受けてるんやから
5: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:12:45 ID:Tn9x
そんなもんやで
6: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:12:48 ID:7qGR
ピ逃げはトッモ同士で回すからなんだかんだ授業出る定期
7: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:13:47 ID:N8k7
>>6
たし?
9: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:14:15 ID:VpLf
>>6
群体なんやなあいつらは
8: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:14:05 ID:9QH1
ぴにげってなんや
12: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:14:37 ID:N8k7
>>8
出席して即帰るらしい
19: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:16:45 ID:9QH1
>>12
ほ~ん
ワイの大学は出席カード配るタイプやったわ
10: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:14:23 ID:Oodt
先輩から過去問もらって点取るだけだからな
13: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:14:44 ID:bh9H
大学の教授が言うてたけど大講義ほど安上がりで少人数の授業が結構金かかる言うてたわ
つまり大講義ばっかりな商学部とかは安上がりで少人数授業ばかりの人文やら化学系が採算取れないらしい
15: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:15:12 ID:bQ80
>>13
1ミリも関係ない話で草
18: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:16:42 ID:bh9H
>>15
授業で習ったばかりだから知ったかぶりしたかったの?
17: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:16:35 ID:N8k7
毎回授業受けてる奴居らんよなwww?
24: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:17:29 ID:W4Fg
>>17
出席点の比率デカいのは受けてるわ
20: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:16:49 ID:LjzK
めっちゃ暇な時他学部の授業無断で受けるの楽しいわ
義務で受けるのとは違うから
22: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:17:17 ID:Rg1x
ピッ投げ知らんってガチで闇深いな
高卒ならともかく大卒でピッ逃げ知らんかったら4年間ぼっちやったって吐露してるようなもん
46: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:20:54 ID:Zw1z
>>22
カードリーダー無い大学も珍しくないぞ
25: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:17:30 ID:lE99
出席カードだけ書いて即帰るあれピ逃げって言うんか
代返ならともかく教室まで行って授業受けたくないんか
27: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:18:11 ID:N8k7
>>25
普通は友達と交代してやるやろって話やね
28: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:18:17 ID:9QH1
最初に配る授業とかなかったけどな
大体途中か最後に配られた
ちな早慶
30: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:19:06 ID:B67X
ピ逃げってなんや?
40: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:20:08 ID:bh9H
学生証のicを読み込んだ後そのままサボるあれやろ
今時出席点はあまり考慮せんのやないの
>>30
35: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:19:42 ID:kn9j
31歳だけどワイの時代にピ逃げなんて無かったわ
43: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:20:22 ID:Rg1x
>>35
おっさんやんけ
そりゃないわ
学生カードIC化されてなさそう
47: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:20:54 ID:kn9j
>>43
されてないな
学生カードで出席確認なんてしないわね
49: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:21:21 ID:VpLf
>>35
大学とか学部、講義によっては未だに出席に紙使うやろうし、知らん人いても全然おかしくないと思うんやけどね
なんか必死なのがいるわね
39: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:20:05 ID:B1A9
ほとんどの大学って要領の良さを磨く場になっとるもんな
研究だけしましたってチーズは全く重宝されないという
45: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:20:50 ID:z2Ux
ワイの通ってた所は紙の出席カードやから
筆跡的にバレるやろうしそういうの無理そうや
48: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:21:01 ID:4j0o
大卒の証明を取るためだけに行ってたわ
50: 名無しさん@おーぷん 22/06/14(火) 09:21:24 ID:LjzK
ワイの大学必修多すぎるのと単位取りにくいから毎日ちゃんと受けてるで?
アドレノクロム | |
---|---|
![]() | |
![]() | |
識別情報 | |
CAS登録番号 | 54-06-8 ![]() |
PubChem | 5898 |
ChemSpider | 5687 ![]() |
特性 | |
化学式 | C9H9NO3 |
モル質量 | 179.17 g mol−1 |
密度 | 3.264 g/cm3 |
沸点 | 115 °C, 388 K, 239 °F |
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。 |
アドレノクロム(英語: Adrenochrome)は、アドレナリン(エピネフリン)の酸化によって生成される分子式C9H9NO3の化合物。誘導体のカルバゾクロムは止血薬として用いられる。化学名は類似しているがクロムとは無関係である。
アドレノクロムは、前駆体であるアドレナリンの酸化で生成される化合物である。化学式はC9H9NO3である。プロカインなど局所麻酔の使用時に血管収縮剤としてアドレナリンが用いられる際の局所的な止血作用は、アドレノクロムによるもので、実際研究によってアドレノクロムは出血時間短縮の効果があることが判明している[1][2]。乾燥状態だと赤色もしくは赤紫色で、溶液中にはピンク色で検出されるが、重合すると茶色に変わる。
不安定な化合物で、特に人体の組成に近いpH7.3、37℃などの状況下で分解がみられる。生体内ではアドレナリンの酸化のみで生成されるが、生体外ではカテコール酸化酵素もしくは酸化銀 (Ag2O) や赤血塩が酸化剤として使用されている[3][4]。不安定性からアドレノクロムの5位をセミカルバゾンにしたカルバゾクロムが開発されたが、水に難溶性で治療効果が上がらなかった[2]。
1937年にデイビッド・グリーン (David E. Green) らがカテコールオキシダーゼを用いて得たのが初とされる[4]。1960年代にジュリアス・アクセルロッドがアドレナリンの代謝の研究に当たって代謝産物としてのアドレノクロム及びその原因酵素を発見したことを報告している[5]。
1950 - 60年代に15人以下の被験者を用いて行われた数回の小規模な研究では、アドレノクロムが思考障害や現実感消失症などの精神病反応を引き起こしたという報告がなされた[6]。カナダのエイブラム・ホッファー及びイギリスのハンフリー・オズモンド (Humphry Osmond)、ジョン・スミシーズ (John Raymond Smythies) らの研究によれば、アドレノクロムは神経毒性および精神異常発現性物質であり、統合失調症などの精神疾患を引き起こす可能性があるといわれている[7]。彼らは「アドレノクロム仮説」と呼び[8]、ビタミンCとナイアシンの大量投与で脳内のアドレノクロムを減らして統合失調症を治すことが可能だと推測した(オーソモレキュラー療法)[9][10]。しかし、そのような強力な抗酸化剤による統合失調症の治療は非常に物議を醸した。1973年にアメリカ精神医学会は、ホッファーらの提唱するナイアシンを用いた統合失調症治療の研究に方法論的欠陥があったことを報告し、治療の効果を裏付けない追跡研究についても言及した[11]。 米国、カナダおよびオーストラリアでの追加の研究でも同様に統合失調症治療としてのメガビタミン療法の効果は確認できなかった[12][13][14]。こうして精神異常発現性物質の可能性があるという証拠が多少あったにもかかわらず、統合失調症ではアドレノクロムが確認できなかったため、「アドレノクロム仮説」は衰退した。
2000年代初頭、アドレノクロムはニューロメラニン形成の中間体として通常生成される可能性があることがわかり、再び脚光を浴びた。アドレノクロムは少なくとも部分的にはグルタチオン-S-トランスフェラーゼによって解毒されることから、この発見の重要性は高いと言えるが、しかし一方で複数の研究ではこの酵素の遺伝的欠陥が発見された[15]。
アドレノクロムは主にその止血効果が利用される。しかし不安定な物質でアドレノクロム自体を応用するのは困難であるため、一層安定性のが高いアドレノクロムモノアミノグアニジンやアドレノクロムモノセミカルバゾンが開発され[1][16]、血管強化剤として使用されるようになった。しかし上述の通り水に難溶性であったため1956年にカルバゾクロムスルホン酸ナトリウムが開発されて血管強化剤として利用されている[1][2]。
研究用の試薬として実験に用いられることも多い。日本では富士フイルム和光純薬株式会社が「D,L-Adrenochrome」として販売していたが現在は終売した。製造元はToronto Research Chemicals Inc.[17]。
アメリカ合衆国の規制物質法では触れられていない。しかしアメリカ食品医薬品局によって承認された医薬品ではないので、もし栄養補助食品として生産する場合は適正製造基準に準ずる必要がある[18]。
12世紀の中国・南宋の儒学者だった朱熹(しゅき)によって構築された、儒教の新しい体系「朱子学」。この名称はもっぱら日本で使われていて、中国では朱熹の先駆者である北宋の儒学者、程頤(ていい)とあわせて「程朱学」と呼ぶのが一般的です。
朱熹は孔子に代表される古典や宋学に加えて、従来の儒学では考えられていなかった宇宙や世界などの概念を取り込み、儒教の再構築を図りました。
朱子学の基本は、世の中のすべてのものや事柄は「理」と「気」の2つからなるとする「理気二元論」というものです。「理」は万物がこの世に存在する根拠を指し、「気」は万物を構成する物質を指します。
両者はまったく別の存在ですが、お互いに単独では存在することができず、付かず離れずの距離で相互に作用しあう「不離不雑」の関係とされています。
また「気」は常に運動しているもので、運動量の大きな時を「陽」、小さな時を「陰」と呼びました。陰陽の2つの気が凝集して火・土・木・金・水の「五行」となり、その組み合わせによって万物が生み出されるとしたのです。「理」は根本的なもので、これらの「気」の運動に対し秩序を与える存在だと考えられました。
この「理気二元論」から朱熹が導き出したのが、「性即理説」です。「性」は人間の本質で、静かな状態のもの。「性」は「理」であるとしました。
しかしこの「性」が動くことで「情」となり、動きが激しくなってバランスを崩すと「欲」になると考え、「情」は「気」であるとしています。
また「欲」は悪であり、人は絶えず「情」をコントロールし、「性」に戻す努力をする必要があると説いているのです。
13世紀のなかばになると朱子学は科挙試験に採用されるようになり、さらに明の時代には国家認定の学問となって中国で広く学ばれるようになりました。
しかしそれは、朱熹が目指していた学問の姿からはほど遠く、科挙に合格するための勉強となってしまいます。成績のよい者が優遇される学歴社会、官僚社会を生み出すもととなってしまいました。
また「理」や「礼」を重んじる朱子学は、統治する側にとって都合のよいものとされ、社会の秩序を統制するために利用されるようになってしまいます。
古来より中国では、「諸子百家」と呼ばれるほど数多くの思想や学説が許容されることで、社会が発展してきたという歴史がありました。しかし朱子学が広がっていくと、それ以外の学問が排斥されるようになり、思想統制の時代へと変わっていったのです。その結果、中国社会の停滞や、ゆるやかな弱体化に繋がっていったと指摘する専門家もいます。
また朱子学は朝鮮へも伝播し、朝鮮王朝の国家統治理念として用いられました。朝鮮は高麗時代の国教であった仏教を排斥し、朱子学を唯一の国家公認の学問とします。
朱子学を学んだ知識人層は両班(やんばん)と呼ばれる身分階層を形成し、仏教だけでなく同じ儒教の一派である陽明学さえも異端として激しく弾圧しました。朝鮮では中国以上に朱子学にもとづく社会の統制が強固になり、それがかえって朝鮮の近代化を阻む要因となったともいわれています。
日本に朱子学が伝わってきたのは、鎌倉時代だといわれています。1199年に宋へ渡り、真言宗泉涌寺派の宗祖となる俊芿(しゅんじょう)によって持ち込まれたというのが一般的な説です。
鎌倉時代の後期には、五山を中心とする学僧たちの基礎的な学問として広がっていたよう。後醍醐天皇や楠木正成も熱心に学んでいて、鎌倉幕府の滅亡から建武の新政にかけて、朱子学にもとづいていると考えられる行動が多く見られました。
室町時代には1度下火になりますが、江戸時代に入ると初代将軍の徳川家康に登用された林羅山(はやしらざん)によって再興され、幕藩体制の基礎理念として幕府公認の学問となります。
5代将軍の徳川綱吉は、朱子学を講じる湯島聖堂を建設。さらに11代将軍の徳川家斉に仕えた松平定信が「寛政異学の禁」で朱子学以外の学問を規制するなど、日本における全盛期を迎えます。
しかし皮肉なことに、幕府が後押しをしたことで「天皇を中心とした国造りをするべきだ」という尊王論が起こり、倒幕へと繋がっていくこととなりました。
朱子学とよく対比されるのが、中国の明代に王陽明が起こした「陽明学」です。朱子学が唱える「性即理」に対し、陽明学は「心即理」という考え方を唱えています。
「心即理」は、南宋時代の儒学者・陸象山(りくしょうざん)が定義したもので、朱子学が心を「性」と「情」に分け、「性」こそ「理」としたのに対し、心は分けるものではなく、「心そのもの」こそが「理」だとました。
わかりやすくまとめると、朱子学は「知の学問」で、陽明学は「心の学問」ともいえるでしょう。
権威に従い、秩序を重んじる朱子学が統治者に好まれたのに対し、権威に盲従するのではなく、自分の責任で行動する心の自由を唱えた陽明学は、自己の正義感に捉われ、秩序に反発する革命思想家に好まれる傾向がありました。
日本においても、大塩平八郎や吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛などが陽明学の影響を強く受けていたといわれています。
「大摩邇」経由で「二階堂ドットコム」記事を転載。
言うまでもなく「二階堂ドットコム」は差別と暴言の塊のようなサイトだが、ここでも「だから女は」と女性全体を一括りにするというキチガイぶりを見せている。
とは言え、村中璃子(医者だったと思う)の卑怯さ(手のひら返し)も特筆ものである。ワクチン推進派の代表であったこびナビの連中も既にこっそり逃亡したのではないか。
要するに、マスコミに出る「専門家」は、自分がよく知らないことについては「知らない」と正直に言えばいいのである。無理にどちらかの側に加担するから後でこういうみっともないことになる。(おそらくTVディレクターや編集者の指示だろうが。)
ただ、女性云々で言えば、男性よりは女性のほうが感情に任せた発言(下の「ゴキブリ」発言など)や行動が多いような気がする。それが一般的に「社会性に欠けている」「上に立つことが難しい」原因かもしれない。感情性が豊かなのは女性の長所なのであるが、組織としては弱点になるわけだ。
まあ、男性と女性にはやはり明確な違いがあると私は思っている。だからこそ両者が存在する意義もあるのであって、LGBTやらポリコレやら何だのでその違いを無くすのは愚行だろう。
(以下引用)
レーニンは、経済要求を取り上げて闘争するだけでは単なる労働組合の活動家でしかない、として、それとは違う理想的な共産主義者(当時は「社会民主主義者」とレーニンは言っていた)のスタイルを次のように語っている。
社会民主主義者の理想は、労働組合の書記ではなくて、どこでおこなわれたものであろうと、またどういう層または階級にかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察の暴力と資本主義的搾取とについての一つの絵図にまとめあげることができ…る人民の護民官でなければならない(「レーニン10巻選集」2巻、大月書店、p.82)
物質的な力は物質的な力によってたおされなければならない。しかし理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる。理論が大衆をつかみうるようになるのは、それが人に訴えかけるように論証をおこなうときであり、理論が人に訴えかけるように論証するようになるのは、それがラディカルになるときである。ラディカルであるとは、ものごとを根本からつかむことである。(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」)
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