(以下「スプートニク」から転載)
ウクライナ、ザポリージャ原発を再び砲撃=ロシア国防省

気の赴くままにつれづれと。
- 自民党は今、蜂の巣をつついたような大騒ぎでしょうね。
内田 でしょうね。内閣はとりあえず「様子見」だと思います。岸田さんは今のところは国葬で安倍派に対する配慮を示していますが、いずれ安倍派が内紛で分裂すれば、安倍派を優先的に配慮する必要もなくなってくる。それ以前に「統一教会と癒着していた議員」と「癒着していなかった議員」の間に対立が出てくると思います。「癒着していなかった議員」にしてみたらひとしなみに「自民党議員は...」と責められることは「痛くもない腹を探られる」わけですから、「誰がクロかはっきりさせてくれ」という気分になる。一方のブラックやグレーの議員たちはうっかり癒着を認めて謝罪などすると「じゃあ、議員辞職して責任を取れ」という話になりかねない。それだと解党的な危機になりかねない。だから執行部としても、そこまでは追いつめられない。「癒着議員」をなんとか「謝罪」させて、かつ「責任を取らせないで済ませる」ためにはどうしたらいいのか、それを今党執行部では頭を悩ましていると思いますよ。
- 既にそういう状況が起きているのでは? 落としどころがないわけで、程度ものによっては議員辞職しなきゃいけないですから。
内田 「赤信号みんなで渡れば怖くない」ですから、癒着していた議員たちが100人くらい全員一斉に記者会見して、そこで最敬礼して謝罪するというのがたぶん一番傷が少ない解決法だと思います。それは「全員の足並みが揃うまでは謝罪しない」ということですが、全員の足並みが揃うことなんかあり得ない。だから、最終的には、誰一人謝罪しないままぐずぐずにするつもりだと思います。
- 野党にも若干いるみたいです。立憲にも数人いたとか・・・。
内田 野党が先に「癒着議員」に詰め腹を切らせて、離党なり、議員辞職なりさせたら、自民党に対してはこのあと一気に優位に立てます。でも、その政治判断が出来ないとしたら、そこが今の立憲のダメなところですね。
(2022-07-25 08:55)
「民主国家において、感染症対策にはトロッコ問題的側面がある」と気づいてみると、私などは、なんと恐ろしい意志決定だろうと怖気づいてしまう。しかし民主国家としての年季が違う欧米諸国をみる限り、たぶん、彼らはそれをやってきているのだろう。欧米諸国が日本よりデモクラシーの意識が高いという通説に基づくなら、欧米諸国の人々は、トロッコ問題的側面があるとわかったうえで日本よりもずっと早くコロナによる自粛を緩和し、沢山の人が新型コロナウイルス感染症にやられる状況を甘受してきたってことになる。たとえ、そこにうまくいく/うまくいかないといった目算があり、その目算の当たりはずれがあるとしてもだ。
たとえばスウェーデンのコロナ政策は透明性が高い議論がなされている、と往時には盛んに報じられたものだ。透明性が高い議論が行われるってことは民主国家として褒められることのはずだし、少なくともなし崩し的に決定がなされるよりは好ましいはずだろう。しかしその透明性が高いと報じられた議論の結果として、2021年のスウェーデン人はコロナにさんざんにやられた。透明性が高い議論、民主国家として(たぶん日本に比べて)優れた意思決定の果てにそれが起こったのだとしたら、スウェーデンの人々は、自分たちがトロッコのレバーを引いたというその感触を自覚していたのだろうか?
こちらの東京新聞の記事を読む限り、スウェーデンの人々といえども、醒めた目でトロッコのレバーを引いていたとは言い切れないようにみえる。Aを選んでもBを選んでも誰かが助かって誰かが犠牲になるとわかっている選択を、醒めきった意識でやってのけるのはスウェーデンの人々にだって簡単ではないのだろう。たとえ民主国家の取り決めとしてそうなっているとしても、人間は、哲学命題の水準で実地の選択肢をそう簡単には選べない。
もちろん数字だけを見ていればそれができるかもしれないし、数字だけを見て判断しなければならない場面もあるかもしれない。そう考えると、各方面の偉い人に課せられた責務の大きさは知れない。しかし、身内に高齢者がいる人、職場で基礎疾患のある人を診ている人、経営の厳しい観光業やサービス業の身内のいる人、ひと夏をコロナに潰された子どものいる人、等々が、トロッコのレバーを引けるとはちょっと思えない。つまり人の顔が見えるのにトロッコのレバーを引くのはめちゃくちゃ難しいように思える。ポジショントークや自己中心的な動機に基づいて、やれ、自粛しろ、自粛やめろと主張するほうがある面においてよほどマトモではないだろうか。たとえそれが、民主国家の主体としてふさわしくないとしても。
感染症対策に限らず、本当は、民主国家のさまざまな決定にトロッコ問題的側面があり、たいていの選択肢が誰かを救うと同時に誰かを救えない、そういった性格のものだとしたら、民主国家の主体としての私たちは、それを醒めきった意識でいちいち決定できるものなのか。また仮に決定すべきだとして、決定するのが人間的だと言えるのか? 人間が哲学命題の水準でデザインされているならそうかもしれないが、きっと人間は哲学命題の水準でデザインされていないから、それって非人間的ではないかと思わずにいられない。だとしても、独裁を否定し、民主国家のていのもと私たちがそれをやっていかなければならず、意識していかなければならず、責任を負うていかなければならないとしたら、なんと難しいのだろう……と思う。
電子顕微鏡が発明されて、ウイルスを見ることができるようになりました。ウイルスの中でもとりわけカッコイイのが「バクテリオファージ」です。バクテリオは細菌(バクテリア)のこと、ファージは食べるという意味です。バクテリオファージは細菌に感染して増殖するウイルスの総称です。
バクテリオファージにもいろいろな種類がありますが、有名なのはT4ファージです。T4ファージの構造は頭部と尾部に分かれていて、頭部は正二十面体の形をしており、中にはDNAが入っています。尾部は中空の「さや」と、6本の足(のようなもの)からできています。月着陸船に似て機械のように見えますが、実際にファージは自分を複製するナノマシンそのものです。
ファージは「足」で細菌の表面にとりつくと、中空のさやを通じて細菌の中にDNAを注入します。細菌がもともと持っている酵素が、ファージのDNAを複製し、また、ファージのDNAがコードしているたんぱく質を合成します。細菌の中で十分な数の娘ファージができあがると、細菌は溶けて壊れ、大量の娘ファージがばらまかれます。細菌は細胞分裂によって増えるので1個→2個→4個→8個と倍々に増えますが、ファージに限らずウイルスはこうして一気に増えます。
高校の生物学の教科書にも載っている、ファージを使った有名な実験があります。いまでこそ遺伝子の本体はDNA(またはRNA)であることが知られていますが、当時は遺伝子の正体が、DNAなのかそれともたんぱく質なのか、議論がありました。DNAが遺伝物質であることを示唆する証拠があったものの、DNAは単純すぎて遺伝情報を伝えられるのか疑問視されていたのです。DNAよりもたんぱく質のほうがずっと複雑であり、遺伝子の正体としてふさわしいと考える学者も多くいました。
米国の生物学者、ハーシーとチェイスは、ファージのDNAとたんぱく質にそれぞれ放射性物質で目印をつけ、細菌の中に入るのはDNAだけで、たんぱく質はほぼ入らないことを示しました。つまり、遺伝物質はたんぱく質ではなくDNAであることを強く示唆します。ハーシーとチェイスの実験が発表されたのは1952年のことです。ちなみに、DNAの構造は二重らせんであるとクリックとワトソンが報告したのが、その翌年、1953年です。
以降、分子生物学は飛躍的に発展します。二重らせんがほどけてそれぞれの鎖でDNAが合成されることも発見されました。新型コロナウイルスの流行以降、よく耳にするPCR法は、そのDNA合成の原理を応用したものです。細菌に感染するウイルスなんて調べて何の役に立つのか、と思っていた人もいたかもしれませんが、結果的には大きな成果をもたらしました。バクテリオファージはカッコいいだけでなく、基礎研究が大事であることを思い出させてくれます。
《酒井健司さんの連載が本になりました》これまでの連載から80回分を収録「医心電信―よりよい医師患者関係のために」(医学と看護社、2138円)。https://goo.gl/WkBx2i
<アピタル:内科医・酒井健司の医心電信>http://www.asahi.com/apital/healthguide/sakai/(酒井健司)
外部リンク
という事は遺伝子ワクチンで絶滅危惧種に変身すれば、多くの生き物が救われことに・・・
そんなことよりも北京原人だ
某方面の名コピペを転載しときます
タクヤさんは初めから保険の対象外だった可能性が微レ存?
05 ) 名無しさん
[2008/04/27(日) 17:25]
多分だけどGYM-Kの俊だと思う。指名したことはないが、店の
ファイルで顔写真見たことある。現代人っぽくないというか、
大昔に生息していた北○原○みたいでした。
ワクチン打って、ワニになるは半分嘘で半分本当だろうと思います。
それを踏まえて、ワタシはワクチンを打ちます。