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我が父の教えww

いや、最初は真面目に「我が父の教え」とだけ書くつもりだったが、あまりに重々しくて馬鹿げているので、(最初はそれがむしろ狙いだったが)最後に「www」をつけてしまった。

という言い訳で分かるように、この「教え」は実に軽いものなのだが、それが私の受けた学校教育での膨大かつ興味ゼロの授業内容よりはるかに私には役に立ったのである。

先に言っておくが、私の父は戦前の「封建時代的教育」を受けた人間(中学止まり)なので、子供と遊んだりはしなかったし、私が父と話した経験は、大袈裟に言えば全部で10回あるかないかという印象である。
その中では、私が小学校で習ったことが理解できず、あるいは覚えきれず困っていた時に教わったものがあり、これは現代の子供でも最高に役に立つ教えだと思う。
それはメートル法の単位の覚え方で、こういうものだ。「五七五七七」になっている。

キロキロとヘクト(ヘクと)デカけたメートルがデシに追われてセンチミリミリ

言うまでもないが、語調を整えるために「キロ」や「ミリ」が「キロキロ」「ミリミリ」になっているし、細かい意味は何だ、と言われたら答えようもない。だが、その口調の良さで、メートル法の単位を大きい方から小さい方へ、覚えられるのである。しかも、長さにも重さにも使えるのは、これがメートルを基本単位(つまり1倍)として、その「1000倍。100倍。10倍。1倍。10分の1。100分の1。1000分の1。」に並んでいるからである。それが分かれば、たとえば「ヘクタール」が「ヘクトアール」つまり「アール」の100倍であることなども分かる。
後は自分で勝手にこじつけて、「デシに追われて」は「弟子に追われて」だろう、というのはすぐに作れるし、「センチミリミリ」は何か怯えた状態だろうとでも思えばいい。こじつけるなら「センチメント(感情)がミリミリと裂ける」感じである。

ということで、この戯れ歌によって、単位の操作(計算)に困ることが一生無くなったのだが、これは案外非常に貴重なものなのだった。

小学校低学年の算数を子供に教える教師や親御さんなどに、この秘伝を伝授しておくwww





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モテない男は独裁者になる?

いや、或るマンガの主人公ではないが、「女にモテないってのは何て気が休まるんだろう」と思わないのだろうかwww 女が群がってきたら、何もできないではないか。踏みつぶして歩くのか?

(以下引用)

 【悲報】イーロンの親友「イーロンはあまりに異性にモテなく、同性にも人気がないのでおかしくなった」

 



1: それでも動く名無し 2025/03/29(土) 19:57:52.67 ID:cvtl3tXF0NIKU


3: それでも動く名無し 2025/03/29(土) 20:04:44.29 ID:/Zs/60280NIKU
創作モノに出てくる世界を破滅させるベンチャー企業長者そのものみたいなヤツ
Horizonのファロとかまんまイーロンみたいなヤツだった

6: それでも動く名無し 2025/03/29(土) 20:06:56.66 ID:bZnnd4IR0NIKU
>>3
世界破滅レベルの技術力持ってないのはいいのか悪いのか
(再掲載)「in deep」所載の文章である。


コーネリアス・ヴァンダービルト、ジョン・D・ロックフェラー、アンドリュー・カーネギー、ジョン・ピアポント・モルガン、ヘンリー・フォード。これらの人々は、19世紀後半にアメリカの規模と人々の暮らし方を変えた経済的功績を残した数人の人物の名前だ。特に鉄道システムは、石油と鉄鋼のほぼ独占状態にあったこれらの人々が台頭した場所の 1つだった


彼らはまた、冷酷で非倫理的な商習慣を利用して重要な産業を支配した。そのため彼らは「泥棒男爵」として知られるようになった。


これらの人物は実際に政府と共謀し、一時期政府を支配し、公権力を利用して私利私欲を追求した。これはアメリカ資本主義の行き過ぎの頂点であった。


しかし、この時代は、労働組合、女性参政権運動家、汚職追及者、その他の社会・政治改革者らで構成された進歩主義時代の怒りによって、20世紀初頭に権力の頂点から引きずり下ろされたことで終わりを迎えた。


しかし、よく言われるように、富裕層の悪巧みの傾向に関しては、古いものが再び新しくなるのだ。


イーロン・マスク氏、ジェフ・ベゾス氏、マーク・ザッカーバーグ氏のような人物は、莫大な特権を享受しているだけでなく、その手段も疑問視されている。


一言で言えば、彼らが新たに「アメリカを再び偉大にする」と支持しているのは、実は自分たちの利己的なビジネス上の利益を守るための命令なのだ。


イーロン・マスク氏がトランプ大統領選挙運動に 1億2000万ドル (180億円)もの慈善寄付をしていることから、億万長者の守護者ドナルド・トランプ氏の感謝の気持ちとして、マスク氏が具体的に何を受け取るのかを疑問に思うのは当然だ。


結局、彼を新設の政府効率化省 (DOGE)のトップに任命したことが、その答えの一部になるかもしれない。


DOGE は、貧困層、労働者、環境に利益をもたらすものを含むプログラムへの「無駄な」支出を政府が削減するための手段だ。


このプロセスは利益相反の考慮を一切伴わないという主張に対して、何か疑問を呈することができるだろうか。


今週のグローバル・リサーチ・ニュースアワーでは、マスク氏のような億万長者のテクノロジー・ブラザーズが何を求めているのか、そしてそれがさらなる富の獲得だけに留まらないことに焦点を当てている。


私たちの民主主義を、さらに超現実的で率直に言ってディストピア的なもの、つまりテクノクラシーに変えようという夢が進行中だ。


最初の 30分は、ジャーナリスト、作家、そしてデイリーカルト誌の共同創設者であるナオミ・ウルフ博士が参加する。


彼女は、マスク氏がアメリカ財務省でアメリカ人のデータをデジタルで盗んだと主張し、それを説明する。この策略が彼を地球上で最も強力な人物にした可能性があると語る。


そして、後半の 30分は、英国を拠点とする作家でジャーナリストのイアン・デイビス氏に、アメリカ人全員のためにシステムを改善するという名目でテクノクラシーと闇の啓蒙主義を招こうとするマスク氏と億万長者の技術クルーたちの信念について話を聞いた。


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「合理主義」の馬鹿

この前から「合理主義」の欠陥について書いているが、その実例を「はてな匿名ダイアリー」から転載する。読むのが面倒くさいだろうが、その面倒くさいところが面白いと思えばいい。
はっきり言って、私はこの奥さんに同情する。
何でも言葉で説明できると思い、相手にもそれを要求する人間がいかに面倒くさい奴か、想像できるからだ。
赤字にした部分に注意。結婚と同時に豹変した「嘘つき(仮面人間)」はこの男なのである。奥さんは同棲直後の「最初の会話」でこの男の本性(理屈馬鹿であること)を知って呆れて、冷めた理由を説明する気も無くしたのである。

(以下引用)実物はこの5倍くらいの長さがあり、延々と「自分の考え」を説明しているwww

2025-03-20

入籍2日目で生理的に無理なので離婚したいと言われている話

はじめに

34歳、男です。


今年の2月、同い年の妻と入籍同棲したばかりの新婚…のはずでした。


しかし、同棲開始直後から、妻の態度が豹変


理由もわからず、ただただ拒絶される日々に、精神的に限界が近づいています


交際期間は約2年。最初から結婚を前提に付き合っていました。


昨年8月プロポーズ10月に両家顔合わせと、順調に結婚へと進んでいる、はずでした。


妻は明るく、よく喋る、笑顔の素敵な女性でした。


素直で表裏のないタイプで、私いつも妻の話を聞いている側


そんな関係が心地よかったんです。


入籍日は、妻の親希望占い(何か学問かいってたが私からしたらスピでしかありません)を参考に、2025年2月8日に決定。


正直自分がいないところで一方的大事な日程を決められたのはモヤっとしましたが、まあこれも親孝行だろうと思い従いました。


プロポーズから半年以上先でした。

2025年2月8日。

待ちに待った同棲開始日。


しかし、その日の夜、妻から信じられない言葉が飛び出しました。


入籍を延期したい。一度婚約破棄して、もしよければ、また考えたい」


…は? 


頭の中が真っ白になりました。


理由を聞いても、要領を得ません。


「私が旦那というのが受け入れられない」


会社友達結婚を知られたくない」


新婚旅行行きたくない


記念日は祝わなくていい」


結婚指輪をするぐらいなら離婚したい」


つい先日まで、「会社の人に紹介したい」「友達と会いたい」と言っていたのに。


新婚旅行も、一緒に計画を立てていたのに。


この結婚のために私は転職までしました。その時、「ぜひうちの会社で私と働きたい」とまで言ってくれていました。

(中略)

結局、その日は4時間も話し合い、最終的には妻が折れる形で、婚姻届サインしました。


相手が迷ってるのに強要したのかよ」と思われたかもしれません。


から振り返れば私も寄り切る必要はなかったなと思います。ここは私の落ち度です。まさかそこまでとは思っていませんでした。


ただ向こうの都合で日程を何度も変更され、またか、という気持ちが強くて私も意地になっていたのかもしれません。


理由があればいいのですが話せる理由なく「結婚するかどうかは私の機嫌しだい」とされるのも嫌でした。


婚約しているのだから、取り消すのは有責になるし、そんな相手と「じゃあまた彼氏彼女関係作ろうか!」という気持ちになれませんでした。


私の当時のマインドはこのタイミング入籍するか、もう破談にするかでしたが、今にして思えばもう少し冷静になっていたらと後悔しています


せめて相手が「申し訳ないがあなたのこうこうこういうところが気になってて、ちょっとそれが改善するかどうかを見たい」ぐらい言われていればそこまで寄り切らなかったと思います。もう言っても遅いですし、彼女がそこまで言語化能力が低いと思わず、出てくる言葉彼女気持ちであると誤解していました。申し訳ありません。

追記 マリッジブルーだろ?】

(中略)

2月10日、予定通り入籍。(8日からは遅れました。この時連休中だったので、その期間という意味合いです)

(中略)

2月23日、妻、私、妻の両親、妻の兄を交えて、4時間にも及ぶ家族会議を開きました。

しかし、ここでも妻は、私を拒絶する理由を「わからない」と繰り返すばかり。


具体的な不満は、雑談の中でようやくポツポツと出てくる程度。


テレビドラマに私がツッコミを入れるのが嫌だった(現場作業ノーヘル俳優がいて お互いメーカー勤務なので粗さにつっこみ)


会社研修に行った際「どうだった?」と聞かれるのが嫌だった(私は人事担当なので?)


買い物など相談事項をLINEで送り、丸一日返事がないので「早く決めたいか無視しないでくれ」と送られてプレッシャーだった


これが原因かわかりませんが、出てきたのはこういう部分です。


妻の兄からは、「男同士なら普通の会話だけど、女性には辛いかも」とのこと。


両親は、謙遜しょうが「うちの娘は共同生活に向いてない」「娘には欠陥があるから仕方ない」とまで言う始末。


結局、この家族会議でも、妻が豹変した真の理由はわからずじまい。


とりあえず、「私からしかけない期間を設ける」「それぞれカウンセリング検討する」ということで、その場は収束しました。

家族会議後も、状況は悪化の一途。

(中略)

3月15日

メンタル限界にきていた私は、「詳しい原因は本人にもわからないの仕方ない。私は妻を傷つけたし、私も妻に人によっては即離婚級の暴言を吐かれ傷ついた。お互い様ってことでお互いごめんなさいして、これから前を向いて頑張ろう」「これでちゃんちゃんにしよう」という提案しました。彼女は「悪いことをしたのは説明されたら理解した」「だが謝る気はない」「謝れない理由はわからない」「カウンセラーにも聞いたが不明」とのことで、自発的に、社交辞令的に謝罪することすらできませんでした。


ここで謝らないという選択肢を取られたら即離婚だなぁと思いもあり、また私のメンタルが持たないと思い行為単体を抜き出して、それについてだけ謝ってほしいと懇願しました。「では、申し訳ない」とだけ言いました。無理やりな形なので仕方ないですが、これでよかった!とは言えない気持ちになりました。後悔しています


自分提案したのに、「さぁ!切り替えて関係を再構築しよう!よろしくな!」という気分になれないのです。

【私の本音

正直、もう、どうでもよくなってきたんです。


最初は、妻のことが好きで、関係修復を願っていました。


でも、ここまで拒絶されて、それでも「お互い様」なんて、思えません。


もう、疲れました。


こんな日々が続くくらいなら、いっそ、離婚してしまった方が楽なのかもしれません。


今や相手のことを好きと言う気持ちも忘れてきています


でも、籍を入れて、たった一ヶ月で離婚していいのかなと思います


もう、どうすればいいのか、本当にわかりません。


今妻の気持ちがわかります


これが「生理的にきつい」「理由はないがお前と結婚しているという事実が恥ずかしい」「別に離婚してもいい」ということかと。


妻は言語化できていないだけで、こう言う気持ちだったんだぁと理解しました。


妻にも思わせる何かがあったのかもしれません それが何かなのは本人にも不明ですが。なんかの一言というより、こういうあるべきをふりかざしてくる旦那と致命的に相性悪いんでしょう。


(以下省略)記事はさらに延々と続くwww

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マンダレーへの道

「東海アマブログ」記事の前半の一部で、マンダレーやインパールの話などが面白いので転載する。後半は怪しげな素人学説の話で、私は興味が無い。基本的に地震は予知できないと思っている。できるなら毎度毎度の地震災害は起こらないだろう。予知できても、数分前程度では対策のしようもない。
ちなみに、「マンダレーへの道」は、確かサキの小説に出てきた、当時の流行歌である。
1921年のフランク・オールドフィールドという歌手の歌がユーチューブで聞ける。
「On the way to the Mandelay」という題名だっただろうか。それと紛らわしい「Road to the Mandelay」という歌もあるようだ。どちらがサキの小説に出てくるものかは分からない。


(以下引用)

 ミャンマー(ビルマ)でM7.7、死者は24時間で200名程度だが、これが7日後には10倍になる法則がある。おそらく死者数は、数千名を超えるだろう。
 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6533748

 震源地はマンダレーで、北に300Kmも行けば、日本人には聞き覚えのあるインパール(インド)がある。ここで牟田口廉也という日本軍きっての愚将が指揮をとった結果、約8万人の日本兵が無駄死にさせられた。

 私の父は1941年に知立から徴兵され、中支戦線に送られたが、南京を経てインパール作戦に動員された。
 国鉄SL機関士だった父は、わずかだが英語を話せたので、戦争初期に通訳となってインパールで英軍と交渉したときに捕獲され、そのまま数年間、捕虜として過ごした。
 戦後、舞鶴に帰還したとき、60Kgあった体重は半分に減り、骨皮筋右衛門になっていたと語った。ただ所属大隊3000名のうち、帰還できたのは100名に満たなかったと言った。

 父のインパール作戦の思い出を聞いたとき、現地の女性たちが、あまりにも魅力的だったので、びっくりしたと語っていた。そこはプエラリアミリフィカという女性を美しくする芋の産地だったのだという。
 インパールはヒマラヤ山地の境界で、そこから4000mもの標高差を登り詰めると、ブータンやシッキムという国に出る。ここに住むレプチャ族という人たちこそ、日本人の源流の一つで、その風景や民俗は、四国の「山の民」とまるで同じなのだという。

 この世界最大の標高差こそ、ヒマラヤ造山運動をもたらした、インド・ビルマプレートの活動の結果であって、今回のM7.7も、その造山プレート運動が原因のようだが、地震予知に関心を抱いていた私でも、過去半世紀以上、ここでの巨大地震の記憶が存在しない。
 だから地元民にとっても寝耳に水の衝撃で、ほとんど耐震性ゼロに近い建物の崩壊が相次いだ。(以下は1000Km離れたタイ・バンコク)
 https://www.youtube.com/watch?v=5lY1Qa1exS4&ab_channel=%E6%97%A5%E3%83%86%E3%83%ACNEWS

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ワクチン接種医師と「私は貝になりたい」

この問題はかなり判断が難しい。医師の責任を問うことは、それは「政府方針に従った罪」であることだからだ。医師が不勉強だからそうなったのだ、と突き放すことは簡単だろうが、忙しい医者にいちいち政府の指令の是非を詳しく調べる余裕があるだろうか。会社の経営者が不正行為をしたなら、その従業員はむしろ被害者なのではないか。
もちろん、自分のやっている医療行為が本当に適切かどうかを調べるのは医師の義務である。しかし、ワクチンの有害可能性などは、ほとんどの医師の頭にも浮かばないだろう。その治験のいい加減さについても、ネット情報に触れない人は考えもしないのではないか。
まあ、戦争で上官命令に従った兵士が裁かれるような「私は貝になりたい」問題である。もちろん、あの映画と違って、医師はその政府指示を拒否できたというのが大きな相違点だが。

(以下引用)

新型コロナワクチンを与えた医師は2030年までに破産するだろう Dr Vernon Coleman

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/history/bankrupt%20by%202030
<転載開始>

Doctors who gave the covid-19 vaccine will be bankrupt by 2030  Dr Vernon Coleman


https://www.vernoncoleman.com/main.htm 

新型コロナウイルスワクチンを投与した医師は5年以内に破産するだろう。以下のエッセイは私の新著『医療の終焉』から抜粋したものである。


 


2020年に私は、当時新しく実験段階だった新型コロナウイルスワクチンを処方した医師は、私の予想通りワクチンが接種を受けた人に害を及ぼすことが判明した場合、訴えられる(そして投獄される)可能性が高いと警告した。医師の保険会社は対応できず、何千人もの医師が破産するだろうと警告した。



私の警告は正しかったようだ。


 


2025年初頭の欧州司法裁判所の判決によると、個人にワクチン接種を勧めた、またはワクチン接種を実施したすべての医療専門家は、民事および刑事の両方の責任を負うことになる。



​​
医師はワクチンを投与するかどうかを選択でき、接種しないよう助言することもできたため、その行為に対して責任があるとみなされる可能性があると判決された。

(この判決により、ワクチン接種に反対した、またはワクチンを批判したために懲戒処分の対象となった医師らが無罪となる可能性がある。)

ECJ
は、医師にはワクチンを処方または投与する義務がないため、医師は自らの行動に責任を負わなければならないと判決を下した。



裁判所は、医師には患者にとって最も安全で適切な治療を選択する権利があり、医師には個々のケースでcovid-19ワクチンを投与するかどうかを判断する責任があることを確認した。この原則に反する国の規則はどれも違法であると思われる。

患者がワクチンによって健康が深刻かつ恒久的に損なわれたと主張した場合、どの程度の損害賠償金を支払わなければならないかを見積もることは困難である。しかし、患者 1 人あたりの金額は数百万ポンド/ドル/ユーロに達する可能性がある。医師の保険会社が数百万件の請求 (患者 1 人あたり数百万ポンドを要求を満たすのに十分な資金を持っているかどうかは疑問である。そのため、英国、米国、カナダ、オーストラリア、EU などの大多数の医師が破産するだろう。英国では、職務上の不正行為により破産した医師は医師免許を失う可能性があり、これはおそらく他の国でも同様である。最終的には、人間の医師をロボットやコンピューターに置き換える必要がある可能性がある。(陰謀家たちのやり方は、問題を作り出してから解決策を提案することであることを覚えておくことが重要だ。この場合、問題は医師の不在であり、解決策はより安価で効率的なロボットとスマートフォンやコンピューターのアプリで医師を置き換えることである。)

また、一般開業医が訴えられるとすれば、新型コロナに関する真実を隠蔽した団体も訴えられる可能性が高くなると思われる。BBCはワクチンやワクチン接種を批判した人にはインタビューしていないと自慢していた。またYouTubeは私がワクチンについて真実を語ったため、私の動画をすべて削除し、チャンネルを閉鎖した。ソーシャルメディアも同じ理由で私を禁止した。つまり、BBCYouTubeなどはすべて、真実を隠し、重要な情報を隠蔽したとして訴えられる可能性がある。同様に、医療免許団体(英国の総合医療評議会など)も訴えられ、破産する可能性がある。



Note
The above is taken from `The End of Medicine’ by Vernon Coleman. To purchase a copy CLICK HERE

Copyright Vernon Coleman March 2025


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大英帝国(同君連合)の落日

「大摩邇」から転載。
なかなか面白い話だが、幸福感というのは主観的だから、このリストにどれほどの信頼性があるかは分からない。しかし、英語圏国家の国民の間に一種の自信喪失や不安や失望感が広がり、国を覆っていると言えるのではないか。
それはまず「経済的問題」(コールマン博士の記事でよく分かる、一般国民の貧困化。)であり、「自国政府の行動への不満や不信」(強圧的で全体主義的になりつつある。)であり、「未来への展望が抑圧的であること」(欧州全体の没落傾向など、プラス要因がほとんど無い。)などが原因ではないかと思われる。
現実の状況として日本やアジア諸国がそれよりいいかどうかは分からないが、英語圏諸国では過去の栄光があるだけに現在と未来が暗く思えるのだろう。
別の言い方をすれば、「過去の植民地からの収奪がもはや不可能になり、今後はじり貧だろう」という見通しではないか。しかも、旧植民地からの移民によって宗主国の人種は非白人がかなりの割合を占めているのだから、白人にとって未来は暗いわけだ。


(以下引用)

米非営利団体の大調査で「世界で最も不幸な国ランキングの第2位」がイギリスに

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=27015
<転載開始>

順位は以下のようになっています。不幸な国ランキングです。メンタルヘルスに重点があてられているようです。


1位. ウズベキスタン
2位. イギリス
3位. 南アフリカ
4位. オーストラリア
5位. タジキスタン
6位. ブラジル
7位. エジプト
8位. アイルランド
9位. イラク
10位. イエメン


AncientArgonaut

英国を含む世界で最も悲惨な10カ国が明らかに – 全リスト

express.co.uk 2025/03/28


The world’s 10 most miserable countries revealed including UK – full list



イギリスの状況が悪いということはご存知の方もいるだろうが、戦争で荒廃したイエメンやイラクよりも悪いとは予想していなかったかもしれない。


悲しいことに、米国の非営利団体 Sapien Labs が実施した調査で、最も不幸な10の国をリストアップし、英国は貧困に苦しむ紛争で荒廃した国々を打ち負かし、ウズベキスタンに次いで 2位になった。


イエメンとイラクは、それぞれ世界で 10番目と 9番目に不幸な場所だ。しかし、その国の人々は英国よりもまだ幸せなようだ。


このレポートでは、気分や見通し、社会的自己、適応性と回復力、推進力とモチベーション、認知と心身のつながりなどの基準を使用してリストを確認し、英国はすべてのカテゴリでパフォーマンスが悪かった。


71カ国の50万人のデータを使用して、研究者は「進化する精神的幸福のグローバルマップを提供し、証拠に基づく社会政策と介入を通じて、人口の精神的幸福のより効果的な管理に使用できるその推進力に関する深い洞察を可能にする」ことを目指した。


英国の貧弱なランキングは、表の上位にある国の苦難を考えると、いくつかを驚かせるかもしれないが、2023年に英国家統計局は英国全体で個人の幸福の全体的な低下を記録している。


同様に、メンタルヘルス慈善団体マインドは、英国の特に男性や若者の間でメンタルヘルスの危機が広がっていることを何度も警告している。


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「近代の超克」と「西洋の超克」

「近代の超克」座談会で出席者たちがのぼせ上ってキチガイじみたたわごとを言っているという批評自体はおそらく事実を指摘したものだろう。(私自身はこの座談会の筆記録を読んでいないが、軍国主義時代の国威高揚気分の最中の座談会だから当然そうなると推定できる。)
しかし、では、彼らが論じた「近代の超克」あるいは「西洋の超克」の基本思想は間違いか、と言うとそうとも言えないのではないか。すべてを国粋主義や軍国主義に結び付けるほうが間違いなのではないか、というのが私の疑問である。
というのは、下の記事に書かれた「三つの要点」に私はすべて賛同するからである。
で、私は反軍国主義であり、絶対平和主義であり、そして国粋主義者でも何でもない。むしろコスモポリタン(世界市民)思想家だということは何度も書いている。
要は、はたして「西洋の超克」は悪なのか、間違いなのか、ということである。今の世界を見て、「西洋の超克」を否定するのは西洋人とその隷従者だけではないか?

(追記)おそらく、西洋人は自然を克服すべき敵と考え、日本人は人間は自然の一部であり、自然を母なる存在、あるいは畏怖し尊重し愛するべき存在だと考えているところに両者の文明の本質的な違いがあり、西洋近代は合理主義によって世界の自然や無数の「生命ある存在(異人種や異民族含む)」を軽視し、収奪し、蹂躙して、それを「合理主義」としてきたのではないか。再度言うが、理論(合理主義)とはデジタル的思考であり、そこから抜け落ちる無数の存在を無視して成立するのである。そこに近代が超克されるべき理由があり、このままでは人類は自然に復讐されるだろう。それは宮崎駿が「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」で舌足らずに描いたテーマだ。

(追記2)参考までに「西洋的合理主義思考」の陥穽を小林秀雄の「対話集」から引用する。これは、「最初から結論ありき」の思考であり、西洋人が議論(ディベート)に強い所以である。苫米地英人も、「先に結論を決め、その「論拠」を三つ考えてから議論しろ」という趣旨のことを書いている。そして、それは「考えること」とは別の「思考操作」でしかない。だから相手の話を上の空で聞きながらでも議論できるわけで、真摯に考えるなら、思考の結果として答えが出たり出なかったりするはずだ。つまり、議論に負けることがある。それが当然であり、それこそが「建設的な議論」なのである。むしろ誠実な方が議論に負けたりするから、判定者は見かけの勝敗に誤魔化されないようにするべきだろう。

田中(美智太郎)「数学的に考える場合は、シンボルで考える。しかし数学者なんかでも案外ものを考えてないのじゃないですか」
小林「数字にたよってね」
田中「ホワイトヘッド(注:数学者で哲学者)がそういうことを言っていました。数学は思考の練習になるというが、そんなことは嘘だ。ただシンボルを操作しているだけで実際は考えていないことが多い……。」
小林「そういうことはたしかにあるね。”数学者が実はものを考えていないのだ”というような言葉は、なかなかわかりにくいのじゃないかな。つまり合理的に考えようとすることは、極端にいえば数式に引っ張られている状態になるわけで、ほんとうの考えというものは、合理的にいくものではないんじゃないか、というようなことを私はよく考えますね。」

(以下再引用)赤字と太字は酔生夢人による強調。「デモクラシーの超克」は「デモクラシーの欺瞞性の超克」と言い換えるべきだろう。現在、デモクラシーが機能している国は無い。

そこで廣松は、視点をこの座談会を超えて、もっと広いところに向ける。この座談会とほぼ並行する形で、京都学派のメンバーによる座談会が中央公論誌上で展開されたが、それに目を向ける一方、京都学派の個々の論客の思想の変移をたどり直しながら、京都学派に共通する反近代・反西洋の要素を剔抉しようとするのである。

それらをもとに京都学派の反近代主義=近代の超克というべきものを定義すると、それは次の三つのテーゼからなると廣松はいう。政治においてはデモクラシーの超克、経済においては資本主義の超克、思想においては自由主義の超克、がそれだ。これらを超克した後で待っているものは何か。それが政治における全体主義、経済における統制主義、思想における復古主義をさすのは自然の勢いだろう。かくして京都学派は、日本ファシズムを理論的に合理化した。その合理化はけっして外在的な理由にもとづいたものではなく、京都学派に内在する論理の必然的な展開であった、と位置付けるわけである。

このように、この本の中で廣松が主に行っているのは、京都学派の思想の特異性である。しかし何故廣松は、彼らの思想を改めて問題にしたのだろうか。廣松がこの論文を雑誌に連載したのは1974~75年のことである。その時点で京都学派とそれが代表する反近代の思想を改めて問題化する必要があったほど、世相に逼迫する理由があったのだろうか。

柄谷行人は、60年代に「近代批判」運動が盛り上がったことを引き合いに出しながら、そこでの論脈が戦前の「近代の超克」のなかで論じられていたことをすこしも超えていないと感じた廣松が、戦前に溯って近代批判を検証しなければならないと感じたのではないかと推測しているが(講談社学術文庫版解説)、あるいはそうかもしれない。

ヨーロッパにおいては、近代批判という現象の波が歴史の節目節目で現れている。ロマン主義の運動や、ニーチェの近代批判などはその典型である。西洋人が近代を否定する場合には、自分自身が生み出した文化が否定の対象になるわけだから、それは内在的な否定の形をとる。ところが非ヨーロッパである日本において近代批判が問題となるときには、その近代とは西洋とほぼ同義であると考えられるケースが多い。そのように考える人々にとっては、近代の超克即西洋の超克とならざるを得ない側面がある。しかし、20世紀の時代にあって、その西洋文明を否定してどのような文明を立てようというのか。単に日本人としての先祖返りでは、我々は痴愚蒙昧の世界に逆戻りするということになりかねない。そんな風に廣松は思っていたに違いない。そこで世の中で近代批判の声が高くなってくるたびに、その批判の内実を批判的に検証する必要を感じる、というのが廣松の本音だったのではないか。そんなふうに受け取れる。

柄谷行人がいうとおり、この本は廣松が日本の哲学および批評について書いた唯一の本である。その唯一の本で廣松がとりあげたものが、日本の思想における近代批判の流れであったわけだ。そういう点でこの本は、80年代以降に更なるアクチュアリティを持つようになったとの柄谷の指摘は正しい。80年代以降になると、日本にもポスト・モダニズムの思想が輸入されて、日本の思想業界においても近代批判が声高く叫ばれるようになるが、そのような時代においてこそ、近代批判の視座を問題とするこの本は大きな意味を持つようになるのだと思うからである。

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