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古典的書籍排除による「無知な人類」の促進

これは、良くない決定だろう。特に旧約聖書の中にはユダヤ教がいかに悪質な宗教か、ということが分かる事例が無数にある。つまり、この措置によってユダヤ・キリスト教の悪質さが隠蔽され、地下に潜るということである。考えるには、考える材料(事実や歴史書など)が必要である。

(以下引用)



ユタ州の自治体、テービス学区が親からの苦情が理由で小学校と中学校から聖書を排除するのを決定。 sltrib.com/news/education "a parent filed a challenge to have the Bible removed…citing passages describing sex and violence. 聖書に含まれた性や暴力描写が理由とのこと。


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ネサラ・ゲサラ?

「神戸だいすき」氏というか、女史は、行動力はあるし、ネットなどから広く情報を集めているが、知った情報を考察する姿勢が浅く、「軽信軽薄」であると私は思っている。だからこそ怪し気な新興宗教(か? それとも密教系の伝統宗教か?)の信者にもなったりするのだろう。
下の記事を見ても、中学生程度の批判精神、理解能力でも簡単に否定できる情報に対して否定していない。
だいたいがネサラ・ゲサラというナンジャモンジャみたいな怪し気な名前の勢力の主張をそう簡単に信じられるものだろうか。信じるには、根拠が必要なのではないか。まあ、宗教やスピリチュアル系の思想は「論理で理解する」ことは不可能で、頭から信じるか、頭から否定するしかないというのがほとんどだが、だから私は宗教を頭から否定するのである。ただし、その思想の中には「人類全体の共通モラルとして価値が高い」思想や言葉があるだけのことだ。(ちなみに、私は仏教の本質は宗教ではなく哲学、つまり苦しみから解脱し、幸福に生きるための叡知だと思っている。)そもそも、宗教自体が他宗を排斥しているのが常ではないか。では、他宗を排斥する、その宗教や宗派が正しいとなぜ言えるのか。だいたいは、教祖の言説を頭から信じているだけではないか。ただ、宗教信者は必ず「凄い行動力」を持っている。狂信の力である。キチガイだから他人の理性的な言葉に説得されない。統一教会ですら、そうである。だから政治的に必ず利用される。
下の引用部分がなぜアホの極みなのか、ご自分で読んで考えるといいが、私が簡単に言う。

世界のカネをDSから奪ってネサラ・ゲサラとかの資金にしたら、世界は公平で幸福になるか? DSの代わりにネサラ・ゲサラ中心層が世界支配層になるだけではないか。それこそ、世界同時革命などという、かつてのマルキストの言説と同じではないか。しかも、カネを握れば、世界中の誰も働かなくてすむ、などキチガイの言説である。いったい、カネが食物になるのか? 誰が田や畑を耕すのだ? 誰が魚を獲るのだ? 誰が機械を動かし、物を作るのだ? 誰も働かない社会? 馬鹿の極みである。

(以下引用)

ネサラ・ゲサラを私は疑っていました。

そんな時代は、来ないと、思ったり
逆に、騙して、人類を奴隷にするつもりではないかと思ったり

第一、なんだ?このわけのわからないものは・・・

と、思ていました。
今回初めて、前の世紀の終わりのころ、ある人物が提唱したものであることがわかりました。

アメリカ人が言い出しべえで、新しい経済政策の、ことでした。

いや、知ってはいましたけど、あんまり、「夢物語」過ぎてね。
信じられるはずがない。

さて「ネサラ・ゲサラ」を、施行する原資は、銀行家たちが世界中から盗んだマネーです。

つまり、中央銀行制度など、マネー制度では、紙幣を発行する権利を持つものが、国家に金を貸し、その利子を取ります。

だから、マネーが流通しているだけで、彼らは、儲けています。

そのうえ、相場から詐欺とったマネーも、たくさんありますね。世界のマネーの90%を、彼らが保有しているので、そのマネーを召し上げて、ネサラ・ゲサラ(日本はジェサラ)の資金とします。

そうなると、人々は「食うために働かなくてよくなる」

本来、地球はすべての命をはぐくむ能力を持っている。

けれど、この理想形には、なかなかたどり着けない。

この段階に行く前に「大峠」と言われる、大変革がある。

だって、そうでしょう?

不当に保有されている90%の彼らの富を召し上げなければならないのです。

簡単に差し出すはずはないですからね。

大変革が起こらない限り、手放さないですよ。

けれど、世界は、そういう公平な姿にならないと、持続できないのです。

だから、いずれ、そうなる。そうならなければ、滅亡するでしょう。

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高血圧についての「医者同盟」の存在

「大摩邇」所載の「in deep」記事の後半というか、末尾で、「西洋薬」の危険性を非常に端的に警告している。なるほど、身体が自然に持つ機能を「阻害」することで、我々は発熱や高血圧を抑えるわけだが、はたして、その発熱や高血圧と比べて、「機能の阻害」が我々の体に与える影響は無視できるものなのだろうか。
ちなみに、私自身は高血圧薬の副作用の恐ろしさを経験しているにも関わらず、まだ高血圧薬を飲んでいる軟弱者である。そもそも、何かの病気やケガをした時に病院に行くと、血圧検査の段階で「まず高血圧から治しなさい」と言われる「医者同盟」が存在するのである。つまり、高血圧は医者の間ではア・プリオリな、つまり問答無用の「犯罪」なのである。
で、その高血圧薬が無数の高齢者をインポにしても、「老人だから、むしろ結構」と笑われるだけだww もちろん、ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノのように80を超えた高齢老人が子供を作るのは「素晴らしい」かどうかは別問題だ。豊臣秀頼が秀吉の子供だと信じた人間は秀吉以外には当時もいなかっただろうww ちなみに秀吉は異常なほどの小男だったが、秀頼は大男だったらしい。

(以下引用)


このことはともかくとして、前回と今回の記事での結論は、


非常に単純で、


 


「不要に薬を飲まない」


 


ことに尽きると思います。


生命にかかわるような薬の服用は仕方ないにしても、たとえば、風邪薬なんていうものは、何のために飲むのかわからないものであり、そういう「何のために飲むのかわからない薬」はたくさんあります。


なお、先ほどの抗コリン薬もそうですが、薬のジャンルには、


 


・抗〇〇薬


・〇〇阻害薬


・〇〇遮断薬


 


などが数多くあり、つまり、「身体のメカニズム上の何らかの機能を止めてしまうことによって症状に対抗する薬」が大変多いのですが、


 


「その機能メカニズムは、もともと人間に自然に備わっているもの」


 


だということに注意していただきたいと思います。


 


 

「何かの機能を阻害する薬」には特に注意が必要

人間のそれぞれの自然の機能の役割は、多くの場合、「ひとつではない」わけで、それを薬などで強制的に遮断した場合


 


「何かの症状の状態は良くなるかもしれなくとも、何かが悪くなる可能性が高い」


 


ということです。


たとえば、前回の記事の高血圧の薬では、いろいろと種類があるとはいえ、現在の日本の処方で最もメジャーなのは、


「ACE 阻害薬」


というものです。


ACE とは、コロナ感染の受容体部位としてお馴染みになったアンジオテンシン変換酵素」というものですが、高血圧の薬の作用機序は以下のようなものです。


(血圧を下げる「ACE 阻害薬」の作用機序)


> 血圧を上げる作用のあるホルモンを作るのに必要なアンジオテンシン変換酵素(ACE)を阻害することによって血圧を下げる薬。アンジオテンシンはアンジオテンシンⅠとⅡに変換されて血管を収縮させる。この変換を阻害することにより、血管拡張効果を得る薬である。


日本心臓財団


 


アンジオテンシン変換酵素を阻害する薬、ということですが、コロナの時代に知りましたが、


 


「アンジオテンシン変換酵素は、生殖機能と深く関係している」


 


ものです。


2年前の以下の記事でふれています。


[記事] コロナが、あるいはそのスパイクタンパク質が「もともと生殖不全を引き起こす可能性のあるメカニズムを持っている」ことを知る
 In Deep 2021年6月1日


 


若い人たちで血圧を下げる薬を飲む人はほぼいないでしょうから、実際には生殖機能の阻害とは関係ないことかもしれないですが、言いたいことは、この ACE 阻害薬というものには、


・血圧を下げるという作用がある


と共に、


・男性と女性の生殖機能の維持に介入する


という複数の機能への影響を持っているということです。


つまり、「血圧を下げる」という主目的で処方される薬が、「生殖機能の阻害」という別の作用を起こすわけです。


もちろん、ACE が持っている機能はこれだけではなく、重要な機能を多く持っているはずです。


 


そのような重要な機能を薬で「阻害」する


 


これで体がおかしくならなかったら、おかしいですよ。


抗コリン薬の服用が認知症の増加に結びつくのも同じです。


 


『何かの作用を阻害することによって、何かの重要な機能も阻害される」


 


ことが起きているという図式です。


人間の機能はどんなものでも「阻害してはいけない」ということが、これらの事例で示されていると思います。


 


しかし。


 


2019年などに、「抗コリン薬が認知症のリスクを大幅に高める」という複数の研究が出された後、


 


「薬をめぐる状況に何か変化がありましたか?」


 


という話です。


その後も、まったく変化ないまま風邪薬も抗うつ剤も製造され、広告や CM が出され、人々はそれらを飲み続けています。


これが今後も続くのだと思います。


自覚できない限りは、ずっと薬の影響のループにはまり続けます。


あるいは、自覚できない限りは、次のワクチンのループにもはまり続けます。

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飲むべきか、飲まざるべきか、それが問題だ

私は、親も兄も脳卒中で倒れているし(兄は存命)、私自身も脳梗塞の経験がある(今も右半身に軽い麻痺がある)ので、高血圧の薬を飲んでいるが、「高血圧は治療する必要はない」という論にも魅力を感じる。そして、高血圧治療薬の中には副作用の大きいものもあるだろうな、とも思っている。実際、明らかに高血圧薬の副作用と思われる症状の経験もある。前に書いた、横紋筋融解症である。これは厚生省通達で、ある高血圧薬の副作用として明記されている。医者は、そういう副作用は1万人にひとりしか起こらないなどと言うが、それは製薬会社の言い分でしかないだろう。
まあ、酒飲みの癖に高血圧薬を飲んで安心しているのが馬鹿だとは思うwww

(以下「大摩邇」から転載。記事後半を省略)


ワクチン禍の時代が教えてくれた「これからの医療受診への心構え」[その1]

In Deepさんのサイトより
https://indeep.jp/many-drugs-are-harmful-01/
<転載開始>

現代医学を構成する医者、病院、薬品、医療機器の9割がこの世から消えてなくなれば、人々の体調はたちどころによくなるはずだ。これは私の確信である。 - ロバート・メンデルソン医師



Robert Mendelsohn (1926-1988)

医師ご本人たちが有用性を確信しているという「罪」

週刊現代のウェブサイトの記事に、「高血圧」についてのものが前編後編で挙げられていました。以下の2本です。


「血圧が高くても無理に下げてはいけない」と断言できる「衝撃」の理由 (週刊現代 2023/06/02)


アメリカでも問題になった…日本で「高血圧症」の国民が爆増した「衝撃のワケ」(週刊現代 2023/06/02)


 


この後編にあるお医者様の言葉を読みまして、「そうなんだよなあ」と思いました。


述べているのは、『高血圧はほっとくのが一番』という著作を書かれたこともある松本光正医師です。太字はこちらでしています。


(週刊現代の記事より)


> 「『高血圧は絶対に下げなければいけない』という考えが常識になった要因として、いちばん大きいのは、製薬会社が医者に対して『血圧は下げるべきだ』と洗脳を図ったことだと思います。

> いまの医者は勉強不足という面もあります。大学の講師から『血圧は下げるものだ』と教えられるし、研修医の時も先輩教授から同じように指導されます。それを何の疑いもなく、知識として取り入れてしまっているのが問題なのです」

> …長年の惰性で製薬業界に飼いならされた医者たちは、もはや疑問を抱くことすらしない。たとえ疑問を抱いたとしても、「医学界と癒着する製薬業界から利益を得ている大学教授や医師たちから、反論されて潰されてしまう」(松本氏)からだ。 gendai




この松本医師の『高血圧はほっとくのが一番』は以下の記事で取り上げたことがあります。


[記事] 2017年11月のある日、高血圧患者が突然「3000万人も増えた」アメリカ。「要治療」高血圧の基準が140から130に引き下げられ、患者数は1億人に
 In Deep 2017年11月15日


 


国が高血圧の「基準」を変更するたびに、以前は高血圧ではなかった人たちまでも高血圧とされるようになったために、高血圧患者は増えていき、そして、「高血圧の薬の処方も劇的に増えていった」と。


これが、週刊現代にありました「日本で高血圧症の国民が爆増した衝撃のワケ」です。


日本の高血圧の基準変更ごとの高血圧患者の推移


 


 


これは、高血圧の薬についての話ですが、ここにある、医師の方々が「もはや疑問を抱くことすらしない」というものの最近の頂点が、「コロナワクチンだったわけだよなあ」と思います。


しかし、それは別としても、この高血圧の薬と同じように、


 


「医師の方々が、もはや疑問を抱くことすらしないまま処方している薬」


 


他にもたくさんあるという現実があります。


その中には強い有害性を持つものが多数あります(そのほうが多いかもしれません)。


抗うつ剤、非ステロイド性抗炎症薬 (NSAIDs)、ベンゾジアゼピン系のあらゆる薬、あるいはすべての抗コリン薬……他にもいくらでもあるでしょうけれど、これらの薬は、日常的に、漫然と大量に処方される薬ですが、


 


「その副作用は、わりと半端ではない場合がある」


 


ものであることがあります。


そして、問題は、現代の医療には「これらの代替薬が基本的に存在しない」のです。有害性があっても、それしか出すものはない。


抗うつ剤とベンゾジアゼピン系が存在しないと、現在のほとんどの精神科や神経内科、メンタルクリニックは病院として成り立たないと思われます。


あるいは、非ステロイド性抗炎症薬、またはアセトアミノフェン(カロナール)が存在しないと、すべての内科医院は成り立たないと思われます。


38℃以下の微熱でもこれらを出します。


ちなみに、非ステロイド性抗炎症薬 (NSAIDs)、ベンゾジアゼピン系、抗コリン薬と書き並べましても「そんなのは処方されたことがない」と思われる方がいらっしゃるかと思いますが、人生で一度も医者にかかったことが「ない」か、一度も薬局で市販薬を購入したことが「ない」という方以外は、必ず処方されています


非ステロイド性抗炎症薬 (NSAIDs)の商品名の一例


アスピリン、バファリン、ロキソニン、イブプロフェン、ボルタレン、インドメタシン、ポンタール、ノーシン等


 


これらの最大の副作用は、「胃の損傷、あるいは胃潰瘍」で、これは私自身が十数年前に起こし、大吐血により緊急入院をしたことがありますが 、その話はいいです。


これは、NSAID潰瘍 - Wikipedia などにあります。低い率ではないですよ。


(NSAID潰瘍 - Wikipedia より)


> 日本リウマチ財団が、3ヵ月以上の長期にわたりNSAIDsを服用している関節炎患者1,008例について、上部消化管内視鏡で確認したところ、消化管の病変が 62.2%にみられ、そのうち胃潰瘍と十二指腸潰瘍はそれぞれ 15.5%、 1.9%であった。


> 3ヵ月以上外来通院する、長期NSAIDs使用の関節リウマチ患者196例を対象として内視鏡で確認したところ、消化性潰瘍の有病率は 21.9%であった


また、非ステロイド性抗炎症薬が病院で処方される合は、胃薬を同時に処方される場合が多いですが、これも「気休め」程度であることがわかります。


> NSAIDs を4週間以上服用した報告でも、服用者の 96%には防御因子増強薬などの胃薬が投与されていたにもかかわらず胃粘膜傷害の発症が 63%という結果であり、胃薬の併用が必ずしも消化管障害の発症を予防するとは限らない。


 


ですので、頭痛や、肩や関節などの痛みなどに対して、頻繁に鎮痛剤 (処方薬でも市販薬でも)を服用されている場合、あるいは、長期で連用している場合、「自覚はなくとも、胃に病変が起きている」可能性が高いです。


このようなことに加えて、胃潰瘍などの原因となる他の要因が加わった場合、十数年前の私のようになる可能性があります。


胃潰瘍は症状がない場合も多いですが、突然吐血が問題となります。


胃潰瘍は、現在では、内視鏡での止血手術ができますが(私もこれで助かりました)、昔はそれができなかったので、吐血した場合は死亡率が高い病気だったそうです。


当時たまに通っていた開業医の高齢の院長さんは、その前は著名な大学病院の外科部長だったのですが、私と話している際に、


「あなたくらいの量の吐血でしたら、昔は絶対死んでたんですよ。当時は、胃潰瘍で亡くなる患者さんをたくさん見ました。ハッハッハッ」


 


と、笑顔で述べていて、私も笑顔になりましたが (笑顔は笑顔を作り出す)、笑顔はともかく、胃潰瘍はわりと侮れない病気です。NSAIDs は、それをかなり高い率で誘発する。


しかし、先ほど書きましたように「現在の病院、あるいは薬局は、NSAIDs が存在しない状態では運営できない」のです。痛みと炎症に対して、少なくとも一般的な病院では、ほぼこれしかない


NSAIDs についは、かつてよく書いていましたが、以下のような記事があります。


[記事] 非ステロイド性抗炎症薬の功罪がまたひとつ : 鎮痛薬イブプロフェンで「急性の心停止」のリスクが極めて高くなることが大規模な医学的調査で判明
 In Deep 2018年2月14日


[記事] 炎症を止めると痛みが永続化する… : ごく普通の市販の鎮痛剤を含むすべての抗炎症薬が「痛みを慢性化させてしまっている」ことがサイエンスに発表された研究で判明
 In Deep 2022年5月12日


また、NSAIDs の発熱時の処方は、子どもの脳症と死亡率を高めることが、複数の研究で分かっています。以下の記事に詳しく書いています。


[記事] 子どもがみんな解熱剤でやられてしまう
 In Deep 2022年8月27日


 


この記事に、米シアトル小児病院ウェブサイトの「発熱」に関する記事を翻訳していますが、そこにある、


> 37.8° ~ 40°C の通常の発熱は、病気の子どもにとっては良いことなのです。


とか、


> 37.8° ~ 39° C は、微熱の範囲です。


などの「子どもの発熱の真実」がもう少し一般の方々に周知された方がいいと思うのですが、それないでしょう。先ほどの「高血圧の薬」と同様に、多くのお医者様型が、


 


「 38.5℃以上の発熱は薬で下げたほうがいい」


 


と確信しているからです。


製薬企業としても、どんどん処方してくれないと困りますしね。


ですので、医師と企業のほうの気持ちはわかりますので、「私たちは自身で防衛しないといけない」わけです。これは十分に戦争であり、サバイバルの話です。


そして、「発熱と感染症のメカニズムの真実」として、以下の記事にありますように、「 38.5℃以上の熱となり初めて病気の治癒が開始される」のです。つまり、「下げなくてもいい」のではなく、40℃以下の熱は「下げてはいけない」のです。


この「下げなくてもいい」と「下げてはいけない」という解釈の差は大きいです。


[記事] 熱を下げてはいけない : 感染症の治癒メカニズムが人体で発動するのは「体温が《38.5℃以上》に上がったときのみ」であることが中国科学院の研究で判明
 In Deep 2019年1月19日


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ピンとピングとピングー

コメント58は、分かってるような事を言っているが、「pin 」と「ping」の発音の違いを自分は耳で聞き取れるか? www まあ、これは生まれつき耳の悪い人間の僻みである。
私は映画やテレビドラマでの役者の台詞を半分くらいしか聞き取れない。だから、邦画は黒澤明の映画以外ほとんど見なかった。つまり、「字幕主義」である。黒澤の映画は「絵で見せる」から台詞は「だいたいそういう内容だろう」と推定すればいいのである。日常生活でも「周囲の人間はだいたいこんなことを言っているのだろう」と推理して調子を合わせるので、実は半分くらいしか聞き取れていない。耳が悪い者には、ネットフリックスがほとんどすべてのアニメや映画に字幕をつけているのは実に助かる。
どうでもいい話だが、昔、小児向けアニメ(クレイアニメと言うのか、粘土人形を動かす動画である)の「ピングー」をツタヤで借りて子供と一緒に見たものだが、「ピング」と聞くと、その「ピングー」を思い出す。ピングーは主人公である小児ペンギンの名前である。大人が見てもなかなか面白いアニメだった。外国の小児向けアニメは、日本のそれよりかなり優れたものが時々ある。ちゃんと、小児目線で作ってあるわけだ。ロシアの「チェブラーシュカ」などもそうである。日本だと、人形アニメ(という言い方が適切かどうか知らないが)の「ひょっこりひょうたん島」が、子供が見ても大人が見ても面白い作品だった。今は、小児や幼児ですら恋愛アニメかバトルアニメしか見てなさそう(見せられてなさそう)な気がする。




【愕然】pingをピングって呼んだらすげー馬鹿にされたwwww


      マスクを

      1:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:39:35.358 ID:sWgIGH2Fa.net
      もうピングが正式名称だろ、これ
      5:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:40:53.479 ID:NhxkXJjod.net
      hong kong
      ホンコン みたいな
      6:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:40:58.488 ID:ic1bSSvm0.net
      キングコング定期
      7:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:41:03.313 ID:1HHskGb9d.net
      わからなくもないけど
      いちいち細かいことに反応するやつの許容の小ささには驚かされる
      17:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:43:42.067 ID:sWgIGH2Fa.net
      >>7
      そうだよね
      ピンって分かってるんだけど、ピングの方が通じるだろって思って言ってあげたのに得意気に馬鹿にされたわ
      15:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:42:49.906 ID:fhV1OFla0.net
      うちの会社俺以外みんなピングやわ
            16:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:43:33.880 ID:755vN2iH0.net
            Altはアルト
            21:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:44:21.384 ID:R19S+OpYM.net
            独学だと自己流の読み方になりやすい
            24:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:45:44.911 ID:kwx41l890.net
            orz
            これっておーずって読んでるけど少数派?
            33:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:51:56.160 ID:/qM0OVW80.net
            >>24
            おるずだろ普通
            36:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:54:31.728 ID:sWgIGH2Fa.net
            >>24
            おーあーるぜっと
            67:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 15:43:02.296 ID:4ybK8Dfda.net
            >>24
            ドゲザな
            25:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:46:17.365 ID:dkNFiN3gr.net
            ピングだろ馬鹿か
            31:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:50:50.284 ID:F+qAquqv0.net
            widthもウィズって読んでも伝わらないからな
            伝わる方で読んだ方が良いだろ
            34:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:51:57.381 ID:jUk5HiDm0.net
            >>31
            これいまだに読み方わからんわ
            35:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 14:54:29.846 ID:hXQ4vIO90.net
            Aさん「ピング」(ほんとはピンだけど)
            Bさん「ピング」(ほんとはピンだけど)
            Cさん「ピング」(ほんとはピンだけど)

            お前ら「ピン!」(こいつらバカばっかwwww)
            44:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 15:02:03.949 ID:o2QMB/RC0.net
            そもそも発音させる気ねえなら最初から入れるなって話
            単語考えた奴バカだろ
            58:以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2022/02/28(月) 15:15:47.731 ID:NNnWcJc+0.net
            >>44
            鼻に抜けるンだろ
            日本語で区別しないだけでする言語は沢山ある

            拍手

            老人向きの仕事

            「紙屋研究所」記事で、私はアンチマルキシズムなので紙屋氏の意見に全面的同意はしないが、高齢社会での老人の生き方についてのヒントにはなるだろう。
            私が一番お勧めするのは「野外労働」である。スキルや知識があれば造園(庭師)など、老人向きで、人間関係の苦痛が無く、自然の中で働く爽快さがある、最高の仕事だと思う。農業はそれにくらべるとリスクが高い。つまり、作った農作物をいかにして売るかという「商売」の部分がきついだろうからだ。それに、気候異変によって農作物がいっぺんにダメになることもある。
            運転手などは、仕事中に脳卒中になったら困る。まあ、ほかにもあまり人が目を向けないいい仕事はいろいろあるだろう。道路や公園の清掃など、実に老人向きではないか。そういうのは既にシルバー何とかという老人雇用組織があるか。

            (以下引用)

            坂本貴志『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』


             坂本貴志『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』(講談社新書)はなかなか刺激的な本である。政治的に見れば日本の高齢者政策の根本的な問題点を指摘したくなることもあるが、そうした「大きな視点」をひとまず脇において、読んでみる。

             


             サブタイトルで大体言いたいことの本質を言っているとは思うが、坂本によれば、政府統計では、リタイア年齢である65歳から69歳までの世帯(2人以上)定年後の月収は年金を中心に25万円。他方で支出額は32.1万円。7〜8万円の収支差がある。


             逆に言えば、月10万円稼げる仕事があれば、貯金の有無にかかわらず、「余裕のある」生活ができるということになる。


             十分な年金を保障せず、年老いても働かせる社会が「地獄絵図」という批判は承知しているし、ぼくもそう思うところはある。


             そのためには経済の果実のうち、社会保障へ振り向ける分を、せめてヨーロッパ並みにするという政治の根本転換が必要であるが、その論点とは別に、ごく当面の「改良」策として、高齢者がプチ就業をして年金の不足分を稼ぐという方法がある。


             坂本の本は刺激的な論点が多いけど、この記事ではその論点に絞って伝える。


             


             


             坂本は、就業人口のうち、デスクワークとノンデスクワークの割合を紹介する。


             デスクワークのみに従事する人は、管理職145万人、事務職1145万人、専門・技術職284万人、合計1573万人で、就業人口全体のおよそ4分の1だ。


            日々デスクに向かってする仕事は、労働市場のほんの一部分でしかないのである。(坂本p.103)


             デスクワークもノンデスクワークもする「中間職」(医療、教員、営業職など)が949万人。


             これに対して、農林水産業、生産工程関連職、販売職、理美容師、介護士、飲食店の調理、保安、輸送・機械運転、建設、運搬・清掃などノンデスクワーカーは3068万人で全体の半数以上となる。


            日本人の仕事を因数分解すると、こうした現場仕事が仕事の多数派を占めるのである。(坂本p.104)


             


             高学歴を取得し、大企業などでデスクワークを中心とした管理職になっていく人と、そうでない、ノンデスクワークの現業の人たちに人間は分かれるのだ、という職業観を坂本はじっと見つめる。それは、定年後もデスクワークをしたい、しかもできれば大企業で…というよくある願望となる。生涯において、マルクスがいうところの「全体労働者」(社会全体や、ある生産部門や、ある工場でのチームとなって生産を行う労働者の集合体)の「頭脳」の部分となって、デスクワークをする人間と、ノンデスクワークをする人間に分かれる————そうした考え方を坂本はじっくり眺めた上で次のように諭す。


             


             市場メカニズムにおける競争のもとで、競争に勝ち残った能力が高い者が管理職や専門職などで働き続け、そのほかの仕事は競争社会のもとで適切に分業をすればよいと考える人もいるかもしれない。


             しかし、生涯を通じてここまで厳格に分業をする社会は、果たして望ましいといえるのか。みながみなホワイトカラーで成長を続けるキャリアを志すことが、社会的に本当に必要なことなのか。すべての人がその人の持つ能力の高低にかかわりなく、生涯のライフサイクルのどこかで無理なく社会に貢献する世の中は、あって許されないことなのか。(坂本p.104-105)


             坂本によれば、政府統計では、リタイア年齢である65歳から69歳までの世帯(2人以上)定年後の月収は年金を中心に25万円。他方で支出額は32.1万円。7〜8万円の収支差がある。


             逆に言えば、月10万円稼げる仕事があれば、貯金の有無にかかわらず、「楽」に生活ができるということになる。


             月10万円。


             レジ、警備、介護、調理、ドライバー、清掃…などといった現業的なエッセンシャルワークが想定される。それを短時間の分担で稼ぎ出せる、というわけである。もし夫婦であればなおさらだろう。


             これらは求人が多いのに人手が不足している。


            世の中が本当に必要としているのに成り手がいない仕事は、飲食物調理や接客、介護、保安、自動車運転、運搬・清掃などの現場仕事であることがわかる。(坂本p.99-100)


             現役時代にデスクワーク、管理職であったり事務職であったり技術職であったりした経歴を無理に続ける必要はなく、全く新しく、社会が必要としている仕事を短時間でも分担して必要なお金を稼ぐようにしてはどうか、と坂本は勧める。


             


             このような状況のなか、一つ確実に言えることは、多くの現場仕事は世の中を豊かにするとても大切な仕事だということだ。いくら情報技術が発達し、経済が高度化しても、配達員や農業従事者の仕事が不要になることはないだろう。つまるところ私たちの生活を豊かにしてくれる仕事は、こうした人々が担っている仕事なのである。(坂本p.104)



             誰しもこうした方々の仕事によって助けられているにもかかわらず、心のどこかでこれらの仕事は自身とは関係のないものだと考え、遠ざけている現実があるのではないだろうか。


             少なくとも、現実のデータを確認すると、現場仕事は誰にとっても無縁ではない。多くの人は人生のどこかでこうした仕事で夜中に貢献するという選択を行なっているのである。


             生涯のライフスタイルのなかで、人は様々な仕事に携わる。


             職種に関するデータの数々は、現代社会における資本主義の矛盾を投げかけているような気がしている。(坂本p.105)


             


             坂本はこの節のラストに「現代社会における資本主義の矛盾」という言葉を使っている。


             知ってか知らずか、このおおむね管理的職業である「デスクワーク」と、現業であり社会の維持に必要な労働である「ノンデスクワーク」という分類と労働力の分配はマルクス共産主義論を思い出させる。生産的労働における「頭脳」と「手足」の分離。必要労働と剰余労働。


             最近、若い人たちと勉強した『資本論』第1部第15章のラストは以下のようなものである。


            労働の強度と生産力が与えられたものであるならば、すべての労働能力ある社会成員のあいだに労働が均等に分配されていればいるほど、労働の自然必然性を一社会層が自己自身から他の層へ転嫁しうることが少なければ少ないほど、社会的労働日のうちの物質的生産に必要な部分は短くなり、したがって、個人の自由な精神的および社会的活動のために獲得される時間部分は大きくなる。労働日の短縮にたいする絶対的限界は、この方面から見れば、労働の普遍性である。資本主義社会においては、一階級にとっての自由な時間は、大衆の全生活時間を労働時間に転化させることによって産み出されるのである。(マルクス資本論 3』岩波書店Kindle No.609-615)


             ここではマルクスは労働時間の短縮と問題を結びつけているが、全社会のうち、必要労働と剰余労働をおこなって社会を支えている人と、そうした労働をせずに支えられている人との対比をした上で、もしも管理的な仕事だけで、社会を維持するのに必要な労働にたずさわっていない人が、そうした労働を担うようになれば、荷が軽くなるよね、と訴えている。*1


             わかりにくいけど、上記でマルクスが「労働の普遍性」と言っているのは、一部の人だけが汗水垂らして働くのではなく、みんなで社会の維持に必要な労働を担うという意味だ。


             まあ、資本主義のもとでは、それをギリギリの労働力でやらせようとする圧力が続くのでなかなかうまくはいかないわけだが。


             ただ、膨大に生まれる「定年後の人々」がこうしたエッセンシャルワークを短時間で担うという社会の姿は、人手不足の緩和には一定役に立つヒントにはなるだろう。


             


             「定年後の人生」は共産主義と相性がいい。


             えっ!? 何ちゅうことをお前は…と思うかもしれない。


             まあ聞けや。


             それは坂本の著書の第1部を読んでもらうとわかるが、カネや名誉を得るための激しい競争という価値観から50代くらいで限界が見え始める。一部の人を除いて、そのような就労観・人生観から降りてしまうのだ。


             そして高齢な人ほど仕事に満足を感じ(定年後に急上昇し、最高になる)、「他人のために役立つこと」とか「体を動かすこと」への価値を次第に大きく感じるようになる。


             月10万円の仕事、あるいは数万円の小さな仕事は、「地域に貢献」とか「他人に役立つ」という価値観と整合的である。「生活の百姓」「月3万円のビジネス」「半農半X」というようなスタイルが思い出される。


             


            kamiyakenkyujo.hatenablog.com


             


             つまりだ。


             社会のために短時間の必要な労働をしながら、あとは趣味だの地域活動だの家庭のことだのに時間を割ける。


             おっと、これはマルクスが夢見た「労働時間の抜本的短縮による自由時間の創造」ではないのか…?


             このように感じる基礎はどこにあるのかといえば、貧しいながらも年金というベーシック・インカムが支給されるからである。最低生計費のゲタを履かせてくれるのである。


             いやいや、わーってる、わーってる。そんなに目を釣り上げなくても…。


             うん、お前たちが言いたいのは、こうだろ? 「こんな貧しい年金で何が共産主義だ!」「医療や介護の費用はうなぎのぼりで『死ね』って言われているようなモンだぞ!」「しかも高齢の就労? 死ぬまで働けってことじゃねーか!」ってことだろ?


             また、「小さな仕事」が現役世代の収入を押し下げたりする危険もある。例えば「高齢者の生活の足し」ということにされて、介護職の賃金が全く上がらなくなる恐れがある。


             それはそうなんだよ。


             だけど、逆に考えてみるんだ。


             年金を充実させて、医療費や介護費用を軽減したら、けっこう面白そうな未来がそこに来ていると言えないか? って。つまり貧しいながら、元になるカタチはできている。それをあとは補強していけばいいんだということだ。


             「小さな仕事」が現役世代の収入を押し下げたりする危険については、現役世代にもベーシックインカムをやったり、あるいは、最低賃金を大幅にあげ、教育費・住居費を社会保障に移転したりするという方法もある。


             だから別に、「日本の老後はもう共産主義的未来だ!」とかいうつもりはないよ。だけど、なんかそういうものにつながっていくヒントがあると思わない?


             


             まあ、そんな点が一番心に残ったんだけど、それ以外にも先ほど述べたようにいろんなことに気づかされた本だ。


             一点だけあげとくと、さっきチラッと言ったんだけど、50代での就労観の変化ね。なんか役員とか管理職っぽいことを全部引き受けて、無理に働くようなスタイルはもういいんじゃないか。


             そんなふうに思うきっかけになった。


             


            *1:マルクスは『資本論』のこのあたり(第1部13章)で、機械化が進むことで、ブルジョアの「召使い階級」が膨大に増える話をしている。統計を示して実際にイギリスでたくさん存在することを紹介するのだ。「ブルジョアの召使い」っていうとアレなんだけど、例えばブルジョアに食事を出す料理人とか、ブルジョアをマッサージする施術師とか、ブルジョアの家の清掃作業者とか、そういう人なんじゃなかろうか。19世紀にはそれらは金持ちの独占物だったけども、21世紀の現在、高めのレストランの料理人、エステやリラクゼーション、家の清掃などはサービス業化し、労働運動と修正資本主義で所得の上がったプロレタリアートも利用できるようになっている。「召使い階級」の概念が変わって、そうしたサービス業を維持するためのコストを社会が担えるようになっている。「支配階級」の概念も、昔は頭脳労働全般が支配階級の仕事だったけども、20世紀から21世紀にかけて、それらはホワイトカラーに引き伸ばされ、事務職や技術職にも引き伸ばされているように思われる。


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            インディアンと「頭皮剝ぎ」

            前に書いた「最後のモヒカン族」(Last Mohicans)の中で、「インディアンが、殺した敵の頭皮を剥ぐ」ということへの言及が何度も出て来るが、この本が、おそらく「インディアンは敵の頭の皮を剥ぐ」という俗信の普及に大いに貢献したのではないか。もちろん、同類の「西部小説」も無数にあったが、米文学の「古典」とまでされている点で、この本の影響力は大きかったと思う。


            (以下引用)

            インディアン起源ではありません。 ーーーWikipediaより引用。 インディアン固有の蛮習のように喧伝されてきた「頭皮剥ぎ」は、一部の部族の間で戦果と栄誉を示すものとして古くから重要なものではあったが、そもそもは18世紀前後にメキシコやイギリス、アメリカ合衆国の政府機関が、女・子供を問わず敵対勢力のインディアンやヨーロッパ人を殺させて、その証拠として頭の皮を懸賞金をかけて募集した歴史が起源となっている。 頭皮剥ぎ自体はインディアンから始まった固有の習慣ではなく、古代ヨーロッパにも存在した。また、頭の皮を剥ぐことと命を奪うこととは別であり、頭皮を剥がされた者が生き延びることはよくあり、皮を剥がれた跡の禿は、インディアン戦士にとって非常に不名誉なものとされた。 ーーーここまで。 白人側の虐殺の証拠として、始まったものです。

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