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日本社会は「ねじれ」たか

加藤典洋という説法師がいる。あるいは弁論家、評論家、どういう仕事なのか知らないが、大学教授で文芸評論家というのが正式な職業だろうか。だが、彼が書いた政治評論「敗戦後論」は、かなり大きな話題となった記憶がある。つまり、文芸評論だけでなく政治評論もやるのだから、最初に書いた「説法師」という職業に相当するのではないか。そういう人物は「知識人」とも言われる。
で、その「敗戦後論」は、まあ、敗戦後の日本社会の在り方を批評、あるいは批判したものだろうと予測していたが、あまり読む気はしなかった。知り合いのところから最近貰ってきた古本のひとつなので、いつか読むつもりではあるが、長いし、「楽しくない」本だと思われたので、トイレに置いておいて、気が向くと少しずつ読んでいるが、なかなか進まない。
で、途中まで読むと、最初から言っている「ねじれ」という言葉がまだまだ続いている。最初はぼんやりと読んでいたので、その「ねじれ」の具体的意味が何だったか忘れているのかと思って最初の部分を読み返すと、やはり明確に書かれていない。一般の読者は一読で、どういう「ねじれ」なのか明白に了解したのだろうか。
一番理解しやすい部分はここだろう。

(以下引用)

敗戦者たちは、もう胸の底でも自分の「義」を信じることができない。かつて自分を動かした「理」または「義」がじつは唾棄すべきもの、非理であり不義であると、認めざるをえなくなり、自分をささえていた真理の体系が自分の中で、崩壊するのを、経験しなくてはならない。すると、その先彼は、どういう「生」を生きていくことになるのか。
そこにはもう「正解」はない。
火事の中、地面に倒れた。と、誰かが自分の上に覆いかぶさり、気がついたら、その人はもう灰となり、すでに火は消え、自分はその灰に守られ、生きていた。その自分の真先にすべきことが、自分を守って死んだその人を否定することであるとしたら、そういうねじれの生の中に、そもそも「正解」があるだろうか。戦争に負けるとは、ある場合には、そういう「ねじれ」を生の条件とするということである。

(以上引用)

社会や人生に「正解」があるというお気楽な思想は脇に置いておいて、彼が指摘していることは珍しい指摘ではないが、いい指摘ではあると思う。ただ、その「ねじれ」を「何がどう変わったことか」明確に定義しないまま、話がどんどん進んでいく、「文系的」文章に見える。理系の筆者ならもっと明確に定義してから論じるだろう。
まあ、要は、敗戦を境にして、社会の中の「大義」(戦争推進)が「不義」に変わったということだろうが、それは「尽忠報国」という戦時には必須の「大義」が消えただけのことだろう。だが、国民の半分くらいはそういう「大義」を本気で信じていたかどうか怪しいものである。大半は目の前の生活に追われていて、政治信条はただ「お上」の言うことを口移ししていれば安全だっただけのことで、それは日本だけの特質ではない。戦争時には戦争時のエートス(「気風」と訳すべきか。)が社会を支配するだけのことだ。
それをことごとしく「ねじれ」と言うことで、戦後社会の「偽善性」を摘発し批判したことになるだろうか。生活者は常に生活に追われるだけのことで、批判するなら、生活に余裕の無い社会を批判するべきではないか。まあ、だからといって共産主義など私は推奨しないが、社会の極端な階層化とその永続化は批判する。
ただ、上記の引用文の中で、戦争で死んだ人々を否定する社会風潮(があるとしたら、その風潮)への反感を彼が書いているのは、頷ける部分もあるが、それはハゲ百田の「永遠のゼロ」のような戦争賛美、愛国主義の商売的利用と同じではないか、と思う。そして、戦争で死んだ人を否定する言説は、いくら左翼だろうがパヨクだろうが、言い立ててはいないだろう。しかし、戦死者への賛美は容易に戦争賛美、戦争推進につながるのである。

傍から見たらどうでもいい思弁的な議論を長々と続けて、その結論や主張が何か、読者には見えなくなり、議論の細部は間違っていないようなので、結論としては「世間の人間(特に左翼知識人)は馬鹿、俺だけが賢い」というのがその主張のように見えるwww
要するに、「論文は結論から書け」に尽きる。

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ウクライナ部隊の実態

「混沌堂主人雑記(旧題)」より転載。
私は、このシャンティ・フーラという、(ただの直感だが)スピリチュアル臭い名前が嫌いなのでほとんど読んだことが無いのだが、時々いい記事を書くし、取材幅が広い。

(以下引用)


シャンティ・フーラ  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・
西側の富裕層が大儲けするためにウクライナ戦争をやめられない / 米英に訓練されたウクライナ精鋭部隊30万人はすでに無く、低レベルの訓練で戦場に放り出される10代、60代のウクライナ人
 イギリスの首相だったボリス・ジョンソンがアメリカ各地でスピーチをして回ったそうです。反トランプの共和党の金持ち連中を集め、"デサンテスでもニッキー・ヘイリーでも、とにかくトランプでない人に政治資金を渡せ、ばら撒け"とアドバイスしたそうです。なぜかと言うと"このウクライナ戦争を最後まで続ける必要があるが、トランプが勝ったらこのウクライナ戦争が止まってしまう。このウクライナ戦争を続けてロシアを叩きのめせば、最終的に我々は大儲けできる投資だ"と。
 また、この元動画の11:10頃からは、ウクライナ兵について語っています。"2014年から米英はウクライナ兵への訓練を始めて、2022年に戦争を始めるまでの7年間で30万人から35万人の精鋭部隊を育てた。しかし今、その精鋭はほとんど死んだか、もしくは負傷して戦線に戻れない。今は数ヶ月、ひどい時には2〜3週間の訓練で前線に出される。ウクライナの男性の平均寿命は低くて62歳だが、すでに60歳過ぎた男性を狩り出している"と。
 まさにその、数ヶ月の低レベルな訓練で戦場に放り出された兵士の、奇跡的に降伏できた人々が証言をしています。「指導官はウクライナ人が殺し合いするのを楽しんでいた。前線に送らないと言ってたが噓。最前線で逃げると上官に撃たれる。」「月20K(7.7万)のサラリーと30Kのボーナス約束されたが、ボーナスはなくなり僕は行方不明扱いになる。家族がお金受け取ることもないだろう。」「召集に応じないと監獄行きだと言われた。別の部隊が襲撃され、補強が必要、10分で準備して前線に出ろと言われたが、砲火のカバーなく多数の死傷者が出て、拒否する者が続出した。敗退した場所にまた送られる。そうこうして包囲され、最後は降伏した。」
「訓練はFranceで受けた。英仏教官、英語で。襲撃訓練も受けたが、心理操作担当が来て、戦争だから露人を沢山殺せ、そうすれば早く戦争が終わる、と教えられた。」「露兵は戦闘訓練受けたプロだった。僕達は襲撃訓練受けてない、物資担当だったが、襲撃を命じられた..」
 西側が投資で大儲けするために、彼らはむざむざと殺される。
(まのじ)

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ツィッターが「観客お断りの演劇場」化

ツィッターの不具合が多発しているようだが、それ以前に、見るのに面倒な作業が必要になったのが問題だろう。誰でも簡単に見られるから情報発信手段として有能だったわけだし、広告主も多くの人に広告を見せることができたはずだが、自分から「見るな」としているわけだ。

(以下引用)
99:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 21:58:03.22ID:ddZ7iQY+0
広告を見せる商売なのにツイート見せないようにしてて草


113:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:00:19.73ID:mmCMFuEed
なんか世界が脱ネットに向けて動いてる気するな最近


185:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:09:44.11ID:bnrQt+l70
1回API制限に引っかかったアカはTLの更新もできなくなるらしい


118:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:02:00.21ID:qCHVcx5/0
ブラウザーedgeから見てるけど制限がなんたらでツイート取得できないね


151:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:06:24.93ID:hlWNgs4b0
どうせ掃除のおばちゃんがサーバのコンセント引っこ抜いて掃除機かけただけやろ


195:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:11:24.31ID:IZUKcIwc0
ツイッターに流れてた広告代ってどこにいったんやろな


207:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:14:52.00ID:KPtxE36Q0
ブラウザでも見れなくなった


158:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:07:07.57ID:X0pCw+V1M
redditクソ化twitter死亡でSNSは終わりや


154:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:06:44.23ID:s59/y4+n0
イーロンに買収されてから良くなった点が1つもねえな


153:それでも動く名無し: 2023/07/01(土) 22:06:40.15ID:ZSd1l9990
Twitterのトレンドって毎日のようにTwitterの話題(不具合)はいってるよな

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戦争と内乱

「櫻井ジャーナル」記事で、ロシア革命前後の話が面白い。
ラスプーチンについては西側マスコミがある事無い事書き立てて、世界の悪役にされているが、非常に興味深い人物である。

2023.06.29
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 ワグナー・グループを率いるエフゲニー・プリゴジンが引き起こした「反乱」は短時間のうちに沈静化、アメリカではウラジミル・プーチン政権の崩壊を妄想して興奮していたロシア憎悪の政府高官や「専門家」は落胆することになった。この「反乱」の真相は不明だが、プーチン大統領は「内乱」を阻止することに全力を尽くしたという。



 今回の「反乱」について語る際、プーチン大統領は1917年2月にペトログラード(現在のサンクトペテルブルグで起こったストライキから始まる内乱を引き合いに出している。



 この出来事は第1次世界大戦の最中に引き起こされた。ヨーロッパでは1914年7月28日にオーストリア-ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して大戦が勃発していたのだ。



 その当時、帝政ロシアではドイツとの戦争に積極的な産業資本家と消極的な大地主が対立している。産業資本家側には有力貴族のフェリックス・ユスポフが、また大地主側には修道士のグレゴリー・ラスプーチンがついていた。ラスプーチンの背後には皇帝アレキサンドロビッチ・ニコライ2世と皇后アレクサンドラがついていた。ドイツとロシアを戦わせようとしていたイギリスにとってラスプーチンは邪魔な存在だ。



 戦争を望んでいなかった皇后は7月13日にラスプーチンへ電報を打って相談、ラスプーチンは戦争が国の崩壊を招くと警告しているが、その内容を盗み見た治安当局は議会などにリーク、ラスプーチンは腹部を女性に刺されて入院することになった。入院中にロシアは総動員を命令、ドイツは動員を解除するよう要求。それをロシアが断ったため、ドイツは8月1日に宣戦布告している。ラスプーチンが退院したのは8月17日のことだ。



 すでにドイツと戦争を始めていたロシアだが、ラスプーチンが復帰したことでいつ戦争から離脱するかわからない状況。それを懸念したイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関のチームをペトログラードへ派遣。チームにはスティーブン・アリーとオズワルド・レイナーが含まれていた。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)



 アリーの父親はユスポフ家に雇われた家庭教師のひとりで、アリー自身はユスポフの宮殿で生まれている。またレイナーはオックスフォード大学の学生だった時代からユスポフの親友で、流暢なロシア語を話した。(前掲書)



 ペトログラードにおけるイギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月後半から11月半ばにかけて6度運んだという。ユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(前掲書)



 ラスプーチンは1916年12月30日に暗殺された。殺したのはユスポフだと言われているが、暗殺に使用された455ウェブリー弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を発射できる銃をもっていたのはレイナーだけだったという。



 ユスポフは上流社会の堕落に憤り、犯行に至ったとされているが、世界の上流社会は堕落している。そのようなことで憤る人物が上流社会で生きることはできない。このハリウッド映画風の説明に説得力はないのだ。事実を直視すれば、ドイツとロシアの戦争をイギリスが継続させたかったのだという結論に達する。ドイツとロシアの共倒れを狙っていたということだろう。



 二月革命で成立した臨時革命政府は戦争を継続する。そこでドイツは即時停戦を主張していたボルシェビキに目をつけたが、ボルシェビキの指導者は国外に亡命しているか刑務所に入れられていた。



 そこでドイツはボルシェビキの幹部32名を「封印列車」でロシアへ運ぶ。ウラジミル・レーニンは1917年4月に帰国、7月にボルシェビキは武装デモを行うものの、鎮圧されてしまう。レーニンはフィンランドへの亡命を余儀なくされた。この時、臨時革命政府軍の最高総司令官になったのがラーブル・コルニーロフ将軍。労働者や兵士を味方につける必要性を感じたのか、臨時政府は7月にエス・エルのアレキサンドル・ケレンスキーを首相に就任させた。



 ところが、コルニーロフが8月にクーデターを企てる。この武装蜂起にケレンスキー政府は対応できず、ボルシェビキに頼ることになった。そして十月革命につながり、革命政権はドイツの思惑通りに即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出した。



 レーニンの命令でボルシェビキ政権はドイツとの戦争を停止するものの、アメリカが参戦、兵員を送り込んだほか、イギリスやフランスに物資を供給してたこともあり、ドイツは戦争に負けた。



 しかし、そうした経緯があるため、大戦後、ドイツとソ連の関係は良好だった。両国の関係が悪化するのはドイツでナチスが実権を握ってからだ。ナチスはイギリスやアメリカの金融資本から資金的な支援を受けていたことがわかっている。



 帝政ロシアの崩壊はラスプーチン暗殺が山場であり、その背後にはイギリス政府が存在していたと言えるだろう。その手先がユスポフだ。


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推理小説とトリック

小説・脚本界の大ベテラン某氏の「天使と悪魔」(わざと題名を変えてある)を読んで、「小説」のうまさに感心したのだが、残念なことに、この作品は「推理小説」で、推理小説というのは、どんなに優れた小説でも「トリック」部分がダメだと「推理小説としては」評価はほぼゼロになるのである。
まあ、読んでいる間は面白かったから「推理小説」ではなく「小説」として評価すればいいだけで、トリックのダメダメな推理小説はドイルだろうがクイーンだろうがカーだろうが・ヴァン・ダインだろうがたくさん書いている。で、それらのトリックが失敗するのは、だいたいにおいて「物理トリック」の場合である。これが「心理トリック」や「叙述トリック」だと成功することが多い。物理トリックだと、それこそ、「そりゃあ、物理的に無理だろ」という感想になるか、「成功する可能性のあるトリックだが、失敗する可能性のほうが大きく、そもそもそのトリックを使う意味がない」ということが多い。
ちなみに、「天使と悪魔」のトリックの場合だと、欠点は「そのトリックで人は殺せないだろう」というものである。少し間をあけて、そのトリックと、それがなぜダメかを説明する。













さて、それがどういうトリックかというと、子供が遊びに使うパチンコを木に取り付けて、ガラスペンを弾丸代わりにして発射して人を殺す(あるいは大怪我をさせる)、というものである。
なぜ、ダメか。
1:子供のパチンコでは何を発射しようと殺傷力はない。刺突武器を発射して、それが人体を刺す力は不十分で、刺殺の可能性は非常に少ない。
2:ガラスペンは、刺突武器にはならない。眼球以外にはほとんど刺さらないはずである。このペンの先端は(鋭いとすぐに欠けるため)やや丸みを帯びており、たとえば千枚通しのような鋭さがない。衣服の上からだと怪我すらしないだろう。*なぜガラスペンを使ったかというと、水に入れると凶器が発見されにくいという、昔からよくある「透明武器」「消失武器」トリックである。


ただ、戦時を舞台とした推理小説というのは素晴らしい着眼であり、この作品の背景描写、つまり戦時中の日本社会の描写は実体験者らしく素晴らしく、人物描写も素晴らしいので、これが「推理小説」でさえなければ、良かったのに、と残念である。推理小悦作家は、なぜか自分の作品のトリックの非現実性に不感症であるようだ。

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新興宗教と伝統宗教

私自身の別ブログに書いた記事の一部で、引用記事はウィキペディアによる。一番馬鹿馬鹿しい部分を転載した。ブッダは悟りに至ることで輪廻を解脱したのだから、その「生まれ変わり(笑)」が存在するはずがない。つまり、幸福の科学の信者の知的レベルはそういうレベルだということである。、
私は伝統宗教を全肯定する者ではないが、その教えの大部分は社会道徳(広義の「通俗道徳」と言ってもいい)の基盤となり、社会の安定と幸福にも寄与してきたと思っている。ただし、私は仏教などは「哲学」と位置づけている。そのぶん害悪は少ない。宗教は、その宗教の存立基盤の真実性が「論証(反証)不可能」であることが本質なだけに、より厄介である。
「不合理ゆえに我信ず」という言葉こそ、宗教の本質である。合理的なもの、証明されたものは信ずる信じないの問題ではなくなる。ただの「事実」になるのであるから。つまり、「2+2は4」は宗教の問題ではない。しかし、どこかの詐欺師が「自分はキリストの生まれ変わりだ」と言うと、それを信じる人がかなり出て来る。それは、論証(反証)が不可能だからだ。キリストだって、悪魔が「この石ころをパンに変えてみろ」、と言うと「人はパンのみに生くる者にあらず」と詐欺師的答弁をしている。
だが、宗教を全否定できないのは、たとえばキリスト教社会がキリスト教を廃棄した時、そこに残ったのは「神の処罰はない」つまり、「どのような悪も可能である」という無道徳社会であったことだ。そこが、日本のように、社会道徳の基盤に宗教が必ずしも必須でなかった社会との違いだ。
だが、昔は(庶民が自分たちの貧しさへ不満から自分を精神的に守る方便だったかもしれないが)物欲の強さを恥じる社会だったことが日本社会を清潔に保っていたが、物欲完全肯定社会になったこれからはどうなるか。広義の「通俗道徳」が無くなったら、無道徳社会になる、と私は思っている。(いちいち「広義の通俗道徳」と書くのは、道徳とは基本的に通俗なもの、つまり一般社会に広まっているものだからだ。通俗でない、つまり一般人のものでない「高尚な」道徳など「趣味」の類である。狭義の道徳なら、殺人者にもある。テロリストは道徳の塊だろう。我が身を犠牲にして世界を救う意思の体現者なのだから。)


(以下引用)

「幸福の科学」については、詐欺的新興宗教だとしか思っていないが、土台が仏教にあるらしく、自分をブッダの生まれかわりだとか宇宙の至高神だとか称するトンデモな部分はあるが、教義自体はまともな部分が多いようだ。以下、ウィキペディアから一部転載。
しかし、信者たちは、こんな品の無い顔をしたブッダや至高神がいると、よく信じたものである。

(以下引用)

教義

大川隆法は、地球神「エル・カンターレ」として、古今東西の宗教や思想を統合し、新しい心の教えを広めることでユートピアを創り、人々を救済する救世主として自己の存在を位置づけた[48]。教義には、仏教キリスト教スピリチュアリズム神智学、光明思想などとの類似もあるが、この3千年間の地球上の文明での偉人たちを霊天上界世界から地球神として地上に遣わし人類を導いてきていたとしている[49]


宗教法人「幸福の科学」では、大川隆法が多数の法話で説いた「仏法真理」を教義とし、この仏法真理の「探究・学習・伝道」を通じての「この世とあの世を貫く幸福」と地上ユートピアの建設を目指しているとする[5]

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炭素悪玉説のナンセンス

田中芳樹の初期短編小説「いつの日か、ふたたび」より

(以下引用)

「四季の変化はなぜ起こる? クロフォード」
「それはお前、地球の公転軌道面と赤道面とが、23・5度開いているからさ。別の言いかたをすれば、地軸が太陽に対して23・5度傾いているからだ。したがって地球上の一点は太陽に対して遠くなったり近くなったりし、寒暑の差が生じる」
「ところが二畳紀の末までは地球に四季の変化はなかった。植物化石の年輪の有無でそれがわかる。二畳紀前半の植物化石には年輪がないのに、三畳紀を経てジュラ紀のそれになると、明確な年輪が現れる。つまり、この間に、地球上に四季の変化が生じたわけだ」

(以上引用)

「二畳紀の末まで地球に四季の変化はなかった」ということは、それまで地球の地軸は地球の公転軌道と垂直だった、つまり地軸の傾きはなかったということだ。それが23.5度と大きく傾いたのが三畳紀であったわけだ。ということは、その傾きの変化が再度起こる可能性は確実にあるということで、それが大きな気候変動を起こすことは言うまでもないだろう。
仮に、地球に大きな気候変動が起こるとしたら、それは「地球温暖化」などのためではなく、地軸の傾きの変化のためとなるだろうし、温暖化があろうとも、それは気候変動そのものであって気候変動の原因ではない。つまり、化石燃料の使用や牛のゲップが地球温暖化や気候変動をもたらすというのはナンセンスでしかないということである。
有機生物は炭素原子を必ず持つのであり、つまり炭素は生命の源と言っていい。炭素悪玉説ほどのナンセンスはない。植物は二酸化炭素と水と日光で光合成を行ない、それがほとんどすべての生物の食物循環の土台になる。二酸化炭素が無ければほとんどの生命は存在しない。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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