ひろしかっこE
これはgood
衣装が小綺麗過ぎるんや
当時の素材で作ってエージング加工すればそれなりに見れる
主演が山崎賢人って決まっててそこから漫画原作選ぶようなやり方やぞ
こいつキングダムの演技はかなり良かったが
アシリパさんが大人なのはしゃーない
気の赴くままにつれづれと。
昨日、気まぐれで新訳新約聖書を少し読んで、パウロのローマ人への手紙のところで、「こういうことを今のLGBT運動の連中の前で言ったら、磔(はりつけ)にされるだろうなあ」、と笑ったが、未だにアメリカで聖書が禁書扱いされていないのが不思議なくらいである。なお、「新約」とは、神と人類(ユダヤ人のみが人類www)との「新しい約束(契約)」の意味である。上で「新訳新約聖書」と書いたのはミスではない。昔は堂々たる文語文の聖書日本語訳があったのである。特に雅歌や伝道の書などは文語文でないとその美しさは分からないだろう。
(引用1)ここに書かれたパウロの言葉に私は同意しているわけではない。もともと私はパウロはキリストの思想を捏造した「アンチクリスト」そのものだと思っている。しかも下の言葉の赤字部分は、神こそが悪の根源だ、と言っているに等しい。引用文の後段では、パウロが勝手に神の心を代弁していて、つまり自分の言葉は神の言葉に等しいという傲慢不遜な行為をしている。これは多くの新興宗教の教祖によくある行為である。つまり彼らは「自分こそが神だ」と称する不埒そのものの連中なのである。日本の鎌倉仏教も同様に、自分は釈迦を超えている、としているのである。青字にした部分は、よくこれだけ同性愛者を罵倒できるなあ、と思う。
こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲にお渡しになった。そこで、女たちは男との自然な関係を捨てて女どうしの不自然な行為にふけり、男たちも同様に、女との自然な関係を捨てて、男どうしで情欲を燃やし、男が男に対して恥ずべきことを行ない、そういう誤った行為に対する当然の報いを受けている。
この種の男女は神を認めることを故意に拒否した。だから神も彼らをお見捨てになり、彼らの心が腐っても、彼らが不当きわまる行為に走っても、あえて放っておくことにされた。こういう男女は、あらゆる悪徳と、邪心と、貪欲と、悪意とに満ち、ねたみや、殺意や、敵対心や、欺瞞や、怨念にあふれ、折りあるごとに陰口をたたき、他人の名誉を傷つけ、神を憎み、人を見下し、高慢ぶりを発揮し、大げさな自慢話をし、絶えず新しい悪事を考え出し、親の言うことも聞かない。他人への配慮も、契約を守る誠実さも持たず、自然な愛情も、人への思いやりもまるでない。彼らは、そういう無法を行うことが死罪に当たるという神の定めを承知しているくせに、平気でそれをやってのけるだけでなく、同じことをしている他人を見て喜ぶという始末だ。
(引用2「大摩邇」より転載)現代の「LGBT」運動批判の文章だ。
>9・11パニックのなかで成立した愛国者法を皮切りに、
アメリカ社会は根底から変えられていきました。
テレビをつけると、政府方針を擁護するコメンテーターばかり並び、
学校に小さな工作用ハサミを持ってきた小学生の女の子が
警察に連行されたというニュースが流れます。
空港のゲートには洋服を着たまま丸裸に映る屈辱的なミリ波スキャナーが設置され、
国中につけられた3000万の監視カメラから、週に40億時間分の映像が警察に送信。
憲法を教えていた教師が正当な理由なく解雇され(授業内容を監視されていた)、
非公開の軍事法廷で、大した証拠もなく大量のテロ容疑者が拘束されていきました。
(中略)
未果さんはPTSDを発症。悪夢と眩暈に悩まされる…
野村証券を辞め、日本に帰国、いくら食べても痩せていき、塞ぎこんでばかりの日々。
そんなとき、お母さんが、
荒行で有名な山で修業を終えた坊さんのところへつれていきました。
(--)b ハイ、ここからが本題です。
>その人は、気の抜けた私を見て、言いました。
「心が動かなくなっているのは、情報が入り過ぎているからです」
そして、聞いたことのない不思議な修行「人断ち」を勧められたのです。
それは、一定期間、徹底的に外部とのコミュニケーションを断つというものでした。
人と会うだけでなく、電話もファックスもメールもダメ。
もちろん、パソコンを開くのも禁止です。
外からの情報を入れず、過去も未来も考えない。
「引きこもり」のようですが、本も読めない。チャットも掲示板もダメ。
外に出ることはできます。
ただ、だれとも会わず、会話せず、毎朝起きて体を動かし、
自分と、自分のからだとだけ「会話」する。
毎朝起きて、からだを動かし、
毎週配達される食材で作ったご飯を一人で食べて、
神社に散歩に行き、またご飯を食べてお風呂に入って寝る。
ウォール街での生活は、24時間情報が飛び交い、「出遅れたら負け」。
仕事も会話も、すべてがスマートで無駄がない。
それが真逆の世界…、時計もなく、音もなく…
はじめは、情報に対する飢餓感で不安になりました。
だれかとつながりたいという欲求も高まりました。
しかし、10日も経つと、少しずつ変化が出てきたのです。
「体感」が、戻ってきたのです。
自分の手のぬくもり、立った時に足の下にある地面、
さらさらと風にそよぐ葉の音に、鳥たちのさえずりに虫の羽音。
木漏れ日のきらめきや、朝と夜の空気の密度と匂い。
道端のタンポポの鮮やかな黄色…
まるで、
いままで一時停止していた五感が、再起動してフル稼働し始めたかのようでした。