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老化とビタミン欠乏

目の異常(しょぼつき、涙の分泌過剰など)や、足の筋力低下(寝ている時に、姿勢を変えると激しい痛みがある)など、体の不調が続いていたので、使用中の薬の副作用を調べてみると、筋力低下(骨格筋減少:症状は足に出やすいらしい)はおそらく薬(糖尿病予防薬)の副作用であった(薬を停止して症状がなくなった)ようだが、目の不調の原因が不明だったので、目薬のことを調べてみると、ビタミン(B、D)不足が原因のようだ。老化が主原因だろうが、それはつまり、老化によってビタミンがうまく摂取できないということのようである。私はサプリメントというものを馬鹿にしていたが、目薬を差し、ビタミン入りゼリーをひとつ食べると、症状がかなり軽快した。つまり、やはりビタミン不足が原因だったようだ。

(以下引用)

ビタミンB12欠乏症

(悪性貧血)


執筆者: 


Larry E. Johnson 

, MD, PhD, University of Arkansas for Medical Sciences

レビュー/改訂 2019年 10月
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ビタミンB12欠乏症は、サプリメントを摂取しない完全な菜食主義者に発生したり、吸収障害の結果として発生することがあります。



  • 貧血が起こり、蒼白、筋力低下、疲労が生じ、重度の場合には息切れやめまいも起こります。



  • 重度のビタミンB12欠乏症によって神経の損傷が起きることがあり、手足のチクチク感や感覚消失、筋力低下、反射消失、歩行困難、錯乱、認知症が起こります。



  • ビタミンB12欠乏症の診断は、血液検査の結果に基づいて下されます。



  • 高用量のビタミンB12のサプリメントを摂取すると、貧血による症状は消失する傾向があります。



  • 神経の損傷や高齢者における認知症による症状は残ることがあります。



ビタミンB12(コバラミン)は葉酸とともに、 赤血球の形成と成熟、および細胞の遺伝物質であるDNA(デオキシリボ核酸)の合成に必要です。ビタミンB12はまた、正常な神経機能にも必要です。肉(特に牛肉、豚肉、レバーなどの内臓肉)、卵、栄養強化シリアル、牛乳、アサリ、カキ、サケ科の魚、ツナ(マグロなど)などには、ビタミンB12が豊富に含まれています。(ビタミンの概要も参照のこと。)



他の大半のビタミンと違い、ビタミンB12の場合は体に必要とされるときまで、十分な量が主に肝臓に蓄えられています。このビタミンを摂取しなくなった場合、通常は約3~5年で体内に蓄えられている量が使い切られます。



万能薬として高用量のビタミンB12をとるべきではありませんが、多量に摂取しても毒性はないと考えられるため、ビタミンB12を大量に摂取しても心配はありません。



ビタミンB12は、動物由来の食品に含まれています。正常であれば、ビタミンB12は小腸から大腸へとつながる小腸の最後の部分(回腸)で容易に吸収されます。しかし、胃で産生されるタンパク質である内因子と結合しないとB12は吸収されません。内因子がないと、ビタミンB12は腸を通過し、便と一緒に排出されてしまいます。



ビタミンB12は成熟した血球細胞をつくるのに必要であるため、このビタミンが欠乏すると 貧血になることがあります。この貧血は、異常に大きな赤血球(大赤血球)と異常な白血球を特徴とします。肝臓に大量のビタミンB12が蓄えられているため、貧血が発生するのは欠乏が始まってから3~5年後になることがあります。



ビタミンB12欠乏症は、貧血が発生しなくても神経の損傷(神経障害)を引き起こすことがあります。


原因


ビタミンB12欠乏症は以下の場合に起こることがあります。



  • ビタミンB12の摂取が不足している場合。



  • 体がこのビタミンを十分に吸収、貯蔵することができない場合。


摂取不足


ビタミンB12欠乏症は、動物性の食品をとらない人(完全な菜食主義者)がサプリメントを服用しない場合に起こります。完全な菜食主義者の母親に母乳で育てられている乳児は、ビタミンB12欠乏症になるリスクが高くなります。他の人では、摂取不足によって欠乏症が起こる可能性は低くなります。







吸収不良


ビタミンB12欠乏症の最も一般的な原因は、吸収不良です。吸収不良の原因として以下の状態が挙げられます。



内因子が不足する原因の1つは自己免疫性萎縮性胃炎という自己免疫反応で、これは免疫システムの過剰反応によってつくられた異常抗体が、内因子をつくる胃の細胞を攻撃して破壊してしまう反応です。胃の内因子を生成する部分が手術で除去された場合にも内因子が不足します。内因子の不足によるビタミンB12欠乏症は、悪性貧血と呼ばれる貧血を起こします。



高齢者では、胃の酸性度が低下するために吸収が不十分になることがあります。胃の酸性度が低下すると、摂取した肉に含まれるタンパク質からビタミンB12を取り出す能力が低下します。しかし、ビタミンサプリメントに含まれるビタミンB12は、胃酸が減少した人でもよく吸収することができます。







貯蔵不足


体内のビタミンB12のほとんどが肝臓に蓄えられているため、肝疾患がある場合にはビタミンB12の貯蔵が妨げられることがあります。








症状


ビタミンB12欠乏症による 貧血は徐々に発生し、体はある程度その状態に適応できます。そのため、貧血は重度でも症状が軽い場合があります。



貧血の症状は以下のものです。



  • 蒼白



  • 筋力低下



  • 疲労



重度の貧血では、息切れ、めまい、心拍数の増加が生じます。ときに、脾臓や肝臓が腫大することもあります。



内因子不足による悪性貧血のある若い成人は、胃がんや他の消化管のがんを発症しやすくなります。



神経に損傷のある人では、腕と比べて脚により早くより高頻度に影響が出ます。手足にチクチクした感覚が生じたり、脚、足、手の感覚が失われたりします。腕や脚に力が入らなくなることがあります。自分の腕や脚がどこにあるか(位置覚)が分かりにくくなったり、振動を感じられない場合もあります。軽度から中等度の筋力低下が起こり、反射が消失することがあります。歩行が困難になります。



錯乱、易怒性、軽い抑うつが生じる場合もあります。ビタミンB12欠乏症が進行すると、せん妄、パラノイア(他人に危害を加えられると思い込む)、および認知症などの精神機能障害に至ることがあります。







診断


  • 血液検査



  • 若い成人で、ときにシリング試験



  • ときに内視鏡検査



通常、ビタミンB12欠乏症は通常の血液検査で大きな赤血球が見つかった際に疑われます。ときに、チクチク感や感覚消失といった神経損傷の典型的な症状がみられる場合に疑われることもあります。欠乏症が疑われる場合には、血液中のビタミンB12の値を測ります。



通常、医師は 葉酸欠乏症(これも大きな赤血球の原因となります)の可能性を否定するため血液中の葉酸値も測定します。



高齢者でビタミンB12欠乏症が確認された場合には、原因(例えば、胃の酸性度が低いなど)は通常は深刻なものではないため、他の検査は行われません。若い人の場合は、原因を突き止めるために他の検査(別の血液検査など)が行われることがあります。これらの検査(シリング試験など)では、通常、内因子に焦点をあてます。





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刑務所よりひどいスポーツ強豪校のいじめ

少し長い記事なので途中で終わるかもしれない。あきれるほど凄惨ないじめだが、スポーツ強豪校の部員の精神構造は、案外こんなものなのではないか。完全に暴力団や不良の精神である。

(以下引用)

《静岡の強豪私立・磐田東高に警察捜査》剣道部寮で凄惨いじめ「裸画像をメルカリ出品」「ビンタSNS動画」複数部員の喫煙、暴力を公表せず


配信

NEWSポストセブン

剣道強豪校でいじめ






発覚したいじめの数々



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手紙配達者(文づかい)25

式部官が突く金房の付いた杖が寄木細工の板に触れてとうとうと鳴り響くと、天鵞絨(びろうど)張りの扉が一時に音もなくさっと開いて、広間の真ん中に一本の道が自然に開け、今宵の六百人と聞いた客たちがみな「く」の字のように身体を曲げ、背の中ほどまで切り開けて見せた貴婦人の頸(くび)、金糸の縫模様のある軍人の襟、またブロンドの高髷(まげ)などの間を王族の一行が通り過ぎなさる。真っ先には昔ながらの巻き毛の大仮髪(かずら、鬘)をかぶった舎人(とねり)が二人、ひき続いて王と妃の両陛下、ザクセン、マイニンゲンの世継ぎの君夫婦、ワイマール、ショオンベルヒの両公子、これに主な女官が数人従っている。ザクセン王宮の女官は醜いという世間の噂どおり、いずれも顔立ちが良くない上に、人の世の春さえ早くも過ぎた者が多く、中には老いて皺だらけであばら骨をひとつひとつ数えられそうな胸を、式なので隠すこともできず出しているなどを額越しに見ていると、心待ちにしていたその人は来ず、一行が早くも果てようとする。その時、まだ年若い女官がひとり、殿(しんがり)に堂々と歩いて来るのを、そうだろうか、そうでないだろうかと仰ぐと、これこそ我がイイダ姫であった。

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手紙配達者(文づかい)24

王都の中央でエルベ河を横切る鉄橋の上から眺めると、シュロス、ガッセにまたがる王宮の窓が今宵は特にひかり輝いている。私も招待の数に入り、今日の舞踏会に招かれたので、眺めていると、アウグスツスの広小路に列をなした馬車の間をくぐり、今玄関に横付けした一両から出て来た貴婦人が、毛皮の肩掛けを随身に渡して車の中に隠させ、美しく結いあげた黄金色の髪と、まばゆいほどに白い襟元を露わにして、車の扉を開いた帯剣の護衛者を振り返りもせず入った後で、その乗った車はまだ動かず、次に待っている車もまだ寄らない間(ま)を計り、槍を手にして左右に並んだ熊毛兜(帽子)の近衛兵の前を過ぎ、赤い毛氈を一筋に敷いた大理石の階段を上った。階段の両側のところどころには、黄羅紗に緑と白の縁取りをした制服を着て、濃紫(こむらさき)の袴を穿(は)いた男がうなじを屈(かが)めて瞬きもしないで立っている。昔はここに立つ人がそれぞれ手燭を持つ習いだったが、今は廊下も階段も瓦斯灯を用いることになって、それは無くなった。階段の上の広間からは、古風を残した吊り燭台の黄蝋(ろう)の灯が遠く光の波を漲(みなぎ)らせ、数知れぬ勲章、肩章、女服の飾りなどを射て、祖先代々の油絵の肖像の間に挟まれた大鏡に照り返されている有様、言うのも今さらである。

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手紙配達者(文づかい)23

一月中旬に入って昇進任命などにあった士官とともに、奥のお目見えを許され、正服を着て宮廷に参り、人々と輪になって一間に立って臨御を待つうちに、老いて体のゆがんだ式部官に案内されて妃が出ていらして、式部官に名を言わせて、ひとりびとり言葉をかけ、手袋を外した右の手の甲に接吻させなさる。妃は髪は黒く、背は低く、褐色の御召し物があまり見栄えがしない代わり、声音がとてもやさしい。「あなたはフランスとの戦いに功績のあった誰それの親族か」など懇ろに話しかけなさるので、いずれの者も嬉しいと思っているだろう。従ってきた式典の女官は奥の入り口の敷居の上まで出て、右手に畳んだ扇を持ったまま直立している、その姿がとても気高く、鴨居柱を額縁にした一枚の油絵に似ていた。私は何気なくその顔を見たら、この女官はイイダ姫であった。ここに、そもそもどうして。


* * * *

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「自由という魔境」

私自身の別ブログに書いたものだが、仮説として面白いので、ここにも載せておく。

(以下自己引用)
「壺斎閑話」記事の末尾で、中村某という者が、ドストエフスキーは生涯にわたって精神病者だったという説を出していることについての文章である。まあ、その当否は別として、下の部分は面白い。

四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいた

という部分である。「したいた」は「していた」のタイプミスだろう。
これは、精神病を考えるうえで、面白い話である。つまり、「自由こそが精神を病ませる」という仮説だ。監獄や病院にいる時は拘束状態だから、「自由をあきらめる」。それが精神の安定をもたらすのではないか。あるいは、「自由」の代わりに「夢」や「希望」を置いてもいいかもしれない。夢や希望を失った状態こそが精神が一番健全に働くのではないだろうか。
そこで想起するのが、「冬の散歩道」の中の

when I look about my possibility  (look aroundかもしれない)
I was so hard to please

という一節だ。この「気難しさ」が、精神の不健康さの徴候だろう。青年期が精神の危機の時であるのも、まさに夢や希望や可能性の中で迷いに迷うからではないか。つまり、カフカ的迷宮の中にいるのである。


(以下引用)

そんなドストエフスキーだが、不思議なことに、四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいたと中村は言う。じっさいドストエフスキー自身も、「懲役のほうが気持ちが穏やかだった」と口癖のように言っていたそうである。なぜ彼がそんなふうに思ったのか、それについては詳しく立ち入って考えていない。監獄のなかでは、他人との関係が単純化されるので、精神的なストレスも緩和され、異常な精神状態に陥ることが少なくなった、あるいはなくなってしまった、ということだろうか。もっとも、この懲役中に癲癇の発作が始まったわけで、それをどう考えるかは、また別の問題である。
いずれにしても、ドストエフスキーが統合失調をほぼ生涯にわたって患っており、その症状を直接描写することで、かれの作品世界が形成されたとする中村の推論は、その有効性はともかく、面白い試みである。

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手紙配達者(文づかい)22

 入日は城門に近い木立から虹のように洩れ、そこに河霧が立ち添って、おぼろげになる頃塔を下ると、姫たちはメエルハイムの話を聞き終えて私たちを待ち受け、連れ立って、新たに灯を輝かせている食堂に入った。今宵はイイダ姫が昨日とは変わって楽し気にもてなしたので、メエルハイムの顔にも喜びの色が見えた。
 翌日、ムッチェンの方へ志してここを立った。

 * * * *

 秋の演習はこれから五日ほどで終わり、私たちの隊はドレスデンに帰ったので、私はゼエ・ストラアセにある館を訪ねて、先にフォン・ビュロウ伯の娘イイダ姫に誓ったことを果たそうとしたが、固(もと)より土地の習いとして、冬となって交際の時節が来ないうちは、このような貴人に逢うことは容易でなく、隊付きの士官などの常の訪問というのは、玄関の傍の一間に延引されて、名簿に筆を染めるだけなので、思うだけで訪問はせずに終わった。
 その年も隊務が忙しい中に暮れて、エルベ河上流の雪解けに蓮の葉のような氷塊が緑の波に漂う時、王宮の新年華々しく、足元が危うい蝋磨きの寄木床を踏み、国王の御前近く進んで、正服姿も麗しい立ち姿を拝し、それからふつか三日すぎて、国務大臣フォン・ファブリイス伯の夜会に招かれ、オーストリア、ババリア、北アメリカなどの公使の挨拶が終わって、人々が氷菓に匙を下ろす隙(ひま)を覗(うかが)い、伯爵夫人の傍へ歩み寄り、事の次第を手短に陳(の)べて、首尾好くイイダ姫の手紙を渡した。


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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