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貨幣経済が商人層の必然的富裕化と、生産者と消費者の貧困を招くメカニズム

このブログには似合わない経済論だが、思い付きを連ねるだけの記事である。しかし、マルクスだろうが誰だろうが、どの経済学者も言っていない(と思う)根源的経済論だ。

それは、「商人が肥え太るのは、貨幣経済がもたらす必然である」という思想だ。

これは、たとえば江戸時代の商人の富裕化と江戸幕府財政の逼迫と幕府滅亡の根本でもある。
ひいてはDSの世界支配の出発点でもある。

単純に言おう。

1:物々交換では、商人は存在する必要はなく、交換機会は基本的に一度だけで済む。
2:貨幣経済では、取引に貨幣が介在し、「生産者→消費者」という、一回だけの交換だけではなく、商人(仲買人)という存在が発生する。つまり「生産者→仲買人→消費者」となる。(貨幣そのものは「蓄積可能(貯蓄可能)」という大きな便宜のために、存在し始めると永続的になる。)
3:1のような「1回限りの交換」ではなく、交換回数が複数回になることで、商品価格は「仲買人の利益」分をその都度上乗せし、必然的に消費者は高い商品を買い、生産者は安く買われることで、社会経済上の「相対的貧困層」に落ちていく。つまり、「商人は必然的に相対的富裕化する」。

これが、商人階級の必然的富裕化と生産階級の必然的貧困化(ひいては「安いものを高い値段で買うしかない」消費層の必然的貧困化)のメカニズムである。
なお、取引において、商人は実は自分のカネを使っていない、という説も3の前に書いたが、これはタイプミスで消えてしまった。(要するに、消費者の払うカネから自分の利得を引いて、生産者に払うのだから、商人自体は「下手クソな商売人」でないかぎり、原理的には「自分のカネ」は使わないで済むことになる。ただ、そういう甘い汁の吸える商売にはライバルも多いのは当然だ。)


(以下は、上の文章に比べると「学術性」が低いので、駄弁として聞けばいい。)

なお、ドルの極限的膨張と破裂の予想により貨幣経済の終焉を予見したDSによる対策が「世界人口削減」「15分都市(商業経済の極限的縮小)」「中央銀行発行デジタルマネーによる人民奴隷化」である。
「15分都市」(もっと言えば、世界人口削減も同様だ。)が商業経済の極限的縮小を招くことは誰も言っていないようだ。つまり、商業経済(資本主義)の自殺だが、しかし、別の方法でDSは世界支配者の地位を守るつもりで、それがデジタルマネーである。これは必然的に人民の奴隷化になる。デジタルパスポートも同じであり、ひいてはマイナバーカード電子化も、その雛型だ。
WEFが世界の政府指導者を「育ててきた」のも、上記「対策」の準備だろう。つまり、ドルの破裂はDSにとってはずっと前から自明だったわけだ。

(追記)「紙屋研究所」ブログを読んでいたら、次のような一節に出会った。私はマルキシズムを概念でしかしらないが、マルキシズム批判者だ。しかし、下のエンゲルスの言葉には聴く価値がある。ただし、「空想的社会主義」と「科学的社会主義(マルキシズム)」の比較や呼び方についての紙屋氏の言葉は論理の捻じ曲げ、狡猾な強弁だろう。あくまで「空想的」は蔑称であり、「理性的」という褒め言葉とは大違いだ。その「理性的」への批判が今の時代に多少あるとしても、理性的をけなし言葉と思う人はいるまい。まして、マルキシズムを「保守的社会主義」と呼ぶに至っては、詐欺的言辞の極みだろう。冗談としても、あまりに悪質だ。

(以下引用)


 ただ、共産主義、とりわけマルクス主義科学的社会主義)は理性主義の批判者である。理性主義の批判者であると同時に保守主義の批判者でもある。そして両者に対する批判的継承者である。


 ぼくはそのことについて何度かブログで書いている。たとえばこれ


フランス革命の後「理性主義」を批判してバークのような「保守主義」が登場したが、頭の中でこしらえただけの「理性」でもなく、単純な今あるものを肯定する「保守」でもなく、現実の中から新しい理想の萌芽が生じるというまさに科学的社会主義マルクス主義の真骨頂がここにあるのではないのか〔…中略…〕世界の現実の中から必然的な理想が生まれ、それに基づいて世界に働きかけるという態度は、マルクス主義であり〔…略…〕


 これはまさにエンゲルス『空想から科学へ』で展開されている。


 エンゲルスは、フランス革命啓蒙思想に基づく「理性によって社会を改造する革命」であったとする。しかし、エンゲルスもやはり、その「理性主義のゆきすぎ」をあれこれ面白おかしく紹介している。


要するに、啓蒙思想家たちのすばらしい約束と比較して、「理性の勝利」によって打ちたてられた社会的・政治的諸制度は人々を激しく幻滅させる風刺画であることがわかった。(『マルクス・エンゲルス8巻選集7』大月書店、p.43)


 そして、社会変革が何によって推進されるかを次のように説く。


〔…略…〕あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因は、人間の頭のなかに、永遠の真理や正義についての人間の洞察がますます深まってゆくということに、求めるべきではなく、生産および交換の様式の変化に求めなければならない。それは、その時代の哲学にではなく、経済に求められなければならない。現存の社会諸制度は非理性的で不正であり、道理が非理となり、善行がわざわいとなったという洞察がめざめてくるのは、生産方法と交換形態とのうちにいつのまにか変化が起こって、以前の経済的諸条件に合わせてつくられた社会制度がもはやこの変化に適合しなくなった、ということの一つの徴候にすぎない。このことは、同時に、あばきだされた弊害をとりのぞくための手段も、やはり変化した生産関係そのもののうちに——多かれ少なかれ発展したかたちで——かならず存在している、ということを意味する。これらの手段は、けっして頭のなかから考えだすべきものではなくて、頭をつかって、眼前にある生産の物質的諸事実のうちに発見しなければならないのである。(同前p.60)


 つまり、「人間が頭で描き出した人工的な理性ではなく、社会の中で現実に育っていく法則的に生じてくる新しい萌芽が、現状の中から生まれながら現状を変えていく理想としての力なのだ」という表明がある。そうした現実の社会発展の法則を認識して、新しい社会を展望するところに「科学」の所以があり、そのために「空想的社会主義」(理性主義的社会主義)ではなく、「科学的社会主義」と自称するのである。なんなら「保守主義社会主義」と言ってもいいだろう(笑)。




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或る「精神革命」? www

「神戸だいすき」記事で、記事筆者の人生が(かなり)正直に書かれていると思える。もちろん、公に出した文章だから、すべてが本当とは思わないが、彼女の主観的には「事実」がほとんどだろう。彼女の夫の側から見たら、全然違うかもしれない。
宗教的というか、超自然的な「憑依」や除霊の話は、私は全然信じていない。夫君の「性格が変わった」のは、彼自身の心の中で何かの変革が起こったのではないか。まあ、周囲から見て「人間そのものが変わった」と見られるほどの変化が起こるのは珍しいだろうが、人間は自分の思想によって自分を作るものだから、不思議でも何でもない。べつに悪霊が出て行ったわけではないだろう。
神戸だいすき女史は、働き者の頑張り屋だと思うが、その反面「他責志向」の強い人間だと私には見えるから、女史と暮らしている人間(特に怠け者)は、ちくちく責められていた可能性が強い。その男がもともとは男権的な性格を持っていた場合、その非難がトリガーとなって、暴力的な言動やエゴイスティックな性格を露呈するようになったという可能性が高いように思う。つまり、霊とか宗教とはまったく無関係な話として下の記事は読める。あるいは、転院した病院で、優れた人格の人間(医者や看護婦、あるいは同じ病室の患者)の精神的影響を受けたのかもしれない。

(以下引用)



本当に、主人の人柄が変わってしまったのです。

今日、主治医に会えたから「精神安定剤が効いているのでしょうか?」と、尋ねると「いいえ、むしろ、最近は、減らしているんですよ」と、言われた。

本人は、幸せそうに「24年前、55歳で、倒れて、ここでリハビリをしたことと重なって、気持ちが若返る」と、喜んでいる。

大変穏やかで、いかにも、善良。

こんな人だったかなあ?

いや~違うよ、ささいなことで、かっとなって、物を投げつけるような、扱いにくい人だった。

でも・・・

いや・・・まさか・・・そんなこと?

もしかしたら、であった頃の「好青年」に見えた、あの人かもしれない。

結婚したら、人は変わるというけど、これが、そうなのか?と、思った。
主人の両親は、息子の変貌ぶりに、嫁が悪かったのかと、私のことを、よく思っていなかった。

ようやく、実家での不幸せな暮らしから、逃げ出したのに、次の罠が待っていた…と、私は思った。

何年もたって、ついに、もはや、これまでと、死ぬことまで考えて、宗教教団の門をたたいた。

夢に、主人の祖父が現れ、名前を名乗って、うしろから、私の首を絞めて「苦しいか?わしは、こちらへきてから、ずっと、この目におうている。その姿を、お前の夫に現わしている」と言った。

さかのぼること、8年前。
結婚して8か月たったある夜、2月だった。
夜中の3時に、夫が、私を起こして
「今、左の手足の先から、冷たいものが入ってきて、カラダの半分が氷みたいになった。俺は、このまま死ぬのかな・・・」と言った。

そんなこと言われても・・・

夜中の3時に、起こされてもね~もう一度寝てしまったよ、私は。

けれど、その翌日から、彼の人柄が変わった。

前の日まで、会社から、すっ飛んで帰ってきては、その日あったことを、しゃべりながら、私の後を追っていたのに・・・

苦しい苦しいと言い出して、不機嫌になった。

検査の結果高血圧になっていた。

初めの数年間は、苦しがるだけだったけど、やがて、凶暴になって、子供たちは、父親を見ると泣いた。私は、一人で子育てをしなければならなかった。

少しでも口答えをしたら、物を投げつけられた。
弟が、精神異常で実家にこもっていなければ、離婚して帰ることもできたけど、あっちもこっちも、火の車だった。

本当につらい時、人は「つらい」なんて言葉は口にしない。そんな余裕がない。今この時を、なんとかしてしのぐだけだ。

しのいでしのいでなんとか、暮らしたけど、弟が「幻聴を聞く=統合失調症」だと、気づいたとき、私の絶望は、あまりに深かった。
当時、統合失調症は遺伝すると思われていた。

この子たちの将来はどうなる?
もうこうなったら、この子たちの手を引いて、踏み切りに飛び込むしかない・・・

そこまで追い詰められて、私は、ついに宗教の門をたたいた。

主人の祖父のお施餓鬼をすると、主人の苦しみが、少しましになった。

でも、私は、宗教にそういう力があるとは、信じなかった。
だから「試した」

主人が苦しくなくなったと、言ったとき、ならば、もっと、祖父のお施餓鬼をしようとは思わなかった。本当に、祖父が主人に憑依して苦しませているのなら、許せないほど腹が立った。
私は8年間、苦しんだ。

なんで、そんな相手にお施餓鬼をしてやらなくっちゃならないとも思ったし、

お施餓鬼用紙に名前を書いただけで8年間も苦しんだものが、改善するだなんて、私は、迷信深くはないぞと思った。

だから、その次「苦しい」と言い出すまで、ほっておいた。
3週間後に「息が苦しい」というから、しょうことなしにお施餓鬼をすると、たちまち、楽になった。

その次は3か月後で、その次は2年後だった。

お施餓鬼を繰り返すことで、主人の苦しさは楽になったけど、高血圧は治らず、相変わらず、おこりっぽい、気持ちの通じない人だった。

そのあと、脳卒中で倒れることになり、私は「人生って、まだ、私に、新しい苦労をもたらすのか?」と、思ったよ。

「幸せになりたい。楽になりたい、ほかの人が羨ましい」と、思っていたけど、

なんか、私が幸せを求めると悪魔が、あざ笑って、不幸を投げてくる気がして、もう、幸福なんか望まなくなった。

それまでだって、近所の悪ガキたちのシェルターになったり、いろんな奉仕活動はしてきた、苦労も多かった。でも、それからあとは、自分がやったことを、数えなくなった。

つらく悲しく苦しいのが人生というものだと。あきらめた。

あきらめて何年もたって、さすがに、もう、これ以上の不幸に襲われることはないだろうと油断したとたんに、2度目の脳卒中で主人が倒れた。

さすがに、もう、驚いたり騒いだりはしないよ。人生なんて、こんなものだもの。

一回目の脳卒中の時には、相当衝撃が大きかったので、(もっとも、あんまり苦しがるので男の本厄42歳で死ぬんじゃないかと、覚悟はしてたんだけどね)

宗教の先輩に、訴えた「私の信心が足りないから、こうなったのでしょうか?」
すると、先輩は強く言い切った。
「違います。そんな風に考えなくていい。あなたは、悪くない。」

神様は「ほんとなら、因縁どおりなら、もっと早くに倒れていました。でも、その時期を遅らせていただけたのですよ。」つまり、大難を小難かな?

もう少し前に倒れていたら、子供たちを大学にやれなかった。おおきな運命の狂いが生じるところだった。

これは、乗り越えなければならない道だから、避けては通れない。

そう告げられた。

たとえば、徳積によって、ゼロにしてもらえる悪因縁も、あるけど、絶対に避けて通れない人生の門がある。それは、どうしても超えていくしかない。

宗教をやっていたら、なんでもかんでも、やすやすと災難を避けられるとか、病気にならないなんてことはありません。

その人が、今生で、己を磨くために必要なことなら、絶対に避けられない。

真正面からぶつかって、乗り越えるしかない。どんなに、つらくても、悲しくてもね。

そういう局面はいくつもあるよ。むしろ修行者の方が、たくさん経験する。

だから、今度、主人が倒れて、あっけなく死んでも、あるいは、寝たきりになっても、恐ろしく手間取る介護生活になっても、それは、受け入れるしかない。

不必要な苦労を神仏は与えない。与える苦労は、必要な苦労。魂の成長に必要な苦労だから。

宗教とは心魂を磨くためのものだから。

何が起ころうと、受け入れ、乗り越える。

そう、覚悟するのだけど、冷静ではないよ。血圧は上がるし、平静じゃない。

肩に力が入っている。

そして、今日、初めての主治医との面談。

やはり不安。なにか、絶望的なことがあったら、どうしよう。いやいや、何があっても、負けない!と、自分に言い聞かせながら、今朝は、めまいがした。

けれど、行ってみると、主人は、温和な表情で、幸せそうにしている。
「前向きですから、リハビリにも成果が出ると思います」と、主治医。


ほっとして、帰ってきて、娘にパパの写真を送る。
「だれ?これ。知らない人なんですけど」と、メールがかえってきた。


「そうやねん。私も、誰だかわからない。あんな穏やかな様子を見たことがない」


でも・・・もしかしたら、あの2月の夜、主人の左の手足から入ってきた冷たい塊が、抜けていったのかもしれない。

50年間も、本当の自分じゃないなんてことがあるのだろうか?

出会った時の彼は「出世はしません」と言ったし、全然、頼りがいは無かったけど、冗談好きの明るい性格だった。

それが1年もしないうちに、別人になってしまった。

だから、子供たちは、不機嫌なパパしか知らない。

なんで、結婚したのよ!と、娘に責められる。
だって、昔の結婚では、相手がどんな人かなんてわからなかったんだから・・・

いや、であった頃は、好感のもてる人だった。
あの人は、どこへ行ったのか?と、最初のころは思ったけど、もう、50年間も続くと、すっかりあきらめて、昔の記憶も消えそうになっている。

でも・・・・もしかしたら、50年もたって、であった頃のあの人が返ってきたのかもしれない。

まさか、ありえないけど、ようやく、主人の祖父も、気がすんで、でていったのだろうか?

長い苦労だった。最初は徳積だと言われ、あれこれ打算で動いたけど、やがて、結果を期待しなくなって、それから何十年もたった。

何が何だか、わからないけど、もしか、あの好きでもないけど、悪い人じゃないと判断したあの人が、戻ってきたなら私はうれしい。

終わりよければすべて、よしだもの。

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100日離婚

まあ、私は羽生結弦にそれほど関心は無い(むしろ好きなアスリートだった)が、100日で離婚というのはあまりに異常だろう。で、下の記事はその「合理的な」説明になっているかと思うので、一応情報価値はあるかと思う。
別に、羽生結弦を批判するのではなく、そういう「共生親子」の男が、なぜ結婚したのか、という、加害者の側面もある(というか、その方が大きい)ということだ。少なくとも、隣に夫の両親や姉が住んでいるという状況は、(夫側の家族と親密な関係を築いていない限り)新妻には地獄だったのではないか。
奥さんに、浮気などの非が無いなら、SNSから妻を守れないから離婚するという馬鹿な理屈は、自分の評判を守るための嘘だとしか思えない。
一応言っておけば、この出来事と羽生結弦のアスリート価値はまったく無関係であり、アスリートに人格者であることを求めるのは、ファンの勝手な要求である。ただし、愚かな言動で自分の「有名人価値」「商売用選手価値」を毀損するのは、まさに自分の尿を自分で飲むようなものだ。(いや、そういう健康法もあるがwww)

(以下引用)

羽生結弦、離婚の真相 元妻にとって「想像とは異なる新婚生活」“アスリート妻”としての役割与えられなかったか★2 [ネギうどん★]/h2>

1: ネギうどん ★ 2023/11/30(木) 13:40:06.34 ID:2SRkD01E9
 11月17日、公式SNSで離婚を発表した羽生結弦(28才)。8月4日の結婚発表からわずか105日での離婚だった。

 元結婚相手のAさんは、羽生より8才年上の元バイオリニストだ。結婚後は、羽生が拠点をおく宮城県仙台市で暮らしていたとされる。

 羽生は昨春、仙台市内の高級マンションの最上階にある、隣り合った2部屋を購入した。1部屋1億円はくだらないその部屋を、羽生はキャッシュで購入している。1部屋には羽生の両親と姉が暮らし、もう1部屋で、羽生は新婚生活をスタートさせたようだ。Aさんはそこで息を潜める生活を送っていたという。

 もともと、AさんはバイオリニストとしてCDを出し、有名アーティストとの共演経験があるなど、ステージ上でスポットライトを浴びてきた有名人だった。しかし、羽生との結婚を前に自身のSNSを削除するなど、表舞台から身を引いた形にして、「羽生結弦の妻」となる並々ならぬ決意を見せていた。“潜伏生活”への覚悟も持ち合わせていたはずだ。だが、Aさんにとって結婚生活には別のハードルがあったようだ。

 羽生の才能を信じ、数え切れないほどの犠牲を払いながら全力でサポートし続けてきたのは羽生の母だった。姉が先に習っていたこともあり、喘息持ちだった羽生のために、屋内でほこりが少ないスポーツとしてフィギュアスケートを選んだ。

「食が細く、喘息もあったため健康管理はまず食事から。食材も味付けもすべて、お母さんがOKしたもの以外、彼は口にしませんでした。おまけに敏感肌で皮膚が弱かったり、犬猫などの動物アレルギーがあったりしたので、身につけるものの素材はもちろん、クリームなども決まったものしか使わなかったんです」(フィギュア関係者)

 晴れて結婚したAさんが、伴侶として羽生を支える役割を担おうと意気込んだのは想像に難くない。前述したように、彼女は表舞台にも一線を引いた。にもかかわらず、始まった“新婚生活”は、想像とはまったく異なるものだったようだ。

「アスリートの体は繊細です。指先まで神経をとがらせて演技をする羽生さんであればなおさらでしょう。目にするもの、口にするもの、触れるものすべてに気を使わなければなりません。そして、羽生さんの体のことを隅から隅まで知っているのは、彼のお母さんです。

 しかし、結婚後、Aさんに対して、お母さんから食事の献立や食材、味付けなどについての指定やアドバイスは、まったくなかった。隣の部屋に住んでいるのに、それまでの羽生さんを支えるルーティンの助言もなく、完無視だったというんです」(スケート関係者)
 最近は、アスリート妻が食にまつわる資格を取得し、パフォーマンスを支えるケースがよく聞かれる。

「Aさんも、そういった妻像を描いていたのかもしれません。しかし、フタを開けたら食事を始めとする体調管理も一切させてもらえない。プライベートといっても、アスリートの生活はストイックですが、そこにはかかわれない。しかも、深夜の練習に帯同するのは羽生さんの両親と姉だけで、自分の出る幕はない」(前出・スケート関係者)

 30日発売の『女性セブン』では、羽生のマネジメント会社に入れなかったAさんの疎外感、Aさんの素性を実名報道した地元新聞社への抗議の声、ジャーナリストであるAさんの叔父への直撃などについて詳報している。

https://www.news-postseven.com/archives/20231130_1923999.html?DETAIL

前スレ https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1701305348/

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みつかんない、みつかんない

いや、「味ぽん」はぽん酢ではない、というコメントに驚いたが、何が違うのか。ぽん酢とは味を付けた酢にすぎないのなら味ぽんだろうが他のぽん酢だろうが同じだろう。
それはともかく、老舗が家業以外のことに手を出すとダメだ、というのでこの前東芝の話をしたが、ミツカンの「蕎麦つゆ」もかなりひどい。そういう部分で、企業の信頼性は決まるのである。どうせ、蕎麦ツユなど、醤油に出汁とみりんか砂糖を入れればいいとでも安易に考えたのだろう。元祖グルメ漫画(アニメ)でネットでは笑いものにされることが多い「美味しんぼ」だが、蕎麦つゆの話の回は、まともだと思う。要するに、まともな舌があれば、いいつゆとダメなつゆは明白に区別できる。
酢にしても、ミツカンに限らず本土企業の酢は味がとげとげしい。沖縄の普通の店の低価格のいなり寿司や巻きずしのほうが、本土の寿司より美味い。まあ、案外作る際には本土の酢を使っていたりするかもしれないがwww

(以下引用)

食品大手ミツカン創業家の闇が深すぎてドン引きする人が続出、一般市民には想像もできない世界だ

1:名無しさん


食品大手ミツカンの創業家が、複数の訴訟で被告になっている。創業家次女と結婚していた元娘婿の中埜大輔氏が、長男の出生後に離婚を強要され子供と引き離されたとして、創業家を訴えている。原告は一審などで続けて敗訴しているが、裁判では創業家の「男児を世継ぎにしたい」という異様な執着が明らかになった――。

ミツカンに対し1億円の賠償を求めていた

東京地裁709号法廷はその日、傍聴希望者で満席となっていた。8月10日13時30分すぎ。予定より15分ほど遅れて、海外でも注目されていた訴訟の判決言い渡しはわずか数分だった。「原告の請求はすべて棄却する」。傍聴席からはどよめきが流れた。

勝訴した被告は、「味ぽん」などで知られる老舗食品メーカーの「ミツカン」(ホールディングスなど2社)。原告は、ミツカン創業家の娘婿として迎えられ、役員ポストまで約束されていながら、長男が誕生するや妻子と引き離され、その後、妻とは離婚、ミツカンからは解雇された中埜なかの大輔氏(42)だ。

この日の判決は、大輔氏が「違法で不当な配転命令だ」と主張して1億円の損害賠償を求めた訴訟だった。

判決文を精査した大輔氏および代理人弁護団は「あまりにも杜撰な審理、お粗末な事実認定」として、東京高裁に控訴している。

全文はこちら
https://president.jp/articles/-/76192?page=1


 



3:名無しさん


ミツカンのせいで「味ぽん」をポン酢だと勘違いしてる日本人多数
罪は重い


 


18:名無しさん

>>3
勘違いしたままでも特に困らないだろ
大勢に影響はないレベル


60:名無しさん


これ、単に女婿が、次代経営者とか嫡子になったと勘違いして同族企業の経営や家風にに嘴ツッコミまくって叩き出されただけでねえか?
婿取りした同族企業で良くある話だよ


 


69:名無しさん


予想を超えた無能のヒモだったってことだろ?


 


72:名無しさん


どんな時代だよww


 


80:名無しさん


まぁミツカン創業家はこの家に住む一族なので世間とはだいぶ違う

https://i.imgur.com/97F38dG.png
https://i.imgur.com/6eD4iXM.jpg
https://i.imgur.com/JnwIet3.png


 


107:名無しさん

>>80
すげー
想像の数倍凄かった


142:名無しさん

>>80
これは現代の封建領主だな


157:名無しさん

>>80
漫画やドラマで見るやつ


84:名無しさん


某大手企業のオーナーの娘婿になってすぐに就職していた企業を退職した大学の同級生がいた

話ではオーナーが教授に相談して白羽の矢が立ったと言っていたが今でも元気に社長やっている


 


156:名無しさん


ミツカン側が一切何も言わない点が気になるな


 


196:名無しさん

>>156
何も言わない方が良いだろ


166:名無しさん


従業員かわいそうに
会社のためにどんだけ頑張ってもトップがこんなんだったら報われないわ


 


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「日本の未来」についての漱石の慧眼

夏目漱石「三四郎」より抜粋。「髭男」は三四郎の先輩の野々宮の高等学校時代の教師の「広田」であることが後に分かる。
「三四郎」は、青春の朦朧感(五里霧中という感じ。ある意味、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」にも通じる。)というのが一番見事に描かれた小説だと思う。一読目より二読め、三読めと、読むほどに(たとえば野々宮の我儘無邪気な妹や理系人間の野々宮自身など)キャラの可愛さや細部の意味を理解できるようになり、面白く感じるようだ。

(以下引用)

すると例の髭男は、
「お互は憐れだなあ」と云い出した。「こんな顔をしてこんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。」(中略)

然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と(三四郎は)弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
亡びるね」と云った。

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東海アマ氏の「結婚(一夫一婦制)否定論」

「東海アマブログ」から記事の一部を転載。アマ氏はフリーセックス主義者で、一夫一婦制に反対のようだ。その信念が民俗学などで得た知識に裏付けられているらしい。
まあ、私もアマ氏同様一知半解、かつ知見の狭い人間なので他人のことは言えないが、私は「一夫一婦制は楽で便利である」という思想なので、あまり賛同はしない。
もっとも、精神的には独身が一番楽だろうが、家族がいるというのは苦労もあるが精神的充実もあるはずだ。勉強はしたくないが、志望大学には入りたい、という思考に近いものを、アマ氏の論説(フリーセックス礼賛論)には感じる。セックスは、そんなに自由にしていいものか? 社会のかなりな割合がサイコパス、あるいは劣等人格であるのに。つまり、結婚というのは「この人なら大丈夫」という判断が前提なのであり、その失敗は拙速な判断(ただし、封建社会では、結婚は家と家の結合であり、当人の意思ではない。)の結果にすぎない。
で、フリーセックス制の社会では家族というのが果たしてアマ氏の言うような天国になるのかどうか非常に疑問なわけだ。そもそも「家庭」というのが無意味化するのではないか。つまり、全員が他人の社会なわけで、まあ、孤立無援の生き方をしてきたアマ氏が、そうした生き方を礼賛するのは自画自賛に近い、自己慰撫の言説だろう。私はアマ氏の生き方を尊敬もするが、それを他人にまで押し付ける言説はいかがなものか、と思う。

結婚(一夫一婦制)否定論は、家庭の働き手(社会的な稼ぎ手)と家庭内作業が分担されていた時代から、ひとりでその両方をやる時代になった社会状況を肯定するものだが、果たしてそれは幸福な状況なのか。
コンビニと電化製品があれば妻(家庭維持任務者)はいらない、というのが今の時代なわけで、(これは独身主義者の多くの妄想で、妻の仕事は料理や掃除や洗濯だけではない。特に育児は男にはまず無理である。納税や公共料金の支払い管理だって面倒くさい仕事だ。)全員が独身主義になれば、性欲の処理は水商売、売春に頼ることになる。つまり、ある意味ではアマ氏の言うフリーセックス社会はかなり現実化しているわけだが、それは幸福な社会か、と私は問うているわけだ。はたして、独身女性が相手の分からない子供を産んだ時、それを「村全体で育てる」か? 馬鹿なことを言うんじゃない、と言いたくなるような妄想、妄言だ。



(以下引用)かなり、嘘、あるいは誤解、あるいは妄想が入っていると思う。

 さらに、時代が進むと、国家権力が統治の都合上、一夫一婦制を強要し、戸籍を作って民衆を管理し、税や兵士を徴用するようになる。
 ここで、国家は民衆の自由なセックスを否定し、一夫一婦制家族社会の成立が求められる。つまり、徴税と徴兵の必用が、母系氏族社会を破壊してゆくのである。

 だが、弥生文化の浸透した地方では、1960年代に至るまで、妻問婚→夜這いの風習が残った。
 娘が初潮を迎えると近所に赤飯が配られ、娘は離れに寝るようになる。この離れには小さなにじり戸があって、やがて茶室として利用されるようになった。

 赤飯を見た近所の青年は、真夜中に娘に忍び寄ってセックスを求める。妊娠すると、娘は、夜這いに来た青年たちのなかから自由に婿を指名する権利があった。
 青年は娘の指名を断る権利がなかった。もし拒否すれば、「村八分」の制裁を受け、集落から出て行かねばならなかった。
 集落全体が一つの家族だったからだ。

 夜這い文化圏では、性の観念が実におおらかであったことは、宮本常一が「忘れられた日本人」などの著書でたくさん報告している。
 夜這いを経験した人たちは、中高年になっても、昔の「無礼講」を覚えていて、割合、自由に不倫をしてしまう。
 だから西日本では、性的な暴走に寛容な地域が多い。女性のお尻や乳を触ったりの性行為など、普通のつきあいの範疇なのだ。

 私は、宮本の著作を夢中になって読みふけった時期があるのだが、現在、原本を示すことができず残念だ。ネット上から著作が消えてしまっている。
 https://booklog.jp/author/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E5%B8%B8%E4%B8%80

 それでは、冒頭に紹介した「次男が自分の子ではない」と騒いでいる主役は、なぜ妻を離縁したり、慰謝料を請求したりと怒っているのかというと、「夫婦は貞操を守って父親の子を遺す義務がある」という地縁よりも血縁を重視する東日本社会の価値観を絶対視しているからである。

 この価値観は、奈良時代に遣唐使が日本に持ち帰り、家康が林羅山に命じて全国の武家階級に規範として強要した「儒教=朱子学」から来ているものだろう。
 儒教の本質は「序列主義」で男尊女卑だ。女性は「男の子を産む道具」にすぎないというのが孔子の考えだったが、この考えは実は旧約聖書から来ているものだ。

 母系氏族社会が地域に飽和してくると採集資源の縄張り争いが始まる。それが戦争に発展したとき、男子が大きな力を持つようになり、部族の権力が母から父に移ってゆくのである。
 権力を得た男は、女性を囲い込み「自分の子」を産ませるためにハーレムを成立させる。

 これが旧約聖書に描かれた男系氏族社会であり、イスラム教は、このハーレム時代を正当化するための宗教である。
 このとき、姦淫、姦通した女性は、投石で殺害されたり、激しく弾圧を受けるようになる。
 世界中の男系氏族社会で、女性の姦淫不貞が犯罪とされる倫理が成立することになる。

 ここで、男尊女卑やイスラム圏のような一夫多妻制が成立するのだが、女性の地位が貶められた原因は、戦争における立場にあることを意味している。
 戦争が増えれば「女は弱いもの、見下すもの」という観念が生まれてしまい、それが男女差別を拘束するのだ。

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はたして日本は「和によって滅ぶ」か

フラッシュメモリーに残っていた昔の記事で、記事元のブログ(「一知半解なれど」云々)は現在あるかどうか分からない。記事そのものは山本七平の「帝王学」という、イヤなタイトルの本からの抜き書きのようだ。
私は山本七平(ユダヤシンパ)には胡散臭いものを感じているし、対談相手の塩野七生も傲慢な権力主義の匂いがあって嫌いだが、ここで言われている内容自体は完全に正しいと思う。ただ、それを「和によって滅ぶ」という言い方をしたのは、まあ、俗耳を意識した戦略だろうが、私自身は「和を以て尊しとなす」が日本人の最大の美徳だと思うので、あまり好きではない。ただ、ある集団の最大の長所が、その集団の滅亡の原因となる、というのは事実だろうとは思う。

(以下引用)


人の意見は、一致しないのが普通である。
そこでその是非を互いに論じ合うのは、本来、公事のためのはずである。

ところがある者は自分の足らない所を隠し、その誤りを聞くのを嫌い、自分の意見に対してその是非を論ずる者があれば自分を恨んでいると思う。

これに対してある者は恨まれて私的な不和を生ずることを避け、また『相惜顔面』すなわち互いに相手の面子を潰しては気の毒だと思って、明らかに非であると知っても正さず、そのまま実施に移す者がいる

一役人の小さな感情を害することをいやがって、たちまち万民の弊害を招く
これこそ、まさに亡国の政治である」と。

貞観政要』の中にはさまざまの学ぶべき点があるが、何やら日本の欠点を指摘されているような気持になるのがこの部分である。

前に塩野七生氏と「コンスタンチノープルの陥落」について対談したとき、その国を興隆に導いた要因が裏目に出ると、それがそのままその国を亡ぼす要因となる、と私か言うと、氏は即座に賛成され、間髪入れず、日本の場合はそれが「和」であろうと指摘された。

確かにわれわれは論争を嫌い、相手の感情や面子を尊重して、「マア、マア」で全体の和を保とうとする
そして、これが実に能率的だということは「論争が国技である」イスラエルに行くとつくづく感じて、「国の破産状態をよそに、論争ばかりしているから、何一つてきぱきと解決できないのだ」という気がする。

彼らもそれに気づいているらしく、もちろん冗談だが「日本の大蔵省と通産省をそっくり輸入し、和を第一としたら……」などと言う。
確かにそう言える面があるが、塩野氏の指摘通り、「和」には恐ろしい一面がある

太宗はつづける。

隋の時代の内外の役人たちは、態度をはっきりさせず、どっちつかずの状態にいたために、亡国の大乱を招いてしまった。

多くの人は、この問題の重大さに深く思いを致すことはなかった。
そうしていれば、どんな禍いが来ても自分の身には及ばないと思い、表面的には『はい、はい』と従って陰で悪口を言い合いながら、それを憂慮すべきこととは思わなかった。

後に大乱が一気に起こり、家も国も滅びる時になって、わずかに逃げのびることが出来た者も、また刑罰・殺戮にあわなかった者も、みな艱難辛苦の末やっと逃れたのであり、その上、当時の人からひどく非難・排斥される結果になったのである。

そこで諸官は私心・私的感情を除き去って公のためにつくし、堅く正道を守り、腹蔵なく善いと思う意見を述べ、絶対に、『上下雷同』すなわち上と下が付和雷同するようなことがあってはならない」と。

「和」によって亡ぶ

前に記した「玄武門の変wiki参照)」のときの太宗と部下との関係を見ると、みな実にずけずけと意見を述べている。
危機のときはそうなっても、安楽な平和がつづくとついつい、「なるべく衝突は避けよう、どちらにしろ大した問題じゃない」という気になってしまう。

危機の特は、だれでも、判断を誤れば直接身に危険が及ぶという気になるから、必死になって意見をいう。
だが平和なときは、不知不識のうちに「これでオレの命が危なくなるわけでもないし……」が前提になっている。

だが、部下が激論してはじめて問題の焦点が明らかになるわけで、そのような「和」ですべてが表面的には丸くおさまっていれば、太宗にも何もわからなくなる

隋はそのようにして一歩一歩と破滅へ進んでいった。
そして最終的には、小さな摩擦を避けて、これが安全と思っている者が、ひどい目にあった

これへの太宗の批評を見ると、私は日本の軍部のことを思い出す。

軍部内の和を乱すまい――不思議なことに、国の存亡がかかわるという状態になっても、このことが優先している。
塩野氏の指摘された「和によって亡ぶ」は必ずしも未来のことでなく、過去にすでに経験ずみなのである。

軍部内にも、合理的な意見があったのは事実である。

たとえば多田駿参謀次長の「無条件撤兵論」などがそれで、中国から無条件で撤兵しても、相手は海軍がないから追撃はされず、日本の国益は何一つ損ずることがない。

目的の明らかでない作戦を四年も継続し、いつ終わるか見当もつかず、何のためにやっているのか政治的目的もはっきりしないといった状態は、自らこれを打ち切ろうと思えばできるのである。

それができない
軍の面子にかけての反対が出るにきまっているし、そうなれば激論になって「和」は保てない

東京裁判の東條被告の副弁護人であった松下正寿氏は、「それでは部下がおさまりません」が、日米開戦の理由であった旨、述べているが、これもまた「軍部内の和が保てません」で、まさに「上下雷同」なのである。

さらに、海軍は内心では開戦に反対なのだが、「陸海軍の和」と、マスコミと一部政治家が醸成した「上下雷同」に押され、絶対に「反対」とはいわず、「総理一任」という形で逃げている

いわばあらゆる面における「相惜顔面上下雷同に基づく和」を崩すまいとし、衝突がないからそれが一番安全と思い、それによって破滅する

その結果国民は苦しみ、責任者はみな、隋の遺臣を評した太宗の言葉通りの運命に陥っている。

危急存亡の時になってもこうだったということを頭におくと、日本は将来「和によって亡ぶ」という塩野氏の言葉は、一種の不気味さをもっている

これは企業でも同じで、坪内氏が再建に乗り出す前の佐世保重工を見ると、「経営者と組合の和」が絶対化され、これまた「上下雷同」で、厳しい言葉を口にする者はだれもいない

まさに「相惜顔面」だが、そうやっていても、自分の身に禍いが振りかかると思っていない
そして進駐軍が進駐して来てはじめて目が覚める

(後略~)

【引用元:帝王学「貞観政要」の読み方/「十思」「九徳」身につけるべき心得/P64~】

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