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悪魔は美しい顔をしている

「櫻井ジャーナル」記事で、前半は面白い視点である。
後半は近現代世界史の本質を簡潔にまとめていて、高校生あたりの常識とするべき必読文章として読ませたい文章だ。まあ、要するに欧米は悪魔国家だということだ。ただし、世界から収奪した富で華麗な近代文明を作り、その影響が世界に及んでいるので痛し痒しである。

(以下引用)

2023.09.03

 
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アコーディオン弾き

壺斎散人氏の翻訳によるエディット・ピアフの「アコーディオン弾き」だが、この歌には丸山明宏(漢字は不確か)の名訳があり、その彼自身による歌も絶唱である。ユーチューブにあるかと思うので一聴をお勧めする。私の知人の無名歌手のこの歌(丸山版の歌詞での歌)も、それに比肩するが、無名歌手なので、視聴は不可能だろう。


(以下引用)


アコーデオン弾き L'accordéoniste


エディット・ピアフのシャンソン曲「アコーデオン弾き」L'accordéoniste(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  場末の女にだって
  可愛い子がいる
  その子にはとても
  好きな男がいた
  仕事が終わると
  町に出かけていって
  人ごみの中に
  夢を探した
  男は大道芸人
  風采の上がらない
  アコーデオン弾き
  ジャヴァの曲が得意

  その子は聞く
  でも踊らない
  ただうっとりと聞きほれる
  目を輝かせ
  リズムを取りながら
  男の指の動きを追う
  心が弾み
  気分は高まり
  セクシーな歌を歌い
  出したくなる
  心もそぞろ
  息は乱れ
  音楽に溶け合ってしまいそう

  場末の女にだって
  悲しい子はいる
  大事な人が
  兵隊に行く
  戦争から戻ったら
  家を借りて
  そこで一緒に
  暮らしてみたい
  どんなにかすてきな
  ことでしょう
  あの人が毎晩
  ジャヴァを弾いてくれたら

  ジャヴァの曲を
  口ずさみながら
  男を見つめ続ける
  目を輝かせ
  リズムを取りながら
  男の指の動きを追う
  心が弾み
  気分は高まり
  セクシーな歌を歌い
  出したくなる
  心もそぞろ
  息は乱れ
  音楽に溶け合ってしまいそう

  場末の女にだって
  さびしい子はいる
  愛想をつかされ
  男に捨てられ
  悲しいことに
  二度と会えない
  夢よさようなら
  終わってしまったのよ
  悲しい思いで
  キャバレーに行けば
  ほかの男にめぐり
  会えるかもしれないけど

  ジャヴァの曲を
  聞きながら
  目を閉じれば
  思い浮かぶ
  あの人のぬくもりが
  体を駆け抜けて
  セクシーな気分に
  なってしまう
  なにもかも
  忘れて踊ろう
  あの歌にあわせて


1940年、前線へ赴くミシェル・エメがピアフに捧げた曲で、彼女の比較的初期のヒット曲になった。

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隠居爺氏の吸血鬼(英米)考察

「隠居爺の世迷言」から記事の後半を転載。前半は吸血鬼そのものについての考察なので割愛する。まあ、このブログは娯楽性が高いから、お勧めする。いくら知的でも、毎度毎度シリアスな内容だと、私には耐えられない。そもそも、そういうのが読める知的水準ではない。
なお、「世迷言」は「よまいごと」と読む。まあ、常識か。
イギリスという国(その中心のイングランド)やその国民は、隣国であり同じ英語圏の国であるアイルランドに対し苛酷な収奪政策を行なってきた、まさに吸血鬼国家である。これは、他国侵略をしても、比較的人道的な扱いをしてきた日本人とは「体質が違う」というか、国民の倫理水準が違うと言えるのではないか。ただ、日本国民の倫理水準は「新自由主義」の浸透でかなり怪しくなっているとは思う。それを英米化と言ってもいい。
キリスト教が道徳の土台になっていた文化圏で、キリスト教信仰が消えたら、無道徳国家群になるのは当然だろう。ただ、上級国民は昔からキリスト教など信じていなかったか、一般国民や異民族や異国民には何をしてもいいという、都合の良い考え方をしていたのだろう。つまり、もともと欧米社会の上級者は吸血鬼だったわけだ。

(以下引用)


 ところでアメリカは、いや、吸血鬼はなぜ血を吸うのだろうか。百科事典レベルでそこを説明しているものはない。そこで「吸血鬼 なぜ血を吸うのか」でググってみたが、どうも答えというか、通説はないらしい。

 私のイメージとしては、欧米は合理的な思考をするように感じるけれど、実は違うのかもしれないな。だって、吸血鬼がなぜ血を吸うのか知らないままで、ドラマを成立させるのだから、かなりの曖昧な思考回路しか持っていないことになる。

 まあ、欧米人というのはそういうものだということかな。なにしろ、魔女狩りなどという、摩訶不思議な残虐行為をしていたのが欧米だからね。あるいは、人を襲って大切なものを奪うという行為は、欧米人にとってあまりにも当たり前すぎて、わざわざその動機を説明する必用がないのかもしれない。

 ずいぶん話が遠回りしてしまったけれど、書きたいことは「アメリカは吸血鬼のような国」というだけのこと。そのために、なぜアメリカは人の血を吸うのか、つまり、なぜ他国を侵略して殺し、犯し、奪い、騙すなどの十戒に背いたことをするのかと考えているのだけれども、どうも吸血鬼のお話からは導き出すことができないようだ。

 そこで視点を変えてみよう。世界の中でも特に残酷な民族が英米人になる。イギリスとアメリカが悪の根源になる。残酷なだけでなく、悪知恵が働くのも特徴。狡いというのか卑怯というのか、多くの民族が後ろめたさを感じるようなことでも、英米人は罪悪感を感じないどころか、逆に嬉々として行おうとする。"鬼畜米英"というのは今もって正しい。優生学を信奉し、劣等民族を根絶やしにするというのであれば、まず滅ぼさなければならないのは英米人になるはずだ。彼らは特に道徳において世界一劣っている。

 英米人がなぜ残酷で卑怯かといえば、それは彼らの住む土地が痩せていて、あるいは気候が悪すぎて、いつも飢えと隣り合わせであったためではないかと私は想像する。生きていくためには、他人を殺し奪うしかないというのが、厳しい土地を与えられた英米人の宿命になる。

 アメリカ自体は豊かな国で、他国を侵略する必用などどこにもない。しかし、アメリカに流れ込んで実権を握っているのはイギリス人の末裔になる。そのイギリスが世界の覇者となったのはもっぱら他国を侵略したからであり、それはイギリスという国があまりにも貧しい国であったためだ。

 どうも、文化・文明が発展するためには、適度の困難が必用になるようだ。ある程度の環境の厳しさと、ある程度の豊かさ。これは一人一人の個人にも当てはまることで、甘やかされすぎてもだめだし、厳しくされすぎてもだめ。適度な愛情と、適度な厳しい訓練が必用になる。

 イギリスが花開いたとき、このバランスがちょうど良かったのだろうねえ。ただし、花開いたのは、殺しと略奪を中心に据えた文明になってしまったけれどね。イギリスは最初から呪われた土地だったのだろう。イギリス人が手本としたのは、おそらく、ヴァイキングかな。現在グローバリストなどと呼ばれている、存在の曖昧な連中もヴァイキングの末裔に違いない。海賊なら当然のこととしてグローバリズムを目指すはずだ。土着の土地を持たない人たちだから。

 いずれにしても、彼らが生き延びるためには、他国の侵略と、殺人と、略奪と、騙しが一番効率的だったわけで、現在のアメリカにまでその伝統が脈々と引き継がれている。それが鬼畜米英の正体と思っていいだろう。

 同じヨーロッパの白人で、ロシアも気候風土が厳しいように思われるけれど、おそらく、ロシアはモンゴル人の血が混じっているために、英米ほど残酷にはならないのではないかと思う。人間は黒人が一番温かい地域に住み、白人が一番寒い地域に住む。そして一番残酷なのが白人で、一番穏やかなのが黒人なのだろう。日本人や中国人のような黄人はその中間になる。

 面白いことに、残酷さで中位の黄人であるモンゴル人には、血液型B型が多い。よって、モンゴル帝国の影響下にあった国々もB型が多くなっている。日本もその一つだが中国やインドはB型の割合が日本よりももっと多くなる。

 SF作家で私の一番好きなのがアイザック・アシモフで、ロシア出身のユダヤ人だけれども、血液型はB型だったはず。あの何ともいえない愛嬌は、血液型B型の影響かもしれない。頭が切れるのはユダヤ人の血だろうか。

 日本人は中国を嫌うが、黄色人種の残酷さというのは、白人の残酷さとはレベルが違う。なにしろ、アメリカの白人と来たら、日本に原爆を2発落として大喜びをするくらいなのだから。そんなことをした凶悪な人類というのはアメリカだけだからね。そこをすっかり忘れて、あるいは、アメリカのプロパガンダに騙されて、日本人には中国を嫌う人が多い。コロナ怖い、ワクチンで助かる、ロシアが悪い、ウクライナかわいそうなどと全く同じで、日本人の愚かさがそのまま表れている。

 極悪非道のアメリカも、最近は分が悪い。英米にやられっ放しだったBRICSをはじめとする世界中の国々が、立ち上がり始めたからだ。極めて自然というか当然というか、当たり前すぎるくらい当たり前のことになる。なにしろ、英米に手当たり次第殺され、奪われてきたのだから、それを防ぐのは正当防衛以外の何ものでもない。

 そこにおいて、日本というのは大変に奇妙な国になる。日本も他の国と同様に英米に侵略され、殺され、奪われてきた国の一つであることは説明するまでもない。しかし、日本には特殊事情があって、自民党という大変に優秀なアメリカの番頭が、アメリカの傀儡であることを国民にさほど悟られずに日本を治めてきた。日本国民を上手に騙しながら、大東亜戦争敗戦後、現在に至るまで、アメリカに日本の富を横流ししてきた。日本の政治体制は、野党も含めてアメリカの植民地政策の一試行形態であり、それがゆえにアメリカに支えられた自民党政権が続いてきた。

 ところがここに来て、自民党が劣化したのか、アメリカ政府が劣化したのか、あるいは、日本という国、アメリカという国が全体として劣化したのか、自民党もアメリカも、日本に対する露骨な植民地政策を隠そうとしなくなってきた。

 大人しい上に愚かである日本人は、アメリカの日本に対する植民地支配が限度を超えるようになっても、それほどの不満を表明しない。しかし、問題は日米関係だけではなく、世界中がアメリカを見限り始めていることで、日本だけが知らんふりをしていれば治まるという問題ではなくなってきている。

 その上、戦況が不利になってきたアメリカは、日本も武器をとって世界と戦え、植民地に選択の自由はないと日本に命令してきた。アメリカの番頭である自民党は、目を白黒させながらも、アメリカの意向に沿おうとして動き始めている。そんな世界の情勢、日本の情勢の中にあって、あなたには吸血鬼の子分となって血を吸い始める覚悟ができているだろうか。私はお断りする。



P.S.


今思いついて、ChatGPTに吸血鬼が血を吸う理由を聞いてみた。


回答は、


1 不老不死を求める欲望


2 生存のためのエネルギー源


3 弱体化の防止


4 儀式や呪術の一環


ということだった。

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咳と日本人

私は軽い喘息の気味(正確には喘息ではなく、咳だが)があって、軽いとは言っても就眠時や体を横にした時(つまり、眠ろうとした時)に出やすいので、非常に厄介なのである。それで、咳止め薬は多目に買っておく習慣だが、買おうとしても薬局で品切れになっていることがよくある。まあ、幸い現在は咳があまり出なくなっているが、いつ再発するか分からない。(咳止め薬を恒常的に使っていると、かえって咳自体も恒常化するように思われる。つまり、咳止め薬は一時的な対症療法でしかなく、体質改善にはならないし、むしろ体質悪化傾向があると思われる。もちろん、個人的経験からの判断にすぎない。)まあ、重篤な症状でない限りは「龍角散」で咳止めをするのが一番安全なのではないか。その龍角散も最近はかなり値上がりしているから、咳は国民病になっているのかもしれない。

(以下引用)

新型コロナ感染増で「学級閉鎖」相次ぐ 薬局では「せき止め薬」の在庫が…注文しても欠品

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/24910408/
子供たちも枠撃っているんでしょうね。
<転載開始>



日テレNEWS

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学校では新学期が始まりましたが、新型コロナウイルスの影響で、各地で学級閉鎖が相次いでいます。都内のクリニックでは、お盆明け以降、子どもが陽性になるケースが急増しているといいます。また、薬局では、せき止めの薬などの在庫がほとんどない状況だといいます。


   ◇◇◇


1日、東京・足立区の綾瀬小学校では、夏休み明けの最初の登校日を迎えました。こちらの学校では、新型コロナへの感染対策を変わらず続けています。



足立区立綾瀬小学校 小坂裕紀校長
「自分がうつさない行動。コロナを経て得た教訓かなと思うので、それを子どもたちにも引き続き教えていきたいなと」


新型コロナが今年5月に「5類」に移行したあとから、感染者数は全国的に増加傾向にあります。新学期に入ったばかりの小中学校などで、子どもたちの感染が増えていて、日本学校保健会によると、全国25の自治体・140クラスで学級閉鎖となっています。(1日午後3時時点)


北海道登別市の小学校もその1つです。


登別市立富岸小学校 小野島晶校長
「いま、閉鎖している学級が2つ」


登別市立富岸小学校では8月18日が始業式でしたが、10日後の8月28日になると、感染する児童が急に増えたといいます。感染対策は続けていましたが、難しさもあるということです。


登別市立富岸小学校 小野島晶校長
「(夏休み明け)北海道では例をみないくらいの猛暑、酷暑。熱中症対策を並行して行わなければならない難しさ」


   ◇◇◇


1日、東京・港区にあるクリニックに、発熱したという3歳の女の子が診察に訪れていました。


クリニックばんびぃに 時田章史院長
「コロナの陽性が判明しまして、まずは5日間のお休みってことで」


お盆明け以降、子どもが陽性になるケースが急増しているといいます。


クリニックばんびぃに 時田章史院長
「発熱したお子さんの3割は、コロナの陽性」


子どもの感染が急増している状況について、医師は“子どものワクチン接種が進んでいないことなどが原因”と指摘します。


クリニックばんびぃに 時田章史院長
「これから新学期が始まって、コロナとか、あるいはインフルエンザも『学級閉鎖』っていうことが例年よりも多く出てくるんじゃないかなと心配」


   ◇◇◇


東京・調布の薬局では、20代くらいの若い世代が処方箋の薬をとりにくる割合が増えているといいます。


くすりのケンコ薬局 加藤健一店長
「いま若い方、学生さんだとか就職して間もない方が多い」


しかし、せき止めの薬や、のどの炎症を抑える薬などの在庫がほとんどないといいます。


くすりのケンコ薬局 加藤健一店長
「1番足りないのが『せき止め』。この1箱しか残ってない」


1日朝も、せき止め薬などを発注しましたが、届いた書類には注文した薬すべてについて「欠品」と書かれていて、1つも入荷しませんでした。薬局は別の薬で対応していくということです。

<転載終了> 

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「ライ麦畑でつかまえて」読後感想

「読後感想」とは言っても、べつに論文を書く気はないので、単に随筆である。「筆に随って」書くだけだ。つまり、文責は筆にあって私には無いwww
まあ、低レベルの冗談はともかく、何十年ぶりの「ライ麦~」再読は面白かった。ただ、主人公への共感が初読の時ほどだったのかどうか、そういう部分は明確に記憶していないので判断は難しい。たぶん、当時は「よく理解できない」ので判断保留にしていたと思う。今でも、判断は困難だ。と言うのは、外界に対する主人公の嫌悪は、感覚的には分かるが、論理的には分からないのである。主人公のホールデンは、「インチキな存在」が大嫌いで、彼から見れば世界はインチキだらけのものだから、世界そのものが嫌いなのだと思える。だが、その「インチキ」とは何か。
本の最後に翻訳者野崎孝の解説があるので、引用してみる。
2か所ほど引用するつもりだが、面白いことに、私が先日「理解できない部分」として無理に解釈した箇所を野崎氏が「解説」文の中でまさに解説しているのである。

しかし「幸運を祈るよ」と歴史のスペンサー先生に言われて、反射的に嫌悪を感じ、自分ならば絶対にそんなことは言わないだろうと思うホールデンの感覚は、たとえば葉書などに「ご多幸を祈る」と書くことに抵抗を感じたことのある日本人ならば、容易に理解することができるはずだ。(夢人注:私はそれが「容易に」理解できなくて悩んだのだがww)祈りもしないのに「祈る」と言い、祈る対象すら持たぬ人間が祈ると書くーーーその無神経、そのインチキさ。更には「幸運を祈る」とは具体的にどういうことか。それを考えもしないで安易に口にする無責任さ。これがもし、相手を罵倒するなり、揶揄するなり、相手にマイナスを与えるような、従って自分もそのため不利になるような場合なら、あるいは許容されるかもしれない。(夢人注:「インチキ」ではないとして許容されるということだろう。)しかし、相手にプラスを与える性質の言葉を、自分の真意以上の効果を孕ませて口にするのはいやらしい。ホールデンの反発の基本的なものはここにある。だから、この感覚、この反発が理解できれば、この小説は一挙に理解できるはずだ。

なるほど、私の「ライ麦~」理解の底の浅さが歴然としている。小説を読む、あるいは理解するのは才能と修練が要るようだ。まあ、野崎氏がホールデンの言う「インチキ」の解説として、私が偶然に取り上げた箇所を選んだだけでも良しとしよう。
もう一か所はこういう文章だ。

ホールデン少年が最も敏感に嗅ぎわけて、最も烈しい嫌悪と侮蔑を示すのは、彼のいわゆる「インチキ」なもの、「いやらしい」ものであることは前に述べたが、既成の価値にしばられず、かといってみずからの価値観も確立されていない彼にとって、これが法律上の罪や倫理的な悪などであろうはずはなく、単なる嘘やごまかしでさえなくて、精神の下劣さ低俗さ、根性のきたなさ、そこから来る糊塗、欺瞞、追従といった性質のものである。
(下線は夢人による)

いや実に見事なものである。下線部は、ホールデンの言う「インチキ」なものを余蘊なく示している。

なお、いい加減な読み方しかできない凡人読者としては、ホールデンは他者に厳しすぎ、自分に甘すぎると思う。客観性というのは、その性質上、自分にも外界にも等しく向けられると思うのだが、ホールデンの「異常な」主観性が、実は外界観察の見事な正確さによって読者には気が付かない仕掛け(ホールデンの目が「客観的」に見える仕掛け)になっている。それは作者サリンジャーによる「インチキ」であるような気が私にはするwww まあ、小説というのはもともとフィクションなのであり、つまりは「砂上の楼閣」であり、悪口を言えば「インチキ」なのである。ただ、インチキの中にも許容できるものと許容できないものがそれぞれにあるだけだ。世上の小説や漫画やアニメや映画の中で不誠実に作られた、不潔な「インチキ」でないものがどれだけあるだろうか。一見真面目そうな作品にこそそういう「インチキ」が多いのではないか。

なお、野崎氏が「インチキ」と訳した原語が何かは分からないが、「phoney(phony)」(偽物、まがい物の意)ではないかと思う。




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「蛙化現象」の謎

流行に何周遅れか知らないが、たまたま先ほど読んだ某ブログにこの「カエル化現象」のことが出ていて、その関連で下の記事まで(前半だけだが)読んだ。
で、疑問が2点あって、

1:「カエル化」とは、自分がカエルになるのか、相手がカエルになるのか。
2:元のグリム童話では、「カエルが人間化したので、王女が元カエルの人間を好きになる」のであって、これは「人間化」ではないか。しかも、「好きになる」話だのに、なぜ「嫌いになる話」のための言葉になったのか。

まあ、「人間化」では意味不明だから、「カエル化」にしたのだろう。マスコミ的な変造である。しかし、流行語としての「カエル化」ならば、「相手がカエル化して嫌いになる」わけだ。
その事例もよく分からない。

「好きだった相手が自分を好きだと分かったので嫌いになる」というのは、本当にある現象なのかどうかは知らないが、ジョークとしては昔からある。
有名なのは、グルーチョ・マルクスがある社交クラブへ勧誘されたときの拒絶の言葉で、
「私は私をメンバーにするようなクラブには加盟したくない」
というものである。しかし、現在の「カエル化」には、これほどのユーモアは無い。単に、意味不明の原因で相手に冷めるというだけだ。

自己肯定感の低さという点では、私がお気に入りの横島忠夫(「GS美神」)の「自分ほど信じられないものがあるかあ!」とか、吾妻ひでおの何かの漫画の中の「モテないのは、何とほっとする(心が安らぐ)ものだろう」などがある。後者は、女性を惹きつけるホルモンか何かのせいであらゆる女性に追いかけられてへとへとになった時の言葉である。まあ、私はそういう経験はないが、モテないのが心安らぐことはよく理解している。ところが、女性は概して異性に好かれるという嵐の中に身を投じることに生きがいを感じるようである。もっとも、今の女性もそうかどうかは知らない。「スキップとローファー」の結月のように、美人度が高い女性などは案外モテることにうんざりしているのではないか。
多くの女性は、美人であることの面倒くささ(生きにくさ)を想像できないのではないだろうか。自分を好きだという相手を拒絶することの苦痛や心理的負担は、当の美人が(結月のように)善良であるほど大きいだろう。


(以下引用)


蛙化現象は、王女から気持ち悪がられていたカエルが、王子様の姿に変身してハッピーエンドを迎えるグリム童話の「カエルの王さま」が由来で、恋愛での突然の心変わりを表す。


精神科医で、府中こころ診療所の春日雄一郎院長によると、蛙化現象には2つの定義がある。元々は好意を持っている相手が自分に好意を持っていることが分かると、急に相手に嫌悪感を感じてしまうことを表していた。平成16年に初めて日本心理学会大会で論文が出たという。


最近は、交際相手などの嫌な面を見たときに急に相手に幻滅し、好意が消えてしまう意味でも使われるようになったという。春日院長は、「若者の間で『蛙化現象』がSNS(交流サイト)で拡散し、流行語で1位となったのも、この新しい意味での使われ方が共感を集めて広がったことが大きい」と指摘する。


元々の蛙化現象は、自己肯定感の低下が背景にあるという。「自分を否定するのと同じように、自分を好きになった相手を否定したり、いずれ嫌われてしまうという不安が要因になったりする」(春日院長)。

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丘に住む人々

このブログの過去記事(主に文芸関係)を読んでいて、下の記事に出会ったのだが、日本語訳をしてみる。面倒なので辞書は引かない。
folk はpeopleとほぼ同意だと思うが、「庶民」のニュアンスが強いと思う。




「丘に住む人たち」

いつか僕たちは高い丘のてっぺんに一軒の家を建てるだろう
君と僕
二人で一杯になる明るく新しい山小屋を
そして僕たちはこう呼ばれることを喜ぶ
「あの丘の上の住人」と

いつか僕たちは家の横に一翼か二翼を増設するかもしれない
何かひとつかふたつ
どこの家でもやるような変化を加えるだろう
でも僕らはいつもこう呼ばれるだろう
「あの丘の上のひとたち」と

僕たちのベランダからは緑の野原の眺めが一望できるだろう
あるいは、その類の望ましい眺めが
そして子供たちが育ち、僕らを離れた時
僕たちはベランダに座り、同じ眺めを見るだろう
君と僕のふたりだけで

ダービーとジョアン、昔の童謡のジャックとジルと同じに
人々は、こう呼ばれることを好み
実際に彼らはこう呼ばれた
「丘に住む人々」と


The Folks Who Live On The Hill




The Folks Who Live On The Hill Lyrics

Someday we'll build a home on a hilltop high
You and I
Shiny and new a cottage that two can fill
And we'll be pleased to be called
"The folks who live on the hill"

Someday we may be adding a wing or two
A thing or two
We will make changes as any fam'ly will
But we will always be called
"The folks who live on the hill"

Our veranda will command a view of meadows green
The sort of view that seems to want to be seen
And when the kids grow up and leave us
We'll sit and look at the same old view
Just we two

Darby and Joan who used to be Jack and Jill
The folks who like to be called
What they have always been called
"The folks who live on the hill"

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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