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不老長寿への道はある?

まあ、与太記事か、「新たな金儲けの詐欺の布石」である可能性もあるが、夢を見るのも悪いことではない。「目を閉じていれば生きるのはイージーだ」とビートルズも歌っている。何も目を凝らして(ある種の純文学のように)ウンコや何やかやを見つめる必要はない。
ちなみに、私は長寿はさほど重要視しないが、不老は素晴らしいと思う。下の記事での「毛髪の再生」など、不老どころか「若返り」ではないか!!! これは私のための研究か!!

(以下引用)

ツルドクダミという植物の成分が「老化の阻止」につながるというレビュー論文

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=27221
<転載開始>

このツルドクダミというのは、ドクダミとはまったく異なるものだそうで、Wikipedia には、


> 中国原産のタデ科のつる性多年草。和名は葉がドクダミに似て、つるになることからこの名が付くが、ドクダミとは科の異なる別種の植物である。


とのことで、日本にも、どこにでもある雑草のようです。


ツルドクダミの花

日本薬学会


また、Wikipedia には、


> ツルドクダミの地下にある塊根を漢方薬の生薬として「何首烏(かしゅう)」とよび、古くから不老長寿のための滋養強壮剤として利用されてきた。


ともあります。


ツルドクダミは、ネットで見ましても、それほど普通に販売されているものではないようで、楽天に「夜交籐」という名前のツルドクダミの茎のお茶があった程度でした。

ツルドクダミ由来の 2,3,5,4′-テトラヒドロキシスチルベン -2-O-β-D-グルコシド(TSG):抗老化に関する系統的レビュー

mdpi.com 2025/04/03


2,3,5,4′-Tetrahydroxystilbene-2-O-β-D-glucoside (TSG) from Polygonum multiflorum Thunb.: A Systematic Review on Anti-Aging


概要


高齢化が世界的に進む中、健康寿命は医学研究における重要な優先課題となっている。


2,3,5,4′-テトラヒドロキシスチルベン-2-O-β-D-グルコシド (TSG) は、ツルドクダミの主な生理活性成分であり、老化や加齢に伴う疾患と闘う有望な薬剤として注目されている。


このレビューでは、TSG の抗老化特性と加齢に伴う病状に対する保護効果を評価する。


現在までに得られた証拠から、TSG は、寿命の延長、神経保護 (アルツハイマー病やパーキンソン病の改善など)、心血管保護 (アテローム性動脈硬化症や高血圧の軽減など)、生殖腺の老化の遅延、骨量減少の減少 (骨粗しょう症の緩和など)、そして、毛髪再生の促進など、総合的な抗老化作用を示すことがわかっている。



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黄色い煉瓦道はどこに続くか

ちょっとしたクイズである。
下で言われている映画は何か。
答えは、童話の貧困なアメリカの唯一の名作童話の映画化。
ナイトウミノワ
主演女優は枕営業で仕事を取り撮影中は覚醒剤でバッキバキ、トラブル続きで監督が5人代わり、俳優は特殊メイクに含まれていたアルミニウムで重篤なアレルギー症状を起こし、爆破シーンでは女優が顔に大火傷を負い、スタントマンも一生残る怪我をした呪われた名作、それが私のオールタイム・ベストです

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When will they ever learn?

タイトルの一文を、英語としておかしいのではないか、と思った人もいるかもしれない。willという未来を表す語句があるのに、普通は「かつて」という過去の副詞とされているeverを含むのだから。
だが、このeverには「いったい」という怒りの気持ちが込められている、とすればどうだろうか。
「彼らはいったいいつになったら学ぶのか!」ということである。

で、この「彼ら」とは誰かが問題だ。

この英文は「花はどこへ行った」という、大昔のヒット曲の一節である。つまり、ベトナム戦争時代の反戦プロテストソングだ。まあ、「十年ひと昔」とすれば大昔だろう。
その歌をなぜ今さら話題にするかと言えば、「彼ら」はまだ「学んでいない」からである。米政府は、そして米国民はまだ学んでいない。毎年のように世界で戦争を起こし続けている。ベトナム戦争との違いは、アメリカの若者がそれに使われないだけだ。その結果、アメリカでは反戦運動はまったく起こらない。むしろ、戦争こそが正義だ、とされているわけだ。

「花はどこへ行った」を中学生のころの音声記憶だけで書き起こしてみる。例によって英語の綴りには自信はない。

Where have all the flowers gone?

Long time passing

Where have all the flowers gone?

Long time ago

Where have all the flowers gone?

Young girs kissed them everyone

When wil they ever learn?

When will they ever learn?


(夢人追記)なぜアメリカで人々は声を上げないのか、ということに関して、「蚊居肢」記事の一部を転載する。



ナポリターノ判事: ロビー団体は他の西側諸国でも世論をコントロールしているのでしょうか? フランス、イギリス、ドイツで?


JUDGE ANDREW NAPOLITANO: Does the lobby control public opinion in other Western countries? France, Great Britain, Germany?



ミアシャイマー: いや、世論のコントロールはしていない。米国の世論や調査を見れば、イスラエルに対する同情はそれほど多くないことがわかる。そして、多くの人々がジェノサイドが起こっていると考えている。そして、もし厳しく罰せられずにすむと感じたら、多くの人々がイスラエルを批判するだろうと思う。ロビーがこれほどまでに効果的なのは、基本的にイスラエルを批判する人すべてに近づき、その人のキャリアを破壊しようとするからだ。そして、ほとんどの場合、彼らは成功している。これが、ロビーがこれほど強力な理由だ。



しかし、政治体制の中にはイスラエルに対して非常に批判的な人がたくさんいることを理解する必要がある。さらに、何が起きているのかを正確に知っている政策立案者もたくさんいる。そして、私たちと同じようにこの状況全体について考えている政策立案者や議員は、かなりの数いると思う。しかし、口を開いてそんなことを言うことはできない。そうしたら、ロビーがあなたに照準を定め、あなたを終わらせてしまうだろう。

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学歴馬鹿の頭脳構造

「神戸だいすき」記事で、動画付きであるから興味のある人は(私は未視聴だが)自分で動画内容を確認できる。
特別新しい情報は無いが、学歴が上がるほど人は馬鹿になるというのは少し面白い。無駄な(あるいは虚偽の)情報や知識を詰め込んで、現実そのものを見て学ぶことができなくなるし、また学歴を誇りにして常に「自分は正しい」という「結論からスタートする」からだろう。それを馬鹿と言う。
合理主義が「現実から自分の論理に反するものを捨象する」ことであることは何度か書いた。つまり、現実を無視した都合のいい論理は無数に作れるのである。

追記:伊藤貫の動画を見た。なかなか面白かった。なぜ高学歴が馬鹿になるのか、というのはほぼ予想に近かった。それに加えて、ナルシストでエゴイストの下種にもなるようだ。(その実例は「はてな匿名ダイアリー」を見るといい。低学歴煽りの汚い悪口の洪水で胸が悪くなることうけあいである。)で、高学歴馬鹿の例として飯山陽(もうひとり、女の名前が出たようだが聞き取れなかった。)を出したのが面白かった。当たり前の話だが、高学歴の人間は格差社会を肯定する、ということで、近年の日本の階級化は大学進学者が増えたのと関係するようだ。

(以下引用)




1時間40分ものビデオなんて、長すぎるよね、でも、伊藤貫さんを私は好きだから、見ましたよ。
まあ、真ん中は眠ってたけどね。

う~ん。

学歴が上がるほど、人はアホになると、エマニュエル・トッド氏はといているんだって。学歴が高くなるほど、人間が軽薄になり、冷淡になり、そろばん勘定しかしなくなる。

人としての味が希薄になり、やたら合理的で、人情味がなくなる。しかも、キリスト教というバックボーンを失い、道徳観がなくなった。


それでか~!!私も、周りの人々が、全然、物を考えられなくなっているのを感じる。理解力も足りない。そして、自分のことだけしか考えない。

心が狭い。

まあ、昔は中卒もいたんだから、全体的に学歴は上がっているよ。

なのに、人間が馬鹿になっている。
思慮が及ばないのがわかるから、あきらめて、ほっておくしかない。あとは、圧力をかけて無理強いするかだものね。

学校にいている間に、人生体験ができないから、勉強しかしないんじゃあ、間に合う人間はできないと、思う。

現に、私は、勉強ばっかりしていた子供だったから、いまだに、生活面ではできないことだらけ、友人みたいに、定期的に、ぎゅっと絞った雑巾で畳をきゅっと、拭く技術なんか、今更身につかない。

なので、私は、劣等感が強い、女は学歴では尊敬されない。
それで、大人になってから、いろんなことを学びなおしたよ。

で、いろいろ理解できるようになると、周りの大人が、あまりにも何も考えていないのに愕然とする。

そういうわけで、世の中は、どんどん自己中心主義になり、軽薄になり、狭量になり、自分さえよかったら、それでいいので、貧富の格差が、どんどん広がった。

なんでも強引に力で解決しようとする。

その生き方で、アメリカは、ずっと戦争で失敗している。

イラクもアフガンも、遠くはベトナムも、全部失敗しているのに、性懲りもなくウクライナに指を突っ込んだ。

ロシアが悪いと言っているけど、あれは、アメリカが主犯だ。

そして、またまた失敗した。

トランプはプーチンとの間に一定の信頼関係があるようなので、ウクライナ戦争は終わるだろう。

うまくいけば秋口までには終わる。

これは、アメリカとNATOの敗北だ。

おそらく、もう立ち上がれない。

そうなると、ドイツと日本に独立のチャンスが巡ってくる。

トランプがやろうとしているのは、世界経済の流れの変更だ。つまりグレートリセット。

これまでは。ドルを印刷することで、世界中から物を買って、ドルを循環してきた。
それがもうできなくなったので、

アメリカが一国支配する図式を変えて、みんな平等にする。

トランプの気まぐれみたいに思いたい向きもあるけど、ドルが価値を失うという意味で。これはグレートリセットだ。もう、後戻りはしない。

アメリカの方針は、ドイツと日本を属国にしておくことだとブレジンスキーいっていた。なので、国内に米軍基地を置くのは、防衛協力ではなく、なかから、その国を監視するのが目的だ。

ウクライナみていてわかる通り、アメリカは他国を守らない。もちろん、日本や台湾を守らない。アメリカは信用できない。日本は独自で防衛すべきだ。

日本にとっての良き隣人は、中国よりも、むしろロシアだろう。

以上要約


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春になれば

たまたま私の別ブログに記事を書いたついでに目に留まった別記事だが、わりと的を射た感想群ではないかと思ったので、ここにも転載する。

春になると自殺者が増えるのは寒さが凍結していてくれた思考回路が動き出していろんなものがわかってしまうからなんだろうな

という感慨など、それ自体が純文学的である。いや、けなしているのではない。人間の内面の掘り下げこそが純文学的行為で、それはそれなりに意味はある。だが、大衆の求めるものではない(それどころか劇薬、危険物)だろう、ということだ。あっさり言えば純文学は「暇人の感懐」であるとも言える。

ついでに、エリオット「荒地」の冒頭を載せておく。数人の訳の複合らしい。

四月はいちばん残酷な月だ
ライラックを死の土地から育てあげ
記憶と願望を乱雑にもつれあわせ
ぼんやりした〈根〉を春の雨で[不穏に]活気づける
冬はあたたかに装ってくれた 降る雪が5
大地をおおい 記憶を曖昧に隠してくれた
球根は乾いていて ささやかな人生を享受した
夏には驚きがあった シュタルンベルク湖の方角から
通り雨がやって来た


(以下引用)
なぜ、半世紀も前の芥川賞受賞作(作者はその後、何か書いたのか、記憶にもない。)が今頃「はてな匿名ダイアリー」でネタにされるのか、不思議だが、「純文学」というケッタイなものの正体は何か、という問題提起としてみれば、分からないでもない。

私は「月山」は読んでいないが、その評として

憶測の羅列と逡巡の垂れ流し

というのは、何となくそうだろうな、という気がする。いかにも、純文学的で、選考者たちに気に入られそうである。作者の年齢が当時でもかなり高かったというのが逆に選考でプラスになったのではないか。だが、高齢で芥川賞を取った人間がその後まともな作家活動をした例はほとんど無いはずだ。


森敦の『月山』で春になると道端の雪が溶けてどこぞのうんこがでてくるというくだりがあって気持ち悪くて嫌だったのだが春になると自殺者が増えるのは寒さが凍結していてくれた思考回路が動き出していろんなものがわかってしまうからなんだろうな




記事への反応 - 

  • 俺は森敦の「月山」は辛くて最後まで読めんかった。雪に閉ざされたあの空間のなんとも言えない暗さと意地の悪さやらなんやらリアルで、、地元が田舎だもん。あの感覚が嫌で地元に...



  • 文庫版の帯に「生と死が交錯するアナザーワールド」ってあって令和風で笑った



    • 芥川賞最高傑作とかいう大嘘を帯にしてたころよりはマシだと思う 会話は半分くらい方言なので人を選ぶ ただ地の文の流麗な敬語と会話文の方言のコントラストはよかった


  •   

    「月山」は読み切ったが「こんな憶測の羅列と逡巡の垂れ流しに何の意味があるのか?」と言う私自身の考えが終始頭の中を渦巻いていた。せめて解説を読めば続ける勇気もと思ったが...


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ユダヤ教とキリスト教と神道と仏教

「東海アマブログ」記事で、ユダヤによるキリスト教乗っ取り説は私がずっと言い続けていることである。つまり、これに関しては同じ意見だ。
末尾の、「日本神道ユダヤ教起源説」という妄想論が、せっかくの好論説を台無しにしているので、省略した。内容において、日本神道は「戒律」がほぼゼロの珍しい「宗教(?)」であり、厳格な戒律主義のユダヤ教との類似性はゼロである。と言っても、私はべつに神道支持者ではない。他の「宗教」に比べればかなりマシという程度だ。
宗教としては「本当(本来)のキリスト教」つまり、新約聖書から読み取れるキリスト教が優れているとは思うが、これは「創造神」という基盤が「悪の存在」と矛盾するという大きな欠陥があり、信じる対象にはできない。だが、キリストの教えの道徳性は優れている。
なお、私は「本来の仏教」は哲学であって宗教ではない、という考えであり、その「哲学」は世界最高の哲学だと思っている。それは「空」という概念を自分で咀嚼し、納得すればいいだけだ。

追記する。神が人間を創造した時に「自由意志」を与えたので、「悪は神ではなく人間が作った」と考えることもできる。とすると、「人間そのものが悪の発生源である」ことになり、それを「人間の原罪」とすることも可能だろう。とすると、普通の人間は「何が神にとっての悪か」も分からないので、「天国に行く」には宗教指導者が勝手に作った怪しげな教えに従うしかないわけで、これは人間支配のもっとも強力な手段になる。つまり、「奴隷化する手段」である。それがユダヤ教、偽キリスト教(主にカトリック)、イスラム教が西洋や中東社会にはびこり、社会を支配した理由である
アジアは「仏教」という解毒剤があったために救われたのだろう。


(以下引用)





 キリストの登場には巨大な意味がある。
 現在、キリストを教義に利用するため、たくさんのキリスト教を自称する宗教団体が勝手な解釈をして、新約聖書でさえ本質的に歪曲した解釈を押しつけているが、それは旧約聖書を信奉する勢力が、キリストの本当の言葉が、自分たちを全否定するものだからだ。

 たとえば、エジプトで、一番新しく発見されたトマス福音書は、死海文書と同じ内容で、そもそも「薪を割ってもそこにいる。石をどけてもそこにいる。石造りの建物に私はいない」
 と書かれていたものを、教会キリスト教の全否定と捉えた全世界のキリスト教が、「石造りの建物に私はいない」を世界中の記述から消してしまって、おまけに「偽書」と決めつけて排除した。

 新約聖書は、勝手な改竄の上に改竄が積み重ねられている。死海文書も、ファティマ第三預言も、既存キリスト教の権威を揺るがすものだから、決して公開されることはない。
 イエスは、本当はキリスト教会どころか、「キリスト教」はいらないと示しているのだ。
 モーゼ2戒「偶像崇拝の禁止」は、教会も、その組織も、キリスト像も含むのであって、権威化したキリスト教会のシステム全体を無意味なものと定めている。

 ユダヤ人=ユダヤ教徒は、新約聖書が世界に拡散されると、「キリストを殺した人々」と罵られるようになり、キリスト教徒から「ボグロム」という集団虐殺を受けるようになった。(イエスがユダヤ教戒律主義者のパリサイ人と激しく衝突し、パリサイ人の陰謀によって張りつけ処刑された)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0

 ボクロムからユダヤ教徒を守るためにどうしたらいいのか? と考えたユダヤ人たちは、キリスト教の指導部に入り込んで、キリスト教そのものを改竄してしまえばよいと考えた。指導部に入り込んでキリスト教を偶像化(虚構化)させてしまうことで、その意味を失わせようとした。

 カトリックの司祭の8割がユダヤ人だという(宇野正美)。これは、カトリックをユダヤ教徒が乗っ取る目的で入り込んでいるものだ。
 プロテスタントも同じで、アメリカの近代福音派の指導者の大半がユダヤ人だという。これも、福音派の教義にシオニズムを紛れ込ませて、新約聖書ではなく旧約聖書を重用させる教義に変えてしまう目的があった。

 これによって、イエスが存命中、シオニズムなど一度も口にしたことがないのに、なぜかキリスト教プロテスタントは、「クリスチャンシオニズム」と呼ばれるほど、強烈にシオニズムを信奉するようになり、パレスチナ先住民の本当のユダヤ人末裔であるカナン人たちを殺戮し、追放しているイスラエルを全面的にバックアップしている。

 つまり、プロテスタント福音派のシオニストたちの正体は、キリスト者ではなくユダヤ教徒なのだ。
 彼らは、キリスト教、新約聖書を捨てて、旧約聖書を絶対視するようになった。そして、旧約聖書の核心部分は、トーラー五書であり、それはイエスが徹底的に拒絶した戒律殺人の連続なのだ。

 レビ記20章の戒律による処刑指示の連続を見て、吐き気を催さない者がいるのだろうか?
 https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/ot/lev/20?lang=jpn

 「神は、どれだけ殺したら腹いっぱいになるのか?」
 と嘆いた人がいるが、まさに、このような処刑の洪水は、悪魔の所業というしかなく、旧約聖書の神=ヤハウェとは、ルシファー(サタン)であると考える人も多い。

 この悪魔の旧約聖書の戒律が、パリサイ人などの戒律派(律法派)と呼ばれる人々によって、ユダヤ人の心を拘束し、いたるところで投石処刑が行われる残酷な社会にイエス・キリストが登場した。

 イエスは、旧約聖書の戒律を真正面から否定した。
 ヨハネ福音書に示された「罪なき者は石撃て」こそ、戒律否定の神髄である。
 https://muchacafe.hateblo.jp/entry/2017/07/10/000807

 旧約聖書は、出エジプト記10のなかで、モーゼの言葉として「汝殺すなかれ」と強く戒めながら、レビ記では「殺せ殺せ」の連続であり、イエスの時代、律法主義を掲げていたパリサイ派が、戒律殺人を奨励し、女性が夫以外の男に誘惑されただけで石で殴り殺していた。

 だが、イエスは「人を裁くな」と言った。
  https://yokohamashiloh.or.jp/mt-fj-07-01/
 これも、旧約聖書とユダヤ教の戒律処刑を全否定するものだった。

 イエスは、ユダヤ人に戒律殺人をやめさせるために登場したのだ。
 それなのに、今、自称ユダヤ人たちがパレスチナを「自分たちの領土」と決めつけ、ユダヤ人にはシオンの地(約束の地)に帰還する義務があるとして、先住民を片っ端から虐殺して、イスラエル国を肥大させている。

 これを全面支持しているのが、アメリカ福音派であり、共和党である。
 よって、パレスチナでの自称ユダヤ人による大虐殺をやめさせるために、彼らのバックボーンであるアメリカ福音派を批判し、排除しなければならないことになる。

 そもそも、パレスチナを侵略したユダヤ人たちがニセモノであることを何度も書いた。
 彼らは、ハザール国由来の自称ユダヤ人(アシュケナジム)であって、旧約聖書の「約束の地」に、ヤハウェによって示された民族は、誰一人含まれていない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%84%E6%9D%9F%E3%81%AE%E5%9C%B0

 自称ユダヤ人たちが、殺戮し、排除しているパレスチナ先住民のカナン人こそ、ホンモノのユダヤ人であり、ヤハウェがその地に繁栄を約束した人々である。
 それなのに、戦後、欧州ホロコーストの恐怖に追い立てられたユダヤ人たちが、勝手にイスラエルにやってきて、「自分たちは2000年前から、ここに住むことを約束されている」として、先住民を追い出し始めた。
 リクード党、ネタニヤフに至っては、1980年代のウクライナ極右勢力だった。

 たぶん彼らは自分たちがニセモノであることを知り、焦りから強引な手法で自分たちこそユダヤ人であることを世界にアピールしたいのだと思う。
 だが、もう取り返しがつかない。イスラエルが崩壊滅亡を免れる要素など一つもない。あと数年で、イスラエルという国家は残酷な形でこの世から消えると、私は確信している。

 ガザ大虐殺を全面支持しているアメリカ福音派は、実は、第二次世界大戦では日本への原爆投下を支持した。さらに、ベトナム戦争の北爆への支持も表明した。
 アメリカが死刑廃止に向かうなか、頑なに死刑制度を維持し、復活させようとしている州は、すべて福音派が権力を得ている州であり、現在のトランプ政権も、福音派を支持母体としている。
 https://www.tais.ac.jp/faculty/graduate_school/major_incomparative_culture/blog/20130601/24682/

 もっとひどいのは、女性の権利を抑圧し、旧約聖書の戒律社会に戻そうとしているのも福音派であり、トランプ政権である。
 福音派は、キリストの言葉を否定し、戒律主義を復活させようとしている。
 アメリカは、現在、世界的な死刑国家に向かっているが、その主役は旧約聖書の戒律を掲げた福音派である。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6057169.html

 キリストは、「殺すなかれ」と言った。だが福音派(モルモン教やエホバも同じ)は、「殺さねばならない」と、寛容の心を排除し、人々の意識を変えようとしている。
 人間の心を刑罰と処刑の恐怖で支配しようとしているわけだ。
 それは、世界の軍需産業の大半をユダヤ人が経営し、ユダヤ人たちは戦争の人殺しでボロ儲けすることを目的にしているからだろうと私は思う。
 戦争殺人を正当化するために、人殺しを正当化する戒律社会が必要なのだ。

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なぜ小説は衰退するか

ふと、疑問に思ったのだが、今のアメリカに「大作家」というものはいるのだろうか。
私はもともと現代文学を読まない人間だが、少し前まではカート・ヴォネガットとかジョン・アービングなどの新刊が出るたびに話題になった気がする。しかし、今は、たとえば大衆小説でも、そういう「大御所」的な存在はいないのではないか。SFでも推理小説でもだ。スチーブン・キングも、もはや「終わった存在」に思える。
これはイギリス文学でも同じで、カズオ・イシグロあたりがせいぜいではないか。それ以外で高名なイギリス人作家は誰かいるのだろうか。
先に書いたアービングやヴォネガットにしても、大作家かと言われると首をひねってしまう。そのどこに偉大なところがあるのか。単に部分部分に「誇張の面白さ」があるだけで、それを読んで物凄く面白いとか、読む者の世界が広がったというところはあっただろうか。あの程度なら、太宰治や筒井康隆のほうがずっと上だろう。いや、私は実はアービングやヴォネガットの小説は読んだ経験が無く、その映画化されたもの(「ガープの世界」や「スローターハウス」)しか知らないが、そこから推測するだけで十分にその世界は分かると思う。映画自体は十分に面白かったのだ。だが、その小説版を読む気はまったく起こらない、ということだ。
要するに、小説で書けることはほぼ種が尽きたのではないか、とすら思う。もはや神はいないし、人類が宇宙に出ていける可能性も、ほとんど無いだろう。ならば、相も変らぬ人間関係の小事件をSF的な描写やほら話を入れて事々しく描くしかない。
つまり、細部を少し変えるだけで、縮小再生産を延々と続けるだけではないか。したがって、大文学も大作家ももはや生まれないだろう、ということである。

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酔生夢人
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男性
職業:
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趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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