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「部活動」は運動部だけなのか?

記事内ではまったく触れられていないことから分かるが、「文化部」はどうする、という問題は些末事というのがマスコミや文化人、教育者の合意事項のようである。

つまり、野球やサッカーで名前を売れば学校の経営に役立つが、文化部にはそういうメリットは無い、という、まさに「資本主義思考」なのだろう。かえって、「新聞部」などに学校経営の内幕や教師の淫行などをスクープされたら困るしwww 
ライトノベルでは文化部が話の中心になったりするが、文化部の人間のスクールカーストが低いのは子供でも知っている。「合唱部? お前はオカマか」くらいのものだろう。ちなみに私が中学生のころ「可愛い女の子が多い(らしい)」という情報で合唱部に入っていたことは誰にも言わない一生の秘密であるwww その前はバスケットボール部に入っていたが、最初の練習で周囲とのあまりの差に、あきらめて即座に退部した。だから「スラムダンク」という漫画もアニメも嫌いであるww あんなのは巨人症のためのスポーツだ。(ちなみに、ボールをリングに入れるには、リングの少し上を狙うという物理的常識さえなかったのであるwww)

(以下引用)

神戸市内の公立中「部活動」終了へ 地域のスポーツ団体等のクラブ活動に移行 全面移行は政令市で全国初


配信



関西テレビ


29: それでも動く名無し 2024/12/17(火) 00:35:07.48 ID:/EQtIv6X0
冷静に考えて7時から朝練見て日中は授業して夕方は18時まで部活見てって時点でおかしいよな
39: それでも動く名無し 2024/12/17(火) 00:36:44.30 ID:ILdA7lrV0
>>29
その挙句ちょっと怪我でもさせようもんならモンペが怒鳴り込んでくるからな

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セルフレジの致命的欠点

私の地元では、地元企業のスーパーと全国規模のスーパーが張り合っているが、その地元企業が最近セルフレジを採用している。客としては最初は機械の操作にとまどったが、慣れるとさほど問題ではない。
しかし、この記事にもあるように、「その気になれば万引きし放題」というのが最大の問題だろう。最初はレジ操作指導役で店員が側についているが、いずれそれもクビにされたら、監視の目もなくなり、特に中学生高校生は万引きしないほうが稀になると思う。生活困窮者も同じだろう。

おそらく、セルフレジの会社に言いくるめられて、最初のマシン購入費はカネがかかるが、その分人件費が減らせ、結果的にはセルフレジがお得である、と思わされるのだろう。
まあ、馬鹿なやり方である。商品の利益など、万引きひとつで吹っ飛ぶものだ。
私は地元企業を応援していたが、この判断は大間違いだったと思う。目先の利益に釣られて、「人件費=悪」というキチガイ思想を導入したのである。地元の人間が働ける場であることが、地元企業の存在価値だったのに。

ついでに言えば、大手百円ショップでもセルフレジ導入店を増やしている。これも企業の命取りになると思う。


12: 稼げる名無しさん :2024/12/16(月) 12:22:13.05 0.net
セルフレジって海外でもあるんだ
あんな万引きし放題の仕組み日本じゃないと成立しないと思ってたわ


(以下引用)


セルフレジは社会的に失敗だった? 有人レジに戻す動きも


  • 1,221,627

  • author Thomas Germain - Gizmodo US
  • [原文]
  • ( そうこ )
  • X
セルフレジは社会的に失敗だった? 有人レジに戻す動きも
Image: Shutterstock

2024年1月21日の記事を編集して再掲載しています。


コロナ期を経て、ますます導入が進んだセルフレジ。お店の人を介さず、自分で商品をピっとスキャンしてお会計する仕組みです。好き嫌いはあると思いますが、社会的試みとして失敗なのではという声が聞こえてきました。


セルフレジ(ロボットレジ)失敗説が膨らんでいる欧米。BBCの報道によれば、従来のレジに戻した店舗も増えており、消費者にとっても店舗にとってもセルフレジはカオスであるという認識がアナリストや業界関係者の間で主流になりつつあるといいます。


もちろん、今すぐセルフレジがなくなるわけではないでしょうが、セルフレジのみ・セルフレジが主な店舗は今後少なくなると見られています。

セルフレジにブレーキをかける欧米

2023年、アメリカで広い層に人気の小売店ターゲットは、セルフレジの利用に、購入アイテムが10点以下の場合という制限を設けました。ウォルマートは、一部店舗でセルフレジを廃止。イギリスのスーパーBoothsは、セルフレジを完全廃止しました。

アメリカ版100円ショップDollar Generalは、2022年セルフレジプロジェクトに大きな期待をかけたものの、最近になってプロジェクトは失敗だったと発表。CEOのTodd Vasos氏は、昨年12月の決算報告にて、店舗のスタッフ数、特にレジ担当を増やし、レジ業務を以前のスタイルに戻すと語りました。


セルフレジをあてにしてきましたが、今年(2023年)はそれに頼りすぎていると感じています。セルフレジはあくまでサブであり、主要レジであるべきではないのです。


セルフレジ最大の問題点

セルフレジの最大の問題点は、万引きです。人がいないレジでモノを盗むのはとても簡単。悪意ある人なら、盗まない方が難しいほど。有人レジよりも無人レジの方が21倍も品物を盗む傾向にあるのだとか。さらに、意図しない万引きが発生してしまうのも問題です。


意図しない万引きとは、つまり盗むつもりがなかったのに、結果的にお金を払っていない商品がまぎれ混んでしまったパターン。セルフレジのシステムが複雑で、うっかり未払いアイテムが発生しているのです。ある調査では、消費者の5人に1人が、この意図しないうっかり万引きを経験しているといいます。ちなみに、同調査でセルフレジにて意図した悪意ある万引きをしたことがあるのは7人に1人となっています。


セルフレジによって万引き率があがるうえ、人件費もあがっているという報告も。レジの仕事がなくなり別の作業を担当しているスタッフが、作業の手をとめセルフレジのトラブル対応をしなくてはいけないからです。で、このトラブル対応がけっこう複雑で時間をとられちゃうのだとか。

結果、全体的な人件費がアップ。セルフレジという高額システムを導入して人件費削減するつもりが、人件費まであがって涙目。

消費者はどっちのレジが好き?

2021年の調査では、消費者の60%はセルフレジの方を好むという結果に。また、67%の人がセルフレジの利用経験あり。しかし、昨今は、万引き疑いやシステムエラーで返って時間をとられトラブルになると、セルフレジを敬遠する消費者も増えているようです。


一方で、米Gizmodoの記事には300を超えるコメントがついており、「セルフレジさいこー!」という人も少なくありません。スピーディで簡単で不要な会話しなくてすむのに、最近減ってきて困っているという声も。セルフレジそのものではなく、レジエリアに人を十分に配置していない店舗側のスタッフ配置システムこそ問題だと指摘する人もいます。








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善と悪、暴力と平和(「チェラブ」のこと)

市民図書館から借りた「チェラブ」という変な題名のジュブナイルは、子ども向けの小説としては大きな問題がある内容だが、人間の本源的な悪を描いている点では「文学」ではある。
問題は「普通の子供(時には天使的な子供)」が、置かれた状況によって悪魔にもなる、ということだ。
世界中の悲惨さ、特に犯罪事件や戦争における悪の暴発は、そうした「社会的に教育された悪」によるものではないか。

この「チェラブ」という小説は、私立探偵をやっていた作者(ロバート・マカモア)が読書嫌いの甥のために書いたものがイギリスでベストセラーになったものだというが、内容は、「不良少年少女や孤児の中で、スパイになれる素質を持つ可能性のある者をスパイ訓練学校に入れて鍛え上げ、子どもスパイにする」という荒唐無稽なものであるが、第一巻「スカウト」の前半に書かれた内容のリアリティは、さすがに私立探偵経験から来ると思われる「徹底的な悪の描写(ただし、主に暴力描写であり、性描写は避けている)」が見事で、いわば「時計仕掛けのオレンジ」はまさしく今のイギリスの姿を予見していた、と思えるものだ。
そして問題は、そうした子供による悪や暴力は、彼らが社会から学んだものだ、ということだ。つまり、法はドジな奴しか罰せないし、法を免れることが簡単なら、悪事を犯さないほうが馬鹿だ、と彼らは「社会から学んでいる」のである。

ついでに言うと、チェラブという子供スパイ養成組織は「子供を完全な悪魔にする」組織と言ってもいい。その冷酷無比な訓練によって訓練生は超人的な戦闘能力を身につけるが、同時に温和な人間性(道徳性)を失い、悪魔化するのである。はたして、悪魔は「上司の命令にだけは無条件で従う」のかどうか疑問だが、そうするのも訓練次第だろう。善良な人間がいかに容易に非人間的になるかは、軍隊という存在(埴谷雄高の言葉を便宜的に借りれば「あいつは敵だ。敵は殺せ」という簡単な教育で兵士・殺人者を大量に作る組織)を見れば明白だし、有名な科学的実験もある。

ちなみに、チェラブのマークは「軍帽(ヘルメット)をかぶり、腰に弾帯を巻き、弓矢を今まさに射ようとしている『天使』の姿」である。まさしく、善がそのまま悪に変わるということだろうか。それとも「暴力こそ平和を作る」という偽善だろうか。おそらく後者だろう。


*追記すれば、「あいつは敵だ」とは、兵士本人が判断するのではなく、上司や上官、政府がそう決めるのである。つまり、兵士はこの場合、ただの機械、ロボットでしかない。戦場では、相手が「敵の軍服を着ているから敵だ」と判断するしかないので、相手が私服なら「こいつは便衣兵(私服の偽装兵)の可能性があるから、とりあえず殺せ」となる。(埴谷雄高のこの言葉は戦争ではなく「政治」について言われたものだが、戦争はまさにその尖端的状況である。)
*私は「チェラブ」第一巻の前半しか読んでいないし、読んで「楽しい」内容でもないので、残りを読むかどうかは未定である。しかし、「問題作」であるし、考察すべき大きな問題を含んでいるので、ここで宣伝する次第だ。まあ、第一巻前半だけ読むのも有益だと思う。


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「嘘」の哲学的考察

さっき、「ハンター×ハンター」を見ていて、主人公のゴンが敵の言うことをあっさり信じて逆に敵を驚かせる場面があったのだが、戦いの現場で敵の言葉(まず99%嘘)を信じるのが身の破滅であるのは言うまでもない。だからこそ、このゴンの行動が面白いのだが、そこで「嘘」ということへの哲学的思考を試みてみたい。

おそらく、このテーマはこれまで考察した哲学者はほとんどいないのではないか。それは、「嘘=悪」という等式がアプリオリに信じられていて、論じる価値もない、という考えからだろう。だが、はたして嘘はすべて悪かというと、そうでないことは誰でもすぐに分かる。今にも死にそうな相手に「大丈夫だ、お前はかならず助かる」と嘘を言うのはよく見る光景だ。そこで、「そうだ、お前は必ず、絶対に、あと10分以内に100%死ぬ」と正直に言う人は、たぶん医者でもいないと思う。
そういう「善意の嘘」は許容できる、としたら、裁判事件での嘘はどうなるか。被告への同情から証人が善意の嘘をついたら裁判制度は成り立たないだろう。可能なのは、被告の近親者の証言は求めないようにする、くらいか。あるいは「証言」は基本的に採用せず、物的証拠だけを採用する、という方法くらいか。まあ、そうなると、犯罪事件の7割くらいは立件不可能になると思う。

ここで「嘘の文化的・文明的効能」について考えてみる。

題名は忘れたが、(たぶん「ギャラクシー・クエスト」だったか)、ひと昔前の人気テレビ番組「スタートレック」のパロディSF映画で、非常に面白い作品があったが、その中に出てくるある宇宙種族が「嘘を知らない種族」だったのである。高度な文明は持っているが、嘘を知らないため、嘘を悪辣に利用する敵種族の作戦に簡単に騙され、種族滅亡の危機に立ち、その中の一部が、テレビ番組(彼らはそれを本当の記録だと信じている)で見ていた「スタートレック」の俳優たちに助けを求めて地球に来るという話だ。
ここで注意したいのは、この「嘘を知らない種族」が文明的には高度な発展を遂げていて、ただ戦争(争いごと)ではとんでもなく無力だったということだ。当たり前の話だが、それが面白い。

古代中国でもたしか孫子が「兵は詭道なり(戦争は騙し合いだ)」と言っていて、これは人類共通の認識だと思うが、戦争に至らなくても政治もまた半分(重要部分なら90%)は大嘘だ、とは多くの人が感じているだろう。新コロ詐欺やガザ虐殺、ウクライナ戦争への欧米の対応を見れば明白だ。

まあ、人類の文明の歴史がたとえば1万年くらいあったとして(それ以前の原始人時代の文明は文明には入れない)、おそらく、人類が嘘をあまりに多用したために、人類の文明史は8000年くらい遅れていると思う。つまり、嘘が無ければ人類はとっくに地上の天国を作っていただろう。

では、私は「嘘の無い世界」を望むかと言えば、そうでもない。あの何とか星人みたいに、「嘘とフィクションは区別できない」のであり、私はフィクションの存在しない人間世界は地獄以下だと思うからである。天国に嘘が存在しないなら、私は「その入場券をお返ししたい」。

まあ、要は、嘘を嘘だと識別できる理性を持ちながら、フィクションはフィクションとして楽しめばいいという、当たり前の話である。





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悩みも苦しみも人生のうち

これもある種の悟りであり、立派な生き方だと思う。
発言のすべてが立派だ。そして嘘や虚飾は無いと思える。坊主の説教より人生を教えてくれる。

(以下「大摩邇」から引用)

「元セクシー女優 延命治療を拒否して見つけた生きる意味」という記事から学ぶ「医療介入の意味」

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=24446
延命治療って新薬を投与されて治験されるようなものですよね。
うちの義父がそうでした。
で、亡くなったら研究の為解剖させてくださいときます。
もちろん断りましたが!
<転載開始>

> 余命1年という宣告からは、すでに4年の月日が流れている。


とありまして、医療介入がなければ、結構長く生きることを示してくれるものです。こういう方だとワクチンも接種していなそうですし、まだまだ長く活躍されると思います。人生とか死ぬことに対しての考え方が私と似ているなあとは思いました。

余命1年と宣告された元セクシー女優 延命治療を拒否して見つけた「生きる意味」

女性自身 2024/12/14


幼少期の壮絶な家庭環境や、撮影現場での暴力を経験しながらも、セクシー女優として活躍してきた元セクシー女優のピンク映画女優・風見京子(55)。ところが、’20年10月、50歳の時に突如肺腺癌と診断され、余命宣告を受けることになる。延命治療を拒否した理由、そしてその後の日々について聞いた。


「お仕事を続ける中で、いい年齢になってきたので、先のことを考えるようになりました。そこで映像のお仕事のかたわら、準社員として働くことにしたんですけど、その矢先に肺腺癌が見つかりました。そこで、余命宣告も受けたんです」(以下、カッコ内は風見の発言)


告げられた余命は、あと1年。もともと体調不良は感じていたという。


「映像のお仕事のかたわら、バイトをしていたんですけど、次第に体調不良で休むようになって。朝、目が覚めると人前に出られないくらいすごく目が腫れていたこともありましたね。救急で病院に行くことも増えていましたが、更年期にさしかかっていたので、あまり気に留めていなかったんです。余命宣告を受ける1年前にも実は病院でレントゲンを撮っているんですけど、何も言われなかったですし。多分、見落とされてたんでしょうね。


それで1年後に新入社員になり、その健診でひっかかって『余命1年です』と言われて。作り話みたいですよね(笑)」


自分の“命の期限”を告げられる、余命宣告。その時、風見はどんな気持ちだったのだろうか。


「正直に言うと、子供の頃からいろいろな経験をしてきて、傷をたくさん持っているんですね。多分、自分が意識していないところでも、心の奥底でもついてる傷もあって。その影響で『死にたい』という気持ちは、どうしてもずっと拭えないんです。こういう風に言うと、ネガティブだと思われるかもしれませんが……。


でも、大変なこともあったけれど、好きに生きてきて、大女優にはなれなかったけれども小さな夢は全部叶えたつもりでいます。もう、人生に満足しているんですよね。


ですから、余命宣告を受けた時の気持ちは、首を吊ったり飛び降りたりしなくても人生をやめられるんだとわかって、正直ホッとしたんです。『私、やっと死ねるんだ』といいますか。もちろん全然悩まなかったというと嘘になりますけれど、そういう気持ちのほうが大きかったんです」


延命治療を拒否して見つけた“夢”


そういった気持ちを裏付けるように、風見は“延命治療を受けない”という選択肢をとっている。そう決めたのは「自然に任せたい」と考えたからだという。


「子供の頃から『癌で死にそうになったら延命治療はしない』と決めていたんです。以前乳癌の疑いがあった時も、治療はしないと考えていました。肺腺癌だとわかったのは50歳の時で、先生にも『70歳や80歳のひとがいうならまだしも医学的には50歳でまだ若いから、治療を受けてみないか』と言われて。でも私は『50年生きられたらいい』って常々言っていたし、もう人生にも満足しているしで、『延命治療は受けません』と譲りませんでした」


余命1年という宣告からは、すでに4年の月日が流れている。それでも風見は今、日々を楽しく生きているという。「治療を受けても手術が成功するわけじゃないし、治療の影響でずっと寝続けなきゃいけない人もいると聞きます。結果的に、今の自分は元気。もちろん痛みや呼吸苦はあるので、それを緩和するために病院に通っています」


死は恐ろしくないのだろうか?


「死ぬこと自体は怖くないんです。むしろ安らぎだと思ってます。人間って修行のために生まれてきてるって言うじゃないですか。だから、私はもう十分に生きたし、神様の元に行けるんだなって思ってるんです。


でも、肺癌って苦しむ病気のトップスリーに入るらしくて、死に際が辛いって聞くんですよ。肺が塞がれていくと、生きたまま溺れるような状態になるっていうし、全身に転移しやすいから、脳とか腰に行くと動けなくなるかもしれないって。


それはやっぱり怖いんです。だから、脳と骨だけは勘弁してほしいし、痛みや苦しむ期間がどれくらいなのかは心配です。死が怖いんじゃなくて、生きて苦しむのが怖い。だから、緩和ケアをしてほしいと思って病院に通ってるんです」


風見は「正直、死にたかった私からすると長生きすることは、別にいいことではない。でも元気にしてると周りの人が喜んでくれる。結局、これで良かったんだと思います」と話す。そして、こう続ける。


「生きてる限りは人を楽しませたり、役に立つことをしたりして生きていきたいなと考えています。ですから、今はボランティアをしています。また、ありがたいことにピンク映画の撮影を今年8月に行っていて、来年公開予定でもあります。それに身体は元気なので、いつか就職できたらいいなと思って動いています。生活の基盤を立てた上で、女優としてやっていきたいなと考えていて、今はそれが夢ですね」


風見はまた、子供の頃の夢を追い続ける。

 

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もはや政治や人間を「レッテル」で判断する時代ではない

新型コロナワクチン問題は、「政治問題」であり、ほとんどの国での「リベラル政権」が新コロ詐欺に加担し、ワクチンによる膨大な薬害を引き起こしたことで、「リベラルへの不信」を招き、それはほとんど「リベラル派そのものの政治的敗北」でもあった。
下の記事の現イタリア政権も「右派政権」だったと記憶する。
だが、言うまでもなく、右派だから正しい、左派だから間違っている、という結論にはならない。それはDSがこれまで「リベラル派=自由主義=民主主義」という刷り込みを各国国民に与えてきたことの反転にすぎない。各国の「リベラル政権」の新コロへの態度こそ、自由主義や民主主義どころか独裁的政治であり強権政治だった。
私のような保守主義者から見れば「革新思想」とは軽薄そのものであり、よく考えもせず「現状をただ否定すれば何とかなる」という馬鹿思想がほとんどその実体だが、その「現状否定戦法」を今は日本の維新政治家など多くの場所で新自由主義政治家が利用しているのである。だが、維新を「左翼」だと言う若者はおそらくいない。「左翼は悪い革新、維新は良い革新」というわけである。ドイツ国民がヒトラーを支持したようなものだ。いや、「ような」ではなく、まったく同じだろう。
要するに、これまでの左派・右派とか左翼・右翼とか革新・保守という分類自体が時代遅れで、個々の政治家や政党の良識や誠実さや知性をその発言と行動で判断するしかないということだ。
などと言いながら、私も維新という政党にレッテル貼りをしているのだが、私の目にはあまりに明白な政治詐欺集団としか思えないので、やむをえないのである。
つまり、これまでの利権構造を変えて、新しい層に新しい利権を与えるだけで「改革」になるのだから、改革者面するのは簡単なのである。そして新しい利権集団は彼らを支持するわけだ。問題はその政治家や政治家集団の品性だ。

(「徽宗皇帝ブログ」過去記事自己引用)

メモ日記「政治・社会」40
#266 お祭り騒ぎの若者たち

「長いナイフの夜」事件でヒトラーが逮捕・殺害した一人が突撃隊長レームであるが、この突撃隊はいわばヒトラーの私兵集団である。つまり、ナチスに反対し、批判する人々をテロで脅し、押しつぶすのが彼らの役割であった。ヒトラーがただの浮浪者から権力の頂点に上るまでは、彼らの働きが絶大だった。
ナチスとは「国家社会主義」という全体主義思想の集団であるが、ナチスという怪物を作り上げた原動力である突撃隊に、なぜ多くの若者が参加したかというと、ナチスが彼らにパンと遊び(生きがい)を与えたからである。第一次大戦での敗戦で困難な生活を強いられた若者たちにとって、突撃隊は一つの職場であり、しかも敵との戦いという生きがいを与えてくれる楽しい職場であった。仲間との集団生活も、スポーツの合宿のようなものであり、「アカ」や「ユダ公」をやっつけるのは楽しいスポーツであったのである。レームは、チームスポーツの監督のような存在であり、いわば彼らの「親父」であった。
正しい歴史的認識も無く、社会の病因を正しく認識する力も無い若者は、邪悪な人間に容易に利用される。彼らは「資本主義は自分たちに何も提供してくれないと確信しながら、しかもマルクス主義を不倶戴天の敵と見なす、階級のはざまに陥った人々」(ノルベルト・フライ)である。これは、現在の日本における右翼あるいはネット右翼の若者とそっくりではないか。資本主義の悪に痛めつけられながら、その根源の敵に立ち向かおうとせず、共産主義という架空の敵のみを敵とするという、「突撃隊」の若者たち!(1月2日)


(以下引用)

イタリアの新聞が、同国のコロナワクチン接種義務についての批判を一面で報じる

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=24428
<転載開始>

イタリアの新聞がコロナワクチン強制接種政策を攻撃

francesoir.fr 2024/12/12


Un journal italien s’attaque aux vaccins anti-Covid



イタリアの新聞ラ・ヴェリタの12月12日付けの一面。「ワクチンは感染やウイルスの伝播を防がなかった」という論調。


イタリアの『ラ・ヴェリタ』2024年12月12日号の第一面の見出しは「ワクチンは感染やウイルスの伝播を防がなかった」という調子を示している。


また、ワクチン接種の個人の自由を支持するメローニ政府の決定についてもふれている。


イタリアでは、マリオ・ドラギ政権下で、罰金を伴う強制ワクチン接種にまで制約が及んだ。したがって、ワクチン接種を拒否した 50歳以上の人々と医療専門家は 100ユーロを支払わなければならなかった。


ジョルジア・メローニ氏がイタリア権力を握ると、ワクチン接種を受けていない介護者が復職した。そして先週の火曜日、イタリア政府は以前課せられた罰金を取り消した。


『ラ・ヴェリタ』の一面には、これが「純粋なイデオロギー的原理主義の注入」を拒否するものだと書かれている。現政府によれば、「この義務は不法で非科学的だった」とした。 「制裁を廃止することで、私たちは権力の乱用、憲法への攻撃を是正した」と記事は付け加えた。


米国の54歳以下のガンによる超過死亡率が過去最高値を更新


0~54歳の悪性腫瘍の超過死亡率の推移(2018~2024年第48週)

Ethical Skeptic

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最晩年の読書計画

私が高校時代に1年間クラス担任教師だった人が数年前に亡くなったが、その人と私は一度しか私的に話したことがない。だが、その時に非常に重要な言葉を彼から聞いて、それは今も私の心に残っている。
それは、「ドストエフスキーが理解できたら(自分は)死んでもいい」という言葉で、当時の私は小説というのは娯楽だとしか思っていなかったから、こうした「文学への真摯な姿勢」というのが非常に斬新だったし、その言葉を聞いただけでも彼は私の「恩師」だと思っている。

つまり、何かの本、特に小説を読んで「理解する」には、読む人のレベルによってさまざまな理解のレベルがある、ということをこの言葉は言っているわけだ。
私は高校時代に「カラマーゾフの兄弟」を読んで、凄い作品だと感じたが、当然、その年齢の知識レベルや知能レベル、判断力レベルでその作品の内容の何パーセントを「理解」したか、分かったものではない。たぶん、あらすじやキャラの面白さしか把握しておらず、つまり、娯楽小説のひとつとして「消費」しただけだっただろう。しかし、その小説の中に何か深遠なものがある、という印象は感受してはいたわけで、それが私の生涯を通じてのドストエフスキー評価の高さになってはきたわけだ。その背景に、あの「恩師」の一言があったわけである。

さて、残り少ない人生の残り時間を何に使うかと言えば、「これまでの人生で知った、優れた本を再読して、あらたなレベルの『理解』をする」ことが最適だろう、と思っている。もはや、昔考えたような「読んだことのない、気になる本をすべて読破する」時間は無いと思うからだ。

その「優れた本を読む」ことの中には、好きな本を英語原書で読むことも想定しているが、これはたとえば「不思議の国のアリス」のような短い本でも、なかなか難しそうである。
とりあえず、未読の本の中では
ドストエフスキー「貧しき人々」が最優先で、
再読したい本だと
ドストエフスキー「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「死の家の記録」
トルストイ「戦争と平和」

手に入るならバルザックの未読の本を幾つか読んでみたい。あるいは「ゴリオ爺さん」や「幻滅」を再読するのもいい。私はこの中に出てくる悪党ヴォートランが好きなのである。もちろん、「人間喜劇」の中には未読の優れた本がたくさんあるだろう。ただ、読むエネルギーが必要だろうからもう少し若いころに読んでおくべきだった気がする。

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HN:
酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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