忍者ブログ

分子レベルの論拠の現代生物学(医学)学説はすべて嘘?

「大摩邇」から転載。「電子顕微鏡では対象物が焼かれた後の状態しか見えない」というのは初耳で、つまり、これまでの、電子顕微鏡写真を証拠とした学説はすべてインチキだとなる。
長い記事で画像や動画も多いので末尾だけ載せる。この引用部分の画像も一部省略するかもしれない。

(以下引用)


ウイルスの存在を主張する側がこの実験をやって結果(ウイルスは出て来ない)を認めることは決してないでしょう。
それをやればワクチン、ウイルス関係の薬、治療方など、これまでのすべてが終わってしまうからです。 



それを食い止めるため、今後も「検体にはウイルスが少なすぎる」「ウイルスは生きた細胞内でしか増殖できない」などと言いわけをし、検体から直接ウイルスを発見するのではなくそれをの腎臓細胞に混ぜ、そこから「ウイルスを発見」し続けるのでしょう。 



ウイルスの存在証明というと難しい話のような気がしますが、たったこれだけのことができないということです。
わかってみればこんなわかりやすい詐欺に何十年も騙されていたのです。 








 

 





そのようなサンプルを純粋化しても言い訳は同じで、そこにはウイルスは見つからないらしい。 つまり「患者の身体は何兆ものウイルス粒子であふれかえっているはずなのに、その表面からも内部からも何も見つからない」ということなのだ。


昔のウイルス学者たちは、電子顕微鏡写真とより効率的な純粋化技術の出現により、病人の中からあらゆる種類のウイルスを見つけ出すことができると確信していた。
しかし20世紀の中頃になってもこの試みは実を結ばず、ウイルスは発見されなかったので、このプロセスは断念せざるを得なくなった。


純粋化されていない試料を撮った電子顕微鏡写真、そこからコンピューターで作成された仮説のゲノム、そのシミュレーションに合わせて作られたPCRテストなどは忘れること。これらのどの作業も実際のウイルスの存在がなくても可能だからだ。



 

 










その2

[補足:電子顕微鏡の問題点]
対象物に対する電子線の放射は有機物を瞬時に炭素化、つまり燃焼して炭素に変えてしまいます。したがって当初、人に雷を落として写真を撮るようなものと揶揄されました。

(写真)国立感染症研究所で分離に成功した新型コロナウイルスだそうです 1/5⬇️


燃焼により発生する揮発性ガスは解像度を著しく低下させるため、標本を脱水して粉末状にしておく必要があります。
細胞は劇的に縮み、変形し、破壊され原型を留めません。
さらに、電子線は放射線ですから活性酸素種が大量発生し、細胞内小器官は破壊され、細胞は死滅します。
2/5⬇️

したがって、生きた細胞をそのまま電子顕微鏡で観察することは原理的に不可能です。
そこで、凍結固定や化学固定が発案されましたが結果に大差はありませんでした。
※細胞に二重膜があるように錯覚するのも化学固定の際に使用されるオスミウム酸染色によるアーチファクト(人工操作物)です。 3/5⬇️




このようにウィルスと誤認する数多の人工物が出来上がり、「電子顕微鏡は自分の探したいものが何でも見つかるオモチャ」と揶揄されるのです。
4/5⬇️




いわんや、ウィルスが存在すると仮定されている細胞培養液の懸濁液(ホモジネート)には多数のバクテリア、細胞の破片、エクソソームが混在しますから、一体何を見ているのか本当のところは分らないというのが実情です。
(写真)SARS-CoV-2感染の瞬間だそうです



拍手

PR

「通俗道徳批判」という、上級国民らしいデコイ(偽物の的)

最近、混沌堂主人をはじめ、時々耳にする「通俗道徳」という言葉を言い出したのが誰か、疑問に思っていたのだが、下記記事の慶応大学教授などがその「犯人」だろうか。
言っていることはやや偽善的というか、大学教師らしい自己防衛的言語修飾もあると感じるが、かなりまともである。しかし、発言の中で出口なおの言葉をしばしば引用するなど、怪し気でもある。大本教信者か? だが、「言っていること」よりも、「言っていないこと」のほうがより問題だろう。
一番の問題は、日本の問題を経済問題でなく「精神の問題」にしてしまっている、いや、意図的にそうしていることで、そうなると「日本人が精神的に変われば幸福な社会になる」という、宗教的煽動にしかならないのである。
日本人の劣化が精神ではなく貧しさからくるものであることは自明だろう。つまり、「貧すれば鈍する」である。他人に構っている余裕など庶民には無いのだ。自分やその周辺が生きるだけで精一杯なのである。「勤労精神」が悪いと言うなら、遊んで暮らせる社会をどのようにすれば実現可能なのか提言しないと、「きれいごと」だけ言って終わりという、いかにも「先生様」のお言葉でしかない。さすがに、上級国民の生産工場である慶応の先生だ。

下記記事でこの先生は長々と御託を言っているが、要は「国民が悪い」「通俗道徳が悪い」としか言っていないのである。

(以下引用)

「獣の世」から「人間たちの社会」へ回帰!(1)

印刷
お問い合わせ

慶応義塾大学経済学部 教授 井手英策氏


 東日本大震災という歴史的な惨事が起き、世界から日本の「絆」が賞賛されたことは記憶に新しい。しかし、「がんばろう」という大合唱とは裏腹に、私たちの社会はズタズタに分断されている。所得階層間、雇用形態間、性別間、政府間、地域間、世代間などの対立が激化し、私たちはバラバラな存在に追いやられている。日本社会は先進国と呼ぶのが痛々しいほどくたびれ、多くの日本人は、生きづらさ、閉塞感、未来を見通せない不安に怯えている。では、この社会を覆い尽くしている漠然とした重苦しさはどこから来るのか。私たちはこの「分断社会」を終わらせることができるのか。
 新進気鋭の財政社会学者、慶応義塾大学経済学部の井手英策教授に聞いた。井手先生は近著『分断社会を終わらせる』(共著 筑摩選書)において、この命題に迫りその解決策を提唱している。


理不尽な社会を次世代に残してはいけない

 ――今、先生の近著『分断社会を終わらせる』(共著 筑摩選書)や『分断社会・日本』(共編 岩波ブックレット)が巷で大変な話題になっています。まず、その執筆動機からお聞かせ頂けますか。


 井手英策氏(以下、井手) 執筆動機は大きく分けて2つあります。1つ目の動機は「理不尽な社会を終わらせたい」と思ったからです。最近よく巷では、格差が大きくなったという声が聞かれ、新聞、雑誌などでもこの話題が取り上げられることが増えました。国民の多くが漠然と格差は広がったと感じています。しかし、現在の日本と高度経済成長時代の日本を比べれば、明らかに格差は小さくなっています。それでは、なぜ日本社会は先進国と呼ぶのが痛々しいほどくたびれ、多くの日本人は生きづらさ、閉塞感、未来を見通せない不安に怯えているのでしょうか。

慶応義塾大学経済学部 井手 英策 教授<

慶応義塾大学経済学部 井手 英策 教授


 第8回の「世界青年意識調査」(内閣府2009)によれば、他国と比べて日本の若年層(18歳~24歳)は社会で成功する要因として、「運やチャンス」をあげる人が多くなっています。
 運やチャンスで人生が決まるということは、親の所得や環境によって自分の未来が決まるということです。
 私は生まれた時に「運が悪かった」という理由だけで、その人の人生が決まる社会というのは、それは格差が大きいとか小さいとかの問題ではなく、とてもおかしいと思います。裕福な家に生まれる、貧しい家に生まれる、男性に生まれる、女性に生まれる、障害を持たずに生まれる、障害を持って生まれるなどはすべて運です。私は、運が悪かっただけで、その人の人生が決まってしまう社会を「理不尽な社会」と呼んでいます。現在の日本社会は、まさにそれにあたります。


 運が悪かった人たちも、運が良かった人たちと一緒に生存競争の輪に加わり、その後の努力や頑張り次第で自分たちの生き方を決めていくことができる社会をつくる必要があります。運が悪かった人たちに感情的に「かわいそう」と手を差しのべるのは学者の仕事ではありません。私は財政社会学の立場から、このような理不尽な社会をなくす方策を研究、そして提言していきたいと考えています。

子どもたちの未来に不安を感じた

 2つ目の動機は「子どもたちの未来に不安を感じた」からです。私には今3人の子ども(8歳、4歳、0歳)がいます。3人の子どもたちの生きていく世の中を考えたときに、言いようのない不安に襲われることがあります。それは、もし私が運悪く今日帰宅の途中で車に跳ねられ、死亡とか、障害を負うようになった場合、「妻や3人の子どもたちは安心してこの日本社会で生きていくことができるのだろうか」と考えるわけです。
 今日、本の生活保障システムでは、義務教育や子どもの医療費を除き、現役世代にとってのサービスはゼロに等しい状態にあります。残された3人のどもたちが、塾はもちろん高等教育さえ受けられなくなる状況がパッと浮かびます。そのような社会を私たちは次世代の子どもたちに残してはいけない、何とかしなければいけないと考えています。

勤労が義務である国は先進国で日本と韓国だけ

 ――そもそも、今回のテーマである「分断社会」は、どのように形成されてきたのですか。


 井手 日本国憲法第27条に「勤労の権利と義務」というのがあります。勤労とは単に働くことではなく勤勉に(industrious)働くことを意味しています。おそらく「労働や就労が義務」の国はあったとしても「勤労が義務」である国は、先進国では日本と韓国だけだと思います。このことは、なぜ日本社会は引き裂かれ、分断されているかを考えるときにとても重要になってきます。


1.すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2.賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3.児童は、これを酷使してはならない。(日本国憲法第27条「勤労の権利と義務」)


 この「勤労」という言葉は、戦時中の国家総動員体制のもと、定着した概念であるにもかかわらず、日本人の心性に訴えかける言葉として左派にも好んで用いられています。


 1945年11月に出された日本社会党の綱領には、「わが党は勤労階層の結合体」であると最初に記され、翌月に出された日本共産党の運動綱領でも、勤労大衆、勤労者、勤労同胞など、勤労と言う言葉が8度も用いられています。

経済的な失敗者は、道徳的な敗北者になる

 歴史を遡ると、江戸時代の後期の民衆の間に広く定着していた「通俗道徳」的倫理観に注目することができます。江戸時代後期の商品経済の急速な浸透によって、民衆は商品経済に巻き込まれ、「家」まるごと没落の危機に直面しました。そうした事態に直面した民衆は、勤勉、倹約、謙譲、分度などの規範を内面化し、それに従うことで家没落の危機を回避しようとしたのです。こうした勤勉、倹約、謙譲、分度などの規範が「通俗道徳」と言われるものです。


 その後、この「通俗道徳」というイデオロギーが今日に至るまで、日本国民を縛り続けていくことになります。市場経済において、努力したにもかかわらず、失敗する人間は常に存在します。しかし、通俗道徳、すなわち「勤勉に働き、倹約に務め、努力するものは成功する」というイデオロギーを前提とすると、経済的な失敗者は、そのまま道徳的な敗北者になります。高度経済成長を牽引した、時の内閣総理大臣池田勇人は、「救済金を出して貧乏人を救うという考え方」を批判して、占領期の社会政策を「贅沢過ぎ」だと断罪しています。それは、経済的弱者を救うことは「濫救」「惰眠」を増加させるものだとみなされていたからです。

生き馬の目を抜く万人の万人に対する戦争

 通俗道徳が支配する社会とは、「努力が必ず報われる」という建前のもとで、勝者と敗者が存在する社会です。しかし、個別の人生1つひとつを取りあげてみれば、そこには多くの偶然が介在しますので、実際には努力が必ず報われるという保証はありません。それにもかかわらず、人びとは、自らが通俗道徳を実践したことを証明し、社会的な承認を勝ち取るために経済的に成功しなければなりません。


 その結果、勤勉、倹約、自己規律を求める通俗道徳は、逆説的に、生き馬の目を抜くような、「万人の万人に対する戦争状態」としてのホッブズ的世界を招き寄せてしまうのです。それが、極端な競争社会に全面化するのは、明治維新によって、江戸幕府が崩壊し、それまで人々の行動に枠をはめていた江戸時代の身分制的秩序が崩壊した後のことです。現在の「分断社会」の原型はこの明治時代に生まれています。そして、この状況を大本教の教祖である出口なおは「獣の世」(※)と呼んだのです。

通俗道徳は皇国勤労観へ変貌して延命した

 通俗道徳的な規範に立脚した社会はアジア・太平洋戦争の敗戦で最大の危機を迎えます。
しかし、通俗道徳は、この危機の時代を「勤労」や「倹約の美徳」の思想となって生き延びることになります。日本政府は1つひとつの通俗道徳の実践という従来の価値観を「家の存続と個人の立身出世」を目的とするものから「国家」を目的とするものへと変換させました。それが「皇国勤労観」です。これは後に、労働への義務意識が染み込んだ日本の「勤労国家レジーム」の成立につながっていきます。


 「勤労国家レジーム」のもとでは、勤労者への減税と勤労の機会を保障する公共投資を骨格とし、社会保障には多くの予算を組みませんでした。社会保障は就労ができない人向けの現金給付に集中し、サービスすなわち現物給付の占める割合は「限定」されることになりました。しかも、限られた資源を配ろうとすれば、低所得層や高齢者、地方部といった具合に、分配の対象を「選別」せざるを得なくなります。そして、この限定性、選別性の背景には「自分でできることは自分でしなさい」という「自己責任」の論理が徹底的に貫かれています。


 このことは、現役世代にとって、生活の必要、すなわち、住宅、教育、老後の生活等に必要な費用を、自分たちで稼得しなければならないことを意味していたのです。

しかし、バブルが崩壊後、状況は一変した

 一時は奇跡的とも言うべき高度経済成長による所得増大によって、多くの人々は自らの責任で生活の安定を確保することができました。人々は、「勤労国家レジーム」に基づき、
「倹約の美徳」を称賛し、将来に備えるため「貯蓄」に励みました。勤労を前提として、社会保障を限定する自己責任型の福祉国家を維持することができたのです。ここでは出口なおの案じた「獣の世」は、限定的にしか現れてきませんでした。


 しかし、バブルが崩壊後、状況は一変します。減税と公共事業に支えられた勤労国家の発動も虚しく、国際的な賃金下落圧力が景気回復を妨げ、巨額の政府債務が積み上がりました。また、少子高齢化が進み、専業主婦世帯と共働き世帯の地位も逆転、近代家族モデルは完全に破綻しました。さらにバブル崩壊に追い打ちをかけるように、市場原理や競争原理、自己責任論が持ち込まれました。


今、日本社会は通俗道徳の実践にエネルギーを費やした多くの敗者で溢れています。働くことは苦痛でしかなく、勤労の先に待ち構えるのは貧困のリスクなのです。まさに「獣の世」の再来と言えます。


(つづく)
【金木 亮憲】


(※)明治日本は一般的には、政治指導者から1人ひとりの国民までが一致団結して「近代化」を追い求めた、つまり「価値観が共有された時代」と言われる。しかし、その一方で、この明治日本を「獣の世」と喝破した人物がいる。大本教の教祖である出口なおである。


『外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ目が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ・・・』(出口なお 1837‐1918)


 「獣の世」(「分断社会」はその顕在化の1つ)は明治日本から始まり、一時高度経済成長の陰に隠れて見えなくなっていた。しかしバブルが崩壊、そして今、近代そして資本主義の終焉が近づくにつれて、「新自由主義」などと姿を変えて再びその牙を剥き始めている。
温かみのある、情熱や思いやりに満ちた社会、他者への配慮にあふれ、仲間のために行動することをよしとする誇りある社会、そんな日本社会はもはや昔話になった。そして、今や「貧困」や「格差」という言葉が日本社会を語る日常的なキーワードになりつつある。


<プロフィール>
ide_pr井手 英策氏(いで・えいさく)
 慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。1972年 福岡県久留米市生まれ。東京大学大学院経済研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、大佛次郎論壇賞受賞)、共著に『分断社会を終わらせる』(筑摩選書)、共編に『分断社会・日本』(岩波ブックレット)、『Deficits and Debt in Industrialized Democracies』(Routledge)など多数。


 




拍手

悪魔より怖いのは人間

先ほど、寝床で起きがけに読んだ、金原瑞人編訳の「ホラー短編集2 南から来た男」の末尾の作品、エレン・エマーソン・ホワイトの「隣の男の子」を読んで、現代アメリカでは人間のほうが悪魔より恐ろしいという気持ちになったのだが、これは当たり前の話で、悪魔など存在などしないから恐ろしいはずがない。
だが、「普通の人間」「自分の隣にいる人間」が、いつ突然、意味不明の暴力や殺人を犯すか分からない世界の怖さがアメリカにはある。そして、新自由主義に侵略された日本もやがてそうなるだろうが、日本には「神を前提としない道徳(公徳心)」という歯止めがあるから、何とか社会が正常を保っている。
ところが、アメリカや西洋社会のモラルはキリスト教という宗教、神や悪魔の存在、天国や地獄の存在を前提としたモラルだから、キリスト教が信じられなくなると、即座にモラルも消えるのである。それが現代のアメリカだ。(もっとも、ユダヤ教は、神が、他民族は殺せ、と積極的に命じる悪魔的宗教だが、だからこそ悪魔的に強い。)
なお、人間のほうが悪魔より恐ろしい、というのは、「隣の男の子(Boy next door)」のひとつ前の、R・L・スチーブンソンの「小瓶の悪魔」が、キリスト教を前提にしたホラーで、日本人である私には少しも怖くない話(むしろ馬鹿馬鹿しい話)だったからである。
ちなみに、現代(特に西欧)ではnext doorの男の子だけでなく、Girl next doorもモラルの無さでは同じである。バルザックのド・マルセーではないが、「神も悪魔も男も女も信じない」というのが現代西欧では普通なのである。当然、バレる恐れが無いか少ないならいくらでも嘘をつくし、公の場では自分の利益目的であることを隠した偽善的発言だけが横行する。世界の地獄化であり、人間の動物化である。(まあ、動物は嘘をつかないから、人間よりは「道徳的」かwww)
ちなみに、経済の根幹は実はモラルであり、西洋の経済的頽落の根本原因もモラルの喪失にある。たとえば富裕者の異常な資本独占などである。「経世済民」の経済とeconomyはまったく性格が違うと言ってもいい。だからeconomic animalは悪口になるのである。

拍手

酒・煙草の消費量減少と肝疾患・肺疾患の激増という矛盾

「大摩邇」から転載。
グラフがすべてを語っている。

(以下引用)

日本のアルコール性肝疾患死亡者数と酒消費量との相関グラフ

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=20335
<転載開始>

興味深いグラフですね。肝疾患が増えている理由は「他にある」ということでしょうか。




酒消費量とアルコール性肝疾患死者数の推移


タバコと肺ガンの関係のグラフにちょっと似てますね。


日本の喫煙率と肺ガン死亡者数の推移

mic-corporation-hd.com


拍手

小説と「読者の視点」

私はドストエフスキーの作品はかなり読んだ部類だと思うが、「二重人格」と「貧しい人々」は読んでいない。前者は途中まで読んで中断していたが、そこまで読むのにかなり難渋していた。後者は、「あまり楽しくない話だろうな」という予想があるからで、私にとって読書とは何よりもまず快楽であり娯楽だからである。「二重人格」を読むのに難渋したのも、それが「楽しくない」からだった。何しろ、主人公が人格低劣な下級官吏で、その心理を精細に描くのだから楽しいはずがない。
しかし、先ほど、寝床の中で同書を数ページ読んで考えたのだが、これは読む側が主人公に感情移入して読んではいけない種類の小説ではないか。つまり、主人公と同じ平面で世界(小説世界)を見るのではなく、主人公も含めて小説世界を「高みから見下ろして眺める」小説ではないか、ということだ。言葉を換えれば、この作品は喜劇、あるいは笑劇であり、読み手が心理的にその作中人物と同じ平面にいては、「笑えない」のである。
だが、読者の多くはふつう、小説の主人公に感情移入するものだ。そこに「二重人格」の読みにくさや不快感の原因があるということだ。感情移入してはいけない主人公に感情的に同化していてはそうなるのが当たり前だろう。

そこで思い出したのが深沢七郎の「絢爛の椅子」である。これは女子高生殺人事件の殺人犯の少年の心理を克明に描き出した小説だが、読者は読んでいる途中から、この少年の精神が、読んでいる自分とは別種の、しかし世間にはごくありふれた種類の精神でもあることに気づくのが大半だと思う。そこで、読者の心理の安全性は保たれるのだが、その一方で、世間にこうした殺人者の精神を持った人間がたくさんおり、自分の間近に無数に蠢いていることに不安感も持つのである。
これは石原慎太郎の初期の作品である「処刑の部屋」(訂正→「完全なる遊戯」)でも同じだ。小説家の中には、この種の「天才的想像力」を持つ人間がおり、つまり殺人者(アモラルな人間、低俗な人間、低知能の人間等等)の心理に「成り切れる」才能の持ち主だ。当然、世間の「普通の人間」は、この種の作品に嫌悪感を持つ。それが健全でもある。だが、文学の可能性は、この種の「冒険性」で切り開かれるものでもあるだろう。

ついでながら、「作中人物=作者」ではないのは当然だし、「主人公=作者のヒーロー」でもない。私はドストエフスキーの「未成年」を読むのに難渋していたが、当たり前の話で、主人公の青年は馬鹿な未成年者であるからだ。つまり、感情移入しにくい人物で、むしろ感情移入するべきではない存在なのである。そこで、主人公(語り手でもある)は馬鹿な未成年者だという視点で高みから見下ろすと、この小説世界がクリアに見えてきて、実に面白い小説になったのだが、これは「読書の難しさ」という一面を示してもいるようだ。そんな面倒くさい作業は嫌だ、という人もいるだろうが、それは「雲丹(蟹でも海老でもいいが)の姿は気持ち悪いから食うのも嫌だ」という、もったいない話である。私自身、こうした読み方が(いつもではないが)できるようになったのはごく最近なのである。

なお、この外に、川端康成の「夏の靴」などを念頭に置いた「小説とポエトリー(詩情)」という思考テーマも考えたが、それはいずれ考えたい。「夏の靴」は、心の部屋の壁に飾っておきたい(特選の)「小さなスケッチ画」である。




拍手

高血圧基準のいい加減さ

「東海アマブログ」記事で、長いが、内容がいいので全文転載する(予定)。

(以下引用)場合により省略。



 mRNAワクチンのことではない。血圧調整薬剤のことだ。
 医療産業が、薬を売りつけるために「異常血圧」のデータを捏造した結果、どれだけの人を無用な死に追いやってきたかを告発する。

 麻生財閥のドワンゴによる「ゆっくりシリーズ」は原発推進だし、アクセス稼ぎで表題を興味本位に捏造していることも多いので最近は見ていなかったのだが、血圧問題について、なかなかピントの合った良いコンテンツを出しているので紹介する。

 これを知らずに病院に行くと100%損します。高血圧の基準が130→160に変更になった本当の理由
https://www.youtube.com/watch?v=9iPCEDOlbFs

 「高血圧」の判定基準が2024年4月ついに改訂! 「副作用もある降圧剤を飲むべきか否か」問題に迫る【大櫛陽一】
 https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2711380/

今年4月から、特定健診における高血圧での受診勧奨と判定する基準(mmHg)が、現在の「収縮期140/拡張期90」から「収縮期160/拡張期100」へと変更されることになった。
 数字の上では違いが分かりにくいが、「受診勧奨される人が10分の1になる」のです。詳しくは私の著書『長生きしたければ高血圧のウソに気づきなさい【増補新版】』(KKベストセラーズ 2024年)をお読みください。この変更には多くの伏線があります。

 一つ目は国際的な潮流です。少し前には医療の世界で論文や薬の治験の不正が横行し、治療指針(ガイドライン)も製薬企業により歪められていた時期がありました。
 この影響による無駄で危険な医療が問題になりました。2004年に医師と製薬企業の経済的な癒着(利益相反)を解消しようという動きが起こり、コレステロールや血圧の治療ガイドラインが科学的に作られるようになりました。
 2019年の英国政府のガイドライン(NICE)で、高血圧に対する医療介入は収縮期160/拡張期100mmHg以上となったのです。日本は、この世界の潮流から取り残されていました。

 二つ目は日本人を対象とする研究です。同じ2004年に、私たちが総合健診医学会で70万人の健診結果から統計的な方法で「男女別年齢別基準範囲」を作りました。詳しくは上記著書に記載してありますが、加齢に伴って血圧が上昇するのは正常な変化で自立度を高めるなどの効果があるのです。
 55歳以上では男女とも収縮期160/拡張期100mmHgまでは正常なのです。これを裏付けた住民追跡研究の結果を2008年に発表しました。60歳以上の男女とも、死亡率の上昇が見られたのは収縮期160/拡張期100mmHg以上でした。

 三つ目は国民医療費の限界です。厚労省は2008年に医療費削減として特定健診・保健指導(メタボ健診)を開始し、職場健診や人間ドックでも同じ基準を使うように指導してきました。しかし、その後は過剰診断や薬物副作用により医療費の伸びが加速してしまいました。
 特に開業医の所得平均が2160万円と、他の職種での所得が増えない中で目立っています。しかし日本医師会は従業員の賃上げのために診療報酬点数を上げることを求めています。

 このせめぎ合いの中で、2024年6月から再診料を2点(1点10円)、高血圧/高脂血症/糖尿病の生活習慣管理料を40点、それぞれ上げる代わりに、月2回から1回の算定とします。2022年に3回まで繰り返し使えるリフィル処方箋が制度化されており、すでに再診回数が減少しています。

 2024年4月からの特定健診の新しい血圧判定では140/90mmHg以上を受診勧奨判定値として残していますが、括弧付きで(判定値を超えるレベルの場合、再検査や生活習慣改善指導等を含め医療機関での管理が必要な場合がある)としています。
 さらに次のページで「すぐに医療機関の受診」としているのは160/100mmHg以上と明記しました。140~159/90~99mmHgは「生活習慣を改善する努力をした上で、数値が改善しないなら医療機関の受診を」と受診抑制をしています。

 忙しい日本の外来診療で高血圧で受診すると、原因を調べずに「本態性高血圧」として薬が出されるでしょう。薬には効果と副作用がありますが、降圧剤では脳卒中、心筋梗塞、腎疾患など疾病への効果は認められていませんが、副作用として脳梗塞、腎機能低下、肝機能障害などが医薬品添付文書に記載されています。
 薬の効果と副作用のバランスを報告している利益相反のないサイト(theNNT.com)では「既往歴無し、収縮期血圧 140-159mmHg 、拡張期血圧 90-99 mmHg」の人では効果ゼロ、副作用が12人に1人としています。

高血圧と言われた人は、医師に「原因は?」と聞きましょう。毎朝と就寝前に血圧を2回ずつ測りましょう。そして、私の著書を参考にしてください。
*************************************************************
 引用以上

 「アンタは血圧が高い、それは病気だ! だから薬を飲め!」
と医療機関で宣告される基準が、コロコロ変わっていたことをご存じだろうか?

 1987年には、旧厚労省が180/100mmHgを高血圧の基準とした。今年4月に改定された基準 160/100mmHg と比較すると、やや高いが、この当時には、たぶん医療産業も金儲けよりも、学問的真実を大切にしていたのだろう。

 2000年には、日本高血圧学会が140/90mmHgという基準値を示した。
 当時の基準は、年齢ごとに異なっており、70代は150mmHg未満、80代は160mmH未満とされていた。
 年齢ごとに異なる基準には正当性があった。人間は老化現象として血圧が高くなってゆくからだ。

 2004年には、日本高血圧学会は、これまでの診断基準を改正し、65歳以上の高齢者の高血圧の基準も、他の年代と同じように、140/90mmHg以上にした。
 たぶん、このあたりで、製薬業界から高血圧学会に、自分たちに都合良く血圧基準を設定してくれと圧力がかかり、あるいは袖の下が使われたかもしれない。

 以下は、製薬業界に迎合して基準を定めた疑いのある高血圧学会会長
 第27回 2004年10月7~9日松岡博昭(獨協医大・循環器内科)宇都宮
 第26回 2003年10月30~11月1日 江藤胤尚(宮崎医大・第1内科)宮崎

 このとき定められた140/90mmHg以上を高血圧とする基準が、現在の日本の高血圧の基準になっている。それが今月、20年ぶりに改められたわけだ。
 だが変更後も、各地の医療機関で、2004年基準を前提に診療すると宣言している医師が少なくない。

 2024/5/20 / 高血圧基準が2024年4月から変わった? 変わらない当院治療方針の理由
 https://www.tsuchiura-east-clinic.jp/18262.html

 高血圧の基準は、世界の地域により異なるが、以前は、世界で140/90mmHgで共通していた。現在では、世界の各地域で異なるようになった。
 米国では、2017年に、高血圧の基準が、140/90mmHg以上から、130/80mmHg未満に引き下げられた。(米国心臓病学会/協会ガイドラインより)

 アメリカという国は、極めて異常な医療が行われていることで知られている。医療費が超高額であること、それに医療保険会社と製薬企業の力が異常なほど強いことだ。
 また、新型コロナワクチンで明らかになったように、厚労省に相当する米国食品医薬管轄機関は、民衆の健康に寄り添っているのではなく、巨大企業の利権に寄り添った政策を行っていることで有名だ。(例えば食品安全近代化法)
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827700.html

 アメリカで世界の潮流に逆行して、高血圧基準が引き下げられた理由は、引き下げることで「高血圧病人」が幾何級数的に拡大し、医療産業がボロ儲けできるから以外の理由は考えにくい。
 基準を下げれば延命し健康を獲得できる人が増えるからでは決してないのだ。

 ホメオスタシスと血圧
 血圧というのは、人間の「恒常性維持機能」=ホメオスタシスの核心である。
 http://health.ymdat.com/homeostasis.html

 人間の健康は、基本的に体液の循環によって支えられている。人間に発生する、あらゆる病気や怪我を治療できるのも、体液の循環があるからで、医薬品は、それを補助する役割にすぎない。
 したがって、病気治療の大本命、本質は「体液循環」でなければならないのだ。

 私が間質性肺炎になって、呼吸が苦しくなっても医者に行かず、医薬品にも頼らず、自分で毎日7000~10000歩歩くことで自家治療を試み続けているのも、ホメオスタシスと体液循環を信じているからだ。
 ピルフェニドンやニンデダニブ、ステロイドなどの延命に役立つ薬があるが、そんなものより体液循環の方が、数百倍も効果があると確信しているからである。

 発症後10年、私が医療に頼っていたなら、とっくの昔に死んでいたに違いないと思う。医療のやることは、無用無駄な検査による診断確定と投薬手術だけだ。日本では呼吸トレーニングのようなホメオスタシス医療には非常に関心が低いのだ。それは、それによって成功しても医師の名誉や利益に直結しないからだろう。

 血圧がホメオスタシスの核心という理由は、それが体液循環の本質部分だからだ。
 血圧がなければ体液循環はありえない。だが、血圧は年齢や筋肉量などの要素で大きく変化してゆく。一日のなかでも数十程度の変化は珍しくない。

 若いうちは、筋肉量が多いので活発に体液循環が行われるが、年齢を重ねるとサルコペニアという筋肉量減少が起きてくる。
すると筋肉収縮による循環機能が弱り、血圧が上がって、体液を循環させるようになる。これが老人性血圧上昇の理由である。

 私は、60歳を過ぎて自身のサルコペニアを自覚させられた。こうなると動物性蛋白質をたくさん摂取して筋肉増強運動をすればよいのだが、あいにく腎臓が悪化しているので、魚などを食べられない。だから、ふくらはぎの運動に特化することにした。
 体液循環にとって、一番大きな役割を果たしているのが、ふくらはぎの運動である。
 立位動物である人間は、血液など体液が下腿に落ちてゆく。それをふくらはぎの収縮運動で心臓に送り返すことが体液循環に最適なシステムである。

 ふくらはぎの運動とは、すなわち歩くことである。走っても良いが、たぶん、ゆっくり歩いた方が、無用な負荷を作らず効果が大きいと思う。
 ただ、最近では、少し息がはずむくらいが良いという意見もある。私の場合は、標高差100~200mの坂道を上がる運動を大切にしている。

 年を取って血圧が上がるのは、自然の摂理である。これに「高血圧」という「病名」をつけて病気に仕立て上げて、無理矢理、診断し、無理矢理投薬するのは、治療ではなく、患者から金を搾り取りたいという医師と医薬品業界の強欲から来ているものだろう。

 以前にも書いたが、医師は、教科書に書いてある医療プロトコールを実行していれば、医師のつもりになっていられる。
 それは患者の病気を治療したいという目的ではなく、医師としての存在理由を確認したいという目的に他ならない。なかには、患者を「金のなる木」と認識している医師もいるように思える。

 もし、本気で患者のための医療を行いたい良心的な医師がいるとすれば、血圧の高い人に対して、「歩きなさい、ふくらはぎを運動させなさい」ということになるだろう。
 しかし、そんな金にならない治療指導を行う医師などほとんどいない。みんな降圧剤という投薬を行い、自分が医師であることをプロトコールによって確認しながら、看護師の給与を確保するため、何点もらうかという結論に落ち着くのである。それ以上のことを考える医師は、たぶんほとんどいない。

 医師や医薬品企業を「悪の権化」のように書いてはいるが、まあ、人々の病気や怪我治療に寄与している現実は、私も認めている。
 医薬品企業に対しても、私は、そこそこのサプリメントやアロプリノールを常用しているし、最近では、友人からもらったイベルメクチンを使ってみて、「もしかしたら間質性肺炎に効果があるかもしれない」と思い始めている。

 私のもらったイベルメクチンは、通常3mgに対して12mgと濃度が高く、飲むと胃がむかつくので、長いこと使わなかったのだが、寄生虫症の疑いで使ってみたら、なんと、山の中での呼吸が楽になってきたのだ。
 それから現在まで毎日1錠を10回続けたら、確かに夜、呼吸が苦しくなることが消えた。歩くのも楽になった。
 イベルメクチンは、新型コロナ禍の肺炎に効果があるといわれてきたが、間質性肺炎にも効果があるのかもしれない。

 だが、薬価がとても安い薬なので、こんなので新型コロナや間質性肺炎が治ってしまうなら、医師や製薬企業の儲けが薄くなってしまう。だから、医療産業は、全力を挙げて「イベルメクチンは新型コロナには何の効果もみられない」と宣伝している。

 ちょうど、アニサキス症に対する正露丸と似ている。アニサキスの地獄の激痛は、全世界の漁師が頻繁に経験していて、日本ではとりわけ高知の遠洋漁業者が昔から職業病として対策してきた。
 大正時代に正露丸が出てから、全国の漁師は、遠洋航海に出るときは必ず正露丸を大量に携行している。アニサキスの激痛に襲われたなら正露丸を4錠飲めば数時間で痛みが消えて治癒してしまうのだ。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5937440.html

 だが、正露丸の薬価はひどく安いので、医師が処方しても儲けなどほとんどない。ところが内視鏡を使えば5万円は取れる。だから正露丸は効果がないことにしてしまった。
 今、ライブドアとアメブロの自分のブログ検索をしてみたら、なんとアニサキスが検索排除され、見つけられなくなっていた。これも医療・医薬品業界が圧力をかけたのだろう。
 http://hirukawanakayama.seesaa.net/article/493725851.html?1716855762

 すると、たぶん、このブログもすぐに検索できなくなるはずだ。日本は情報公開ランキング70番目という悪質な情報統制国家なのである。

 問題は、医療業界、医薬品業界が、「金にならないことはやらない」と新自由主義の思想に染まっていることだ。医療は新自由主義の実利最優先思想から、もっとも縁遠い人間愛を優先させるものでなければならないが、実際には、金儲けを狙う医薬品業界から、たえず圧力がかかっている。
 イベルメクチンや正露丸のような金にならない薬は使わない。健康に影響のない血圧であっても、無理矢理、高血圧という病名を仕立てて、降圧剤を使わせる。
 このため、降圧剤の副作用による認知症や死者が膨大なものになっている。

認知症症状を悪化させる降圧剤の種類
 https://www.youtube.com/watch?v=_M9E2BvFy1I

 【医師は飲まない高血圧薬】血圧の話~薬編 副作用暴露‼︎ノルバスク、アムロジピン 降圧剤が引き起こす予想外の衝撃的な結果とは? 血圧を下げるツ
  https://www.youtube.com/watch?v=werZPnXP1Zk

 最低血圧130以下で降圧剤を飲んでいた人の死亡率が上がっていた。
 https://medley.life/news/5582638d4502c33301803b6d/

 「140・90」以上が高血圧という「病気」と決めつけられ、降圧剤を処方されてきた、これまでの医療が、いったいどれだけの腎不全死者や認知症患者を出してきたかを考えると、空恐ろしくなるのは私だけではないだろう。
 https://www.healthcare.omron.co.jp/cardiovascular-health/hypertension/column/long-term-use-of-hypertension-medication.html

 体液の循環に必要な血圧を薬で無理矢理下げれば、脳にゆく血流も減り、アミロイドβ、タウ蛋白やレビー小体を洗い流す作用も弱くなるのは当然のことで、降圧剤など常用すれば認知症まっしぐらなのだ。
 
降圧剤は金になる。だから病気でなくとも、高血圧を病気と決めつけて無理矢理薬を使わせれば製薬企業も、医療機関もウハウハなのだ。

 降圧剤市場なおも拡大 18年に1兆円市場に 配合剤登場で競争激化 2010/05/07
  https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=38980

現在は、その数倍、年間数十兆円の儲けを製薬企業にもたらしている打ち出の小槌なのだ。これが、ごくあたりまえの老人性高血圧を病気と決めつけてきた根本理由である。
 私のこのブログは、アニサキス記事と同じように、たちまち検索排除されるにちがいない。

 日本の戦後医療は、実は731部隊をそのまま引き継いできた。残酷な人体実験を中国で繰り返した731部隊は、総司令官の石井四郎も、指令の内藤良一も、誰一人処罰されることなく、日本に帰還し、自由の身となってミドリ十字社などの製薬企業を設立したり、厚生省医官になったりして、戦後医療の基礎を作ってきた。
 そこには、人体実験を繰り返し、人の命に対する尊厳がカケラもない金儲け一辺倒の思想が受け継がれているのだ。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5889038.html

 今回取り上げた血圧基準問題も、実は731部隊の思想が受け継がれていると私は考えている。

拍手

「世界でもっとも幸福な国のひとつ(笑)」での少子化

引用記事は、私の思索のきっかけであるだけなので、後で大幅にカットするかもしれない。
で、私の「哲学的思索(笑)」は、「フリーセックスは少子化を招来する」という、当たり前の話なのだが、これについてまともに発言した人を私は見た記憶がない。
子供を産むというのはふつう、結婚制度が前提であり、女性が最初からひとりで子供を産み育てるという厳しい人生を選択をする例は少なくて当然だろう。
で、結婚制度というのは、古いと言わば言え、守操義務が前提であり、特に子供を産むかどうかというのは、夫にとっては、それが「自分の子供である」というのがふつうは大前提になる。それが、誰の子供か分からないのでは夫としては「お前が勝手に妊娠したのだから、離婚してひとりで勝手に産んで勝手に育てろ」と思うのが当たり前なのではないか。まあ、他人の子供というだけなら可愛いが、それが「自分の女房を寝取った相手の子供」だとなると、可愛いどころか殺したくなるのが「普通の気持ち」なのではないか。
というわけで、結婚制度とフリーセックスは相反する存在だ、という理屈で、フリーセックスが広まった社会は当然少子化になるわけである。
この問題の解決策も腹案があるが、それは書かない。たぶん、キチガイ思想だと言われるだろうから。いや、書こう。それは「国立孤児院」の普及である。貧困女性や貧困家庭の赤ん坊を国が引き取って成人まで育て上げ、奴隷労働者か兵士にするという案だwww まあ、スイフトの「アイルランドの貧困家庭の乳児を有益ならしめる案」に比べると少しは人道的なのではないか。

(以下引用)

スウェーデンの出生率が「過去300年で最低」に

地球の記録 - アース・カタストロフ・レビューさんのサイトより
https://earthreview.net/swedens-birth-rate-is-the-lowest-in-300-years/
<転載開始>

population-europe.eu

2024年も出生率低下は継続中

最近はどうもスウェーデン関係の報道に目が行くのですが、少し前には、「スウェーデンの女子高生の 4分の 1が体調不良」という報道から考えるいろいろなことについて書きました。


(記事)「スウェーデンの女子高生の4人に1人が体調不良」という報道から見える世界的な「若年層の機能不全化」の進行と「弱い個体の死」
 In Deep 2024年5月24日


この報道のあった翌日には、「スウェーデンで、注意欠陥・多動症(ADHD)の子どもの数が爆発的に増加している」ことが報じられていました(翻訳記事)。


何が起きているのかなとは思いますが、スウェーデンだけではないですけれど、何となく世界全体が妙な感じです。


最近、スウェーデンの出生率が「過去 300年で最低に達した」ことを報じている記事を見ました。


この「 300年で」というのは、300年前の 1749年にスウェーデンで出生率の記録が開始されたということで、「統計開始以来の最低」ということを意味します。


以下のような記事でした。


スウェーデンの出生率が過去300年で最低に

Sweden reports lowest birthrate in nearly 300 years
aa.com.tr 2025/03/24


世界で最も幸福な国の一つであるスウェーデンの新生児数が、出生率の記録を開始した1749年以来最低となった。



スウェーデンは今週初めに発表された世界幸福度報告書で第 4位となったにもかかわらず、2010年以降、自国のスウェーデン女性と外国生まれのスウェーデン女性の双方で幸福度が下降傾向にある。


スウェーデンの女性は現在、平均 1.45人の子供を出産しており、これは 1749年に調査が始まって以来、最低の数字だ。


「 2024年に入っても、曲線は引き続き下降傾向にあります」とスウェーデン政府統計局の人口統計学者グアダルーペ・アンダーソン氏は声明で述べた。


アンダーソン氏は、昨年の新生児数は 2003年以来最低となり、女性 1人当たりの出生児数もスウェーデンで過去最低を記録したと述べた。


そしてスウェーデンの人口数そのものが新たな最低水準に向かっているようだ。1月には、出生数が最も少なかった 2023年の初めよりも出生数が少なかった。


出生児数で見ると、最も出産が減少したのはスウェーデン南部のマルメだった。


スウェーデンの女性たちの中には、親になることをためらっている人々が多いようだ。そのほとんどは、世界の情勢や不安定さを理由に挙げている。


「子どもたちは、これからどのように暮らすのでしょうか?社会はどうなるのでしょうか?」とスウェーデン人のサンナ・タヤリさんは SVT 放送に語った。


2023年には、出生児数が 40人未満だったスウェーデンの自治体は 26あった。最も少なかったのは北部のドロテア自治体で、出生児数はわずか 8人だった。


このため、スウェーデンでは幼稚園が閉鎖を余儀なくされていることはすでに明らかとなっている。長期的には、より少ない若者たちが、より多くの高齢者人口を支えることにならざるを得ないだろう。




 


ここまでです。


幼稚園の閉鎖について書かれていますが、これは少子化の進む国ではどこも同じ傾向のようです。


韓国では、2023年までの 5年間で 10,000カ所近くの保育園が廃業したと報じられています。


中国でも、急激な幼児数の減少により(一人っ子政策をしていた頃より深刻な減少)幼稚園児が急激に減少していることが報じられています。


なお、スウェーデンの出生数の減少傾向は過去 150年くらい続いていたことがデータでわかります。以下は 2020年までのものです。



statista.com


20世紀の後半くらいまでに、最高のときより 3分の1ほどまで落ち込んだ出生数が、その後 2023年などになり、「さらに加速して出生数が落ちた」ようです。


今後の出生率に関しても、たとえば先ほどの「女子高生の 4人に 1人が体調不良」というような若い女性たちのメンタルの状況では、なかなか出生数が上昇していくという感じは見られません。


結果として、福祉国家としての「福祉」に問題が生じる可能性もあり、そして、若者たちは現在よりさらに福祉のための重い負担を担うことになりかねないのかもしれません。


以前、「福祉国家スウェーデンの福祉が崩壊するとき」という記事を書いたことがありますが、出生率の問題からも、今後 10年内くらいには複雑な問題が表面化しそうです。


もちろん、出生に関しては日本のほうがさらに状況が悪いわけですけれど…。



<転載終了> 

拍手

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析