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「魔群の狂宴」11



・前の場面の続き。
・銀三郎は先ほど見えた小さな洋館の玄関(鍵はかかっていない)の扉を開けて中に入る。
・玄関の間の奥に部屋がふたつあり、奥の部屋(洋間)が麻里江の寝室である。その部屋の扉は開いたままで、ベッドに麻里江がスヤスヤ寝ている。
・その寝顔を上から見下ろす銀三郎の顔に殺気に似た表情がかすかに浮かぶ。
・軽くうなされる麻里江。突然、目を開く。自分を見下ろす銀三郎を見て驚く。
・小さく悲鳴を上げた麻里江をあやすようになだめる銀三郎。
銀三郎「僕だよ。大丈夫、僕だ」
麻里江「ああ、あなたでしたの、侯爵様」(彼女は銀三郎をそう呼ぶ)
銀三郎「何か悪い夢でも見たのかい。うなされていたが」
麻里江「夢? そうだわ。悪い夢を見ていた。その中にあなたのような人が出てきて……なぜ、私の夢の中身を知っているんだい? あんたは何者だい」
銀三郎「落ち着きなさい。僕だよ。お前の侯爵さまさ」
麻里江「嘘だ。あんたは私の侯爵さまじゃない。私の侯爵さまは、誰よりも素敵な人で、お前のような下種じゃない。顔は少し似ているけど、あんたは偽物だ」
狂女の侮辱的な言葉を聞いて、銀三郎の顔が醜く歪む。
麻里江「はは、怒ったのかい。夢のように、私をナイフで殺すつもりかい? ほら、その懐には私を殺すためのナイフがあるんだろう?」
銀三郎はギクリとした顔になる。先ほどの殺意が、なぜかこの女の夢に通じたようだからだ。
銀三郎「馬鹿馬鹿しい。いい加減にやめないか。お前の兄はどうした。どこに行ったんだ」
麻里江「あんな奴、知るもんか。あんた、私の赤ちゃんをどうした。まさか、川に捨てたんじゃないだろうな」
銀三郎「お前は赤ん坊など生んでいない。私と寝てすらいないんだ」
麻里江「じゃあ、何でここにいる。この偽物の侯爵が。はは、侯爵が聞いてあきれるよ。お前なんか、下男や御者にも劣る能無しだよ。悪魔の下働きが相当だ」
たまりかねて、銀三郎はその部屋から急ぎ足で出て行く。
玄関から田端兄が入ってくるのとぶつかりそうになる。

田端兄「おお、これは銀三郎様、子爵様。このようなところにお越しいただくとははなはだ名誉でございます」
銀三郎「君から手紙をもらったから来たんだ。何の用だね」
田端兄「まあ、慌てなさらないで、ひとつ舶来の酒でもいかがですか。貧しい中にももてなしの酒くらいは準備しております」
銀三郎「ふん、自分が飲むためにな」
田端兄「もちろん、わたくしもご相伴いたしますが、主にあなた様のためでございます」
銀三郎「酒はいいから用件を言ってくれ」
田端兄「そこでございます。こういうデリケエトな話は、私のような繊細な人間は酒も入らずには話しにくいのですが、思い切って申しましょう。前にお約束になったお手当はいつ貰えるのでしょうか」
銀三郎「手当など約束した覚えも無いし、お前たち兄妹にはこの家を買ってやり、生活費も十分に与えたはずだ」
田端兄「さはさりながら、やはりこうした日陰の身ではあれも可哀そうで、ちゃんとした世間との人付き合いをするには頂いたお金では少々不足かと」
銀三郎「あれを世間と人付き合いさせるだと? 面白い冗談だ」
田端兄「へへへ、やはり子爵様の奥方ともなると世間との交際は必要ではないかと思いまして。なあに、私がいつもそばについていてうまくやりますから、ご安心を」
銀三郎「いらん。いい機会だから、言っておこう。俺は明日明後日にも、あれとの結婚を世間に公表するつもりだ。だから、これまでお前がこそこそゆすっていたような手口はもう通用しない」
田端兄、呆然とする。
田端兄「まさか、冗談でございますよね。そんなことをしたら、御身の破滅でございますよ」
銀三郎「俺には似合いの妻かもしれん。もっとも、先ほどはあいつのほうから俺に縁切りの言葉を言われたがな」(ニヤリと笑う)
銀三郎「まあ、そういうことだ。俺の気が変わったら、これまで通り、小遣い銭くらいはやるかもしれんが、俺をゆするつもりなら無理だと覚えておけ」
銀三郎、立ち上がって出て行く。呆然としてそれを見送る田端兄。


(このシーンはここまで)

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「魔群の狂宴」10


・初冬だが、よく晴れた日。須田家。

菊が居間のドアをノックする。
須田夫人「お入り」
菊、お辞儀をして入る。
菊「何か御用でしょうか」
須田夫人「まあ、そこにお座り。ちょっと話があるんだよ」
菊、不安そうな顔でソファに座る。
須田夫人「話というのはね、お前もそろそろ結婚を考えた方がいい年頃だということだよ」
菊、驚いた顔になる。
菊「結婚など、まだまだ早うございます」
須田夫人「何をお言いだい。二十歳を超えたら十分年増ですよ。あと数年したら行かず後家です。せっかく養女にしたお前を行かず後家にはさせないよ」
菊、無言でうなだれる。
須田夫人「で、お相手だがね、お前も良く知っている人だよ」
菊の顔に、一抹の希望の色と、まさかそんな奇跡はあるまいという不安が浮かぶ。
須田夫人「ほら、うちによく来る、鳥居さんだよ」
菊の顔に絶望の色が浮かび、うなだれる。
須田夫人「おや、お嫌かい? そりゃああの人は、年はいっているけど、今でもなかなかの好男子だし、先生と人から呼ばれる、いわゆるインテリさね。不満を言ったらバチが当たるよ。それでも、お前、まさか好きな人でもいるんじゃないだろうね」
菊、顔を横に振る。
須田夫人「相手の年が気になるようだけど、これくらいの年の差は世間でよくあることさ。それにお前くらいのネンネには、人生経験の豊かな人のほうがいいのだよ。持参金はもちろん、私が出すし、結婚祝いに新築の家でも建てさせてあげるよ」
菊「恐れ多いことです。そこまでしていただくのは、心苦しゅうございます」
須田夫人「なら、承知だね」
菊「あまりにも急な話で、頭が混乱して。少し考えさせていただいてよろしいでしょうか」
須田夫人「まあ、考えるまでもないことだけど、お前がそれで気が落ち着くならゆっくり考えればいいさ。私としては明日にでもあちら側に話をしに行こうと思っているんだよ」
菊「済みません。部屋で考えてみます」
須田「いいよ。話はそれだけだ。ああ、銀三郎はお出かけかい?」
菊「はい。先ほど馬で」

・葉の大半が落ちたカラマツの林を馬に乗った銀三郎が行く。
・前方に小さな洋館が見えた時、林の間からひとりの男が銀三郎の馬の前に出て来る。
・馬を止める銀三郎。相手が浮浪者風の男だと見て不愉快そうな顔になる。

男(懲役人藤田)「へへへ、少しお待ちを、須田子爵様」
銀三郎「何だ、お前は」
藤田「名乗るほどの者ではございませんが、藤田と申すケチな野郎で」
銀三郎「藤田? 覚えがあるぞ。うちの小作人だったが、何かの罪で懲役刑になった男だな」
藤田「はい、よくご記憶で。その節はご迷惑をかけました。しかし、刑期も明けて、こうして戻ってきた次第で」
銀三郎「俺に何の用だ」
藤田「へへ、何しろ、懲役帰りだと、仕事を探すのも大変でして、少しお恵みいただけたらと思うんですよ」
銀三郎「カネか。今はさほど持っていない」
藤田「どれほどでも結構で」
銀三郎、懐から小銭入れを出し、そのまま相手に投げる。
藤田「さすがに気前がよろしくていらっしゃる。これで失礼しますが、もし私のような男が必要なら、いつでもお声をかけてください。たいていすぐ近くの炭小屋におりますから」
藤田は林の間に姿を消す。何か考えるように見送る銀三郎。

(このシーンはここまで)



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「魔群の狂宴」9


・同じ夜、かなり遅い時間。桐井と佐藤の下宿の前の道。
・酔いつぶれた田端兄を富士谷と栗谷が肩で支えて歩かせてこちらに向かってくる。その後ろから兵頭(着物姿)がシガーを吹かしながら悠然と歩いてくる。

富士谷「そう言えば、ここが佐藤と桐井のいる下宿ですよ」
兵頭「まだ明かりのついている窓があるな」
栗谷「たぶん、桐井の部屋でしょう。あいつは、夜はほとんど起きているという話です」
兵頭「勉強家なのか?」
栗谷「いや、歩きまわりながら、一晩中考え事をしているらしいです」
兵頭「それは面白そうだ。訪ねてみよう。君たちはそいつを宿に送り届けてくれ」(シガーを地に捨て、下駄で踏み消す)
玄関のガラス戸を叩く。
しばらくして、中から「誰だい、こんな時間に」と不機嫌そうな声がする。
兵頭「桐井君に至急の用だ。須田伯爵家からの使いだ」

・桐井の部屋の中、外からノックされる。
桐井「佐藤か?」(開ける。)
兵頭「失礼するよ、桐井君」(中に入ってくる。)
桐井「どなたですか。こんな夜中に」
兵頭「兵頭栄三という者だが、社会主義者の君なら私の名前は知っているだろう?」
桐井「ああ、アナーキストの。私はもう社会主義者じゃありませんよ」
兵頭「どうして社会主義者をやめたんだね」(勝手に、机の前の椅子に座る)
桐井「社会のことなどどうでもよくなったからです」
兵頭「自殺すると決めたからかい?」
桐井「自殺? 誰から聞いたんです?」
兵頭「まあ、そんなのはいいじゃないか。後学のために君の自殺論を聞かせてもらいたいね。僕の聞いたところでは、絶対の自由の証明は自殺だ、という論のようじゃないか」
桐井「そうです。それで終わりです。さあ、お帰りください」
兵頭「なぜ自殺が絶対の自由の証明になるんだい?」
桐井(面倒くさそうに)「神が存在すれば、人間は神の命令を聞くしかない。つまり神の奴隷であり、自殺する自由は無い。自殺することで、人間は自分が自由意思があり、自分の意思の通りに行動でき、神の奴隷でないこと、つまり自由な存在であることを証明できる。QED。はい、御帰りください」
兵頭「まるで証明になっていないとしか思えないな」
桐井「あなたはなぜアナーキストなんですか。アナーキズムの理屈を僕に説明できますか」
兵頭「君と根っこは同じさ。絶対の自由がほしいからだ。ただ、君のように神だとか何だとかには僕はまったく興味がない。神がいたとしても、神はこの世に関与していない。善悪も道徳も法律もすべて人間が作ったもので、それは人間を縛るものだ。その基盤が国家であり政府だ。つまり、国家や政府は人間から自由を奪う存在だ。ゆえに僕は無政府主義を主張する。QED」
桐井「あなたは法律や道徳をすべて破壊したいと?」
兵頭「極端に言えばね」
桐井「野獣のように力だけが支配する世界を作りたいと?」
兵頭「そうとも言える。政府や国家に陰険に縛られた世界より僕はそのほうが好きだ。何も闘争だけしなくても、穏健に話し合いで社会が作れるさ」
桐井「僕よりあなたのほうがはるかに夢想家だ」
兵頭「同じく自由を求めても、君は自分を破壊し、僕は社会を破壊する。それだけの違いさ」
桐井「まあ、警察に捕まらないように気をつけることです。さあ、お休みなさい」
兵頭「また議論したいものだね。もっと時間をかけて真剣にな」
桐井「これで十分です。あなたの考えはだいたい理解できたつもりです」
兵頭「そうか。ところで、君は須田銀三郎とは知り合いなのだろう?」
桐井(黙っている)
兵頭「須田銀三郎が田端という男に何か弱みを握られているという話は知らないか?」
桐井「どうしてです?」
兵頭「いや、田端が分不相応なカネを持っていて、それが須田銀三郎から出たカネらしいんだ。須田が田端にカネをやった理由が知りたい」
桐井「僕は知りませんね。興味もない」
兵頭「そうか。夜分お邪魔した。今日はこれで失礼しよう。SEE YOU AGAIN」(人好きのする笑顔。椅子から立ち上がる。)
桐井「もう来なくていいですよ」
・兵頭を送り出す。

(このシーン終わり)


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「魔群の狂宴」8



・同じ日、札幌の場末の一画。蕪雑な家々が狭苦しく並んでいる。
・曇り空の下、その通りを歩く佐藤富士夫と桐井六郎。

佐藤「何で田端なんかを訪ねるんだ? 俺はあいつが大嫌いなんだが」
桐井「それは俺も同じさ。会いたいのは妹のほうだ」
佐藤「妹? あの、ビッコのキチガイ女か?」
桐井「まあ、頭は少し狂っているがな。天使のように善良な女だ」
佐藤「あの兄の妹だぞ」
桐井「だから気が狂ったのだろう。まともでは、この世の中で生きていけない。それに、田端がなぜ突然この町に来たのか、知りたい。銀三郎の帰国と関係がありそうだ」
佐藤「いつでも死ぬ気でいるわりには好奇心もあるんだな」
桐井「俺は、田端ではなくその妹に興味があるのさ。キチガイから見たこの世界がどんなものか知りたい。銀三郎のような男から見てこの世界で生きることがどんなかも知りたい。好奇心の有無と、生死への執着は別の話だ」

・みすぼらしい木賃宿の前でふたりは立ち止まる。
桐井「ここだな」(ふたり、中に入る。)

・田端兄妹の泊まっている部屋。桐井がノックする。返事は無い。構わず、ドアを開ける。
・部屋の奥の窓の張り出しに田端の妹が腰かけている。貧しい服を着ていて、化粧が調子はずれだが、眼が非常に無邪気で美しい。微笑をたたえてふたりを見るが、この微笑はほとんどいつも彼女の顔に浮かんでいる。
桐井「お邪魔するよ」
麻里江、無言で微笑のままうなずく。
桐井「お兄さんはいないのか」
麻里江「外をうろついているわ」
桐井「久しぶりだね。変わりはないか」
麻里江「何かあったかしら。あ、そうそう、私、結婚したみたい」
桐井「結婚?」
麻里江「あら、あれは夢だったのかしら。夢でもいいわ。とても素敵な人。赤ちゃんも生んだような気がするわ。とても可愛い赤ちゃんよ。でも、その赤ちゃん、どこへ行ったのかしら」
佐藤「このことかな?」(足元に落ちていた人形を拾い上げる)
麻里江「その子も可愛いけど、私の赤ちゃんはもっと可愛いの。でも、夢でしか会えない。旦那様とも一度しか会っていない。どんな顔だったかも忘れたけど、とても素敵な人だった」
佐藤と桐井、顔を見合わせる。或る疑念が心に浮かぶが、それが本当とはとても思えない様子。
桐井「何か困っていることは無いかい。お金とか」
麻里江「何も困っていないわ」
桐井「お兄さんからぶたれたりしないか」
麻里江「あんな奴、何でもないわ。私をぶてるもんですか。臆病者の癖にいつも威張っているだけよ。あの人の前では揉み手をしてペコペコするだけよ」
佐藤「あの人って?」
麻里江「さあ、誰かしら。誰か、夢の中で見た人よ」
桐井「君の旦那さん?」
麻里江「そうかもしれない。でも、どうせ夢だと思うわ。私、いろんな夢を見るの。赤ちゃんの夢が一番好き。でも、その赤ちゃんはどこにいるのだろう」
麻里江、ふたりの客を忘れたように窓の外の空を眺め、白昼夢に戻った様子。曇り空から一筋の光が落ちて、彼女を浮かび上がらせる。
ふたりはその彼女を無言で眺めているが、その女の姿は絵のようにも見える。


(インサートショット:夜、安酒場で見苦しく酔いどれる田端兄の姿。「カネならいくらでもあるぞ。俺を馬鹿にすんなよ」それを離れた席から眺める兵頭と富士谷、栗谷の姿。席から立ち上がって、田端の席に行く。「お兄さん、ご機嫌だねえ。一緒に飲まないか」)

(このシーン終わり)

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「魔群の狂宴」7




・須田家。園遊会の翌日。須田夫人と銀三郎が居間で向かい合って座っている。

須田夫人「昨日の騒ぎは何だったの?」
銀三郎「つまらん話ですよ。説明する価値もない」
須田夫人「あの佐藤という青年は昔うちの使用人だった者の子供ですよ。華族であるあなたが平民に顔を殴られて抵抗もしないなんて恥ずかしいじゃないですか」
銀三郎「あの場で取っ組み合いでもしろと?」(冷笑する。)
須田夫人「警察に言って捕まえさせましょうか?」
銀三郎「不要です。それくらいならあの場で殴り返しましたよ。あの程度の虫けらをひねり潰すのは容易です」
須田夫人黙り込む。
居間の入り口に菊が現れる。
菊「よろしいでしょうか」
須田夫人「ああ、いいよ。お兄さんのことかい?」
菊「はい。昨日は兄がとんでもないことをいたしまして、お詫びのしようもございません」(頭を深々と下げる。)
銀三郎「気にしないでいい。お前とは関係の無いことだ」
菊「何か私から兄に申しておきましょうか?」
銀三郎「いや、何も言わんでいい。これはあいつと僕の間の話だ」(菊に微笑する。)
菊はその顔に安心した表情を浮かべる。が、それだけではない何かがその下にある。
須田夫人の心に疑惑が浮かぶ。
須田夫人「菊や、お茶のお替りを持ってきてくれるかい」
菊「はい、承知しました」
菊、部屋を出ていく。
須田夫人、銀三郎に鎌をかける。
須田夫人「あの子も年頃になったねえ。いつも近くにいるから気づかなかった」
銀三郎(無関心のまま)「そうですね」
須田夫人「そろそろ嫁入り先でも探してやらないとね」
銀三郎「そうですね」
須田夫人「昨日、お前に会わせた鳥居という人がいるだろう。あの人なんかどうかね」
銀三郎「(?)かなりな年配に見えましたが?」
須田夫人「年は関係ないさ。女として落ち着き先が決まればいいだけだし、大人しい男だから、嫁をいじめたりはしないだろうよ。まあ、持参金はこちらが出すことにして」(銀三郎の顔色を伺うが、相手は特に表情の変化は無い)
銀三郎「まあ、悪くは無いんじゃないですか。僕にはよく分からない話だが」
須田夫人「それじゃあ、鳥居さんにそう話してみるよ」
銀三郎は自分には関係の無い話だ、というように軽く肩をすくめるしぐさをする。

・ドアがノックされる。
須田夫人「お入り」
戸口にこの家の執事が現れ、一礼する。
執事「玄関に、銀三郎様にお目にかかりたいという方がいらっしています」
銀三郎「何と言う人だ?」
執事「はい、田端退役大尉と名乗っていますが、どう致しましょうか」
銀三郎、少し眉をひそめるが、すぐに
銀三郎「会おう。僕の部屋に通せ」


(このシーン終わり)

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「魔群の狂宴」6


・数日後、道庁近くの公園。晴天の午後。
・人々が公園入口の受付で、あるいはカネを払って、あるいは招待状を見せて園内に入っていく。女性は洋装が半分、着物姿が半分。男はフロックコートや着物姿が多いが、普通の背広姿の者や軍服姿も少数。男は髭を生やした中年や老人が多い。
・公園の中に低いステージが作られ、楽団が背後に並んで演奏をしている。軽いワルツなど。

・入園する佐藤と桐井。
佐藤「あれは田端じゃないか」(少し離れた場所の男に目をやる。軍服姿の男である。)
桐井「インチキ大尉か。いつここに来たのだろう」
佐藤「銀三郎の後を追ってきたんじゃないか」
桐井「まさか、あいつまでアメリカに行っていたわけじゃないんだろう。どうして銀三郎の帰国と同時に現れたんだ」

・田端退役大尉(自称であるが、そう書いておく)は、彼の前を通り過ぎた理伊子を見て、一目ぼれの間抜け顔をする。すぐに真面目な顔を作り、彼女に近づく。
田端「お嬢さん、お待ちください」
理伊子(振り向く)「はい?」
田端「自己紹介をするご無礼をお許しください。何しろ、当地にはほとんど顔見知りがいないので。私、退役大尉の田端という者です。あなたの護衛でも下男でも、御用の節にはこの私にお命じください。この田端、誇り高い人間ですが、あなたのためならいつでも奴隷になります」
理伊子(つんとして)「結構です。間に合ってます」さっさと立ち去る。まったくこたえた様子もなくその後ろ姿をよだれを流しそうな顔で見送る田端。
それを見て不愉快そうな顔になる佐藤。
佐藤「道化者め!」

・ステージでは芸人がアコーディオンの弾き語りで「ディアボロの歌」を歌っている。

・道知事、道警察署長、当地の華族や大物企業家が集まっている一画で、互いに挨拶をし、あるいは話し込んでいる。その中に須田夫人と長身の息子銀三郎の姿がある。銀三郎はお偉方から歓迎の言葉を受けているのが遠くからも分かるが、当人はまったく感情の無い顔で答礼だけしている。
・鳥居教授が兵頭栄三を連れてその一画に進んでいく。

須田夫人「まあ、鳥居先生、遅かったこと」
鳥居「いや、申し訳ない。この人の訪問を受けて、思わず話し込んでしまったんでね。ついでだからお連れしたんだ。面白い方だよ」(銀三郎の方に向く)
鳥居「須田銀三郎君だね。私は鳥居と言って、有難いことに母上から御厚誼を受けている者だ。まあ、元大学教授のただの年よりだがね。お見知り置き願いたい」
・銀三郎は黙って頭だけ下げる。
鳥居「こちらは今日お知り合いになったばかりだが、広い見識の持ち主だ。お名前は、ええと」
兵頭「兵頭と申します」(須田夫人と銀三郎に頭を下げる)
銀三郎「兵頭? もしかしたら、3年ほど前に東京で話題になった方では?」
・周囲の連中が聞き耳を立てる。
兵頭「さて、何のことでしょうか」
銀三郎「恋愛のもつれから女に刺された兵頭という男が話題になったんですよ」
兵頭「ほほう、なかなか面白い話だ」
銀三郎「確か、女ふたりでひとりの男を取り合ったあげく、女のひとりが男を刺したとか」
兵頭「ははは、そういう死に方も悪くはなさそうだが、残念ながら私はそんな艶福家じゃない」
話を聞いていた身なりのいい男「ふしだらな話ですな。女に刺されるとは、男もだらしない」
別の男「例の自由恋愛という思想でしょう。結婚など考えず、好きになった男や女がくっつけばいいという、流行りの思想ですよ」
お転婆そうな若い女「あら、自由恋愛は素敵だと思うわ」
中年女性「自由恋愛など、男に都合のいい思想ですよ。飽きたら女は捨てられるだけです」
頑固そうな老人「恋愛というものがそもそもけしからん。我々の時代にはお互い結婚する当日まで相手の顔も知らなかったもんだ。結婚とは家のためのものなのだ」

・議論の間に、佐藤富士夫が手持ち無沙汰そうな銀三郎の傍に近づいていく。カメラは遠景としてその二人の姿を捉える。
・佐藤が銀三郎に何か言う。銀三郎は冷笑を浮かべて何か答える。
・佐藤は顔色を変え、銀三郎を思い切り平手打ちする。
・一瞬、相手を殺しそうな怒りの表情をした銀三郎だが、その握りしめた拳を後ろに回し、後ろ手を組む。固く結んだ唇が、彼が激情を抑えていることを示している。
・佐藤は、気圧されたように後ずさりし、プイと後ろを向いて公園の出口に足早に向かう。その後を桐井六郎が追う。

・楽団の演奏はこの間、「美しき天然」になっている。

(このシーン終わり)



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「魔群の狂宴」5


・同日夜。佐藤と桐井の下宿。
・桐井の部屋の戸を叩く佐藤。

戸の内側から桐井の声「誰だ」
佐藤「俺だ。佐藤だ」
桐井の声「入れ」
・部屋に入る佐藤。
桐井「どうした」
佐藤「相変わらず一晩中起きているのか」
桐井「癖になってな。夜だと頭がよく回るんだ」
佐藤「体を壊すぞ。って、身体など気にしないか」
桐井「いつ死んでもいいが、健康には気をつけているよ。一日3時間くらいは寝ている。それより、用があるんだろう?」
佐藤「どうやら、須田銀三郎が帰ってきたらしい。須田家の召使から聞いた」
桐井「召使って、菊ちゃんだろう。あの家の養女じゃないか」
佐藤「実際は召使みたいなもんさ。華族が平民から養女を貰って本物の娘として扱うもんか」
桐井「菊ちゃんがそんな不満を言ったのか?」
佐藤「まさか。言うはずはないさ。あいつはどんな扱いをされても文句は言わん女だ。まあ、元の家にいてもロクな暮らしはできなかっただろうがな。兄の俺が不甲斐ないからな」
桐井「岩野の娘の仕事に協力する気は無いのか」
佐藤「あんなの、銀三郎の気を引くためだけの仕事だ。華族の娘でも、頭のいい私はこんな仕事もできますよ、と見せたいだけさ。銀三郎が帰ってくると分かった途端に慌ててでっちあげた話に決まっている。それより、気になることがある」
桐井「何だ?」
佐藤「銀三郎は、……、その、ひとりで帰ってきたらしいんだ」
桐井「えっ? それじゃあ、あの、鱒子さんは?」
佐藤「分からん。後から来るのかどうなのか」
桐井「そうか……じゃあ、いい事がある。近いうちに知事主催の園遊会が道庁近くの公園で開催されるんだが、それが銀三郎の帰国祝賀会を兼ねているらしい。それで、招待客だけでなく、一般客も有料で入れるらしいんだ。今日、会社の上役から聞いた。つまり、選挙運動と選挙資金集めを兼ねているわけだろう」
佐藤「それに出れば、銀三郎に会えるわけだな。よし、出て、鱒子のことを聞いてみよう。悪いが、入園料を貸してくれんか。俺はほとんど文無しなんだ」
桐井「大丈夫だ。俺はどうせカネなどさほど要らない人間だから」(微笑む)

(このシーン終わり)



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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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