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アメリカという国家の正体

私の持っている何本かのフラッシュメモリーが「生きて」いたらしく、昔書いた記事や昔保存していた他人の記事を再読している。その中から、白石隆氏の文章を転載する。
書かれたのはおそらく2002年前後だと思うが書かれた内容は今でこそその先見性が分かる。現在のアメリカの状況、日本の状況を考えながら、この文章を読むと書かれた内容の正しさがよく分かるだろう。



(以下引用)論点を明確にするため、冒頭を一部省略した。


現在われわれ日本人はどのように美化しようと実態はアメリカというお釈迦様の掌の上で遊んでいる孫悟空に過ぎないのである。アメリカがその気になればわれわれのちっぽけな繁栄など直ぐに消し飛んでしまうことだろう。日本国の繁栄は米軍による事実上の軍事的占領という土台の上に成り立っている空虚な幻想にすぎないのである。われわれ日本人は見てみぬ振りをしているが、いずれ今のようなあやふやな関係ではなく明確な形でこの軍事占領の問題に決着をつけねばならない時がやって来るだろう。これまでのように国際経済が安定を保った状態が続いておれば問題は表面化することはなかったろう。臭いものに蓋をする格好で「思いやり予算」で問題を糊塗しておけばそれで済んだからだ。しかし今やアメリカ経済も日本経済も土壇場にまで追い込まれている。経済は瀕死の状態であり破綻は必至である。もし経済が破綻すれば資本主義の当然の帰結として戦争が必要になるだろう。戦争は最大の経済需要をもたらすからだ。この時瀕死の重傷を負った日本国の政府と財界は国民をそそのかし扇動して経済回復をスローガンのもとに当然アメリカのお先棒を担いでその戦争に荷担することになるだろう。その先は見え見えだ。日本人が米軍の先兵としてアジアに中東に血を流すことになるだろう。現在の米軍による軍事占領という事実と先の日米ガイドラインの動向を鑑みれば行き着く先がこのような結論に達することは必至なのである。その時日本人はアメリカ国民と同様に今以上にアメリカを助けるために奴隷のようにこき使われ奉仕する家畜のような存在に成り果てることだろう。アメリカ国民と同様にである。アメリカ国民は我々と同じ被害者である。私のアメリカ観の結論をここで言っておこう。アメリカを支配しているのはアメリカ国民ではない。ほんの一握りの富裕階級である。この連中は国際的に連帯して国際金融財閥を形成している。彼らは金融をバックに企業を動かし、軍隊を動かす事実上の地球の支配者なのである。アメリカという国は彼らに富みをもたらす巨大な工場であり、アメリカ国民は彼らに収奪され搾取され富みを生み出すために必要とされる奴隷に過ぎないのだ。この事実をはっきりと認識しなければ問題の本質に近づくことはできないだろう。

私は実際にアメリカで生活したことはないし、それどころか旅行もしたことがない。これまで述べたことはあくまで数少ない米国人の著作を通じて自分なりに考察して得たアメリカ観である。したがってその結論に不安がない訳ではなかった。しかし世界中で起こっている様々な出来事から類推して私のアメリカ観は絶対に正しいという自負をもっていた。ところが最近アメリカで生活した経験のある日本人がその体験を綴った本を出版しており、たまたまその本を買って読んでみたが、その内容は私のアメリカ観とドンピシャリに符合していたのである。その著作は
   「僕はアメリカに幻滅した ―― 繁栄の影でいま何が起こつているのか?」
という題名で作者は小林至氏、出版元は太陽企画出版である。この本にはとても具体的にアメリカ社会の実態が記述されており、アメリカを知る上で日本人には必読の書といえるだろう。文章がうまく内容が明快で分かりやすく書かれている。何よりも統計数字を利用した説得力のある説明がとてもよい。早速、母にこの本を読むように薦めた。母もよいと思ったのだろう別の家族のものに読むように薦め、今は山口家で読まれている。したがってここでその本の概要でも解説すべきところなのだが、都合のよいことに本日インターネット上でこの本の書評にお目にかかった。その書評の内容が私の意見を見事に代弁しているので以下にそのまま掲載しておく。むろん大マスコミによる書評ではない。「週間日本新聞」というインターネット上のとてもマイナーな貧乏新聞に掲載されたものである。評者は奇人とうたわれる太田竜氏である。

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小林 至著 太陽企画出版(平成十二年十一月)


「僕はアメリカに幻滅した ―― 繁栄の影でいま何が起こつてゐるのか?」


小林至、この著者は、昭和四十三年生まれ。東大経済学部卒業。プロ野球(ロッテ)に入団。二年で解雇。平成六年渡米してコロンビア大学経営学大学院卒業。平成八年、米国フロリダのケーブルテレビ会社に入社。平成十二年六月解雇されて日本に帰国。六年間の米国生活の体験記、といふ。


この人とこの著書は、今時、貴重だ。東大は東大でも、野球部員。そして、卒業すると、プロ野球に入る。東大野球部からプロ野球に入団する人は滅多に居ない。野球選手のみならず、スポーツ選手は、概むね、知識教養はお粗末であらう。しかし、東大を卒業していれば、まあ、或る程度の学力はある。野球では通用せず、二年で退団。そしてそのあと、米国に留学してMBA(米国の大学院経営学修士)を取る。近頃では、米国でMBAの資格を取る日本人売国奴志願者はきはめて多い。そしてその全員が、ユダヤ化され、骨の髄までの売国奴と化するであらう。しかし、この著者の場合は、少し違ふ。コロンビア大学でMBA(経営学修士)を取つたあと、金融界に入らずに、スポーツ関係の小さなテレビ局に入つた、といふ。つまり、この人の四年間の仕事上の地位は、中より以下。生活して見ると、米国の社会の仕組みは、貧富の差を拡大して社会を二極分化させる、最悪のものであつた。日本では、米国を地上天国のやうに描き出すアメリカかぶれの言論が充満して居る。それ以外のアメリカ観は、事実上、日本のマスコミには存在しない。この著者も当然、さうしたマスコミ言論で洗脳されていた。しかし、現実に米国で生活して見ると、大違い。いや、「違い」、といふ程度でない。そのことに著者は気付いた。のみならず、その会社から解雇されるときの会社側の仕打ちがすさまじい。


「人間味を捨てた者だけが『勝ち組』になれる」(二百三十四頁)、それが米国である、という。
つまり、米国で「勝ち組」の人間になるといふことは、ロボットか、動物に喩えれば爬虫類(三百三十六頁)だといふ。
「冷血で残忍ならば、誰でも米国式合理性を身に着けられる」。
「圧倒的大多数の米国人は、正義感が強く、むしろお人好しが多い。ところが残念なことに、そういう人間は、馬鹿をみるやうに、この国(米国)の社会制度がなつているのです。」(同上)
 この観察は全く正しい。このやうに冷酷で残忍な「勝ち組」は、人間味のある行動をとる普通の人々を軽蔑する、という。全くその通り、であろう。米国の勝ち組は爬虫類だ、とはまさにぴつたりの表現だ。


 米国の一般人の間では「医者と弁護士は悪者」、といふ評価が常識化した(百二十三頁)、という。いづれも、ユダヤ禍の典型である。 十五、六世紀、ユダヤ教のラビがユダヤ教徒に対して与えた、史上、有名な訓戒に、
「お前たちは、子供を教育して、弁護士、医師、キリスト教会の僧侶、この三つの職業に進ませなさい。そしてそのことによつて、キリスト教会の支配体制を打倒して、我々ユダヤ人が世界の主人と成ることができる。」
とある。その後、十八、九世紀に成ると、第三項の「僧侶」に、「科学者」が追加される。この方式が、もつとも完璧に実現されたのが、英国、オランダ、そして米国、この三ヶ国であらう。とりわけ、米国はその中でも飛び抜けている。前掲書、四十五頁に、
「貧困層以下の人々の割合(いはゆる先進十二ヶ国)」(図表12)が引用されている(国連統計、二〇〇〇年)。
 それによると、


 第一位  オランダ(14・4%)


 第二位  米国  (14・1%)


 第三位  英国  (13・1%)


つまり、貧しさ度上位三ヶ国が、見事に、ユダヤ化フリーメーソン化のもつとも進んだ国なのだ。これを言い換えれば、ユダヤイルミナティ国際金融寡頭権力の本拠地、である。


日本は第九位、三・七%。


とある。ところが、あら不思議。日本では、まぎれもない地上最悪の地獄たる米国を、地上最高の天国楽園唯一普遍の理想文明の国、としてほめたたへるアメリカかぶれ国賊売国奴がマスコミと学界政界官界宗教界芸能界財界を完全に掌握している。これは一体何のことか。摩訶不思議、とはこのことだ。


斎藤貴男著「機会不平等」(文芸春秋社、平成十二年十一月)。


この本は、この十年ないし十数年、とりわけ平成元年(一九八九年一月)以降、狂つたやうに推進されている「アメリカ化」によつて、日本の国家社会の全分野に於て、惨澹たる状況が展開されつつある、その記録である。成るほど、良く調べられている。しかし、にも拘はらず、あれよあれよといふ間もなく、最短期間で日本の伝統がたたき潰され、アメリカ化される。つまり、日本の国家と民族の解体破壞壞滅死亡宣告である。そしてその悪逆無道なやり口に対して、意味のある抵抗はゼロに近い。一体、これは何のことか。


小林至氏は、米国の正体(本質)は、金権寡頭権力体制だ、と述べている。米国には、「民主主義」など、ひとかけらもない、と断定しておられる。全く正しい。いや、正しい、などと改めて云々するのも阿呆らしい。そんなことは常識中の常識だ。しかしそれでは、何故そのあまりにも当り前の常識が日本のマスコミによつて日本国民に伝へられないのか。何故日本のアメリカ問題専門家学者官僚ジャーナリストマスコミ芸能界宗教界そして政治家などによつて、その自明の事実が、日本人に教へられないのか。
日本のエリート指導者階級全員、一人残らず、売国奴、国賊、である。これが、その理由である。


日本は完璧に亡びた。「日本国」と自称するしろもの、それは、ニセモノの日本国、以外の何者でもない。
小林著に曰く。
「日本中央競馬会もさうですが、博打業界といふのは、本当に宣伝が上手です。テレビ映りがよく、話術に長けた金融界の教祖たち。刺激に満ちた金融ニュース番組。ノンストップで報道される株価の動向。インターネットが可能にしたリアルタイムでのアクセス。これらに加へ、過去数年間の記録破りの利益を背景に出てきたにわか長者が大々的に取り上げられるわけです。「博打であることを肝に銘じていても、楽しくて魅惑的なゲームに見えてきます。」(二十四頁)。
 宣伝が上手、といふ。これは現象論だ。そのやうに見えるであらう。しかし、そんな水準に甘んじていてどうする。


 B・K・エヒクマン著「アメリカ人の心の複製」(Cloning of the American mind)はこの際必読だ。エヒクマン女史には「新世界権力のための教育」(一九九一年)、「マイクロチップを埋め込まれるといふこと。教育体制権力はどのやうにして我々をビッグ・ブラザーの更にその先へ突き出したか」(一九九四年)、 といふ著作があるといふ。「ビッグ・ブラザー」とは、例のジョージ・オーウェルの「一九八四年」に登場する未来の独裁者を意味する。つまり、我々が、「一九八四年」に描かれた状況よりもはるかに高度化した独裁体制に既に組み込まれている、といふ。


斎藤貴男著「機会不平等」は、オルダス・ハクスレイの「すばらしき新世界」の「優生学」を問題として居る。「優生学」は、左翼イデオロギー、右翼イデオロギー、そのいづれにも関係ない。むしろ、左翼、右翼を超越している。その上に君臨する何者かである。そのことに、この斎藤といふ著者は、ほんの少々、気付いている。それは結構だ。それにしても「優生学」といふ日本語の訳語は良くない。その意味するところは、優勝劣敗。優れた者を生かし、劣つた者を殺すこと。従って、勝ち残つた者同士の競爭は、加速度的に強化されて行く。その結末は何か。


ジョン・コールマン博士によれば、三百人委員会は、地球人口八、九割殺戮処分計画を実行しつつあるといふ。コールマン博士のこの警告は、荒唐無稽な放言か。いやさうではない。英国(ユダヤイルミナティ世界権力の本拠地)には、この二百年来、
マルサス→ラッセル卿→H・G・ウェルズ→オルダス・ハックスレイと、
この人類大殺戮作戰を暗示又は公然と煽動する、作家学者思想家の系列が存在する。


小林至氏は、「米国崇拜もいい加減にしろ!」(七十九頁)、 と言はれる。
しかしこれは表層しか見て居ない。「米国式」、といふ表現は現象論だ。「米国」の主人公は、実はイルミナティ世界権力である。 この深層を明示しない限り、小林至氏の著作は、体制の安全弁に成つてしまうであらう。


------ ここまで ------


価格が一部1800円と少し高いが、買って読むに十分価値のある本である。一読をお薦めしたい。

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戦後日本とは何か(白石隆)

今思うこと - 戦後日本とは何か(前編)

2002年1月 白石 隆




昨年「今思うこと」というテーマで岡林君から原稿依頼を受けていました。このテーマに「戦後日本とは何か」という副題をつけて私が今、切実に思い続けている「日本国の行く末」について考察してみたいと思います。既存の刊行物で「日本国の真実の姿」について一般国民に詳しく伝えている著作はほとんどありません。何故でしょう。誰も書こうとしないし、書けないからです。あまりはっきり書くと、とてもヤバイことになるからでしょう。この誰も書かないことに敢えて私が挑戦し、「日本の真実の姿」を白日のもとに曝(さら)け出して皆さんにお伝えします。そして真実の姿が見えたところで「日本国の行く末」を現実的に論じて見たいと思います。
さて小泉首相が構造改革を叫んで首相となり、日本国の財政再建に向けて大鉈を振るう政策が掲げられています。今後この政策が具体的にどのような展開を見せるかは予断を許さない状況ですが、小泉首相が言う「改革には痛みを伴う」の言葉通り国民生活がより一層の苦境に追い込まれることは確実です。奇しくも2001年11月の失業率はついに5.5%を超えたとの報道がありました。今後日本国は国民を守ってくれる頼もしい存在ではなくなります。それどころか日本国自らが生き残るために、税金の名目で国民からできるだけお金を奪い取ろうとする存在に成り下がります。つまり国民一人一人が自分の生活は自分の力で防衛していく知恵と力が求められる厳しい時代に突入して行くことになるのです。
経済大国と言ってもて囃され、バブル期にはアメリカの株や不動産を買い占め日の出の勢いにあった日本国はいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。いまや国家は700兆円に及ぶ借金を抱え、銀行や企業は不良債権にあえいでいます。株価は低迷し、治安は悪化し、国民はリストラの嵐に吹き曝され、戦々恐々として明日の不安におののいています。どうしてこのような国になったのでしょうか。まずは戦後日本の歴史を振り返えり、その謎解きから始めましょう。

【日本という国の真実の姿を知らなければ何も見えてこない】

戦後の日本はアメリカの軍事的な支配下にあって未だ本当の意味での独立国ではありません。日本はアメリカの属国に過ぎないのです。日本の政府、官僚、大企業のトップといったこの国の指導者たちはアメリカの支配勢力の管理下にあります。そして彼らの意向に乗っ取って行動しています。けっしてそれに反する行動は許されないのです。この基本的事実をしっかりと認識しなければ戦後の日本がどうしてこのような国になったのかを理解することはできません。日本は大東亜戦争(アメリカから見て太平洋戦争とも呼ぶ)の敗北で国家としてアメリカに征服され、日本国民はいわばアメリカに軍事的に囲い込まれた虜囚の身分に落とされたのです。アメリカのために働き、奉仕し、貢ぐ、これが戦後の日本国民のおかれた境遇だったのです。これは歴史上のどの時代にも見られる敗戦国の国民が歩むごく当たり前のありふれた運命に過ぎませんでした。
しかし大多数の日本国民はこの事実に気がついていません。それは戦後日本のマスコミがアメリカに情報統制されてきたことと、日本の学校教育がアメリカにコントロールされてきたことに大きな原因があります。日本人はこの二つの巧みな情報操作によって自分が何物であるのかを自ら知ることができない国民に誘導されてきたのです。大多数の日本国民は日本は独自の平和憲法を持ち、国連に参加し、世界各国と平和的な国際的協調を行い、資本主義体制のもとで自由と民主主義を実現し、世界第二位の経済大国に成長したと自負しています。また自衛隊という名の軍隊を持ち、政府は外務省という対外機関を通じて自主的な外交を行ない、日本国民の国益を守る外交を地道に展開していると信じています。しかしこれは全くの幻想に過ぎません。自分で勝手にそう思い込んでいるだけの話です。それはアメリカの巧みな洗脳によって刷り込まれたノーテンキな世界認識というべきものなのです。
事実は自衛隊は日本国民を守る軍隊などではありません。自衛隊は米軍の管理下に置かれた米軍を支援するための軍隊です。建前はどうあれ自衛隊は実際は日本政府が独自に動かすことのできる軍隊などではないのです。また外交を司る外務省の役人は実際はアメリカ政府の顔色を伺い、アメリカのご機嫌を損なわないように、アメリカの指導下で外交のまねごとしているお飾りに過ぎません。とても国益を守る外交官などと呼べる代物ではないのです。英語のできない貴方にだって簡単に勤まる役柄なのです。同様に国連における日本の代表もアメリカの使い走りをしている哀れな道化に過ぎません。彼らは日本の国益など本当はただの一度も考えたことなどないのです。強いていえばアメリカの意向に従うことが日本の国益であると信じているアメリカの手先を地で行く連中なのです。
以上から分かる通り、日本はアメリカの圧倒的な軍事力に敗北した昭和20年8月の時点でアメリカの仕組んだ新しい形態の半植民地となり果てたのです。そしてアメリカの巧みな政治的コントロールを受けながら戦後の歴史を歩むこととなったのです。この事実を日本国民ははっきりと認識しなければなりません。以下にその認識に基づいて戦後の日本をアメリカがどのように飴とムチを使って料理して来たかを見て行くことにしましょう。

【官僚主導国家体制による成果】

戦後、アメリカはソビエトを牽制する必要から日本に極東の防波堤としての役割を求めました。日本を共産主義の荒波を食い止める最前線の砦にしようとしたのです。しかしその見返りとして日本に経済的、技術的支援を行いました。これはアメリカが日本に対して親切心から行った支援ではありません。アメリカはあくまでアメリカの国家戦略として共産主義の浸透を日本で食い止めるために必要な政治的、軍事的な梃(てこ)入れを行ったに過ぎなかったのです。
国家としてアメリカに軍事と外交の主体性を剥奪され半植民地化された日本は、残された唯一の道として、工業化による貿易立国をめざして生きざるを得ない状況に追い込まれました。しかし日本人は、持ち前の勤勉さでアメリカから与えられた技術に創意工夫を重ねアメリカを凌駕する製品開発を次々に行い経済大国日本としての道を切り開いて行ったのです。日本の工業化を推進していく最も有効な国家の指導体制が官僚主導による護送船団方式でした。日本は戦後いち早くこの官僚主導による護送船団方式を国家の指導体制として採用し、企業の保護育成を行い高度経済成長を達成したのです。銀行、証券、保険、あらゆる基幹産業は政府の行政指導の下に育成され成長してきたのです。この官僚主導という体制下で皮肉なことに日本は資本主義国でありながらその実もっとも成功した社会主義国ともいうべき充実した社会保障制度を実現してしまったのです。その端的な例が企業における終身雇用、年功序列、年功賃金の制度であり、国家による年金の保障と健康保険制度の完備でした。これは社会保障の行き届いた理想的な社会主義国家そのものであったのです。
ちなみに現代のアメリカには終身雇用も年功賃金もありません。能力主義ですから能力がなければ解雇されますし、賃金は能力に応じて支払われます。従って賃金には1対1000の賃金格差が厳然として存在します。これが不況ともなれば簡単にレイオフされてしまいます。アメリカにはまた国家によって保障される年金や健康保険の制度もありません。これが必要ならば民間会社の年金や健康保険に個人的に大金を払って加入しなければなりません。従って大多数のアメリカ国民は年金も健康保険にも加入できず不安定な生活状態に置かれています。これが自己責任を徹底した資本主義超大国アメリカの現実なのです。

【日本的社会保障制度は如何にして確立されたか】

それでは戦後の日本は何故このような理想的な社会制度を完成させることができたのでしょうか。それは日本が幸運にもまともな国家ではなかったからです。すなわち前述したようにアメリカの支配と庇護の下にある属国(半植民地)ともいうべき中途半端な国であったからです。もともとアメリカは日本を経済的に豊かな国にするつもりなどこれぽっちもありませんでした。アメリカ占領軍は戦後すぐに財閥解体や農地改革など様々な一見民主的と思われる改革を断行しましたが、これは日本に残る戦前の体制を完全に破壊するための政策として実行されたものでした。すなわち二度と日本に戦前のような英米に刃向かう軍国主義が復活しないように既存の権力構造を完全に解体し根絶やしにすることを目的として行われたものであったのです。そして教育によってアメリカに従順な国民に洗脳し、平和憲法で戦争を放棄させ、軍隊を持たない武装解除された国として国力も中国や韓国など旧大日本帝国の被支配国よりはるかに低い生活水準を保つ国になるように計画されていたのでした。
この計画が180度変更されたのが、ソビエトや中国による共産主義の脅威と朝鮮戦争の勃発でした。アメリカはソビエトや中国の侵攻に備えるため人的インフラの整った日本を味方につけ、これを後方支援基地として利用することで戦況を有利に運ぶ方向に方針を転換したのでした。朝鮮戦争終了後、冷戦の長期化に伴ってアメリカは日本を同盟国と位置づけ、その実アゴで使える便利な手下として使役しました。つまり日本列島そのものを極東の資本主義の防波堤(浮沈空母)とし、また便利な修理工場や生産工場として利用すべくその役割を日本に求めたのでした。その見返りとしてアメリカは日本に経済的、技術的支援を行いました。しかし実態はあくまで在日米軍を日本全土に駐留させ日本の軍事と外交権を事実上剥奪し、アメリカの政治指導の下に日本に内政と経済活動の自由を認めるという極めて中途半端なものだったのです。一見日本は独立国の体裁をとっていますが実態はアメリカの属国に過ぎないものでした。この政治状況が今日まで連綿として続いているのです。戦後の日本にはしたがって独立国としての本当の政治はありませんでした。日本はアメリカの都合で揺れ動く骨なしクラゲのような存在に過ぎませんでした。たとえば田中角栄がエネルギー資源の獲得に少しばかり独自に策動しただけでアメリカの逆鱗に触れてロッキード事件であえなく失脚してしまいました。あの程度のことで今太閤と唄われた日本の最高権力者が完全に政治生命を絶たれてしまう始末です。そういうわけでそれ以後アメリカに面と向かって楯突く政治家は一人も現れていないのです。
日本の戦前の官僚組織は戦後もそのまま生き残りました。アメリカ占領軍が何故大日本帝国の伝統をそのまま引き継ぐ官僚組織を解体せず温存したのか不思議に思われますが、日本国民が官庁(お上)に対して極めて従順な国民であったことがその最大の理由だったと思われます。すなわち終戦の混乱を静かに収拾させた官庁の国民に対する統率力をアメリカは驚異の念を持って見つめ、その組織を温存させてそっくりそのまま利用することを考えたものと思われます。官僚のトップをアメリカ側に取り込みコントロールすることで官僚組織全体を、ひいては日本国民全体をアメリカの思い通りに操ることができると考えたからでしょう。アメリカのこの目論見はみごとに的中しました。
日本の戦後政治を実質的にリードしたのはこの官僚達でした。アメリカの政治的圧力の下で日本に許されている希望は経済発展だけでした。資源のない小国として生き延びていくには工業化と貿易立国しかなかったのです。この目標の達成のために大蔵省を資金の元締めとし、通産省が実務の中心となって各省庁が連携する五十五年体制と呼ばれる体制が急速に確立されて行ったのです。五十五年体制の基本は護送船団方式にあります。日本の基幹産業の企業群を官僚統制下に置き、官僚の指導で産業の保護育成をはかるという政策です。そのために官僚統制の徹底を計るため企業組織に官僚組織の枠組みが導入されました。こうして企業組織に上意下達の官僚組織の特徴をそのまま持ち込むことで官民一体となった経済体制を整えたのでした。
この時日本の官僚組織の伝統的な仕組みであった終身雇用、年功序列、年功賃金という独自の制度も日本の企業に導入されることになったのです。このようは制度は戦前の民間企業にはありませんでした。こうして五十五年体制のもとで日本の基幹産業は準官庁ともいうべき国策企業として再出発を果たしたのです。この基幹産業に導入された終身雇用、年功序列、年功賃金という独自の制度はその後、日本の多くの企業に浸透し日本独自のものとして定着していったのです。さらに教育においては受験体制を確立させ国家や企業に優秀で従順な労働力を供給するシステムを確保するとともに、企業に優秀な人材が集まるように、国家による年金制度と健康保険制度を完備させ、労働者の待遇を高め労働意欲の充実を計ったのです。五十五年体制の生み落とした諸制度が目指すところは安定した優秀で従順な労働力を確保することに主眼が置かれていたのでした。

【アメリカの誤算】

戦後の日本は前述した通りアメリカの政治的、軍事的属国であり、アメリカの政治的な指導に背くことは許されませんでした。その見返りとしてアメリカは日本に経済的、技術的援助を与え経済活動の自由を保障しました。日本はこの限られた条件の下で五十五年体制を確立し官僚主導による貿易立国をめざしました。しかしこの限られた条件が日本に大いに幸いしたのでした。日本は軍事的、外交的には主体性を剥奪されてしまいましたが、それをアメリカに肩代わりしてもらうことで、逆に経済活動にだけ専念することができたからです。官僚(組織)は、民間に対してその許認可権を握ることにより、規制を国内の隅々にまで行き渡らせ、経済・社会を強力にコントロールすることで指導権を発揮し、戦後の経済復興期に社会的混乱を引き起こすことなく、いち早く奇跡の経済復興を成し遂げました。さらにアメリカの援助をテコに「アメリカに追いつけ」を目標に高度経済成長の達成に挑戦したのでした。
アメリカの誤算は日本人の能力を過小評価していた点にありました。アメリカは技術を無償で提供したとしても日本人はそれをうまく使いこなすことすらできないだろうと最初はタカを括っていたのです。しかし日本人の特性ともいうべき抜群のものつくりの能力と勤勉な国民性は、提供された技術を簡単に吸収し、より優れた品質の製品を安価に大量生産しアメリカに逆輸出するほどになったのです。こうしてまたたくまに日本は高度経済成長を達成しGDPもアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に躍進する驚異的な経済発展を遂げたのです。ここで見逃せないのはこの経済発展を支えたのはアメリカという巨大市場が開放されていたことにあります。さらにアメリカの同盟国(実質的な手下)としての日本製品は安価で品質が良ければ無条件にアメリカ市場に受け入れられる下地があったことです。
ところでアメリカは60年代後半から輸入が拡大して貿易収支の黒字幅が減少に転じ、71年に入って戦後初めて貿易赤字を記録するに至ると、その年の8月にはいわゆるニクソン・ショックを発動して、アメリカは金・ドルの交換を停止するとともにドルは「変動相場制」に移行して行きました。ドルの通貨としての威信はこれでかなり失われることになりました。さらに冷戦の長期化に伴って軍事費の増大に国力を費やし、企業は多国籍化して国内産業は空洞化の状況に陥って行きました。このアメリカ産業の空洞化を突いて日本の安価で優秀な工業製品が大量にアメリカに輸出され、アメリカは巨大な対日貿易赤字に苦しむようになりました。アメリカが事態の重大さに気が付いた70年代の後半には、既にアメリカ国内には日本製品が氾濫し、アメリカの国内産業は日本の輸出競争力に勝てず、財政赤字と貿易赤字は膨らむ一方で手の付けられない状態に陥ってしまいました。いわばアメリカは憐れみをもっておこぼれを与えた飼い犬(日本)にひどく手を噛まれ重傷を負う状況に陥っていたのです。

【アメリカの日本封じ込め戦略】

この状況を苦々しく思ったアメリカは、決して表には出しませんが、腹の底では怒り心頭に達していました。「生意気な、ジャップめ。犬コロが、いい気になるなよ。俺には軍事という最強の切り札がある。俺が本気になったら、お前たちなどイチコロだ。お前たちの命運は俺が握っているのだ!」アメリカは内心このような怒りの言葉を吐いたものと察せられます。この時点で日本はアメリカの保護国としての立場を失い、経済的な仮想敵国としての標的にされたのです。これを境にしてアメリカは国家の持てる頭脳と知恵を総動員して日本を封じ込め、追い落とす対日戦略を展開することになるのです。
日本の経済力が如何に強くなろうともアメリカは本質的には日本など恐れるにたらないと考えたでしょう。何故なら軍事的、政治的に日本はアメリカの属国に過ぎないからです。アメリカは自国が拠って立つ資本主義の経済原則を反故にするような横紙破りな真似をして日本を追い落とすことはできませんが、資本主義の経済原則の体裁を表向きは崩さないようにして、一方で政治的かつ軍事的な圧力をかけることで日本をいかようにも料理することができると考えました。日本の政治家や官僚のトップはすでに長い年月をかけてアメリカの意のままにコントロール出来るように手なずけてあります。マスコミも当然管理下に組み込んであります。たとえ異論を唱えるものがいても、結局は日本全土に駐留する米軍が無言の圧力となってアメリカの意向を受け入れざるを得ない状況に追い込んで行くことが出来ます。軍事的に自立できない国の指導者は当然政治的にも自立することはできず、所詮強国にいいように扱われ、手先としての役回りを演じさせられる運命にあるのです。問題は日本国民の反感を買わないように波風立てず合法的に巧みに事を運ぶことにありました。アメリカが最も恐れるのは日本国民の底辺から盛り上がってくる反米意識の高揚です。国民的、大衆的な反米意識の高揚ほどアメリカにとって恐ろしいものはないのです。アメリカはこのことを十分に熟知していました。60年安保の苦い経験があったからです。アメリカは隠密裏に国家を上げて国内のシンクタンクを総動員し日本国民を懐柔し騙しすかす「日本を封じ込め戦略」を練り上げました。以後アメリカはこの戦略に基づいて巧みに日本を罠に嵌め込み、日本が戦後営々として築いてきた富を合法的に奪い取って行くのです。

【最初の反撃-日米通商交渉】

アメリカの最初の反撃は日米通商交渉によって輸出規制を設けアメリカの対日貿易赤字を食い止めることでした。アメリカ政府は米国通商代表部を通じて日本政府に露骨な政治的圧力を加え貿易摩擦の解消を迫まりました。「日米貿易摩擦」としては古くは1960年代の日米繊維交渉などがありましたが、70年代後半から90年代にかけて鉄鋼、テレビ、自動車、半導体、コンピュータ、写真フィルム、板ガラス等あらゆる工業製品に及び、摩擦は年を重ねるにつれエスカレートしていき、その都度アメリカは手を替え、品を替えて日本製品に対する強力な輸出規制を求めてきました。これに対して日本側の代表であった通産省は輸出は貿易立国である日本の生命線であると考え日本の輸出競争力を死守するために、相手の要求を突っぱね、のらりくらりとアメリカの圧力をかわして頑強に抵抗したのでした。この通産省の交渉担当者は日本の国益を守ることをはっきりと自覚して行動しており、その態度は立派なものでした。結局、この日米通商交渉ではアメリカは日本側からある程度の譲歩は引き出したものの、決定的な成果を得ることなく交渉は中途半端なものに終わっています。これがうやむやのうちに終わった理由は自由貿易の原則に反したアメリカの露骨な輸出規制に世界中から疑問の声が湧き起こり、日本国民がアメリカに反感を覚え始めたことに原因があるかのように言われています。確かにそれも原因の一つであったでしょう。しかしそれはあくまで表向きの理由付けに過ぎませんでした。アメリカが日米通商交渉でなり振り構わぬ露骨な政治的態度を取った本当の目的はこの輸出規制という「ありふれた反撃」を使って日本人の感心を貿易摩擦に釘付けにしておき、実は密かに別の所で隠密裏に日本の息の根を止める第二の反撃を画策していたことが上げられます。日米通商交渉はあくまでその反撃をカモフラージュするための陽動作戦に過ぎなかったのです。そしてこの第二の反撃が日本に壊滅的なダメージを与えアメリカに大きな経済的成果をもたらしたため、前座である日米通商交渉を重視する必要がなくなったことが事の真相なのです。

【第二の反撃(その1)-ジャパンマネーの流出】

1980年代初頭に誕生したアメリカのレーガン政権は「悪の帝国」ソ連を打倒することを大きな目標に掲げ、大幅な軍事費の出費を行いました。そのためアメリカの財政赤字は急速に悪化し破綻寸前の状況に陥いってしまいました。これを補うためにアメリカ政府は中・長期の国債を乱発して財政の穴埋めを行いました。この穴埋めにうまく利用されたのが日本の貿易黒字でした。日本は70年代後半から対米輸出の増大によって貿易黒字が続き、その余剰金が蓄積されていました。80年代に入って、この余剰金が生命保険などの機関投資家を通じてアメリカ国債などの投資に当てられ、アメリカの資金需要を補う役割を担うようになったのです。これが所謂ジャパンマネーと呼ばれた流動資金です。ジャパンマネーがアメリカ国債に流れた最も大きな理由はもちろんアメリカ国債の「高金利」に魅力にあったのですが、さらに敗戦による日本人のアメリカに対するコンプレックス(劣等感)の裏返しとしての、アメリカに対する絶対的な信頼感があったことは否定できません。いわばアメリカ崇拝とも言うべき盲目的なアメリカ信仰です。「アメリカ政府の発行する国債は世界で一番信頼できる債権だ」、日本の経済人は腹の底からそう信じ込んでいました。それほどアメリカを偉大な国、信頼にたる親のような存在として位置付けていたのです。実に見事な戦後日本におけるアメリカの洗脳教育(マインドコントロール)の成果ではありませんか。何と80年代初頭にはアメリカの財政赤字に疑問を抱き、アメリカ国債にリスクを感じる日本の経済人はほとんどいなかったのです。
実は1970年代からアメリカは財政赤字に悩んで来たのですが、この赤字の穴埋めを行って来たのは日本と同じく敗戦国でありながら奇跡の経済復興を成し遂げた西ドイツでした。しかし西ドイツ政府はアメリカ政府の無計画な財政政策に疑問を感じ、いち早く80年代に入るとアメリカから財政支援の手を引いてしまったのです。同じ敗戦国とはいえ、さすがにドイツ人の慧眼には今更ながら驚かされてしまいます。同じ白人種ですからアメリカ政府と彼らのバックにいる事実上のアメリカの支配者である国際金融資本の手の内を早々と見抜いてしまったものと思われます。このように西ドイツに逃げられて困っていたアメリカは、次なるターゲットとして対米貿易黒字の増大で有頂天になっている無知でノーテンキな日本人に狙いを定めたのでした。アメリカは敗戦国といっても西ドイツに対しては同じ白人種のよしみからある程度の手心を加えた対応をとっていました。しかしアジアの黄色人種である日本人に対しては一切手加減を加えるつもりはありませんでした。日本に原爆を落としたことから分かるように、黄色人種を白人とは同格の人間とは認めていないからです。アメリカの英知を結集したシンクタンクは、アジアの卑しい成り上がり国家である日本から徹底的に金をむしり取る遠大な計画を怒りと憎しみを込めて画策しました。飼い犬に手をかまれた恨みと黄色人種への侮蔑の念から容赦のない巧みな簒奪計画が練り上げられたのです。
その手始めとしてジャパンマネーがアメリカ国債やアメリカ株の購入に自然に流れ出すようにアメリカ政府は日米の金利差を意図的に広げました。水が高いところから低いところに流れるように、ミツバチが甘い蜜に引き寄せられるように、自然とお金が日本からアメリカへ流れるように周到に条件を整えたのでした。まずレーガン政権発足当初は日本の金利5%に対してアメリカの金利を14%に設定し、10%近い大きな金利差を作って日本からアメリカへジャパンマネーが流れ出る呼び水としたのです。その呼び水の勢いに乗って、その後もアメリカの金利は日本の金利に5%を上乗せをした高金利になるように設定され続けたのです。それに加え重要なことはアメリカが外国人投資家(すなわち日本人投資家)にアメリカ国債の保有に対して税制上の優遇措置講じたことです。つまりアメリカは自国の国民よりも日本の投資家の方にアメリカ国債を安く買える便宜を計ってくれた訳です。あまりに出来すぎた話なので今だったら変に勘ぐってしまうのが普通ですが、如何せん当時の日本人は無知でお人好しで世間知らずだったのです。これだけ「おいしい」条件の付いた据え膳を出されたのでは食べない方がおかしかったとも言えます。日本の機関投資家の代表である生命保険などはすぐにアメリカの差し出す手に乗ってアメリカ国債の買いに走りました。当時国際化の波に乗って海外に現地法人を展開しつつあった日本の民間銀行も最初は恐る恐る、しかしその「おいしさ」に味をしめると大胆不敵にもアメリカ国債を大量に買い漁る羽目に陥ったのです。例によって日本人特有の「みんなで渡れば怖くない」という愚かな連帯意識から海外展開する民間銀行は一斉にこの罠に嵌って行きました。この裏にはアメリカ政府の圧力を受けた日本の大蔵官僚による民間銀行への行政指導が大きな働きをしたことは言うまでもありません。既にこの時期には大蔵省と日銀のトップはアメリカに育てられた連中が多数を占め、アメリカに完全にコントロールされ、アメリカの言うがままに行動するアメリカの手先に成り果てていました。こうして日本の機関投資家と民間銀行はアメリカのいいカモにされるべく、以後せっせとアメリカ国債を買い続けるのです。

【第二の反撃(その2)-日本経済敗北の決定的キーポイント】

さてこのジャパンマネーのアメリカ国債買いにはその後の日本の経済の敗北を決定付ける最も重要なキーポイントが隠されています。このキーポイントはアメリカの「日本封じ込め」の最大の武器となったものです。日本人は国際経済、特に国際金融についてあまりにも無知でした。国際的な金の貸し借りにおいて貸し手側の利益を守る最も重要な原則をまったく認識していなかったのです。そのために決定的な過ちを犯しました。それは日本がアメリカの国債や株を買うのに自国通貨の「円建て」で買うのでなく、アメリカの通貨である「ドル建て」で買ったことでした。これは国際間の金銭貸借において非常識極まりない行為でした。71年のニクソン・ショック以来、すでにドルは金本位制を捨ててしまい、為替の変動する不安定な通貨に成り果てています。アメリカ政府の威信を持ってしても、かろうじて世界の基軸通貨の面目を保っている程度に過ぎませんでした。たとえ80年代初頭には為替レートが1ドル250円前後で安定していたとしても、その先の事は誰にも分かりません。何が起こるか、そして何が起こっても不思議でないのが国際関係というものです。お金を貸すのに相手国の通貨建てで貸すのはあまりに危険な行為でした。相手国の通貨建てでお金を貸すということは、通貨発行権は相手国にあるのですから、相手国が発行する通貨の量によって為替レートは自在にコントロールされることになります。言いかえれば相手国が意図的に通貨量を調整することで為替は自在に変動させることができるわけです。例えて見れば、お金を貸した相手の発行する借用書の金額の欄をいつでも相手が自由に書き換えられることを許したのと同じ話になるのです。
何故日本人はこのような愚かな「ドル建て」という通貨建てでアメリカの国債や株を購入したのでしょうか。第一の理由はアメリカが「ドル建て」という取引条件以外には決済を許可しなかったことが上げられます。しか当時アメリカは巨額の財政赤字をかかえ瀕死の状態にあったのです。そしてこれを救えるのは日本のジャパンマネー以外にはありませんでした。このような条件下では、お金の貸し手である日本側が一番発言権が強いわけですから、たとえアメリカが「ドル建て」を主張しようとも、しっかりと貸したお金を防衛することを考慮して、あくまで「円建て」で購入することを交渉すべきだったと考えます。この交渉を粘り強く行えば「円建て」での取引が許可される可能性もあったはずです。事実これまでアメリカの財政赤字を支えてきた西ドイツは、全ての取引を「マルク建て」で行って来ていました。さすがに白人種である西ドイツは国際金融のシステムをよく理解していて自国の防衛には抜け目がありませんでした。しかし翻って日本については、不思議なことに日本の利益を防衛する「円建て」での決済について、全くアメリカと真剣に交渉を行う努力をしていません。アメリカの言うがままに従ったのです。これはアメリカの強圧的態度に日本の通貨当局が端から尻込みをしてしまい、アメリカの意向に従ったものと考えられます。大蔵省と日銀のトップは事態の重大さを知りながらアメリカの恫喝に恐れをなし、安易に「ドル建て」による決済を認めたことが推察されます。そして第ニの理由は日本の強みであった護送船団方式が裏目に出たことです。つまり戦後の民間の銀行、生保、証券といった機関投資家は官庁の行政指導によって育てられ発展して来た業種です。彼等は全てを官庁におんぶにだっこしてもらい過保護のまま甘やかされて育って来た連中です。したがって彼等独自で投資対象をシビアに調査し、その結果に基づいて意志決定するという機関投資家としてはごく当たり前の能力がほとんど備わっていませんでした。「全てお上の言う通りにすれば間違いはない」という盲目的な信仰が彼等を支配していました。お上に対して絶対的な信頼感があったのです。彼等はお上が自分達に不利なことをするなど到底考えることができない状況に置かれていたのです。それで日本の銀行、生保、証券といった機関投資家は、全く事態の重大さを考えず官庁の行政指導に従ってアメリカ国債を買いまくったのです。さらに第三の理由として戦後の日本人に対するアメリカの巧みなマインドコントロールが上げられます。すなわちアメリカは敗戦のコンプレックス(劣等感)を巧みに利用して日本人の心の奥底にアメリカのものは何でもいいもの、優れたものと無批判に受け入れる無意識の心理を植えつけることに成功していました。ほとんどの日本人はこのマインドコントロールの罠に嵌り、無意識にアメリカ・ブランドを優れたものとして礼賛する性向を植え付けられていたのです。これには民間の機関投資家も例外ではありません。アメリカ・ブランドの国債は世界一安全で有利な利回りの債権であると盲目的に信じる下地が出来上がっていたのです。この三つの理由が絡み合って日本の機関投資家は「ドル建て」決済という悪夢のシナリオに落ち込んで行ったのです。これが日本経済の運命の分かれ目となりました。アメリカは自分の仕掛けた罠に日本がすんなりと嵌ってくれるのを見て「馬鹿な日本人!」と腹の底からほくそえんだことでしょう。
こうして1981年から85年までの初期の5年間で日本円にして約10兆円のジャパンマネーがアメリカに流出しました。この時期の「ドル建て」での決済実績が以後の日米間の貸借の一般的な決済条件として固定してしまうことになります。この「ドル建て」に関しては次の「プラザ合意」というさらに大きな仕掛けが待っていました。

【第二の反撃(その3)-プラザ合意】

1985年9月、ニューヨークのプラザ・ホテルで開かれたG5(先進5か国会議)で当時のアメリカのベーカー財務長官と日本の竹下登大蔵大臣を中心に米、日、英、西独、仏の蔵相・中央銀行総裁の間で合意されたドル高是正の協調政策を通称「プラザ合意」と呼んでいます。「プラザ合意」とは一体何なのでしょう。一言でいえば「現在のドルの価値は実力よりも高いので、相応に安くなるように各国みんなで協力して為替操作を行い、ドル安を実現しましょう」という合意のことです。この真の狙いは「ドル安」を実現することで「円高」を導くことにありました。「プラザ合意」はあくまでアメリカがヨーロッパ主要国を仲間に従えて「国際協調」という名のもとで日本に加えた有無を言わせぬ経済的な圧力だったのです。竹下をはじめとした日本の大蔵省の首脳陣も、これがどういう事態を招くかうすうすは気付いていたはずです。しかしアメリカの強大な圧力に抗する術もなく簡単に合意に承諾したものと思われます。これは典型的な売国行為といえるでしょう。こうして竹下はこのときの論功行賞として田中角栄の政治基盤を与えられ、総理大臣の地位に登り詰め、「日本国王」として君臨することが許されることになります。
「プラザ合意」は単純に考えれば先の日米通称交渉の意図と同じく、「円高」を導くことで日本の輸出競争力を低下させアメリカ産業の保護育成を果たすことを目的としているように理解されます。一種の通貨を利用した関税障壁のようなものと受け取れるのです。もちろんその効果は絶大で日本の輸出産業はこの合意のおかげが当初は大打撃を受けることになりました。しかし日本企業はこれを乗り切るために労使一丸となって「円高シフト」をしき、コスト削減を実現することで、より国際競争力の高い製品を生み出すことに成功したのです。皮肉なことに「プラザ合意」の「円高」は結果的に日本の輸出競争力をさらに強化する役割を果たす結果になってしまたのです。このような結果論から結論するのではありませんが、「プラザ合意」の目的がアメリカ産業の保護育成にあったっと捉えるのは短絡的な見方と言えます。「円高」によるアメリカ産業の保護育成という効果は確かにありましたが、これはアメリカ国内の中小零細企業に対して生まれた小さな効果でした。しかし多国籍化したアメリカの巨大産業にはたいして何の恩恵もなかったのです。すでにアメリカ国内で空洞化してしまったこれらの産業が国内で復活することはありませんでした。
「プラザ合意」の真の目的は別のところにあったのです。結論から先に言えばその目的の第一は日本産業の空洞化を画策し日本国内の産業の弱体化をはかることでした。その第二はアジアの新興国を第二、第三の日本に仕立て上げ、戦後の日本同様にアメリカに都合のよい生産工場を作り上げるとともに、分割統治よろしく、それらを日本と競わせ牽制させることにありました。その第三は「ドル建て」による為替差損によって日本経済に大打撃を与えることにありました。
第一の日本産業の空洞化は日本企業が「円高」を克服するために仕方なく為替の影響を受けないアメリカ国内や生産コストの安いアジアの新興国に生産拠点を移すことで徐々に実現されていきました。系列化された日本企業はその子会社、孫会社までも海外に拠点を移し、国内産業の空洞化は促進されて行きました。「プラザ合意」の「円高」による生き残りのために日本企業はなりふりかまわず海外に拠点を移し、アメリカ産業がたどったと同じ道のりで多国籍化していかざるを得ませんでした。日本の大企業であればあるほどアメリカの意向を受けた経営者が陣頭指揮をとって、この道を驀進して行ったのです。アメリカはこれで日本の国家としての国内産業の弱体化を自らの手を汚すことなく実現していったのです。こうしてアメリカに投資された日本企業の資産はいずれ何らかの策を弄してアメリカ企業に乗っ取られる運命が予定されていたのです。
第二の目的は日本産業の空洞化と軌を一にして進みました。アジアの新興国に生産拠点を移した日本企業は資材と人材の確保の必要からその国に多大のインフラ整備の投資を行いました。また日本政府は政府レベルのODA(政府開発援助)でこれを支えました。これが第二、第三の日本をつくるための原資となって各国の産業基盤の発展に寄与したのです。いわば日本は日本の競争相手を自らの手で育て上げる役回りを演じたのです。戦後アメリカが日本に対して行った役割を、アメリカは「円高」を画策することによって、アジアの新興国に対して日本に同様な役割をあてがったのです。アメリカが日本に手を噛まれて傷ついたように日本もアジアの新興国に手を噛まれるのを期待して画策したのです。こうして日本を脅かす日本のクローンが次々と誕生しました。その代表的な存在が現在の中国なのです。
第三の為替差損による日本経済への大打撃こそが「プラザ合意」の隠れた主要目的でした。日本が「ドル建て」で買ったアメリカの資産は「プラザ合意」の「円高」によって急激に資産価値を減少させて行きました。「プラザ合意」の結果、当初1ドル250円をキープしていた為替の値が、わずか二年後の1987には1ドル150円にまで落ち込みました。これでアメリカの国債買いなどに流れていたジャパンマネーはその資産価値を4割減らしたことになります。1981年から85年までの初期の5年間で日本円にして約10兆円のジャパンマネーがつぎ込まれていましたから、これに対しては金額にして4兆円の資産が消えてなくなったことになります。こんな効率のよい資産減らしの方法は他には考えられないでしょう。この打撃は日本の機関投資家や個人投資家を直撃しました。アメリカはこの借金の目減りを最大の目的として「プラザ合意」を画策したのです。最初から日本にアメリカの借金を肩代わりさせ、行く行くはその借金を踏み倒すつもりでいたのです。「ドル建て」はそのための切り札であったのです。「プラザ合意」は明確なアメリカの日本に対する経済(マネー)戦争の開始宣言であったのです。ところが愚かにも日本の機関投資家にはこの裏が読めず「プラザ合意」以後も何とアメリカ国債を大規模にせっせと買いつづけたのでした。まさにカモネギを地で行った行動を取ったのです。87年2月にアメリカの金利が引き下げられると、日本の通貨当局は意図的にそれにスライドさせて日米金利差を4%にキープするように日本の金利も引き下げ、金利2.5%という超低金利時代を演出しました。機関投資家はこれにつられてアメリカ国債を買いつづけたわけです。しかしあまりに軽率でお粗末な行動としか言いようがありません。どうして彼らは為替差損という大きなリスクを知りつつこのようにリスキーなアメリカ国債を買い続けたのでしょうか。その答えは先に[日本経済敗北の決定的キーポイント]で書いた3つの理由が上げられます。この中でも特に「護送船団方式」による通貨当局の行政指導が決定的な役割を果たしていたと思われます。当時の大蔵省や日銀のトップはアメリカの意のままになる代理人によって占拠されており、アメリカの意向に沿って売国的な行為が行われたとみるのが正しい見方でしょう。日本は1987年2月に2.5%の超低金利となり、何故かその後2年3ヶ月にわたってこの状態が放置されてしまいます。これが日本のバブル経済の生む大かな原因となるのです。このバブルの発生に影響されて機関投資家はさらにアメリカ国債をせっせと買いつづけるはめに陥るのです。

( 中編に続く )

*夢人注:残念ながらこの文章の中編は探せなかった。白石氏の他の文章は幾つか保存してあるので、本人には無断だが、随時掲載したい。彼の文章は2002年当時のものとはいえ、現在も通用する鋭い洞察に満ちているので、そのまま埋もれさせるには惜しいものである。たぶん、白石氏もこの無断転載を了としてくれると思う。まあ、本人から抗議がくればすぐに削除するつもりだが。
上の文章に書かれた内容の中で、官僚支配を「社会主義」と評しているのは、多くの論者に共通したことだが、官僚主義は確かにかつての社会主義国家で目立ったにしても、社会主義の本質ではない。たとえばキューバなどが「人間的社会主義」の実例になるだろう。





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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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