・禅寺の松の落葉や神無月 (あるいはこれが凡兆の最高傑作か。)
・古寺の簀子(すのこ)も青し 冬がまえ
・門前の小家もあそぶ冬至かな
・呼かへす鮒売見えぬあられかな
・下京や 雪つむ上の夜の雨 (「下京や」は芭蕉が置いたらしい。これも超名句である。)
・五月雨に家ふり捨てなめくじり (一茶的ユーモアで、もちろん、かたつむりの変身の意)
・髪剃や一夜に金精(さび)て五月雨 (原版では「金情て」と誤記されている。)
・闇の夜や 子供泣出す蛍ぶね
・渡り懸て藻の花のぞく流哉
・日の暑さ 盥(たらい)の底の雲霞かな (原版の「うんか」の漢字はパソコンで出ない)
・すずしさや 朝草門ンに荷ひ込(こむ) (誤読を避けるために「門ン」と表記したか。)
・あさ露や鬱金(うこん)畠の秋の風 (鬱金と朝露と秋風の取り合わせが素晴らしい。)
・百舌鳥(もず)なくや 入日さし込(こむ)女松原 (「女(め)松原」の音調がいい)
・初潮や 鳴門の浪の飛脚舟 (初潮は陰暦8月15日の満潮のことらしい)
・物の音 ひとりたふるる案山子哉
・上行(ゆく)と下くる雲や穐(あき)の天(そら) (まさしく天才の作である。)
・灰捨(すて)て白梅うるむ垣ねかな (「うるむ」はぼやける意)
・鶯や 下駄の歯につく小田の土
・野馬(かげろふ)に子供あそばす狐哉 (これは一茶風と言うより蕪村風か。童話的だ。)
・蔵並ぶ裏は燕のかよひ道
・鷲の巣の楠(くす)の枯枝(え)に日は入りぬ (これも絵画的で、「楠の枯れ枝」がいい)
・はなちるや 伽藍の枢(くるる)おとし行(ゆく) (これも絶唱)
俳句というのは、生涯に一句でも名句を詠めば(俳句は「詠む」とは言わないらしいがどうでもいい。)永遠に名が残るものだが、凡兆の場合は、上に挙げただけでも10句くらい超名句を詠んでいる。私が、凡兆は松尾芭蕉に比肩する、と言ったのは褒めすぎかもしれないが、それに近い天才で、後世の与謝蕪村レベルだと思う。そして、ある面(絵画性や純粋な美感)では蕪村も凡兆も芭蕉を超えている。