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コスモポリタニズムのこと

昔のほうが、世界各国の文化が日本に輸入されて、今の「英語圏一極支配」のグローバリズム世界の中の日本よりも、よほど本物の国際性があったように思う。歌で言えば、シャンソン、ロシア民謡、ファド(ポルトガルの歌謡)、カンツォーネから、インドネシアの歌まで歌われていたのである。この「インドネシアの歌」とは、我々の年代には、「意味不明の歌詞」の歌として有名だった「ジンジロゲ」がそれであったはずだ。(曲は日本人の作曲かもしれないし、作詞もそうかもしれないが、言葉はインドネシア語のようだ。)あるいは、「モスラ」の映画の中でザ・ピーナッツの双子の小美人の歌う「モスラー、ヤ、モスラー」の歌も冒頭以外はインドネシア語だったと聞いた気がする。つまり、日本軍が「侵略した」東南アジアや中国の歌や言葉が日本に輸入されてもいたわけだ。戦争が、文化交流の面を持っていた、と美化する気はないが、自然とそうなるわけだ。
こういうのを、私は「グローバリズム」ではなく、「コスモポリタニズム」と呼びたい。グローバリズムが英語支配による世界文明の平準化・均質化であるのに対し、コスモポリタニズムは、各国の文化的個性、社会的個性を残したまま、平和に国際交流をするという思想だ、と、ここで定義しておく。ちなみに、「コスモポリタン」を訳すなら「世界市民」だろう。

などと書いたのは実は前置きで、先ほどの散歩の間に私の頭の中に流れていた歌があり、それは昔の「歌声喫茶」の時代に少し流行ったロシアかどこかの唄のようだ。題名は知らないが「泉に水汲みに来て」と、歌の冒頭の歌詞を題名としておく。
小学校低学年のころに聞き覚えた、うろ覚えの歌詞なので、いい加減な記憶で思い出せるかぎりで書いてみる。

泉に水汲みにきて
娘らが話していた
若者がここへ来たら
冷たい水あげましょう

緑の牧場に髭面の
兵士がやってきて
冷たい水が飲みたいと
娘たちに頼んだ

「美しい娘さん
髭面を見るな
兵士にゃ髭も悪いものじゃない
私は陽気な若者

ひと月もの戦いで
髭も髪も伸びたのさ
このむさくるしいなりを
娘さん許してくれ」

そこへ床屋の兵士がやってきて
「髭面みな集まれ!」
(以下忘却。当然、髭面の若い兵士が髭も髪も刈って美青年に早変わり、となって大団円だろう)


私がこの歌が好きなのは、この兵士の「このむさくるしいなりを 娘さん許してくれ」という、ジェントルマンぶり(女性への敬意)にある。西洋文明の精神のわずかな美点は、こういうところだ。それを偽善と言わば言え。善は偽善から始まるのである。









今、思い出したが、弘田三枝子の「悲しき16歳(原曲Too many rule)」の日本語版の中で、

Too many rule, too many rule

の部分を「夢見る、夢見る」(「早く大人になりたい~♪」と続く)と訳した(いや、換骨奪胎した)のは天才的だと思う。つまり、英語をそのまま使うのではなく、日本語の中に咀嚼する表現が昔はあったわけだ。これが、グローバリズムとコスモポリタニズムの違いだ、と言えば強弁だろうか。自国語や自国文化への誇りと自信を失わないままでの「世界交流」だ。
その一方で、「若年介護者」を「ヤングケアラー」などと欺瞞的に英語表現するのが、まさにグローバリズム的な英語の使用、あるいは電通的手法である。英語=カッコいいという、中二病心理の悪用である。そこには介護の苦労、若年介護者の忍従が隠蔽されている。


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「君の瞳に乾杯」

前に引用した小鷹信光の英語蘊蓄本の中に「カサブランカ」の例の「君の瞳に乾杯」の名セリフは誤訳だ、みたいな言葉が出て来るが、ズルいことに、「正しい訳」は何かは書いていない。
元の台詞は

「Here's looking at you」らしいが、さて、あなたはこれをどう訳すだろうか。

私の意見では、「君の瞳に乾杯」は、苦心の訳であり、名訳だと思う。
直観的な解釈だが、この台詞は

Here's something loooking at you

のsomethingを省略したもので、そのsomethingとは、グラスの酒を意味していると思う。
つまり、「酒が(飲んでほしいと)君を見ている」のだから、「君に乾杯」であるが、グラスの酒が「美しいあなたを見ている」のだから、「君の瞳に乾杯」は名訳だというわけだ。lookingという言葉が瞳を暗示しているということである。

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西洋的個人主義(利己主義)と日本の「大和(だいわ)の精神」

「神戸だいすき」は、個々の事例へのたいていの主張は他人の主張の受け売りで、「耳から即座に口へ」という印象なので、その主張を真面目に読むことはないが、情報収集に熱心なので、その点は偉いと思う。まあ、お喋りばあさんである。話の半分くらいは自慢話(苦労自慢も含む)というところもウザイww
しかし、ここに書かれた「主張」は、なかなか的を射た意見に感じる。
この前、佐藤優の「危ない読書」という新書版の古本(古本の新書ww)で読んだ、「国体の本義」という、GHQに禁書にされた、日本の「右翼書」として知られている本の中心思想に通じるものがあるので、それも後で転載しよう。
その思想を簡潔に言えば「日本は大和(だいわ)の国」である、というものだ。つまり、「和を以て尊しとなす」思想が、日本人の魂の根底にある、というものである。これは私も同感で、白人のエゴイズム思想(白人的個人主義)とは対極的なのだが、マスコミと教育(受験だけが目的の教育)の力で、日本人の精神が極度に利己的、かつ、力がすべて、という「実力主義」になっているのは誰でも認めるだろう。実力主義とは「弱者切り捨て思想」なのであり、「大和」の精神の対極にあるのである。
その悪質なエゴイズム精神(罰さえされなければ法やルールを無視してもいい)の矯正策としては、東海アマ氏の言う「利他主義」は極論であり、「和の精神」が正解だろう。己も他も和の一部なのである。(この思想をさらに敷衍すれば、「生命全体が共生体である」という、手塚治虫の「  火の鳥」の思想になる。そこに自らを捨てて他者を生かす「自己犠牲」の思想も発生しうる。)

既に載せたコピー画面の後に別の文章を書くと、コピー画面仕様になるので、先に「国体の本義」の当該箇所を引用しておく。原文のベースは哲学者和辻哲郎のものかと思われる。文中のカッコ内は私の補足。送り仮名は当時のもの。文語的表記もあるが読みやすいはずだ。「夫々」は「それぞれ」と読む。「同じう」は「同じゅう」と読む。原書では、この後に聖徳太子の「和を以て尊しと為す」の言葉が引用されているという。

「要するに我が国に於ては、夫々の立場による意見の対立、利害の相違も大本を同じうするところより出づる特有の大和によってよく一(いち、ひとつ)となる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壊を以て終らず、成就によって結ばれる。ここに我が国の大精神がある」




(以下「神戸だいすき」から引用)

日本人の魂は、見てくれでは死んだみたいに見えるけど、決して死んではいないよ。

それどころか、この円安(これだって、自然現象じゃない。仕組まれている)で、日本のいいものが、どんどん世界へ出て行って、また、外国人が日本にやってくる。


最近、盛んに「外国人がびっくりする日本のいいところ」というyoutubeが出ているけど。

あれを見ながら、こちらとしては、

「え?外国では、子供は一人で道も歩けないの?まして、電車に乗れないの?まして、夜道を歩くこともできないほど、治安が悪いの?」と、驚く。

まえまえから、感じていたけど、やっぱり、白人は質が悪いね。頭が悪いのかな?

日本人は、どうやったら、みんなで幸せに暮らせるかを一番に考えるのに、彼らは、他人から奪うことしか考えていないんだね。

思想が間違っている。

戦後の日本人は「不戦の誓い」の下、平和を追求するために、ほかのすべてを捨てた。
でもね、日本人の魂を捨てたりしてない。

「共生の思想」は、日本以外では、まず、存在しない。

日本人は、魂の発揮の方法を変えただけだと思う。



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ネトウヨの反中国言説と、中国人

内田樹の「箱根で感じた中国のリアル」という記事で、あまり期待しないで読み始めたのだが、面白いところがある。つまり、「中国は『資本主義国家』である」という当たり前の話だ。ところが、ネットでは中国を「共産主義国家である」という言葉が後を絶たない。だが、これは、「悪質な経済行為」には政府の指導が入るということで、それこそ「新自由主義」資本主義の悪質さの教師になるべき「望ましい資本主義」であり、「社会主義の精神を残した資本主義」と言うべきだろう。
私の認識では、もともと中国人というのは「政府の存在をあまり気にしていない」民族であり、革命直後の(毛沢東を中心とした)共産党政府が、革命政権維持のために国民を強固に罰則で縛っていただけであり、今の共産党政権は、かなり軟化していると思う。そうでなければ、とっくの昔に「再革命」で政府は倒れていたはずだ。天安門事件や香港騒動など、米国を背後にした中国政府打倒運動を見ればいい。あの運動で、中国政府は倒れなかった。いや、微動もしなかったと言っていい。つまり、国民の大半は政府を支持していたと判断できるだろう。
ところで、今の岸田政権や自民党の支持率は何パーセントだったっけwww

ちなみに、ネトウヨ(反中国、反ロシア、野党嘲笑のネットコメント)の多くは自民党工作員であることが、とっくにdappi事件で判明している。日本国民もそろそろ、そうしたインチキ言説から脱皮すべきだろう。

(以下引用)


 城崎に続いて、箱根に旧友たちと湯治に出かけた。箱根湯本はコロナ前のにぎわいを取り戻し、旅館も一時は「閑古鳥が鳴いている」状態だったがほぼ旧に復し、従業員数もコロナの間は半減していたが、またもとに戻った。
 宿泊客の半分以上が外国からのお客さんだった。浴衣の帯をとんでもない結び方をした人たちがお箸で器用に和食を食べている。
 中国からの人はだいたい見ればわかる。日本人と外見は変わらないが、どこか違う。何と言うか「昂然と頭をもたげている」感じがする。規則だから(納得ゆかないけれど)従うとか、傍らの人が嫌な顔をしているから遠慮するとか、そういう「調整」にはあまり気を使わないようである。そういうのが中国人気質なのだろう。
 少し前に凱風館にも20人ほど中国からのお客さんを迎えた。引率された毛丹青先生に「この人たち、どういう方なんですか?」と訊いたら、「ビジネスで成功して、もう働く必要がなくなったので悠々自適の生活をしている人たち」だと教えられた。年代は30代から50代。功成り名遂げた中国のお金持ちたちである。アメリカなら、フロリダに屋敷を買って、ゴルフをしたりセーリングをしたり毎晩パーティをしたりして過ごすのが定番だけれど、中国の富豪たちは一味違っていて、彼らの間では今哲学や宗教に対する関心が高まっている。それを求めて訪日したのだと聞いた。
 たしかに、物質的な欲望が充足されたあとに「精神的な飢餓感」を覚えるということは理解できる。なにしろ中国では文化大革命で清朝以来の伝統的な施設は解体され、その後は北京五輪と上海万博で「古い中国」の痕跡はほぼ消え去ってしまったからである(北京の伝統的な胡同もその時に壊された)。今の中国人が「古い中国」への郷愁が兆した時にどこに行けばよいのか。
 朝鮮半島にも「古い中国」はほとんど残っていない。朝鮮戦争の時に「山奥の寺院に敵兵がたてこもっている」という噂に煽られて、歴史的建造物が惜しげなく焼き払われた。だから、韓国で私が訪れたいくつかの寺院も、遠目からだと美しいが、近くにゆくとほとんどがコンクリート造りの「レプリカ」だった。ソウルにも平壌にも、もう李氏朝鮮時代の建物はほとんど何も残っていないと聞いた。
 だから、中国の人たちが「古い中国」の郷愁を覚えた時に行く先は日本しかなくなったとしても不思議はない。たしかに日本には「古い中国」が残っている。宋や明や清の時代のものが日本列島に伝来して、いろいろなかたちで、そのままアーカイブされている。
 箱根でも、中国からのお客さんたちもずいぶんリラックスしているように見えた。だって、部屋の床の間には漢詩の掛け軸や南宋画が掛かっているのである(私たちの定宿はロビーの壁に中国の馬だけを描いた巨大な画布がかかっていた)。それを見た時の彼らの安堵はいかばかりであろうか。
 もし、私たちがアジアのどこかの国に旅したときに、ホテルのロビーに芭蕉の句や西行の歌が達筆で書かれている扁額を見出したら、ずいぶんほっとするはずである。そう考えると、中国のお客さんたちの気分にもいくぶんかは想像が及ぶ。(2023年9月1日、)


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アメリカと「アメリカ的精神」に世界はどう対応できるか

「隠居爺の世迷言」記事で、世迷言どころか、非常に優れた歴史認識、世界認識で、その表現が単純明快で素晴らしい。ただし、氏の持論である「ディープステイトは存在しない」という意見を私は否定する。アメリカ人の精神が異常であるとしても、ではそれにどう対処できるのか。アメリカ人を皆殺しにするしかないとすれば、それこそ世界の「アメリカ人化」である。深淵を見つめるものが深淵に見つめ返され(、溺れ)るわけだ。
ちなみに、このニーチェの有名な箴言の前文は「怪物と戦う者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ」である。(ニーチェ「善悪の彼岸」箴言146:竹山道夫訳)

(以下引用)
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 タッカー・カールソンという "アメリカの保守派政治コメンテーター" なる人物が、ロシアのプーチン大統領に直接取材(インタビュー)を行ったことは、SNSに接している人であるならばご存知のことかと思う。もちろん、アメリカに飼いならされた日本のマスメディアは取り上げないか、悪意からの偏向報道をするかのどちらかになる。

 しかし、私にとっては大変に楽しいインタビューだった。お互いに全く嘘がないとはいえないだろうが、アメリカや日本政府のプロパガンダとはレベルがかけ離れている。基本が正直で、公にできない情報のみが隠されるか、オブラートで包まれるかになる。

 しかし、日本政府やアメリカのプロパガンダは基本が子供騙しの嘘になる。真実が語られるとすれば都合のいいことだけになる。マスメディアも、そんなプロパガンダに輪をかけて報道する。真実などどうでもよくて、ひたすらその情報が日本政府に有利か、アメリカに有利かということだけを判断の基準とする。昔の大本営発表の上を行っているのが、今の日本のマスメディアになる。

 さて、タッカー・カールソンのプーチン大統領へのインタビューを見ていて感じたことは、「ロシア人はアメリカ・インディアン扱いされている」ということだった。このことを理解するには、アメリカに移住してきた白人たちが、アメリカ・インディアンをどのように扱ったかを知る必要がある。

 それほど難しいことではなく、アメリカ合衆国という国家はインディアンを征服することによって建国されたという事実を認識すればいい。コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年以降、ヨーロッパの白人はアメリカインディアンからの強奪と虐殺を繰り返した。その結果、1890年にアメリカインディアンは完全に征服された。

 この間、白人がいかに汚い手口を使ったかについては、ネットを検索すれば得られる情報になる。私が漠然と認識しているところでは、白人たちは最初友好的なフリをして近づく。そして、相手が油断したところをみはからって、盗みや強奪を行う。これが一番原始的なアメリカ白人の手口になる。

 しかし、そんなことはいつまでも続かない。インディアンが警戒し始めるからだ。そこでアメリカ白人は、インディアンと約束(契約)を交わす。土地を借り受けるとか、交易をするなどのことによって交流を図る。何のためにそんなことをするかといえば、それはインディアンを油断させるためだ。

 いかにもルールに基づいて紳士的な交流が行われるかのように見せかけながら、アメリカ白人はインディアン虐殺の準備を整える。そして、準備が整ったところで突然襲いかかり、インディアンを皆殺しにしてしまう。要するに今でいえばジェノサイドを行う。

 その際、それまでのルールをアメリカ白人の都合のいいように勝手に変えてインディアンを怒らせ、インディアンの方から攻め込ませるという手の込んだことも行った。アメリカ白人が自分たちは防衛のために正義の戦いをしているとアピールするためだ。あるいは、インディアンの一つの部族を篭絡して、他の部族と戦わせるなどのこともしている。それは現在もアメリカの得意技の一つだ。

 アメリカ白人は最初から「インディアン皆殺し、財産は全てを奪う」と決めて近づいているが、インディアンの方は白人皆殺しなどとは思っていない。それだけでも戦いは不利になる。そして、1890年にインディアンが完全に征服されるまで、卑怯なだましと強奪とジェノサイドをアメリカ白人は繰り返した。

 以後、今の今に至るまで、アメリカにはこの建国の精神、つまり「だましと略奪と虐殺」の精神が脈々と続いている。アメリカ人は今でも「だましと略奪と虐殺」が大好きでたまらない。中東でも、アフリカでも、南米でも、アジアでも、それを何度も何度も繰り返してきた。アメリカは血塗られた国といえる。

 そして、1991年にソ連が崩壊して以降、アメリカはロシア征服に乗り出した。やはりアメリカの西部開拓、つまりインディアン征服と同じ手口を用いた。まずは、ロシアに対して「NATOを1インチたりとも東方に拡大しない」と約束することから始まった。

 しかし、その約束はどうなっただろうか。ベラルーシとウクライナ以外のいわゆる東欧と呼ばれる地域が徐々にNATOに組み込まれてしまった。明らかな約束違反だ。インディアンを征服する手口と同じになる。そして、アメリカ白人は残されたウクライナも標的にした。

 ウクライナはロシアの隣国であり、ここをNATO加盟国にされて核ミサイルなどを配備されてはロシアもたまったものではない。ゆえに抵抗する。これが現在行われているロシア・ウクライナ紛争の本質になる。過去のアメリカが西部開拓という名のインディアン征服を行ったように、現在のアメリカはロシア開拓に乗り出して、ロシア人を征服しようとしている。それにロシアが反発している。

 ウクライナに介入を始めたときのアメリカ白人は興奮状態だっただろう。活気でみなぎっていただろう。なにしろ、アメリカの西部開拓が場所を変えてまた始まろうとしていたのだから。いくらでもだまし放題、盗み放題、殺し放題なのだから。アメリカ白人の原始人としての血が騒ぐというものだ。

 面白いことに、ロシアに領土拡張の野望がないことも、アメリカ・インディアンと同じになる。今回のインタビューでもプーチンは、ロシアがアメリカからの侵略に対応しているだけであることを、歴史をひも解くなどして説明しようとした。ロシア人はアメリカ・インディアンが先住民としてアメリカで自然に暮らしていたのと同じであると私には聞こえた。ポーランドなどへの侵略の意思がないことも明言した。

 しかし、アメリカは違う。アメリカの野望は他国の征服だからだ。アメリカを侵略したのはイギリスになるが、そのイギリスも侵略によって出来上がった国といえる。つまり、アメリカは侵略の歴史しか持たない。アメリカ建国の精神は侵略・征服になる。

 日本人はほとんど気がついていないようだが、1853年の黒船来航から現在に至るまでの約170年間、日本も英米の侵略にさらされてきた。日清戦争や日露戦争は、英米の代理戦争をさせられたものだ。今のウクライナと同じように。
日本の始めた戦争ではなく、また、日本が勝ったのでもない。


 


 大東亜戦争の敗戦以降は、日本は明確にアメリカの植民地になった。ただし、アメリカは巧妙に日本は独立していると嘘を教え、多くの日本人がその嘘を現在も信じている。なぜ日本は30年間も経済発展をしないのか、国民の所得が増えないのかを考えるだけでも、アメリカの嘘には気づけるはずだ。

 加えて、なぜ日本にはアメリカの軍事基地があるのだろうか。専用施設が80か所近く、共同使用施設を含むと約130か所が存在している。何のためだろうか。日本を守るため? ご冗談でしょう。日本を支配するため、そして、中国やロシアを威嚇牽制し、いざというときには前線基地として使うためだ。おめでたい日本人は、従順に従うばかりで疑問を持とうとしない。

 日本はほぼアメリカに征服されたといってもいいけれども、昨今のアメリカの様子を見ていると、この先一層支配を強めようとしているように見える。何かと理由をつけては日本から金を巻き上げる。日本が植民地だと思っているアメリカにとっては当然のことではあるけれど。思いやり予算もそう、ウクライナ支援もそう、防衛費倍増もそう、郵政民営化もそう、ワクチン接種もそう。全部アメリカの懐に大金が入っていく。与野党含めて日本には反対する者が皆無に近い。

 今の世界ではこれ以上ない悪党がアメリカになるけれども、インタビューでプーチンは、バイデンは敵ではなく、アメリカはずっと同じ力で支配されており、対峙しているのは彼らだと述べている。「それこそがディープステートだ」と好きな人は言い始めるのだろうが私はそうは思わない。

 敵はアメリカ建国の精神になる。インディアンをだまし、インディアンから略奪し、インディアンに対してジェノサイドを行ったアメリカ建国の精神。それを今でも世界に対して実行しようとするアメリカンスピリット。アメリカ人一人一人の心の中に根付いている侵略者精神。それこそがディープステートになると私は思う。それを退治しないことには世界に平和は訪れない。

 アメリカにとってみれば、ロシア領土はかつてインディアンが暮らしていたアメリカ大陸と同じに見えるのだろう。アメリカにとってみれば、中国領土もかつてインディアンが暮らしていたアメリカ大陸と同じに見えるのだろう。それゆえアメリカのすることは一つしかない。「だましと略奪と虐殺」になる。ロシア相手でも、中国相手でも。

 プーチンはインタビューの最後にこんなことを述べている。「実話になるが、戦場でウクライナ兵がロシア兵に囲まれて降伏することを勧められた。しかし、ウクライナ兵は完璧なロシア語で "ロシア人は降伏するな" と叫び、全員が死んだ。」

 これは二つのことを意味しているように思う。敵として戦うウクライナ兵であっても、内面にはロシア人としてのアイデンティティを持っていること。つまりウクライナ人はロシア人であり、ウクライナはロシアであるということ。

 もう一つは、アメリカがウクライナやロシアを侵そうとしても、ロシア人は死ぬまで徹底抗戦をするということ。金さえ儲かれば平気で魂を売るような軽薄なアメリカ人と、ロシア人とでは人格が違うということ。

 そろそろアメリカ人も自分たちの誤りに気がついていいように思う。正義のない戦いはいずれ必ず敗北する。ロシア人をアメリカ・インディアンと同一視して、頭皮剥ぎをするような真似を続けるべきではない。私としては人道的な観点から、そう、ヒューマニズムの観点から、ロシア、そしてプーチンを応援したい。


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つまり、柔道の「自然体」と「自護体」ね

まあ、カネのかかる話なので庶民には無関係な話題だが、「免震」と「耐震」というのがどう違うのか、読んだついでに転載する。もっとも、記事中にその説明はないが、想像はできる。
要するに、「免震」は、基部(土台)をゴムなどで作ることで、地震の際に建物が「地面と共に揺れる」ことがないというものだろう。基部は地面と共に揺れるが、主体構造部は慣性でその位置にとどまるわけだ。「耐震」は、建物全体が揺れるので、根本的には被害は防げないというか、大きな揺れには「耐えられない」ということだと思う。「耐震」も耐える限度があるわけだ。
法隆寺五重塔などが一種の「免震」構造らしいと聞いたことがある。

(以下引用)

免震化で被害なし 耐震化は被害 明暗分かれた建物 能登半島地震


配信

読売新聞オンライン

免震化で損傷なし 耐震化で損傷


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児童文学から見る経済考察

リンドグレーンの「ラスムスくん英雄になる」という児童文学を読んでいると、スウェーデンの通貨単位である1ヨーレが日本の「70銭」に相当する、という注釈があり、念のためにこの本の第一冊発行年を確認すると1965年である。その年でも日本本土では「銭」という通貨が使われていたのだろうか。そして、銭という単位が無くなったのはいつなのだろうか。
ちなみに、1965年当時の沖縄は米国統治下にあり、ドルが使用されていた。25セントで「Cランチ」と呼ばれた立派なトンカツ定食(+サラダなど)が食えたから、25セントが今の500円硬貨くらいの価値だったのではないか。いや、今の物価高の日本なら1000円くらいの価値か。つまり、(1ドル=150円どころか)今の4000円が昔の1ドルの価値しかないわけである。まあ、カネの価値がどんどん低下しているのは日米とも同じだから、こうした比較は「GDPの増大とは結局はカネの価値が低下しただけ(単なる金融バブル状態)である」という結論になりそうである。


(以下引用)

あの日の沖縄



1958年9月16日 B円からドルへ法定通貨の切替え

 この日、沖縄での通貨がB型軍票(いわゆるB円)から米国ドルに統一されました。当時、沖縄は米国施政権下にあり、米軍が発行する緊急通貨であるB円が流通していました。琉球列島米国民政府高等弁務官は布令第14号「通貨」を発してB型軍票を廃止し、琉球列島における法定通貨を米国ドルと定めました。
 米軍は、沖縄の経済発展のために外国資本を積極的に導入して、雇用創出と新しい技術知識の導入を図ろうとしました。国際基準通貨であるドルへ移行することは、外資導入促進政策の一環とされました。ドル通貨制への賛否両論の渦巻く中で、9月16日から20日の間に1ドル120B円と、B円高の比率で通貨交換が実施されました。

銀行窓口でのB円からドルへの通貨交換 1958年9月16日【0000108928/059482】
 米軍は沖縄における通貨制度を二転三転しました。終戦直後の無通貨時代(配給や物々交換)を経て、緊急通貨B円の発行、新日本円への移行、B円を法定通貨に再指定(新日本円との二本立て通貨制)、その後B円を再び法定通貨に統一しました。
この1958年(昭和33)の通貨切替えから日本への施政権返還まで、沖縄では米国ドルが流通しました。1972年(昭和47)5月15日の日本復帰の日に米国ドルから日本円への通貨交換が行われ、沖縄は27年間に7回も法定通貨の変更を経験したことになります。

「ドル交換 首里支所」1958年9月17日【0000112303/10-56-1】


【参考・引用文献】
・牧野 浩隆 「通貨制度」『沖縄大百科事典 中巻』 1983年 沖縄タイムス社
・牧野 浩隆 『戦後沖縄の通貨(下巻)』 1987年 ひるぎ社
・与那国 暹 『タイムス選書 戦後沖縄の社会変動と近代化』 2001年 沖縄タイムス社



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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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