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隣のエイリアン 第五章






第五章 笑いと個性と恋愛


 


やがて9月は終わり、10月になった。このひと月足らずで日本の小学校中学校の学習内容は完全に暗記し、高校1年から始めるなら不自由はまったく無さそうである。日常生活での「人間」との対応も「テレビドラマ」や「映画」などで学習はしたが、理解できないことも多い。特に理解できないのが「流行語」と「笑い」で、ここの人間は他人と会っている時には絶えず冗談というものを言っているように見える。その冗談というのがひとつも面白くないのである。むしろ、冗談を言っているのだ、と了解がついた瞬間に、冗談を聞いた人たちは笑う、という「約束事」としか見えない。


いや、我々の星の人間はもともと感情に乏しいのだが、それでもまったく笑いを理解しないというわけでもないのである。不合理性というのが冗談の基本である、という点では我々の感覚と類似している。つまり、「意想外な不合理性」への反応としては、驚くか笑うかどちらかという点は同じなのだ。ただ、我々はそれに対してせいぜい「口角を歪める」程度の反応しかしない。声を上げて笑うことは無いのである。感情をそのまま表に出すことは「はしたない」と考える「作法」がある、と言えば近いだろうか。そして、「無理に作った笑い」あるいは「笑いを狙った言動」には困惑してしまう。


そもそも不合理性というのは「困った事態」であるわけで、笑いとはその不合理性の指摘なのだから、あまりたびたび生じては困るのである。


しかし、そう思う一方で、人間の笑顔というのは私を魅了する。特に子供や若い娘の笑顔というのは私を感動させるのである。不思議である。


こういうことを考えたのは、お隣の住人であるタイラ・ナミ(漢字では平南美と書くらしい。)と出会う度に彼女が笑顔を見せるのだが、その笑顔を見るたびに彼女が好きになることを私が自覚したからだろう。もちろん、我々の星では恋愛も結婚も無いから、これは恋愛感情ではないだろう。


我が星での友人関係はどうかと言えば、出逢う人間すべてが友人(日本でも沖縄という地方には「イチャリバチョーデー(行き逢えば兄弟)」という言葉があると或るテレビ番組で見たことがある。)のようなものだし、我々は「個性」というものを特に尊重しないので、誰かを特に選んでその人とだけ深くつきあうということもない。


しかし、この星(あるいは、この日本という国)では、「個性」というものが尊重されているらしい。小学校や中学校の教科書に「個性の尊重」という言葉がしばしば出てくるし、ネットで高校を調べた時も、「個性の尊重」を教育理念としている学校は多かった。


そして、漫画やテレビドラマや映画など様々なメデイアでの「恋愛」や「友情」が結ばれる要因は、相手の個性によるものであるようだ。中には、不良だから好きになる、暴力的だから好きになる、という、ネガティブな条件がむしろ有利に働くという理解しがたい「個性→恋愛」というものもある。まあ、これは野生動物時代の本能の痕跡だと思う。つまり、強い個体に従属していれば餌などが確保しやすい、ということだろう。


 


少なくとも日本で一番嫌われているのは「無個性」というものらしい。そして、「恋愛」の一番のポイントは「顔の美醜」であるらしい。


だが、我々は、かなり前に言ったように、顔も体型も自由に変えられる。


つまり、顔がどうこうだから好きになるとか嫌いになる、という前提がそもそも存在しないのである。そもそも、美醜の概念が地球人とは違うだろう。


まあ、この地球でも整形手術というのがあって、その点では我が星と大差はないのだが、それでも顔が「美しい」とか「醜い」とか、スタイルがいいとか悪いとかいうのが恋愛の最大の要因であるというのは、不合理の極みである気がするが、それは感情に乏しい我々の基準で軽々しく判断すべきことではないだろう。

















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男性
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仙人
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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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