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隣のエイリアン 第七章






第七章 美とは何か


 


10月の半ばになると、日本列島は紅葉の季節になる。


私の住んでいる関東地方ではまだそれほど紅葉は見られないが、テレビで見る紅葉の風景の素晴らしさは、言葉では表現できない。


我々は感情に乏しいのだが、そうなった原因のひとつは「自然の変化が無い」「自然の美が無い」ということだったのかもしれない。少なくとも、この地球では「美感」というものが絶大に発達し、その原因はおそらく自然の変化と自然の美だろう、と思う。


 


たとえば、高校入試を受けるために読んだ「中学国語教科書」の中に、清少納言の「枕草子」の冒頭部分(「春はあけぼの……」)があるのだが、それを読んだ子供たちは自然の美というものを感受するようになる(開眼する)のではないか、と私は推測するのだが、自然を大切にする人間というのは、「他の存在を大切にする」ことを知るわけだから、それが社会の平和の土台になっていくのではないだろうか。大げさに聞こえるかもしれないが、私が日本人大衆の表情に見る温和さの土台は「義務教育」にある、という気がする。それも、「古典」の中にだ。物理や数学では「感情」は育たないと思う。


その一方では「テレビ」は残虐極まる殺人や傷害の事件が頻繁に起こっていることを示しており、また社会の上層の人間が醜悪な行為をしていることもたびたび報道される。


庶民生活とマスコミで報じられる事件とのこの乖離はなぜなのか。まさか、マスコミがすべて虚偽の報道をしているとは考えられず、また「ネット」では一般マスコミで報道される事件のその裏にあるさらに醜悪な事実が報じられている。


 


私は電車や飛行機を利用して関西圏の紅葉の名所の多くを訪ねてみた。特に京都と奈良である。正直言って、単に見るだけならテレビ画面で見る方が美しいと思わないでもないが、実際にその場にいないと味わえない風情(私がこんな言葉を使うのは似合わないだろうが)や匂いや音や空気がある。


私はまだ春の日本を知らないが、桜の景色が紅葉の景色よりも美しいとは想像もできない。単に推測だが、桜など「白一色」ではないか。「ただ白いだけ」で埋め尽くされた光景が、このあらゆる色の豪華な饗宴に勝ることがあるだろうか。


もちろん、それは私の「美意識」が未発達なのだろう、と思う。いろいろ読んだ本によれば、日本人は四季のすべての風景に美を見出すようだ。白一色に閉ざされた雪(この実物はまだ見たことが無いが、我が星の極地の氷から推定はできる。つまり、細かく砕いた氷の細片が空から降るようなものだろう。いや、砕いた氷の細片ではなく自然に出来た結晶だ、ということは知ってはいる。)の風景も美であると見るらしい。ならば、同じく白一色の桜の風景も美と見るのは当然だろう。


おそらく、これは、私の故郷の星がほとんどモノクロームの世界であるために、初めて見る色彩の豪華さに感動しやすいのだと思われる。慣れれば、見方も変わるかもしれない。


 


私は美術館や博物館も幾つか訪ねてみた。


正直言って、そこに飾られている作品の半分以上は、私には「美しくも面白くもない」としか感じられなかったが、自然を写した写真や自然を描いた絵画は美しいと思うものもあった。だが、自然そのものを見ればいいのではないか、という馬鹿馬鹿しさも感じたのである。絵画などには奇抜な誇張をして描いた作品もあり、何を描いているのか分からない作品もあった。それらはまったく「美しい」とは思わないが、「芸術」は単に美を追求するものではない、ということらしく、それを面白いと思わないのは単に観る側の問題なのだろう。


 


「美」というのは何なのか。


もともと感情に乏しい我々は、美というものを感じ取る能力そのものが低い。だが、この地球、いや、日本に来て、紅葉の風景などや青空や渓流や山並みなど、朝焼けや夕焼けなどを見て私が感じた気持ちは、まさに「美感」というものであることは間違いないと思う。それは或る種の快感であり、たとえばそよ風が肌を撫でて行く際に感じる快感にも似ている。(我々は触覚においては地球人とさほど変わらないと思うが、それを精神力で増幅させることは可能だ。)


 


自然の風景と、一部の芸術ゆえに、私は地球人擁護派になりたい、と思う。だが、その一方で、地球上に満ちている悪と悲惨は、私に「人間とは本性が悪なのだ」という結論に導く。そのどちらを選べばいいのか。


 


昨日から、同居人ができた。


私が毎日のように散歩に行く、近くの公園で拾ったホームレスの男で、おそらく精神障害者だろう。年齢は50歳くらいか。汚い服を着ていたが、我々の基準では顔立ちは悪くない。つまり、性質の善良さが現れた顔だ。(我々は顔の美醜に無頓着だが、地球人の顔に現れた性格は見抜けるのである。)身長は私より少し低いが、私の父親と言っても通用するだろう。そのために拾ったのである。


私は、精神操作で彼に偽の履歴を覚えさせ、私の父親の役を演じさせるつもりである。(隣家の平南美に「父は英国人で母は日本人だ」と言ってしまったが、それは日本語に慣れていないために言い間違えたと言えばいいだろう。)まあ、ロボットを使うのと同じだが、残念ながらそこまで人間を演じられるロボットは我が星でもまだ作られてはいない。と言うより、作る必要性が無かったのだ。


私にとっては、犬を警察犬として使うのと同じなのだが、人類にとっては、こういう行為はおそらく大きな悪なのだろう。まあ、衣食住の世話をする代償に、少し働いてもらうだけだ、と言えば言い訳になるだろうか。



























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酔生夢人
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仙人
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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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